七円玉の読書記録

Researching on Nichiren, the Buddhist teacher in medieval Japan. Twitter @taki_s555

日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻②

続きに入る前に、「開目抄」の書誌情報を追加しておきたい。
身延山にあった真蹟の本文は六十五紙、またそれとは別に表紙に「開目」の二字が書かれていたと伝えられている。すなわち、日乾「身延山久遠寺御霊宝記録」に「開目抄 六十五紙 此外表紙開目二字有之」(『昭和定本日蓮聖人遺文』第三巻、立正大学日蓮教学研究所編、久遠寺、2000年、改訂増補第三刷、2754頁)とある。しかし日乾による真蹟対校本、本満寺刊収録の本文では、そのことに触れられていないようである。また久遠寺12世・日意(1444-1519)による「大聖人御筆目録」の「御筆双紙之分」に「開目抄御草案」(前掲書、2743頁)と記され、開目抄の草稿の真蹟が身延山にあったことが注目される。

日意が目録に記したこの真蹟草案は、日乾が対校したものとは別のものか、同じものか。仮に同じとするなら、日乾はテキストを草稿に合わせたこととなり、テキストが清書本系統から遠ざかる結果となっている可能性を残す。日存写本をはじめ他の写本が清書本系統なのか草稿系統なのか、また草稿の真蹟と清書本系統の写本とでは、テキストとしてどちらが価値が高いものか等、私には不審な点が多く、いつか整理してみたいと思っている。またそもそも日乾が対校に用いた某写本はどのような系統のものなのか、これは翻刻を進めて対校の跡を追う中で、何か気づくことがあればと密かに期待している。
文献学的な面で言えば、開目抄における私の最大の関心事は、結論部分の「日蓮は日本国の諸人に」以下が「しうし父母」(『新編日蓮大聖人御書全集』堀日亨編、創価学会、第二版、237頁、大石寺26世・日寛「開目抄愚記」に依拠したか)、「シタシ父母」(日乾対校本、本稿底本・『開目抄 乾師対校本』梅本正雄編、本満寺、1964年、241頁参照)、「主師父母」(日存写本、『開目抄 日存聖人筆』寺内泰徹編、本能寺、1965年、150頁)と表記が異なる点の解明だが、役不足である。
それから関連して、日蓮は真蹟で変体仮名を用いているが、日乾の対校本(及び土台とした写本)では仮名はほぼ全てカタカナに置き換えられており、また漢字についても日蓮が真蹟で用いていないと言ってよい字体が使われている。当時はこれが通例だったのかもしれないが、ここに忠実な書写を超えた判読、解釈の問題が潜んでおり、「シウシ」とか「シタシ」に影響があるのかと勝手に憶測している。

次に日蓮自身が他の書簡で開目抄について触れたものを見ていこう。「種種御振舞御書」には「開目抄と申す文、二巻造りたり」(建治2年、前掲御書全集、919頁参照)とある(同書には真偽問題が付きまとうが、ここでは真撰と見た)。また直接書名は出さずとも、「富木殿御返事」に「法門の事、先度、四条三郎左衛門尉殿に書持せしむ。其の書、能く能く御覧有る可し」(文永9年4月=開目抄脱稿の二カ月後、前掲御書全集、962頁参照)とあり、「其の書」とは「開目抄」を指すと考えられ、日蓮が下総の門下・富木常忍に対し、鎌倉の四条金吾を通じて開目抄を読むよう指示していたことがわかる。この時点で日蓮自身が開目抄という書名を付けていなかったのかと愚案を廻らしている。

(11)
或外道云千年已後佛出丗等云云或外道云
百年已後佛出丗等云云大涅槃云一切卋*1
間外道ノ書ハ皆是レ佛説非ス外道ノ説ニ等云云法芲
云示衆有三毒又現邪見我弟子如是
方便衆生等云云三ニハ大覺*2尊此一切衆
生ノ大導師大眼*3目大橋鿄大舩*4師大福田等ナリ
外典外道ノ四聖三仙其ノ名ハ聖ナリトイエトモ實ニハ三
(12)
惑未断ノ凢*5夫其ノ名賢ナリトイエトモ實ニ*6*7果ヲ弁
サル事嬰兒*8ノコトシ彼ヲ舩トシテ生死ノ大海ヲワタル
ヘシヤ彼ヲ橋トシテ六道ノ巷コエ*9カタシ我カ*10
師ハ變*11易猶*12ヲワタリ給ヘリ況分段*13生死ヲヤ元
品无明ノ根本ヲカタフケ給ヘリ況見思枝*14𫟒ノ麁*15
惑ヲヤ佛陁ハ三十成道ヨリ八十𢓦*16入滅ニイタル
マテ五十年カ間一代ノ聖教ヲ説給ヘリ一字一句
(13)
真言*17ナリ一文一偈*18妄語ニアラス外典外道ノ中ノ
*19䝨ノ言スライウコトアヤマリナシ事ト心ト相苻*20ヘリ況ヤ
佛陁無量曠劫ヨリノ不妄語ノ人サレハ一代五
年ノ説敎*21外典外道ニ對*22スレハ大乗ナリ大人ノ實
語ナルヘシ初成道ノ始ヨリ泥洹ノ夕ニイタルマテ説トコロノ所説*23
皆真實也但シ佛教ニ入テ五十年ノ々八万法
蔵ヲ勘タルニ小乗アリ大乗アリ権アリ實
(14)
アリ顕敎密教*24語麁語實語妄語正見邪見
等ノ種々ノ差*25別アリ但法芲計敎主粎ノ正
言也三丗十方ノ諸佛ノ真言*26也大覚*27ハ四十
年ノ年限ヲ指テ其内ノ恒河ノ諸ヲ未顕真實八
年法芲ハ要當説真實ト定給シカハ多寳*28佛大
地ヨリ出現シテ皆是真實ト證*29明ス分身ノ諸佛来*30
集シテ長舌ヲ梵天ニ付ク言赫々タリ明々タリ
(15)*189頁
晴天ノ日ヨリモアキラカニ夜中ノ満*31月ノコトシ仰テ
信ヨ伏テ懐ヘシ但此経ニ二十ノ大事アリ俱舎宗
成實宗*32*33法相宗三論*34宗等ハ名ヲモシラス
芲嚴*35真言宗トノ二宗ハ偷*36ニ盗テ自宗ノ骨*37目トセ
リ一念三千ノ法門ハ但法芲ノ本門壽*38量品ノ
文ノ底ニシツメタリ竜樹天親知テシカモイマタヒロイイタサス
但我カ天台智者ノミコレヲイタケリ一念三
(16)
千ハ十*39具ヨリコトハシマレリ法相ト三トハ八
立テ十ヲシラス況ヤ㸦具ヲシルヘシヤ俱舎成
律宗等ハ阿含*40ニヨレリ六ヲ明テ四*41ヲシラス
十方唯有一佛一方有佛タニモアカサス一
切有情悉*42有佛性トコソトカサラメ一人佛性
ユルサス而ヲ律成實宗等ノ十方有佛有佛
性ナント申ハ佛滅後ノ人師等ノ大乗ノ義ヲ自宗ニ盗□*43
(17)
入タルナルヘシ例セハ外典外道等ハ*44佛𫝐ノ外道ハ執見ア
サシ佛後ノ外道佛教ヲキヽミテ自宗ノ非ヲシリ
巧ノ心出現シテ佛敎ヲ盗取自宗ニ入テ邪見
モツトモフカシ附佛敎学佛法成等コレナリ外
典モ又々*45カクノコトシ圡ニ佛法イマタワタラサリシ時*46
道家ハイウ〱トシテ嬰兒ノコトクハカナカ
リシカ後已後ニ粎教ワタリテ對ノ後粎教
(18)
漸〔ヤウヤク〕流布スル䄇*47ニ粎教ノ僧侶破戒ノユヘニ或還俗シテ
家ニカヘリ或ハ俗ニ心ヲアハセ道ノ内ニ粎敎ヲ盗入タリ
止観*48第五云今ノ丗ニ多ク有*49𢙣魔比丘退戒還家
懼畏〔ヲチテ御本〕*50駈策ヲ更ニ越済シ道士ニ復邀〔モトメテ〕名利ヲ𧩊*51談㽵老
佛法義ヲ安邪典ニ押〔オシテ〕高*52就下摧〔クタイテ〕*53入卑槪*54〔カヒ〕テ
令平等云云弘*55*56云作テ比丘ノ身滅佛法ヲ𠰥退
戒還ルハ家ニ如シ衛〔ヱイ〕ノ元嵩等ノ即以テ在家ノ身ヲ壊ス佛法ヲ○*57
(19)*190頁
*58〔ヌスムテ〕正教ヲ添ス邪典ニ○*59押〔アフ〕髙*60等者○*61以テ道士ノ
心ヲ為シ二教ノ槩*62〔カイ〕ト使邪正等義无是ノ理〔リ〕曽テ入テ佛法ニ
正ヲ助ク*63邪ヲ押テ八万十二之髙キ*64就ケテ五千二篇之
下ニ用テ粎彼ノ典ノ邪鄙*65之教ヲ名ク入卑等云云
ノ粎ヲ見ルヘシ次上ノ心ナリ佛敎又カクノコトシ後
ノ永平ニ圡ニ佛法ワタリテ邪典ヤフレテ内典
立内典ニ南三北七ノ異執ヲコリテ蘭菊ナリシカ
(20)
トモ陳隋ノ智者大師ニ打〔ウチ〕ヤフラレテ佛法二ヒ群類ヲ
スクウ其後法相宗真言宗天竺ヨリワタリ華*66*67
又出來セリ*68ノ宗*69々ノ中ニ法相宗*70ハ一向天台宗
*71ヲ成宗法門水火ナリシカレ*72トモ玄弉*73三蔵慈
㤙大師委細ニ天台ノ𢓦粎ヲ見ケル䄇ニ自宗ノ邪見
ヒルカヘルカノユヘニ自宗ヲハステ子トモ其心天台ニ帰
伏スト見ヘタリ芲宗ト真言宗トハ本ハ権権宗ナリ■

つづく

*1:ここは明らかに字体が異なり古字。=世

*2:=覚

*3:⑩で再検討し既出も訂正する。形状はtoikawa_hkrm-02063740に近く、史的文字DBでは散見されるが、グリフウィキにはない。下線対応とする。

*4:=船

*5:=凡

*6:直後の「ハ」は斜線で消しているように見える。

*7:=因

*8:=児

*9:ヱか。

*10:消されているか微妙。

*11:=変

*12:四、五画目が八の異体字

*13:異体字。u6bb5-02-itaiji-001

*14:又の右脇に点が入るがこれで進める。

*15:=麤

*16:=御

*17:「真實」を訂正。

*18:異体字。u5048-itaiji-001

*19:○の右側に聖。

*20:=符

*21:=教

*22:=対

*23:直前の「説」の下に○をし、そのやや右下に「所説」。

*24:大部が犬だがこれで進める。=軟

*25:エ部が匕の異体字

*26:「實語」を訂正。

*27:ママ

*28:寶ではなさそう。=宝

*29:=証

*30:ママ

*31:異体字。u6eff-itaiji-002。=滿、満

*32:小部が点三つの異体字か。このページの他の宗字と異なる。

*33:同前。

*34:最後六画部分が丙の異体字

*35:二つ目の口部が兦の異体字。u56b4-07-itaiji-001

*36:月部が日の異体字。=偸

*37:上部が内の異体字

*38:=寿

*39:=互

*40:異体字。u2d1e5-j

*41:保留。

*42:ママ

*43:判読不可。ミか。

*44:○の右側に「等ハ」。

*45:○の右側に々。

*46:「日+之」の異体字。u6642-itaiji-002

*47:=程

*48:示偏のような異体字

*49:以下、返り点が不十分な箇所が散見される。

*50:判読難。「怖じて」の意か。

*51:=誇

*52:ママ

*53:かすれて見えないが憶測した。

*54:=概

*55:ママ

*56:五か。日存写本は「弘決五云是」(大石寺版『平成校定日蓮大聖人御書』、591頁)。なお日存写本と日乾対校本の異同は、この平成校定の注記で見ることができる。

*57:=中略

*58:下部が禾+禺の異体字。sdjt-11539。=窃

*59:=中略

*60:=高

*61:=中略

*62:=概

*63:ケか。

*64:判読難。

*65:旁が口+面の異体字。u9119-ue0102, koseki-450220

*66:ママ

*67:異体字。全く字形が異なる。

*68:しばらく等であったが、ここにきて再登場。

*69:小部が点三つの異体字か。このページの他の宗字と異なる。

*70:○の右側に宗。

*71:俗字。=敵

*72:○の右側にレ。

*73:厳密には「状+廾」の異体字。=奘

日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻①

日蓮(1222-82)の「開目抄」は、佐渡流罪中の文永9(1272)年に執筆された代表作であり、日蓮法華経の経文を自身の言動と照合しながら「法華経の行者」という造語をもって自己規定し、末法における教主ないし導師としての自身の境地を明かした最重要書の一つとして、日蓮教団の間で拝読されてきた。
同抄の真蹟は現存しておらず、身延山久遠寺に曽て在った真蹟は明治8(1875)年1月10日の大火で焼失したという。しかし久遠寺21世・寂照院日乾(にちけん、1560-1635)が某写本とこの真蹟とを照合したという、いわゆる真蹟対校本が現存(慶長9=1604年6月28日成立、京都本満寺蔵)し、巷間流通している日蓮文集における開目抄のテキストや現代語訳は、これを参照している(一例、『日蓮文集』兜木正亨校注、岩波文庫、初版1968年、および『現代語訳 開目抄(上)(下)』池田大作監修、創価学会教学部編、聖教新聞社、2016年)。

本稿では、この影版本の翻刻を試みた。詳しくは凡例に記したが、翻刻の底本には『開目抄 乾師対校本』(梅本正雄編、本満寺刊、1964年)を用いた。同書を約十ページずつ、全二十四回の予定。
この写真版は凸版印刷のため墨の濃淡が分からず、判読が困難な箇所が多々あるが、原本は何度も真蹟と照合し訂正された跡がわかるという(山口範道「開目抄の古写本の捜求」、『日蓮正宗史の基礎的研究』山喜房仏書林所収、1993年参照)。日存写本とともに、今後の日蓮研究、信仰、公益を考えると、鮮明な写真版の公開を望むものであります。
掲載を重ねるにつれて、様々訂正の必要が出てくると思われるが、御批正あれば戴きながら探求を進めていく所存です。

日乾は同真蹟対校本の上巻の奥書に「於身延久遠寺以御正本校合了用可為證本/日乾」、下巻の奥書に「於身延山以御正筆一校了後来用此可為証本/慶長九年甲辰六月廿八日 日乾」と記し、同書の正統性を主張している。

日乾本の翻刻は、既に『大正新脩大蔵経』第84巻(高楠順次郎・渡辺海旭都監、大蔵出版、大正蔵とも、T2689_.84.0208b18-0233a07)およびそのデータベースSAT(https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/)に「開目抄」の底本として収められている。しかし校訂が不充分な箇所が散見され、この指摘は同抄に限らず大正蔵の性格としてよく知られるところである(例えば、末木文美士「特論 仏教研究方法論と研究史」『新アジア仏教史14日本Ⅳ 近代国家と仏教』佼成出版社所収、2011年。同『日本仏教入門』角川選書、2014年。蓑輪顕量編『事典 日本の仏教』吉川弘文館、2014年。京都仏教各宗学校連合会編『新編 大蔵経――成立と変遷』法蔵館、2020年)。したがって、本稿で一から翻刻を見直し公開する作業も、あながち無益ではなかろう。

開目抄の写本については、フルテキストの写本としては最古である好学院日存による写本(日蓮滅後135年、応永23=1416年7月17日成立、尼崎本興寺蔵)があり、表記が日乾対校本と異なる箇所がかなり散見される。したがって真蹟には複数の系統があると推測される。
日存本については、その影版本『開目抄 日存聖人筆』(寺内泰徹編、本能寺刊、1965年)を入手したので、途中からこれも参照した(本書の書名の記載については、表紙および扉が「開目抄 存師御自筆」、背表紙および函が「開目抄 日存聖人筆」であり、奥付には書名が記されていない。今は背表紙に依った)。それ以前は『平成校定日蓮大聖人御書』第一巻(大石寺版、2002年、底本は『昭和新定日蓮大聖人御書』)が日乾・日存本との異同を注記しているので、これを用いた。今後は日存本の翻刻も同時に進める。

凡例
一、翻刻の底本には『開目抄 乾師対校本』(梅本正雄編、本満寺刊、1964年)を用いた。この写真版は凸版印刷のため墨の濃淡が分からず、細部もかすれたように判読が困難な箇所が多々あるが可能な限り試みた。
一、底本の頁数を()で記した。参考に『新編日蓮大聖人御書全集』(堀日亨編、創価学会、第二版)の該当頁を*で記した。
一、親文字(底本とした写本の本文)に斜線(斜め左から右へ一本か二本、あるいは左に点)を入れて傍に訂正している箇所は、訂正後の表記のみを翻刻した。
一、親文字に斜線がなく脇に表記がある場合、両方を併記し、○○〔○○〕とした。もっとも斜線が判読ができず誤って〔〕で拾っている可能性もあり注意されたい。
一、漢字の字体はJISコードやUnicodeがあるものは可能な限り原文を翻刻した。それ以外は新字、常用漢字に改め、代わりに注記した。以後、これと同類の字が出る場合は下線を付すのみとした。字形の検索にグリフウィキを多用し、ここに伏して謝意を示す。
一、経論の引用は漢文であるが、訓点については、送り仮名、返り点の順に記した。また引用終わり「云云」は級数を下げて一字分に二文字右上、左下に配されるが、他と同じ大きさとした。
一、漢文中の送り点(レ点、一二点、上下点)は級数を落とした。
一、仮名は、主に送り仮名や助詞と思われる右肩に小さく表記されるものと、親文字として表記されるものとがあるが、今回は大きさを同じとした。
一、判読が困難であった箇所は□とした。
一、必要に応じて日存本や他の刊本との異同を注記した。また内容上筆者が注目した箇所についても考察を加えるなどしている。
一、なお本稿は漢字の字体をテキストデータとして翻刻する試みだが、それが異体字と言えるものか、当人の書き癖、あるいは崩し字としての字形なのかという議論もあり得るだろう。よって字体を全て新字、常用漢字に改めてもよかったが、折角なので可能な限り試みた。
一、上記字形についてはグリフウィキを多用しているので、動作環境により表示されないUnicodeがある。筆者の場合PCのGoogle Chromeで表示可能なものを採取している。

(内扉)
開目抄上*1
(1)*186頁
*2
夫一切衆生ノ尊*3敬スヘキ者三アリ所*4謂主
師親コレナリ又習学*5スヘキ物三アリ㪽*6謂儒*7外内
コレナリ家ニハ三皇五帝三王此*8*9ヲ天ト号
諸臣頭身万𫞖*10ノ橋鿄*11ナリ三皇已𫝐*12ハ父ヲシラ
ス人皆禽獸*13ニ同五帝已後ハ父母ヲ弁テ孝ヲ
イタス㪽謂重芲*14ハカタクナワシキ父ヲウヤマヒ沛
(2)
公ハ帝トナツテ太公ヲ拜*15ス武王ハ西伯ヲ木像ニ造丁
蘭ハ母ノ形*16ヲキサメリ*17ハ孝ノ手本也比
干ハ殷ノ丗*18ノホロフヘキヲ見テシ井*19テ帝ヲイサメ頭ヲ
ハ子ラル公胤*20トイ井シ者ハ魏王ノ肝ヲト*21テ我カ腹ヲサキ肝ヲ
入テ死ス䓁ハ忠ノ手本也伊尹ハ尭王ノ師*22務成ハ舜
王ノ師太公望ハ文王ノ老子孔子ノ師ナリ䓁ヲ四
聖トカウス天頭ヲカタフケ万𫞖掌ヲアワス
(3)
䓁ノ聖人ニ三墳五典三史〔吏御本〕*23等ノ三千餘*24*25ノ書アリ
其㪽詮*26ハ三玄ヲイテス三玄ト者一者有ノ玄周公
ヲ立二者無ノ玄老子三者亦有
亦無䓁㽵 *27子カ玄コレナリ玄者黒也父母未生已
*28タツヌレハ或元氣*29而生或*30貴賎*31*32*33是非得
*34䓁皆自然䓁云云カクノコトク巧ニ立トイエトモイマ
タ過*35去未來*36ヲ一分モシラス玄也黒也幽也カルカ
(4)
ユヘニ玄トイウ但現在計シレルニニタリ現在ニ
ヲヒテ仁義ヲ製シテ身ヲマホリ國ヲ安スニ相
*37スレハ挨*38ヲホロホシ家ヲ亡等イウ䓁ノ賢聖ノ
人々ハ聖人ナリトイエトモ去ヲシラサルコト凡夫ノ背ヲ
ミス未來ヲカヽミサルコト盲人ノ𫝐ヲミサルカコトシ
但現在ニ家ヲ治孝ヲイタシ坚*39五常ヲ行スレハ傍
輩モウヤマイ名モ國ニキコエ䝨*40王モコレヲ召テ或ハ臣ト
(5)*187頁
ナシ或ハ師トタノミ或ハ位ヲユツリ天モ來テ守リツ
カウ㪽謂ル周ノ武王ニハ五老キタリツカエ後漢*41ノ光武ニハ
二十八宿來テ二十八将トナリシナリ而トイエトモ
去未來ヲシラサレハ父母主君匠ノ後世ヲモ
タスケス不知㤙*42ノ者ナリマコトノ䝨聖ニアラス孔子
*43ニ䝨聖ナシ西方ニ佛啚 *44トイウ者アリ
人ナリトイ井テ外典ヲ佛法ノ初門トナせシコレナリ礼樂
(6)
䓁ヲ教テ内典ワタラハ戒定惠*45ヲシリヤスカラせン
カタメ王臣ヲ教テ卑ヲサタメ父母ヲ教テ孝高〔カウノタカキコト〕*46
シラシメ師匠ヲ教テ帰依ヲシラシム妙樂大師*47云佛教
流化實*48頼於*49茲礼樂𫝐駈真道後啓等云云
天台云金光明経*50云一切丗間㪽有善*51
此経𠰥*52*53識世法即是佛法等云云止観
云我遣三聖化彼真丹等云云弘*54𣲺*55云清浄法
(7)
月光菩薩*56彼稱*57*58回光淨*59彼稱
仲尼迦*60𫟒*61彼稱老子天竺指此震旦為
彼等云云二月𫞕*62ノ外道三目八臂魔*63*64首羅
天毘紐*65二天ヲハ一切衆生ノ慈父悲母又天
主君ト号毘羅漚〔ク〕楼*66〔ル〕僧佉〔キヤ〕勒娑婆
人ヲハ三仙トナツク䓁佛八百年已𫝐已
後ノ仙人ナリ三仙ノ㪽説ヲ四韋陁*67ト号六万蔵アリ
(8)
乃至佛出丗二當*68テ六師外道ヲ習𫝊*69シテ五
天竺ノ王ノ師トナル支流九十五六䓁ニモナレリ一々ニ流々
多シテ我𢢔*70ノ幢高コト悲〔非御本〕*71想天ニモスキ執心ノ心ノ*72
コト金石ニモ超タリ其ノ見ノコト巧ナルサマ家ニハニル
ヘクモナシ或去二生三生乃至七生八万劫ヲ
照見シ又兼*73未來八万劫ヲシル其㪽説ノ法門*74ノ極理
或ハ因中有果或因中无*75果或因中亦有果亦
(9)
無果等云云外道ノ極理ナリ㪽謂キ外道ハ五
戒十戒等ヲ持テ有漏*76ノ禅定ヲ修シ上色*77无色ヲ
キワメ上界*78ヲ涅槃ト立テ屈歩䖝*79ノコトクせメノホレトモ
悲〔非御本〕想天ヨリ返テ三𢙣*80道ニ堕一人トシテ天ニ留モノ
ナシ而トモ天ヲ極者ハ永カヘラストヲモエリ各々*81自師ノ
義ヲウケテ坚執スルユヘニ或冬寒ニ一日ニ三
*82恒河ニ浴或ハ髪ヲス*83キ或ハ巖*84ニ身ヲナケ或ハ身ヲ
(10)*188頁
火ニアフリ或ハ五𠙚*85ヲヤク或躶*86形或ハ馬ヲ多ク
*87*88ハ福ヲウ或ハ*89草木ヲヤキ或一切ノ木ヲ礼
等邪義其數*90ヲシラスヲ恭敬スル事諸天ノ帝
*91ヲウヤマイ諸臣ノ皇帝ヲ拜スルカコトシシカレトモ外道ノ
法九十五種𢙣ニツケテ一人モ生死ヲハナレス
師ニツカヘテハ二生三生等ニ𢙣道ニ堕𢙣師ニツカヘテハ
順次生ニ𢙣道ニ堕外道ノ㪽ハ内道ニ入即*92最要ナリ■

つづく

*1:一紙を割き中央に記載。

*2:「開目抄上巻」を一本線で削除。

*3:始めの二画が八の異体字

*4:ママ

*5:左脇に追記。習の下に見える点が脱落記号○であるかどうか判読し難い。

*6:=所

*7:異体字

*8:異体字

*9:草冠。=等

*10:=民

*11:=梁

*12:=前

*13:=獣

*14:=花

*15:=拝

*16:旁が久の異体字

*17:冠が異なるか。

*18:以下、世・卋と複数の字体が出てくる。

*19:ヰの原形・井に見える。遺文集では平仮名「ゐ」と置換される。

*20:儿の形状が異なる異体字か。

*21:直後に「ツ」が入るべきだがない。元の写本は漢字「取」でそれを削除し傍に「ト」と記すも「ツ」が「取」の最後画の払いに重なって見えないのか、元からないのか定かではない。

*22:異体字。グリフウィキにはないが異体字解読字典には俗字として収録される。

*23:真蹟に校訂の余地あり等、日乾に何らか意図があった箇所に対しては、削除の斜線を入れずに傍に「○○御本」と記していると考えられる。この箇所の場合、内容的に「三史」(=『史記』『漢書』『後漢書』)が正しい。

*24:偏が食の異体字。u9918-t=余

*25:下部が巳の異体字。u5dfb-var-002

*26:ただし俗字のほう。

*27:=荘。JISコードはない。

*28:𫝐の刂がトである異体字

*29:=気

*30:脱落記号○の右側に或。この脱落記号による表記が、写本段階で真蹟を再現したものあるいは再現でなくとも起こされたものか、日乾の照合時に加えられたものかは分からない。

*31:=賤

*32:異体字。u82e6-itaiji-001

*33:=楽

*34:異体字。koseki-017090

*35:異体字。上部が「内」。

*36:=来

*37:異体字。「辶+麦」。

*38:=族

*39:=堅

*40:=賢

*41:異体字。kan-ty-00065か。

*42:=恩

*43:=土

*44:「口+面」に見える。=圖、図

*45:=恵

*46:「孝高」の傍にある。振り仮名か。

*47:○の右側に大師。

*48:=実

*49:異体字。手偏で旁も異なる。

*50:經とも異なり、又部を平とする異体字

*51:竹冠に見える異体字か。

*52:=若

*53:冖の下が米の異体字

*54:弓を方とする異体字

*55:ただし冫。=決。

*56:文部を立とし生部左側のたれがない異体字

*57:=称

*58:異体字

*59:=浄

*60:之繞は一点。

*61:=葉

*62:=氏

*63:→摩

*64:=醯

*65:異体字

*66:異体字

*67:or阤。=陀

*68:=当

*69:=傳、伝

*70:=慢

*71:つまり真蹟は「非」だが校訂の余地ありとして注記したのだろう。

*72:○の右側に「心ノ」を追加。

*73:始めの二画が八の異体字

*74:○の右側に門。

*75:=無

*76:異体字

*77:異体字

*78:異体字

*79:=虫

*80:=悪

*81:○の右側に々。

*82:異体字。u2ff8-u5e7f-u2ff1-u9fb7-u53c8。異体字解読字典で俗字として収録される。

*83:ヌか。

*84:=巌。判読難。

*85:=處、処

*86:=裸

*87:煞の灬部がない異体字

*88:「せ」か。

*89:薄くかすれて判断し難い。

*90:=数

*91:=釈

*92:○の左側に即。

雑記:「立正安国論」真蹟翻刻ほか

9月も大して投稿ができなかったが、申し訳程度に記せば、以下のようになる。

日蓮立正安国論」の真蹟翻刻について、今回は①、第七紙、仁王経引用中の「刀星」を中心に、ちまちま注記を加えた。
*: 立正安国論広本も「刀」(第四紙5行目)。平成新修含む多くの遺文集が「刁(ちょう)」と翻刻することを検証し、真蹟、写本、原典、注釈書、中国の正史等から「刀(とう)」が適切であるという指摘は、既に山中講一郎「『立正安国論』の文体(三)」(『法華仏教研究』第11号所収、2011年、105頁以下)に詳しく、この論考から「刀」であることは確定的となったと思う。なお同稿によれば、「刀星」とするテキストとしては神保弁静編『日蓮聖人御真蹟対照録』所収の稲田海素対照本、『日本古典文学大系 親鸞日蓮集』所収の兜木正亨校注本があるとされているが、後者と関連し兜木校注『日蓮文集』(岩波文庫)でも「刀星」(178頁)であった。さらに議論を広げると、この翻刻全般に関する重要な指摘を同稿で山中氏はなされている。すなわち「刀」漢字一文字を扱うことが些末な問題に見えるという周囲の予想に自覚的でありながら、なぜ先学の「刀」との指摘が無視され解明されずに放置されてきたのかと問い、そこには日蓮遺文・御書を扱うテキスト学、方法論上に若干の問題が潜んでいるとする。真蹟を翻刻する際、一般には既成のテキストを用い、それを真蹟原文と比較して異同をチェックしていくという方法が取られる。しかし、ここに落とし穴があって、既成のテキストに引きずられて、特に異体字の扱いとなると、何を拾い何を正字に置き換えるか、その判断が一定しなくなるという。こうした山中氏の指摘は、実際に作業をしてみて身に染みた。特に「刀」の翻刻正字だの新字だの旧字だの異体字といった、テキストの編纂方針以前の「解字・判読」の問題であるからこそ、すり抜けやすい。この指摘が重要な意味を持つ所以であろう。さて、日蓮が用いた字体は、その大多数に対して、日蓮独自というよりも当時としては一般的なものとみなす方が合理的であろう。ならば、平安・鎌倉期に用いられた用字法を研究する、具体的には空海法然親鸞らの真蹟、また当時用いられた経典の版本と比較する中で、異体字・略字等のより正確な翻刻が可能となるのではないかと思う。私は本稿で、ここまでに諸橋大漢和等を参照してきたものの、字典にないからといって特殊な字体とも限らないし、日蓮より遥か後代の字典(康煕字典にしろ諸橋大漢和にしろ)から字種を拾うより同時代か先代の例から拾う方が正攻法であることは、当然かもしれないが、私のような素人眼からここに改めて指摘しておきたい。異体字・略字・正字という概念自体が日蓮当時にあったのかという疑問も含めて。と書いてみたが、そもそも何が字体として存在するのかをまず知るために字典を繙くのも研究には当然の行為と言えるので、両方向からのアプローチが必要ということになろう。しかしやはり(日蓮より後代の諸橋やら日国にあるからといった)活字に引きずられてしまう「落とし穴」はこの字典によることに自覚的であったほうがよいだろう。
「立正安国論」真蹟翻刻①第一紙~第十二紙 - 七円玉の読書記録
「立正安国論」真蹟翻刻③終 第二十五紙~第三十六紙 - 七円玉の読書記録

日蓮が斬首される危機に遭った「竜の口の法難」の地、竜の口の刑場跡について、日蓮書簡やその他の史料から、その由来、位置、縁起等を調査している。特に、「腰越」「片瀬(固瀬)」との位置関係、また江の島の竜神・弁財天信仰との関係については、まだまだ知らないことがあったのでまとめてみたい。

○何気なく「滝泉寺申状」の日蓮による真蹟部分を読んでいると、日蓮自身の筆跡で「立正安國論」と書いてあり、立正安国論という書名の表記に「國」の字が使われていて驚いた。他の真蹟の用例等、調査を続けている。■

雑記:「立正安国論」真蹟翻刻の注記追加について

以前、日蓮立正安国論」の真蹟翻刻をしたが、調査をさらに進め、注記に反映した。今回は以下の作業を行った。

○注記した漢字について、諸橋轍次大漢和辞典』(大修館書店、修訂第二版、諸橋大漢和と略記)で調べ、追記した。漢字の通番、巻数-頁数(通巻頁数)の体裁で表記した。

○真蹟を底本とした遺文集である『平成新修日蓮聖人遺文集』(米田淳雄編、連紹寺、1995年、平成新修と略記)の読み下し文の校訂箇所を参照し、必要な箇所については追記した。

○その他、立正安国論広本真蹟との比較、文字の修正を行った。

○勧持品二十行の偈の引用(真蹟第十~第十一紙、『新編日蓮大聖人御書全集』21頁)については、次のように注記してみた。
法華経云悪世中比丘邪智心諂曲未
得謂為得我慢心充満或有阿練若
納衣在空閑自謂行真道軽賤人
間者貪著利養故与白衣説法為世
所恭敬如六通羅漢乃至常在大衆
中欲毀我等過*向国王大臣婆羅門
居士及余比丘衆誹謗説我悪謂是
邪見人説外道論議濁劫悪世中多
有諸恐怖悪鬼入其身罵詈毀辱
我濁世悪比丘不知仏方便随宜所説
法悪口而嚬蹙数数見擯出〈已上〉

*: →故。引用経文より。立正安国論広本では「禍」(第七紙21行目)。過が故の音通になっていないことから、日蓮は「我等の禍(過)を謗らんと欲す」と読んでいたのではないかという仮説を立て、今後検証していきたい。この法華経勧持品の二十行の偈中の「過」がある句は、四句一行からなる偈の9行目に当たるが、変則的であり、前半二句は8行目の四句に入り、後半二句は10行目の四句に入る(『現代語訳 立正安国論池田大作監修、創価学会教学部編、聖教新聞社、38頁参照)。つまり「我等を謗らんと欲するが故に」(『妙法蓮華経並開結』創価学会版、2015年、419頁参照)で一旦文が切れる。この辺りの読みと先の仮説が関係しているのだろうか。■

「立正安国論」真蹟翻刻①第一紙~第十二紙 - 七円玉の読書記録

「立正安国論」真蹟翻刻②第十三紙~第二十四紙 - 七円玉の読書記録

「立正安国論」真蹟翻刻③終 第二十五紙~第三十六紙 - 七円玉の読書記録

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雑記:日蓮「開目抄」について

8月は読書や研究がはかどったものの、投稿は滞った。日蓮の「開目抄」について調べていた。

○開目抄に引用された「欲知過去因、見其現在果」以下の経文については、日蓮は「心地観経に曰く」としているが、これは同経の現在の本にはなく、諸経要集等にある。この文の出典について調査を続ける中で、善因善果、悪因悪果という因果応報の観念が、平安・鎌倉期の日本でどのように受容されてきたかに興味を持ったが、そのことが法華経の受容のされ方にも影響していることがわかった。

○開目抄の結論部分にある「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」との一節は、諸本により「したし父母也」(日乾の真蹟対校本)あるいは「主師父母也」(日存写本)と、表記に違いがある。「しうし父母」については、大石寺の日寛が「開目抄愚記」で、自身は「シタシキ父母ナリ」の本を所持していたようだが、「異本ニ云クシウシ父母ナリ云云。今謂ク異本最モ然ル可キ也」と記している。現在の日蓮文集においては、「しうし父母」は創価学会、「したし父母」は立正大学および日蓮宗系、「主師父母」は大石寺系のようであるが、諸本を参照し成立過程を検証している。
追記。つまり大石寺が『平成校定日蓮大聖人御書』で26世法主の日寛の説を採用せず、日存本を用いたこととなり、興味深い事例である。以上の点については日乾対校本を翻刻し、その中で詳しく調査している。日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻① - 七円玉の読書記録

○過去記事については、若干の追記、修正を加えた。■

「立正安国論」真蹟翻刻③終 第二十五紙~第三十六紙

(第二十五紙)
又云如来昔為王行菩薩*1時断絶爾
所波羅門命又云殺有三謂下中上
下者蟻子乃至一切畜生唯除菩薩示
現生者以下殺因縁堕於地獄畜生餓
鬼具受下苦何以故是諸畜生有微
善根是故殺者具受罪報中殺者従
凡夫人至阿那含是名為中以是業因
堕於地獄畜生餓鬼具受中苦上殺者
父母乃至阿羅漢辟支仏畢定菩薩
堕於阿鼻大地獄中善男子若有能
殺一闡提者則不堕此三種殺中善
男子彼諸波羅門等一切皆是一闡提
也〈已上〉仁王経云仏告波斯匿王是故付
属諸王不付属比丘比丘尼何以故無
王威力〈已上〉涅槃経云今以無上正法付属
諸王大臣宰相及四部衆毀正法者大臣
(第二十六紙)
四部之衆応当苦治又云仏言迦葉以
能護持正法因縁故得成就是金剛身
善男子護持正法者不受五戒不修威
儀応持刀剣弓箭鉾槊又云若有受
持五戒之者不得名為大乗人也不受五戒
為護正法乃名大乗護正法者応当執
持刀剣器仗雖持刀杖我説是等名曰
持戒又云善男子過去之世於此拘尸那城
有仏出世号歓喜増益如来仏涅槃後
正法住世無量億歳余四十年仏法末
爾時有一持戒比丘名曰覚徳爾時多
有破戒比丘聞作是説皆生悪心執持
刀杖逼是法師是時王名曰有徳聞
是事已為護法故即便往至*2説法者
所与是破戒諸悪比丘極共戦闘爾
時説法者得免厄害王於爾時身被刀
(第二十七紙)
剣箭槊之瘡体無完処如芥子許
爾時覚徳尋讃王言善哉善哉王今
真是護正法者当来之世此身当為
無量法器王於是時得聞法已心大歓
喜尋即命終生阿閦仏而為彼仏
作第一弟子其王将従人民眷属有
戦闘者有歓喜者一切不退菩提之心
命終悉生阿閦仏覚徳比丘却後
寿終亦得往生阿閦仏而為彼仏作
声聞衆中第二弟子若有正法欲尽
時応当如是受持擁護迦葉爾時
王者則我身是説法比丘迦葉仏
迦葉護正法者得如是等無量果報
以是因縁我於今日得種種相以自庄*3
厳成法身不可壊身仏告迦葉菩薩
是故護法優婆塞等応執持刀杖
(第二十八紙)
擁護如是善男子我涅槃後濁悪之
土荒乱互相抄掠人民飢餓爾時
多有為飢餓故発心出家如是之人名
為禿人是禿人輩見護持正法駈逐
令出若殺若害是故我今聴持戒人依
諸白衣持刀杖者以為伴侶雖持刀杖我
説是等名曰持戒雖持刀杖不応断命
法華経云若人不信毀謗此経即断一切
世間仏種乃至其人命終入阿鼻獄〈已上〉
夫経文顕然私詞何加凡如法華経者謗
大乗経典者勝無量五逆故堕阿鼻大
城永無出期如涅槃経者設許五逆之供
不許謗法之施殺蟻子者必落三悪道
禁謗法者登不退位所謂覚徳者是
迦葉仏有徳則釈迦文也法華涅
槃之経教者一代五時之肝心也其禁実
(第二十九紙)
重誰不帰仰哉而謗法之族忘正道
之人剰依法然之撰*4択弥増愚癡之盲
瞽是以或忍彼遺体而露木画之像或
信其妄説而彫莠言之模弘之海内翫
之郭外所仰則其家風所施則其門弟
然間或切釈迦之手指結弥陀之印相或
改東方如来之鴈宇居西土教主之鵝
王或止四百余廻之如法経成西方浄土
之三部経或停天台大師講*5為善導講
如此群類其誠難尽是非破仏哉是非
破法哉是非破僧哉此邪義則依撰*6
也嗟呼悲哉背如来誠諦之禁言哀
矣随愚侶迷惑之麁*7語早思天下之
静謐者須断中之謗法矣
客曰若断謗法之輩若絶仏禁之違
者如彼経文可行斬罪歟若然者殺害
(第三十紙)
相加罪業何為哉則大集経云剃頭著
袈裟持戒及毀戒天人可供養彼則
為供養我彼*8是我子若有撾打彼則為
打我子若罵辱彼則為毀辱我料知
不論善悪無択是非於為僧侶可展
供養何打辱其子忝悲哀其父彼
竹杖之害目連尊者也永沈無間之底
提婆達多之殺蓮華比丘尼也久咽阿
鼻之焰先証斯明後昆最恐似誡*9謗法
既破禁言此事難信如何得意
主人曰客明見経文猶成斯言心之不及歟理
之不通歟全非禁仏子唯偏悪謗法也
夫釈迦之以前仏教者雖斬其罪能仁
之以後経説者則止其施然則四海万邦
一切四衆不施其悪皆帰此善何難並
(第三十一紙)
起何災競来矣
客則避席刷襟曰仏教斯区旨趣
難窮不審多端理非不明但法然
聖人撰*10択現在也以諸仏諸経諸善*11
薩諸天等載捨閉閣抛其文顕然
也因玆聖人去善神捨所天下飢渇
世上疫病今主人広引経文明示理非
故妄執既飜耳目数朗所詮國土泰平
天下安穏自一人至万民所好也所楽也早
止一闡提之施永致衆僧尼之供収仏
海之白浪截法山之緑林世成羲農
之世為唐虞之然後斟酌法水浅
深崇重仏家之棟梁矣
主人悦曰鳩化為鷹雀変為蛤悦哉汝
交蘭室之友成麻畝之性誠顧其難専
信此言風和浪静不日豊年耳但人
心者随時而移物性者依境而改譬猶
(第三十二紙)
水中之月動波陳前之軍靡剣汝当
座雖信後定永忘若欲先安土而祈
現当者速廻情慮忩加対治所以者何
薬師経七難内五難忽起二難猶残所
以他侵逼難自界叛逆難也大集経
三災内二災早顕一災未起所以兵革
災也金光明経内種種災過*12一一雖起
他方怨賊侵掠國内此災未露此難未
来仁王経七難内六難今盛一難未現所
以四方賊来侵難也加之土乱時先鬼
神乱鬼神乱故万民乱今就此文具案事
情百鬼早乱万民多亡先難是明後
災何疑若所残之難依悪法之科並
起競来者其時何為哉帝王者基
家而治天下人臣者領田園*13而保世
上而他方賊来而侵逼其国自界叛逆
而掠領其地豈不驚哉豈不騒哉失
(第三十三紙)
滅家何所遁世汝須思一身之安
堵者先禱四表之静謐者歟就中人
之在世各恐後生是以或信邪教
貴謗法各雖悪迷是非而猶哀帰仏
法何同以信心之力妄宗邪議之詞哉
若執心不飜亦曲意猶存早辞有為
之郷必堕無間之獄所以者何大集経
云若有国王於無量世修施戒恵見
我法滅捨不擁護如是所種無量善
根悉皆滅失乃至其王不久当遇重
病寿終之後生大地獄如王夫人太
子大臣城主柱師郡主宰官亦復如
是仁王経云人懐*14仏教無復孝子六親
不和天神不祐疾*15悪鬼日来侵害災
怪首尾連禍縦横死入地獄餓鬼畜生
若出為人兵奴果報如響如影如人
(第三十四紙)
夜書火滅字存三界果報亦復如是
法華経第二云若人不信毀謗此経
乃至其人命終入阿鼻獄又同第七
巻不軽品云千劫於阿鼻地獄受大苦
悩涅槃経云遠離善友不聞正法住悪
法者是因縁故沈沈*16在於阿鼻地獄所
受身形縦横八万四千*17広披衆経専
重謗法悲哉皆出正法之門而深入
邪法之獄愚矣各懸悪教之綱而
鎮纏謗教之網此朦霧之迷沈彼盛
焰之底豈不愁哉豈不苦哉汝早改
信仰之寸心速帰実乗之一善然則
三界皆仏国也仏国其衰哉十方悉
宝土也宝土何壊哉国無衰微土
無破壊身是安全心是禅定此詞此
言可信可崇矣
客曰今生後生誰不慎誰不和披此経
(第三十五紙)
文具承仏語誹謗之科至重毀法之罪
誠深我信一仏抛諸仏仰三部経而閣
諸経是非私曲之思則随先達之詞十
方諸人亦復如是今世者労性心来生
者堕阿鼻文明理詳不可疑弥仰貴
公之慈誨益開愚客之癡心速廻
対治早致泰平先安生前更扶没後
唯非我信又誡他誤耳
(一行空き)
*18文応元年〈大*19歳庚申〉勘之正嘉自始之
文応元年□*20勘畢
(一行空き)
去見正嘉元年〈太才丁巳〉八月廿三日戌亥
之尅大地震勘之其後以文応元年
〈太才庚申〉七月十六日付宿谷禅門奉故
最明寺入道殿其後文永元年〈太才甲子〉
(第三十六紙)
七月五日大明星之時弥々知此災根源
自文応元年〈太才庚申〉至于文永五年〈太才戊辰〉
後正月十八日経于九ケ年自西方大
蒙古国可襲我朝之由牒状渡之
又同六年重牒状渡之既勘文叶之
準之思之未来亦可然歟
此書有徴文也是偏非日蓮之力
法花経之真文所至感応歟
(二行空き)
文永六年〈太才己巳〉十二月八日寫之
(以下五行空き)■

全三十六紙終わり

その他の参考文献
SAT大正新脩大藏經テキストデータベース2018版
昭和定本日蓮聖人遺文第1巻(改訂増補第三刷、立正大学日蓮教学研究所編、久遠寺、2000年)
山中講一郎「『立正安国論』の文体」(『法華仏教研究』第9巻所収、2011年7月)、「「立正安国論」はいかに読まれるべきか」(同第3号所収、2010年4月)
『新漢語林 第二版』(鎌田正・米山寅太郎、大修館書店)

*1:この涅槃経引用は、曇無讖訳(北本)では「行菩薩時」(大正No.374, 12巻459頁a段26行)、慧観・慧厳・謝霊運等による再編(南本)では「行菩薩道時」(大正No.375, 12巻701頁c段5行)。

*2:本文「生」で削除記号ヒあり、料紙天に至。

*3:→荘。真蹟は「疒+土」のようであり、これはJISコードにあるが、IMEパッドで出てこなかった。「疒+土」:諸橋大漢和22041、7-1156(8064)。莊の俗字。〔集韻〕莊、俗作「疒+土」。立正安国論広本も同じく「疒+土」(第十八紙21行目)。

*4:→選

*5:平成新修では翻刻では真蹟にある「講」を拾っているものの(926頁)、読み下しの際の校訂では欠字として「講」を補ったとしている(93頁)が、原文にある以上、これは誤りであろう。

*6:→選

*7:原文は「广+共」。JISコードにはない。平成新修は真蹟を「广+共」とするが、翻刻、また読み下しの際の校訂で「麁」としている。「广+共」は麁の異体字か。諸橋大漢和では見つからなかった。

*8:直前「我」の傍に彼。

*9:本文「誠」の傍に誡。

*10:→選

*11:→菩

*12:→禍。平成新修では読み下しの際も「災過」のままとしている。

*13:ママ。立正安国論広本では「薗」(第二十一紙24行目)。個人的な印象ではあるが、草冠が後から足したようなか細さがあり、本圀寺蔵広本真蹟の真偽問題が浮上するのもわかる気がする。

*14:→壊。引用経文より。大正No.245, 8巻833頁c段8行。

*15:+疫。引用経文より。大正No.245, 8巻833頁c段9行。

*16:→没。引用経文より。大正No.374, 12巻575頁a段27行。

*17:+由旬。引用経文より。大正No.374, 12巻575頁a段28行。なおこの涅槃経の引用は途中に省略がある。

*18:奥書から書体が草書に変わる。

*19:→太

*20:削除記号あり。トル。判読不可。『読み解く『立正安国論』』(259頁)では「従」か「終」と推測している。