七円玉の読書記録

Researching on Nichiren, the Buddhist teacher in medieval Japan. Twitter @taki_s555

「立正安国論」真蹟翻刻②第十三紙~第二十四紙

(第十三紙)
浄土宗学者先須知此旨設雖先学
聖道門人若於浄土門有其志者須
棄聖道帰於浄土又云善導和尚立
正雑二行捨雑行帰正行之文第一読
誦雑行者除上観経等往生浄土経已
外於大小乗顕蜜*1諸経受持読誦悉
名読誦雑行第三礼拝雑行者除上
礼拝弥陀已外於一切諸仏菩薩等及諸
世天等礼拝恭敬悉名礼拝雑*2私云見
此文須捨雑修専豈捨百即百生専修
正行堅執千中無一雑修雑行乎行者
能思量之又云貞元入蔵録中始自
大般若経六百巻終于法常住経顕
*3大乗経惣六百三十七部二千八百
八十三巻也皆須摂読誦大乗之一句
当知随他之前蹔*4雖開定散門随自
(第十四紙)
之後還閉定散門一開以後永不閉
者唯是念仏一門又云念仏行者必
可具足三心之文観無量寿経云同経
疏云問曰若有解行不同邪雑人等
防外邪異見之難或行一分二分群
賊等喚廻者即喩別解別行悪見
人等私云又此中言一切別解別行異
学異見等者是指聖道門〈已上〉
又最後結句文云夫速欲離生死二
種勝法中且閣聖道門選入浄
土門欲入浄土門正雑二行中且抛
諸雑行選応帰正行〈已上〉就之見
之引曇鸞道綽善導之謬釈
建聖道浄土難行易行之旨以
法華真言惣一代之大乗六百三
十七部二千八百八十三巻一切諸仏
(第十五紙)
菩薩及諸世天等皆摂聖道難
行雑行*5等或捨或閉或閣或抛以此四字
多迷一切剰以三之聖僧十方之
仏弟皆号群賊併令罵詈近背
所依浄土三部経唯除五逆誹謗正
法誓文遠迷一代五時之肝心法花
経第二若人不信毀謗此経乃至其
人命終入阿鼻獄誡文者也於是
代及末代人*6非聖人各容冥衢並
忘直道悲哉不樹瞳矇痛哉徒
催邪信故上自国王下至土民皆
謂経者無浄土三部之外経仏者無
弥陀三尊之外仏仍伝教義真*7慈覚
智証等或渉万里之波濤而所渡
之聖教或廻一朝之山川而所崇之
仏像若高山之巓建華界以安
(第十六紙)
置若深谷之底起蓮宮以崇重
釈迦薬師之並光也施威於現
当虚空地蔵之成化也被益於生後
故國主寄郡郷以明灯燭地頭充
田薗*8以備供養而依法然之撰*9択則
忘教主而貴西土之仏駄抛付属而
閣東方之如来唯専四巻三部之経
典空抛一代五時之妙典是以非弥陀之
堂皆止供仏之志非念仏之者早忘
施僧之懐故仏堂零落瓦松之煙
老僧房荒廃庭草之露深雖然
各捨護惜之心並廃建立之思是以
住持聖僧行而不帰守護善神去
而無来是偏依法然之撰*10択也悲
哉数十年之間百千万之人被蕩魔
縁多迷仏教好傍*11忘正善神不
(第十七紙)
成怒哉捨円好偏悪鬼不得便哉
不如修彼万祈禁此一凶矣
客殊作色曰我本師釈迦文説浄土
三部経以来曇鸞法師捨四論講
説一向帰浄土道綽禅師閣涅槃広
業偏弘西方行善導和尚抛雑行
立専修恵心僧都集諸経之要文
宗念仏之一行貴重弥陀誠以然矣
又往生之人其幾哉就中法然聖人
幼少而昇天台山十七而渉六十巻
並究八宗具得大意其外一切経
七遍反覆章疏伝記莫不究看
智斉日月徳越先師雖然猶迷出
離之趣不弁涅槃之旨故徧覿悉
鑑深思遠慮遂抛諸経専修念仏
其上蒙一夢之霊応弘四裔之親
(第十八紙)
疎故或号勢至之化身或仰善導
之再誕然則十方貴賤低頭一朝男
運歩爾来春秋推移星霜相*12
而忝*13釈尊之教恣譏弥陀之文*14何以
近年之災課聖代之時強毀先師更
罵聖人吹毛求疵剪皮出血自昔至
今如此悪言未見可惶可慎罪業至
重科条争遁対座猶以有恐携杖而
則欲帰矣
主人咲止曰習辛蓼葉忘臭涸*15廁聞
善言而思悪言指謗者而謂聖人疑
正師而擬悪侶其迷誠深其罪不浅
聞事起委談其趣釈尊説法之内
一代五時之間立先後弁権実而曇鸞
道綽善導既就権忘実依先捨後
未探仏教淵底者就中法然雖酌其
(第十九紙)
流不知其源所以者何以大乗経六百三
十七部二千八百八十三巻并一切諸仏
菩薩及諸世天等置捨閉閣抛之字
薄一切衆生之心是偏展私曲之詞全
不見仏経之説忘*16語之至悪口之科言
而無比責而有余人皆信其妄語悉
貴彼撰*17択故崇浄土之三経而抛衆
経仰極楽之一仏而忘諸仏誠是諸
仏諸経之怨敵聖僧衆人之讎*18敵也
邪教広弘八荒周遍十方抑以近年
之災難往代之由強恐之聊引先例
可悟汝迷止観第二引史記云周末有
被髪袒身不依礼度者弘決第二釈
此文引左伝曰初平王之東遷也伊
川見被髪者而於野祭識者曰不及百年
其礼先亡爰知徴前顕災後致又阮
(第二十紙)
*19逸才蓬頭散帯後公卿子孫皆教
之奴苟相辱者方達自然撙節兢持
者呼為田舎為司馬氏滅相〈已上〉又案慈覚
大師入唐巡礼記云唐武宗皇帝会昌
元年勅令章敬寺鏡霜法師於諸
寺伝弥陀念仏教毎寺三日巡輪不
絶同二年廻鶻之軍兵等侵唐
堺同三年河北之節度使忽起乱其
後大蕃更拒命廻鶻重奪
地凡兵乱同秦項之代災火起邑
里之際何況武宗大破仏法多滅
寺塔不能撥乱遂以有事〈已上取意〉以此*20
法然後鳥羽院御宇建建*21
年中之者也彼院御事既在眼前
然則大唐残例吾朝顕証汝莫疑
汝莫怪唯須捨凶帰善塞源截根
(第二十一紙)

客聊和曰未究淵底数知其趣但自
華洛至柳営釈門在枢楗仏家
在棟梁然未進勘状不及上奏汝
以賤身輙吐莠言其義有余其理
無謂
主人曰予雖為少量忝学大乗蒼
蠅附驥尾而渡万里碧蘿懸松
頭而延千尋弟子生一仏之子事
諸経之王何見仏法之衰微不起心
情之哀惜其上涅槃経云若善比丘
見壊法者置不呵嘖駈遣挙処当
知是人仏法中怨若能駈遣呵嘖
挙処是我弟子真声聞也余雖
不為善比丘之身為遁仏法中怨
之責唯撮大綱粗示一端其上去元仁
(第二十二紙)
年中自延暦興福両寺度度経奏
聞申下勅宣御教書法然之撰*22
印板取上大講堂為報三世仏恩令
焼失之於法然墓所仰付咸*23神犬神人
令破却其門弟隆観聖光成覚薩
生等配流遠其後未許御勘気
豈未進勘状云也
客則和曰下経謗僧一人論難然而以
大乗経六百三十七部二千八百八十
三巻并一切諸仏菩薩及諸世天
等載捨閉閣抛四字詞勿論也其
文顕然也守此瑕瑾成其誹謗迷而
言歟覚語歟賢愚不弁是非難
定但災難之起因撰*24択之由盛其詞
弥談其旨所詮天下泰平土安穏
君臣所楽土民所思也夫依法而
(第二十三紙)
昌法因人而貴亡人滅仏誰可崇法
誰可信哉先祈國家須立仏法*25
若消災止難術有欲聞
主人曰余是頑愚敢不存賢唯就
経文聊述所存抑治術之旨内外之
間其文幾多具難可挙但入仏道
数廻愚案禁謗法之人重正道
之侶中安穏天下泰平即涅槃経
云仏言唯除一人余一切施皆可讃歎
純陀問言云何名為唯除一人仏言如
此経中所説破戒純陀復言我今未
解唯願説之仏語純陀言破戒者
謂一闡提其余在所一切布施皆可
讃歎獲大果報純陀復問一闡提者
其義云何仏言純陀若有比丘及比
丘尼優婆塞優婆夷発麁*26悪言
(第二十四紙)
誹謗正法造是重業永不改悔心
無懺悔如是等人名為趣向一闡提
道若犯四重作五逆罪自知定犯
如是重事而心初無怖畏懺悔不肯
発露於彼正法永無護惜建立之心
毀呰軽賤言多過咎如是等亦名
趣向一闡提道唯除如此一闡提輩
施其余者一切讃歎又云我念往昔於
閻浮提作大王名曰仙予愛念敬
重大乗経典其心純善無有麁悪嫉
恡善男子我於爾時心重大乗聞波羅門
誹謗方等聞已即時断其命根
善男子以是因縁従已来不堕地獄
(一行空き)
此一紙於身延山以御真筆之安国論
奉寫之 慶長六〈辛丑〉閏霜月六日 日通花押

つづく

*1:→密

*2:+行。選択集引用文より。前掲書29頁。立正安国論広本では「雑行」(第九紙9行目)。

*3:→密

*4:暫とするものもあるが、真蹟は脚が足。第九紙、第十四紙の足の字と比較した。選択集本文も「蹔」(前掲書159頁)。

*5:○の傍に雑行。

*6:○の傍に人。

*7:脱漏。料紙天に真。

*8:→園

*9:→選

*10:→選

*11:本文「謗」の傍に○、料紙地に「傍」。

*12:脱漏。○あり料紙天に相。

*13:平成新修は「参」で翻刻し読み下しの際は「忝」に校訂している。これは確かに第二十一紙6行目および第三十紙6行目とは上部のつくりが異なるが、下部は同じ。他の真蹟の忝、参と比較する必要あり。

*14:脱漏。○あり料紙天に文。

*15:→溷

*16:→妄

*17:→選

*18:真蹟は「隹隹」。讎:諸橋大漢和36124、10-619(36124)。あだ、かたき。仇に通ず。「隹隹」:諸橋大漢和42075、11-1011(12553)。

*19:→籍。大正No.1911, 46巻19頁a段7行。

*20:○の傍に此。

*21:重複。トル。

*22:→選

*23:→感

*24:→選

*25:これは「先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし」と読み習わされ、仏法と国家を対概念とした上で仏法に対する国家の優位と解釈されてきたが、見直しが図られている。中尾堯氏は通例の読みを「先ず国家を祈りて、(次いで)すべからく仏法を立つべし」とし、これを改め「先ず国家を祈らんには、須く仏法を立つべし」と読み、その理由を直前に「国依法而昌法因人而貴」とあって仏法が国家を超越する意が示されているからとする。現代語訳は「何よりも国家が安泰になり栄えることを祈るには、まず仏法の信仰を立てなくてはなりません」とする(『読み解く『立正安国論』』、2008年1月、179, 215-6頁)。佐藤弘夫氏は、仏法と国家どちらを優先させるかという従来の理解の枠組みを見直し、客・主人の両者とも仏法の興隆なくして国家の安泰もないという前提に立っているとし、また日蓮天皇等の特定の権力(狭義の国家=王法)の安泰よりも、広義の国家としての国土と人民の安寧に重きを置いていたとして、それが日蓮の安国観念の独自性であるとする。その上で氏は校定した読み下し文では「先ず国家を祈って須く仏法を立つべし」としながらも、「客はここで、国が滅亡して人が死滅してしまえば、だれも仏法を信仰する人などいなくなるのだから、国家滅亡の危急に瀕しているいまは、何を願うよりも、仏法存続の基礎となるべき国土と人民の安穏を祈らなければならない、と論じている」とし、これは日蓮自身の思想を端的に示すものと解釈する。そして「安国こそが現下の最重要かつ緊急の課題であり、その課題に応えうるものは仏法しかないゆえに、仏法宣揚はまず安国を目的とされなければならないとする、この時点における両者の了解事項を語ったにすぎない」とし、「その点、破格ではあっても、『国家を祈るを先として、すべからく仏法を立つべし』と読んだほうが日蓮の真意に即しているかもしれない」と解説している。現代語訳は直前の「国亡人滅仏誰可崇法誰可信哉」を受けて「それゆえ、仏法を宣揚するにあたって真っ先に願うべきことは、仏法存続の基盤である国土と人民の安泰でなければならない」としている(『日蓮立正安国論」』講談社学術文庫、2008年6月、36-40, 128, 134, 145-6頁)。上記解釈の枠組みとはまた別だが、高木豊(1928-1999)の「立正安国論再読」における読みも興味深い。高木はこの第七問答における対立点を、客の国家のための祈念を優先する志向に対して主人が謗法禁誡・正法重用を優先させていることと読む。そして主人が引いた謗法者への布施禁止、王への仏法委嘱の経文から、涅槃経の有徳王=北条時頼、覚徳比丘=日蓮に擬し、念仏者からの迫害の渦中にいる日蓮自身の救出の要請が含意されているとしている(『増補改訂 日蓮――その行動と思想』太田出版所収、2002年、286-289頁)。今しがた中尾・佐藤・高木の三氏の読みを挙げたが、それぞれ異なる解釈の枠組みによることが、安国論読解の奥行き、魅力を物語っていると言えよう。その他、最近の訳では『現代語訳 立正安国論』(池田大作監修、創価学会教学部編、聖教新聞社、2017年、75頁)に「まず国家の安泰を祈って、仏法を確立するのでなければならない」とあり、『ビギナーズ日本の思想 日蓮立正安国論」「開目抄」』(小松邦彰編、角川ソフィア文庫、2010年、47頁)では「でありますから、まず国家の安泰を祈って、その後に仏法の流布をはかるべきであると思われます」とする。素朴に当該一節を読み直してみると、「国家を祈りて」と祈るという行為に言及しており、それは仏法によるものに他ならないから、ここはあくまで仏法の実践課題における優先度、緊急性の問題を扱っており、現下では災難を止めるという意味で「先ず」があり、それゆえ「若消災止難術有欲聞」と続くということだろうか。そもそも「国家を祈る」ことと「仏法を立つ」こととは前後するものなのだろうか。「先ず」は両者に掛かる読みは許されないのだろうか、四字の対句のために「須」を入れたなら、そう読めないか。「祈国家」と「立仏法」は同時あるいは、同じ内実ではないか。「先」があるなら「次」とか「而」があってもよかったのではないか。

*26:=麤。ここは真蹟も「广+共」ではない(後述参照)。

「立正安国論」真蹟翻刻①第一紙~第十二紙

日蓮立正安国論」の真蹟写真を翻刻した。この真蹟は文応元(1260)年に北条時頼に提出したのと同じテクストを日蓮自身が文永6(1269)年末に書写したものと考えられ(奥書参照)、現在は国宝として、門下の富木常忍を淵源とする中山法華経寺(千葉県市川市)に保管されている。文永本、中山本、略本、要本と呼ばれる。原漢文、奥書を含めて全三十六紙。第二十四紙のみ欠損しているが、替わりに日通が慶長6(1601)年に身延山で別の真蹟を模写して継いでいる。本稿における真蹟写真は『読み解く『立正安国論』』(中尾堯、臨川書店)に全紙分が収録されていて、これを参照した。

もとより真蹟へのアクセスは容易だが、検索のため、また日蓮の用字について見識を深めたく試みた。訓読から漢文に置き換えていく作業だが、これと校正を繰り返すことで、これまで気付かなかった論点、視点が生まれた。また内容理解を進める上でも有意義であった。例えば冒頭の七鬼神は疫病退散のためであった等、普段軽く読み過ごしている箇所も、コロナ禍で違う重みが出てきた。
現在を安国論さながらの乱世であると云々することが、不安を煽るか安易な解答を見出すような雑な解像度の低い読みに終始してはならないだろう。想像するまでもないが、為政者に上申する際にその証文、卑近な言い方をすれば“添付資料”として経典を引用する事態一つ見ても、時代状況は現代と全く異なる。

客と主人がどのような思想、立場、心情を共有し、主人は客のどのような問題意識にどのような手法で働きかけたのか、そして現実における北条得宗等、人物の言動や政治力学とのズレ、そういったことを丹念に検証していくことで、日蓮の世俗的権力に対する論法、主張法、説得方法を知り、時代的文化的背景が大きく異なる現代でも再現性のある読み方を見出したい。
その際の視点として、安国論を単なる為政者批判と呼んでよいのか問い直す時に来ていると思う。客と主人は、両者ともに国家の安泰のためには仏法の繁栄が不可欠であるという認識に立っており、そもそも客はあらゆる仏教の儀礼や祈禱を尽くしているのになぜ国は災禍が絶えないのかという問題意識から始まる。そして最終的に主人は客の「信仰の寸心」を改めさせている。仁王経等の四経に基づく為政者批判と併せて、信仰問題として読む。あるいは為政者批判か信仰問題かという、これまでの理解のフレームをどう外せるか試行錯誤したい。例えば戦にあたり仏教の祈禱が兵力と同等かそれ以上に威力をもっていた中世人の内心、治世と信仰が分かち難い精神世界は、安国論の問答でも随所にみられる。

日蓮は文応元年に安国論を提出する前に北条時頼と会見し、そこで禅宗を批判している点も忘れてはならないと思う。つまり安国論を問答体として提出する前、既に日蓮は実際に時頼と問答をしているわけである。そこでどのようなやり取りがあったかは知る由もないが、日蓮が時頼と顔を合わせたのち、彼の政治思想や人柄、心情、人間関係、政治力学等々を慮り、周到に用意して書き上げた勘文であるというのが、安国論理解の前提であろう。安国論が時頼との面談の続き、あるいは第二ラウンドとして、さらに込み入った対話に日蓮が仕上げたのか。日蓮が安国論では禅宗批判をせず、時頼の面前、また仲介者の宿屋入道を通して伝えたのはなぜかという点は、既に78年前に山川智応が『日蓮聖人』で言及しており、再読して先達の洞察に改めて感心している。

前置きが長くなったが、全三十六紙を三回に分けて翻刻する。日蓮「立正安国論」広本略本異同① - 七円玉の読書記録同様、旧字は概ね新字に改めた。なお、立正安国論の基本情報はnoteにまとめた。日蓮「立正安国論」の基本情報をまとめてみた|ずんだもち|note



(第一紙)
立正安国論
旅客来嘆曰自近年至近日
天変地夭飢饉疫癘遍満天
下広迸地上牛馬斃巷骸骨
*1路招死之輩既超大半不悲之
族敢無一人然間或専利剣即
是之文唱西土教主之名或持*2
病悉除之願誦東方如来之経
或仰病即消滅不老不死之詞
崇法華真実之妙文或信七難
即滅七福即生之句調百座百講
之儀有因秘蜜*3真言之教灑五
瓶之水有全坐坐*4禅入定之儀
澄空観之月若書七鬼神之号
(第二紙)
而押千門若図五大力之形而懸
万戸若拝天神地祇*5而企四角四堺
之祭祀若哀万民百姓而行国*6
*7宰之徳政雖然唯摧肝胆弥逼
飢疫乞客溢目死人満眼臥屍為
観並尸作橋観夫二離合璧五
緯連珠三宝在世百王未窮此
世早衰其法何廃是依何禍是
由何誤矣
主人曰独愁此事憤悱胸臆客来
共嘆屢致談話夫出家而入道者
依法而期仏也而今神術不協仏
威無験具覿当世之体愚発後生
之疑然則仰円覆而呑恨俯方載而
深慮倩傾微管聊披経文世皆背
正人悉帰悪故善神捨而相去聖
(第三紙)
人辞所而不還是以魔来鬼来災起
難起不可不言不可不恐
客曰天下之災中之難余非独嘆
衆皆悲今入蘭室初承芳詞神
聖去辞災難並起出何経哉聞其
証拠矣
主人曰其文繁多其証弘博
金光明経云於其土雖有此経未*8
未甞流布生捨離心不楽聴聞
不供養尊重讃歎見四部衆持経
之人亦復不能尊重乃至供養遂令
我等及余眷属無量諸天不得聞
此甚深妙法背甘露味失正法流無
有威光及以勢力増長悪趣損減
人天墜生死河乖涅槃路世尊我
等四王并諸眷属及薬叉等見如
(第四紙)
斯事捨其国*9土無擁護心非但我等
捨棄是王必有無量守護土諸大
善神皆悉捨去既捨離已其当有
種種災禍喪失位一切人衆皆無
善心唯有繫縛殺害瞋諍互相讒
諂枉*10及無辜疫病*11流行慧*12星数出
両日並現薄蝕無恒黒白二虹表不
祥相星流地動井内発声暴雨悪風
不依時節常遭飢饉苗実不成多
有他方怨賊侵掠内人民受諸苦
悩土地無有所楽之処〈已上〉
大集経云仏法実隠没鬚髪爪皆
長諸法亦忘失当時虚空中大声
震於地一切皆遍動猶如水上輪城壁
破落下屋宇悉汜*13坼樹林根枝葉華
葉菓薬尽唯除浄居天欲界一切処
(第五紙)
七味三精気損減無有余解脱諸善
論当時一切尽所生華菓味希少亦
不美諸有井泉池一切尽枯涸土地悉
鹹鹵敵裂成丘澗諸山皆燋燃天龍
不降雨苗稼皆枯死生者皆死尽余
草更不生雨土皆昏闇日月不現
明四方皆亢旱数現諸悪瑞十不善
業道貪瞋癡倍増衆生於父母
観之如獐鹿衆生及寿命色力威
楽減遠離人天楽皆悉堕悪道如
是不善業悪王悪比丘毀壊我正
法損減天人道諸天善神王悲愍衆
生者棄此濁悪皆悉向余方〈已上〉
仁王経云土乱時先鬼神乱鬼神
乱故万民乱賊来劫百姓亡喪臣
君太子王子百官共生是非天地怪
(第六紙)
二十八宿星道日月失時失度
多有賊起亦云我今五眼明見三世
一切国王皆由過去世侍五百仏得為
帝王主是為一切聖人羅漢而為
来生彼土中作大利益若王福尽
時一切聖人皆為捨去若一切聖人去
時七難必起〈已上〉
薬師経云若刹帝利灌頂王等災
難起時所謂人衆疾疫難他
逼難自界叛逆難星宿変怪難
日月薄蝕難非時風雨難過時不雨
難〈已上〉
仁王経云大王吾今所化百億須弥百
億日月一一須弥有四天下其南閻浮
提有十六大五百中十千小
土中有七可畏難一切王為是
(第七紙)
難故云何為難日月失度時節返
逆或赤日出黒日出二三四五日出
日蝕無光或日輪一重二三四五
重輪現為一難也二十八宿失度金
星彗星輪星鬼星火星水星風
星刀*14星南斗北斗五鎮大星一
主星三公星百官星如是諸星
各各変現為二難也大火焼万姓
焼尽或鬼火龍火天火山神火人火樹
木火賊火如是変怪為三難也大水漂*15
没百姓時節返逆冬雨夏雪冬時
雷電*16礰六月雨氷霜雹雨赤水黒
水青水雨土山石山雨沙礫石江河逆
流浮山流石如是変時為四難也大風
吹殺万姓土山河樹木一時滅没非時
大風黒風赤風青風天風地風火風水風
(第八紙)
如是変為五難也天地土亢陽炎火
洞燃百草亢旱五穀不登土地赫燃
万姓滅尽如是変時為六難也四方賊
来侵内外賊起火賊水賊風賊鬼賊
百姓荒乱刀兵劫起如是怪時為七難也
大集経云若有国王於無量世修施戒
恵見我法滅捨不擁護如是所種無
量善根悉皆滅失其当有三不祥
事一者穀実*17二者兵革三者疫病
一切善神悉捨離之其王教令人不
随従常為隣之所侵嬈暴火横
起多悪風雨*18水増長吹漂人民内外
親戚其共謀叛其王不久当遇重
病寿終之後生大地獄中乃至如王夫
人太子太*19臣城主柱師郡守宰官亦
復如是〈已上〉
(第九紙)
夫四経文朗万人誰疑而盲瞽之輩迷
惑之人妄信邪説不弁正教故天下
世上於諸仏衆経生捨離之心無擁護
之志仍善神聖人捨去所是以悪鬼
外道成災致難矣
客作色曰後漢明帝者悟金人之夢
得白馬之教上宮太子者誅守屋之
逆成寺塔之構爾来上自一人下至万
民崇仏像専経巻然則叡山南都
*20城東寺四海一州五畿七道仏経
星羅堂宇雲布鶖子之族則観
鷲頭之月靏*21勒之流*22亦伝鶏足之風
誰謂褊一代之教廃三宝之跡哉
若有其証委聞其故矣
主人喩曰仏閣連甍経蔵並軒僧者
如竹葦侶者似稲麻崇重年旧
(第十紙)
尊貴日新但法師諂曲而迷惑人
倫王臣不覚而無弁邪正
仁王経云諸悪比丘多求名利於国王
太子王子前自説破仏法因縁破国因
縁其王不別信聴此語横作法制不
依仏戒是為破仏破因縁〈已上〉
涅槃経云菩薩於悪象等心無恐怖
於悪知識生怖畏心為悪象殺不至
三趣為悪友殺必至三趣〈已上〉
法華経云悪世中比丘邪智心諂曲未
得謂為得我慢心充満或有阿練若
納衣在空閑自謂行真道軽賤人
間者貪著利養故与白衣説法為世*23
所恭敬如六通羅漢乃至常在大衆
中欲毀我等過*24王大臣婆羅門
居士及余比丘衆誹謗説我悪謂是
(第十一紙)
邪見人説外道論議濁劫悪世中多
有諸恐怖悪鬼入其身罵詈毀辱我*25
我濁世悪比丘不知仏方便随宜所説
法悪口而嚬蹙数数見擯出〈已上〉
涅槃経云我涅槃後無量百歳四道聖
人悉復涅槃正法滅後於像法中当有
比丘似像持律少読誦経貪嗜飲食
長養其身雖著袈裟猶如猟師細
視徐行如猫伺鼠常唱是言我得羅
漢外現賢善内懐貪嫉如受啞法婆
羅門等実非沙門現沙門像邪見熾
盛誹謗正法〈已上〉
就文見世誠以然矣不誡悪侶豈成
善事哉
客猶憤曰明王因天地而成化聖人察
理非而治世世上之僧侶者天下之所帰
(第十二紙)
也於悪侶者明王不可信非聖人者賢
哲不可仰今以賢聖之尊重則知龍象
之不軽何吐妄言強成誹謗以誰人
謂悪比丘哉委細欲聞矣
主人曰後鳥羽院御宇有法然作撰*26
集矣則破一代之聖教遍迷十方之
衆生其撰*27択云道綽禅師立聖道
浄土二門而捨聖道正帰浄土之文初
聖道門者就之有二乃至准之思之
応存蜜*28大及以実大然則今真言
心天台華厳三論法相地論摂論此等
八家之意正在此也曇鸞法師往生論
*29云謹案龍樹菩薩十住毘婆沙云
菩薩求阿毘跋致有二種道一者難行
道二者易行道此中難行道者即是
聖道門也易行道者即是浄土門

つづく

*1:真蹟の字形は宛に似ているが、ここでは充の異体字と認識した。第十紙、第十六紙にもあり。立正安国論広本真蹟では明らかに異なる字体で「充」(第一紙4行目)とわかる。

*2:「恃」と翻刻するものもあるが他の字と比較して手偏でよいと思う。

*3:→密。今日では蜜と密は別の字種で字義も異なり、校定の余地があるが、それも本稿のように原漢文の翻刻か、読み下しか等、目的によってその判断は変わる。日蓮自身の用字及び当時の漢字文化は現代と異なるから、誤記ではなく音通として、あえて真蹟のままとした。

*4:重複。トル。

*5:真蹟は衣偏だが、こちらはJISコードにないので示偏とした。

*6:真蹟は「囗+王」だが、JISコードにない。「囗+王」:『大漢和辞典』(大修館書店、修訂第二版、諸橋大漢和と略記)の漢字の通番、巻数-頁数(通巻頁数)の順に注記する。諸橋大漢和4716、3-62(2336)。國(4798)の俗字。〔正字通〕「囗+王」、俗國字。國:諸橋大漢和4798、3-73(2347)。

*7:以下、国字が「囗+民」の場合、太字とした。「囗+民」:諸橋大漢和4750、3-68(2342)。國に同じ。〔字彙補〕「囗+民」、同國。

*8:削除記号ヒが傍にあり。重複。トル。

*9:国:諸橋大漢和4752、3-68(2342)。國の俗字。大漢和辞典よりは簡易で当用漢字の制定にも対応した『広大漢和辞典』(諸橋・鎌田・米山編、大修館書店、初版第十刷、1991年)では国を新字として主にし、旧字で國とする。国:広漢和辞典2491、上-665。

*10:「抂」に見えなくもない。大正No.665, 16巻430頁a段7行は「抂」。抂は枉の俗字。

*11:原典は「疾疫」(大正No.665, 16巻430頁a段7行)。

*12:→彗。大正No.665, 16巻430頁a段8行。真蹟を底本とした遺文集である『平成新修日蓮聖人遺文集』(米田淳雄編、連紹寺、1995年。以下、平成新修と略記)も「慧」で翻刻し読み下しで「彗」に校訂しているが、巻末の校訂一覧表で言及されていない。

*13:→圮。大正No.397, 13巻379頁b段7行。汜:諸橋大漢和17136、6-913(6625)。氾は別字。平成新修では「氵+巴」で翻刻し、読み下しの際の校訂で「圮」とする。平成新修には読み下し文と原漢文の翻刻との両方が収録されており、読み下しにのみ校訂を加えているようである。「氵+巴」は諸橋大漢和では見つからなかった。

*14:立正安国論広本も「刀」(第四紙5行目)。平成新修含む多くの遺文集が「刁(ちょう)」と翻刻することを検証し、真蹟、写本、原典、注釈書、中国の正史等から「刀(とう)」が適切であるという指摘は、既に山中講一郎「『立正安国論』の文体(三)」(『法華仏教研究』第11号所収、2011年、105頁以下)に詳しく、この論考から「刀」であることは確定的となったと思う。なお同稿によれば、「刀星」とするテキストとしては神保弁静編『日蓮聖人御真蹟対照録』所収の稲田海素対照本、『日本古典文学大系 親鸞日蓮集』所収の兜木正亨校注本があるとされているが、後者と関連し兜木校注『日蓮文集』(岩波文庫)でも「刀星」(178頁)であった。さらに議論を広げると、この翻刻全般に関する重要な指摘を同稿で山中氏はなされている。すなわち「刀」漢字一文字を扱うことが些末な問題に見えるという周囲の予想に自覚的でありながら、なぜ先学の「刀」との指摘が無視され解明されずに放置されてきたのかと問い、そこには日蓮遺文・御書を扱うテキスト学、方法論上に若干の問題が潜んでいるとする。真蹟を翻刻する際、一般には既成のテキストを用い、それを真蹟原文と比較して異同をチェックしていくという方法が取られる。しかし、ここに落とし穴があって、既成のテキストに引きずられて、特に異体字の扱いとなると、何を拾い何を正字に置き換えるか、その判断が一定しなくなるという。こうした山中氏の指摘は、実際に作業をしてみて身に染みた。特に「刀」の翻刻正字だの新字だの旧字だの異体字といった、テキストの編纂方針以前の「解字・判読」の問題であるからこそ、すり抜けやすい。この指摘が重要な意味を持つ所以であろう。さて、日蓮が用いた字体は、その大多数に対して、日蓮独自というよりも当時としては一般的なものとみなす方が合理的であろう。ならば、平安・鎌倉期に用いられた用字法を研究する、具体的には空海法然親鸞らの真蹟、また当時用いられた経典の版本と比較する中で、異体字・略字等のより正確な翻刻が可能となるのではないかと思う。私は本稿で、ここまでに諸橋大漢和等を参照してきたものの、字典にないからといって特殊な字体とも限らないし、日蓮より遥か後代の字典(康煕字典にしろ諸橋大漢和にしろ)から字種を拾うより同時代か先代の例から拾う方が正攻法であることは、当然かもしれないが、私のような素人眼からここに改めて指摘しておきたい。異体字・略字・正字という概念自体が日蓮当時にあったのかという疑問も含めて。と書いてみたが、そもそも何が字体として存在するのかをまず知るために字典を繙くのも研究には当然の行為と言えるので、両方向からのアプローチが必要ということになろう。しかしやはり(日蓮より後代の諸橋やら日国にあるからといった)活字に引きずられてしまう「落とし穴」はこの字典によることに自覚的であったほうがよいだろう。

*15:真蹟は「漂+寸」。「漂+寸」:諸橋大漢和18497、7-314(7222)。水のさま。〔集韻〕「漂+寸」、水皃。大正No.245, 8巻832頁c段16行。

*16:→霹。大正No.245, 8巻832頁c段11行。

*17:→貴。引用経文より。大正No.397, 13巻173頁a段3行。

*18:+暴。引用経文より。大正No.397, 13巻173頁a段6行。

*19:→大。大正No.397, 13巻173頁a段11行。

*20:→園

*21:→鶴

*22:脱落記号○の傍に流。

*23:○の傍に世。

*24:→故。引用経文より。立正安国論広本では「禍」(第七紙21行目)。過が故の音通になっていないことから、日蓮は「我等の禍(過)を謗らんと欲す」と読んでいたのではないかという仮説を立て、今後検証していきたい。この法華経勧持品の二十行の偈中の「過」がある句は、四句一行からなる偈の9行目に当たるが、変則的であり、前半二句は8行目の四句に入り、後半二句は10行目の四句に入る(『現代語訳 立正安国論池田大作監修、創価学会教学部編、聖教新聞社、38頁参照)。つまり「我等を謗らんと欲するが故に」(『妙法蓮華経並開結』創価学会版、2015年、419頁参照)で一旦文が切れる。この辺りの読みと先の仮説が関係しているのだろうか。

*25:重複。トル。墨の滲みあり。

*26:→選

*27:→選

*28:→密

*29:さんずいなので「註」ではない。選択集本文も「注」(『選択本願念仏集』大橋俊雄校注、岩波文庫、17頁)。

日蓮「立正安国論」広本略本異同③終

最終回は第八問答から終わりまでを収録する。凡例等は第一回を参照。

 

⑧客の曰く、若し謗法の輩を断じ、若し仏禁の違を絶せんには、〔彼の〕経文の如く斬罪に行う可きか。若し然らば殺害相加わって罪業何んが為んや。
則ち大集経に云く「頭を剃り袈裟を著せば持戒及び毀戒をも、天人彼を供養す可し。則ち我を供養するに為りぬ。是れ我が子なり。若し彼を撾打すること有れば、則ち我が子を打つに為りぬ。若し彼を罵辱せば、則ち我を毀辱するに為りぬ」と。
仁王経に云く「大王、法末世の時、乃至法に非ず律に非ず、比丘を繋縛すること獄囚の法の如くす、乃至諸の小國の王、自ら此の罪を作せば、破国の因縁、身に自ら之を受けん」と。
又大集経に云く「仏言く、大梵、我今汝が為に且く略して之を説かん。若し人有って万億の仏の所に於て其の身血を出さん。意に於て云何ん。是の人、罪を得ること寧ろ多しと為んや不や。大梵王言く、若し人但一仏の身血を出さんも、無間の罪を得んこと尚多く無量にして算数す可からず。阿鼻大地獄の中に堕つ。何に況んや、具さに万億の諸仏の身血を出さん者をや。終に能く広く彼の人の罪業の果報を説くもの有ること無けん。唯如来を除く。仏言く、大梵、若し我が為に鬚髪を剃除し、袈裟を著して片も禁戒を受けず、受けて犯す者を悩乱し罵辱し打縛すること有らば、罪を得ること彼よりも多し」と。
又云く「刹利国王及以び諸の事を断ずる者、乃至我が法の中に於て出家する者、大殺生・大偸盗・大非梵行・大妄語及び余の不善を作すとも、是の如き等の類、乃至若しは鞭打するは理応ぜず、又口業に罵辱すべからず。一切其の身に罪を加うべからず。若し故らに法に違せば、乃至必定して阿鼻地獄に帰趣せん」と。
又云く「当来の世に悪の衆生有って、三宝の中に於て少しく善業を作し、若しは布施を行じ、若しは復戒を持ち、諸の禅定を修せん。其の是の如き少し許りの善根を以て諸の国王と作り、愚痴・無智にして慙愧有ること無く、憍慢熾盛にして慈愍有ること無く、後世の怖畏すべき事を観ぜず。彼等、我が諸の所有の声聞の弟子を悩乱し打縛・罵辱して、乃至阿鼻に堕在せん」等云云。
料り知んぬ。善悪を論ぜず是非を択ぶこと無く、僧侶為らんに於ては供養を展ぶ可し。何ぞ其の子を打辱して、忝くも其の父を悲哀せしめん。彼の竹杖の目連尊者を害せしや。永く無間の底に沈み、提婆達多の蓮華比丘尼を殺せしや。久しく阿鼻の焰に咽ぶ。先証斯れ明かなり、後昆最も恐あり。謗法を誡むるには似たれども、既に禁言を破る。此の事信じ難し。如何が意得んや。
主人の曰く、客明かに経文を見て、猶斯の言を成す。心の及ばざるか、理の通ぜざるか。全く仏子を禁むるには非ず、唯偏に謗法を悪むなり。汝が上に引く所の経文は、専ら持戒の正見、破戒・無戒の正見の者なり。今悪む所は、持戒の邪見、破戒の破見、無戒の悪見の者なり。夫れ釈迦の以前、仏教は其の罪を斬ると雖も、能〈仁〉の以後、経説は則ち其の施を止む。此れは又一途なり。月氏国の戒日大王は聖人なり。其の上首を罰して五天の余党を誡む。尸那國の宣宗皇帝は賢王なり。道士一十二人を誅して九州の仏敵を止む。彼は外道なり、道士なり。其の罪是れ軽し。是れは内道なり、仏弟子なり。其の罪最も重し。速かに重科に行え。然れば則ち、四海万邦、一切の四衆、其の悪に施さず、皆此の善に帰せば、何なる難か並び起り、何なる災か競い来らん。

⑨客則ち席を避け襟を刷いて曰く、仏教斯く区にして旨趣窮め難く、不審多端にして理非明かならず。但し法然聖人の選択、現在なり。諸仏・諸経・法華経*1教主釈尊・諸菩薩・諸天・天照太神・正八幡等を以て、捨閉閣抛の悪言に載す。其の文顕然なり。玆に因って聖人〉を去り善神所を捨てて、天下飢渇し世上疫病すと。今主人、広く経文を引いて明かに理非を示す。故に妄執既に飜り、耳目数ば朗かなり。所詮、〈國〉土泰平・天下安穏は、一人より万民に至るまで、好む所なり、楽う所なり。早く一闡提の施を止め、謗法の根を切り、永く衆僧尼の供を致し、智者の足を頂き、仏海の白浪を収め、〈法〉山の緑林を截らば、世は羲農の世と成り、〉は唐虞の〉と為らん。然して後、顕密〈法水〉の浅深を斟酌し、真言・法華の勝劣を分別し、仏家の棟梁を崇重し、一乗の元意を開発せん
主人悦んで曰く、鳩化して鷹と為り、雀変じて蛤と為る。悦しきかな、汝蘭室の友に交わりて麻畝の性と成る。誠に其の難を顧みて専ら此の言を信ぜば、風和らぎ浪静かにして、不日に豊年ならんのみ。但し人の心は時に随って移り、物の性は境に依って改まる。譬えば猶水中の月の波に動き、陳前の軍の剣に靡くがごとし。汝、当座に信ずと雖も、後定めて永く妄ぜん〈忘れん〉。若し先ず〉土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速かに情慮を廻らし忩で対治を加えよ。所以は〔何ん〕、薬師経の七難の内、五難忽に起り、二難猶残れり。所以他〉侵逼の難、自界叛逆の難なり。大集経の三災の内、二災早く顕れ、一災未だ起らず。所以兵革の災なり。金光明経の内の種種の災〈過〉一一起ると雖も、他方の怨賊國内を侵掠する、此の災未だ露れず、此の難未だ来らず。仁王経の七難の内、六難今盛んにして、一難未だ現ぜず。所以四方の賊来って〉を侵すの難なり。加之「〉土乱れん時は先ず鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る」云云。今此の文に就いて具に事の情を案ずるに、百鬼早く乱れ、万民多く亡ぶ。先難是れ明かなり、後災何ぞ疑わん。若し残る所の二難、悪法の科に依って並び起り競い来らば、其の時何んが為んや。帝王は〉家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来って我が〈其の〉国を侵〔逼〕し、自界叛逆して〈其〉の地を掠領せば、豈驚かざらんや、豈騒がざらんや。〉を失い家を滅せば、何れの所にか世を遁れん。汝須く一身の安堵を思わば、先ず四表の静謐を禱らん者か。
就中、人の世に在るや、各後生を恐る。是を以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。各是非に迷うことを悪むと雖も、而も猶仏法に帰することを哀しむ。何ぞ同じく信心の力を以て、妄りに邪議の詞を宗めんや。若し執心飜らず亦曲意猶存せば、早く有為の郷を辞して必ず無間の獄に堕ちなん。所以に〔は何ん〕、大集経に云く「若し〉王有って、無量世に於て施・戒・恵を修すとも、我が法の滅せんを見て、捨てて擁護せずんば、是くの如く種ゆる所の無量の善根、悉く皆滅失し、乃至其の王久しからずして当に重病に遇い、寿終の後、大地獄に生ずべし。王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・〈郡〉主・宰官も亦復是くの如くならん」と。
仁王経に云く「人、仏教を〈懐〉らば、復孝〔子〕無く、六親不和にして天〈神〉も祐けず、疾・悪鬼、日に来って侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。若し出て人と為らば、兵奴の果報ならん。響の如く影の如く、人の夜書くに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是くの如し」と。
大品経に云く「破法の業、因縁集るが故に無量百千万億歳、大地獄の中に堕つ。是の破法人の輩、一大地獄従り一大地[獄]に至る。若し火劫起らん時は、他方の大地獄の中に至り彼の間に生在して、一大地獄従り一大地獄に至らん。乃至是くの如く十方に遍せん。乃至重罪転た薄く、或は人身を得ば、盲人の家に生れ、旃陀羅の家に生れ、廁を除い死人を担う種種の下賎の家に生れ、若しは無眼、若しは一眼、若しは眼瞎・無舌・無耳・無手ならん」と。
大集経に云く「大王、当来の世に於て、若し刹利・波羅門・毘舎・首陀有り。乃至他の施す所を奪わば彼の愚人、現身の中に於て二十種の大悪果報を得ん。何者か二十なる。一には諸天善神、皆悉く遠離せん。四には怨憎悪人同じく共に聚会せん。六には心狂癡乱し恒に〓[足+参]遶多からん。十一には所愛の人、悉く皆離別せん。十五には所有の財物、五家に分散せん。十六には常に重病に遇わん。二十には常に糞穢に処し、乃至命終して命終の後、阿鼻地獄に堕せん」と。
又云く「曠野無水の処に居在して、生じては便ち眼無く、又手足無けん。四方の熱風来って其の身に触れ、形体楚毒猶剣をもって切るが如し。宛転して地に在りて、苦悩を受くること是くの如く百千種の苦あらん。然して後、命終して大海の中に生れ、宍揣の身を受く。其の形、長大にして百由旬に満つ。然も彼の罪人所居の処は、其の身の外面に於て一由旬の中に満てる熱水、然も[→の状、]融銅の若く、無量百千歳を経て飛禽・走獣競い来って之を食む。乃至其の罪漸く薄らぎ、出て人と為ることを得ば、無仏の国、五濁の刹の中に生ぜん。生るる従りして盲なり。諸根具せず。身形醜悪にして、人見ることを喜ばず」と。
六波羅蜜経に云く「今地獄に在って現に衆の苦を受け、十三の火の纏嬈する所と為る。二の火焔有って、足従りして入り、頂に徹して出ず。復二の焔有り。頂従りして入り足に通して出ず。復二の焔有り。背よりして入り、胸従りして出ず。復二の焔有り。胸従りして入り、背よりして出ず。復二の焔有り。左脇従り入り、右脇を穿ちて出ず。復二の焔有り。右脇従り入り、左脇を穿ちて出ず。復一の焔有り。首従りして纏い下[て足]に[至る]。然るに此の地獄の諸の衆生の身、其の形耎弱にして熟蘇の如し。彼の衆火に交絡・焚熱為らる。其の地獄の火の焼くこと、人間の火の氎華を焼くが如く、復余燼無し」と。
涅槃経に云く「善友を遠離し正法を聞かず、悪法に住せば、是の因縁の故に沈〈沈〉して阿鼻地獄に在って、受くる所の身形、縦横八万四千[由延]ならん」と。〗[=略本では**に有]
妙法蓮華経法華経〉の第二に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん。或は復嚬蹙して疑惑を懐かん。乃至経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賎・憎嫉して結恨を懐かん。此の人の罪報を汝今復聴け。〔乃至〕其の人命終して阿鼻獄に入らん。一劫を具足して劫尽きなば更に生れん。是の如く展転して無数劫に至らん。乃至 此に於て死し已って更に蟒身を受けん。其の形、長大にして五百由旬ならん」と。〔又〕同第七〔巻不軽品〕に云く「四衆の中に、瞋恚を生じて心不浄なる者有って、悪口・罵詈して言く、是れ無智の比丘と。衆人、或は杖木・瓦石を以て之を打擲す。千劫、阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」已上
**
広く衆経を披きたるに、専ら謗法を重んず。悲しいかな、日本国皆、正法の門を出でて深く邪〈法〉の獄に入る。愚なるかな、上下万人、各悪教の綱に懸って鎮に謗教の網に纒る。此の朦霧の迷、彼の盛焰の底に沈む。是れ〈豈〉愁えざらんや、豈苦まざらんや。汝早く信仰の寸心を改めて、速かに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり。仏国其れ衰んや。十方は悉く宝土なり。宝土何ぞ〈壊〉れんや。国に衰微無く、土に破〈壊〉無んば、身は是れ安全、心は是れ禅定ならん。此の〈詞〉、此の〈言〉、信ず可く崇む可し。

⑩客の曰く、今生・後生、誰か慎まざらん、誰か和わざらん。此の経文を披いて具に仏語を承るに、誹謗の科至って重く、毀法の罪誠に深し。我一仏を信じて諸仏を抛ち、三〔部〕経を仰いで諸経を閣きしは、是れ私曲の思に非ず。則ち先達の詞に随いしなり。十方の諸人も亦復是くの如くなるべし。今の世には性心を労し、来生には阿鼻に堕せんこと、文明かに理詳かなり、疑う可からず。弥貴公の慈誨を仰ぎ、益愚客の癡心を開けり。速かに対治を廻らして早く泰平を致し、先ず生前を安じて更に没後を扶けん。唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ。■

立正安国論広本終わり

謝辞 作成にあたってはウェブ検索として日蓮大聖人御書全集全文検索日蓮聖人御遺文検索、SAT大正新脩大藏經テキストデータベース2018版を利用しました。

*1:真蹟第二十紙二十一行目。人と経を並置している略本に倣い、ここでは「・」で単に列挙とした。昭和定本日蓮聖人遺文(1474頁)、日蓮大聖人御真蹟対照録(上巻56頁)は「の」として「法華経の教主釈尊」と読む。「の」を入れる場合、あるいは「以」に掛かる語句を衆生(仏、菩薩、天)と見れば、「①諸仏、②諸経・法華経の教主釈尊、③諸菩薩、④諸天・天照太神・正八幡を以て」と解釈できるかもしれないが、これは法華経において諸仏、諸経が統合されたというハイコンテクストな読みではある。ただし、そもそも「の」と読むなら真蹟で「之」と挿入されていてもよかったのではないかという疑問が残る(本稿では漢字「之」はすべて平仮名に直したが、真蹟中では多用されている)。当然ながら真蹟には「の」や約物は一切なく漢字が並ぶのみである。類似の文は第四答、第五答、第七問にもある。

日蓮「立正安国論」広本略本異同②

第二回は第四から第七問答までを収録する。凡例等は第一回を参照。略本の真蹟第二十四紙は現存せず、替わりに功徳院日通(1551-1608)が模写して継いでいるが、その箇所は青色で示した。

 

④客猶憤りて曰く、明王は天地に因って化を成し、聖人は理非を察して世を治む。世上の僧侶は天下の帰する所なり。悪侶に於ては明王信ず可からず。聖人に非ずんば賢哲仰ぐ可からず。今賢聖の尊重せるを以て則ち竜象の軽からざるを知んぬ。何ぞ妄言を吐いて強ちに誹謗を成し、誰人を以て悪比丘と謂うや。委細に聞かんと欲す。
主人の曰く、客の疑に付いて重重の子細有りと雖も、繁を厭い多事を止めて、且く一を出さん。万を察せよ。後鳥羽院の御宇に法然というもの有り、選択集を作る。則ち一代の聖教を破し、遍く十方の衆生を迷わす。其の選択に云く「道綽禅師、聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文。初に聖道門とは、之に就いて二有り。乃至之に准じて之を思うに、応に密大及以び実大をも存すべし。然れば則ち今の真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論・此等の八家の意、正しく此に在るなり。曇鸞法師、往生論の注に云く、謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙を案ずるに云く、菩薩、阿毘跋致を求むるに二種の道有り。一には難行道、二には易行道なり。此の中難行道とは即ち是れ聖道門なり。易行道とは即ち〔是れ〕浄土門なり。浄土宗の学者、先ず須らく此の旨を知るべし。設い先より聖道門を学ぶ人なりと雖も、若し浄土門に於て其の志有らん者は、須らく聖道を棄てて浄土に帰すべし」。又云く「善導和尚、正雑の二行を立て、雑行を捨てて正行に帰するの文。第一に読誦雑行とは、上の観経等の往生浄土の経を除いて已外、大小乗・顕密の諸経に於て受持・読誦するを悉く読誦雑行と名く。第三に礼拝雑行とは、上の弥陀を礼拝するを除いて已外、一切の諸仏菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝し恭敬するを悉く礼拝雑と名く。私に云く、此の文を見るに、須く雑を捨てて専を修すべし。豈百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行を執せんや。行者能く之を思量せよ」。又云く「貞元入蔵録の中に、始め大般若経六百巻より法常住経に終るまで顕密の大乗経、惣じて六百三十七部二千八百八十三巻なり。皆須く読誦大乗の一句に摂すべし。当に知るべし、随他の前には蹔く定散の門を開くと雖も、随自の後には還て定散の門を閉ず。一たび開いて以後永く閉じざるは、唯是れ念仏の一門なり」と。又云く「念仏の行者必ず三心を具足す可きの文。観無量寿経に云く、同経の疏に云く、問うて曰く、若し解行の不同・邪雑の人等有って外邪異見の難を防がん。或は行くこと一分二分にして群賊等喚廻すとは、即ち別解・別行・悪見の人等に喩う。私に云く、又云く、此の中に一切の別解・別行・異学・異見等と言うは是れ聖道門を指す」と〈已上〉。又最後結句の文に云く「夫れ速かに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に且く聖道門を閣きて、選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正雑二行の中に且く諸の雑行を抛ちて、選んで応に正行に帰すべし」已上。
之に就いて之を見るに、曇鸞道綽・善導の謬釈を引いて、聖道・浄土・難行・易行の旨を建て、法華・真言惣じて一代の大乗六百三十七部二千八百八十三巻并びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て、皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て或は閉じ或は閣き或は抛つ。此の四字を以て多く一切を迷わし、剰え三〉の聖僧・十方の仏弟を以て皆群賊と号し併せて罵詈せしむ。近くは所依の浄土の三部経の唯除五逆誹謗正法の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の人命終って阿鼻獄に入らん」の誡文に迷う者なり。是に於て代、末代に及び、人、聖人に非ず。各冥衢に容って並びに直道を忘る。悲いかな、瞳矇を樹たず。痛しいかな、徒に邪信を催す。故に上国〈王〉より下土民に至るまで皆、経は浄土三部の外の経無く、仏は弥陀三尊の外の仏無しと謂えり。
仍って伝教・弘法〈義真〉・慈覚・智証等、或は万里の波濤を渉って渡せし所の聖教、或は一朝の山川を廻りて崇むる所の仏像、若しくは高山の巓に華界を建てて以て安置し、若しくは深谷の底に蓮宮を起てて以て崇重す。釈迦・薬師の光を並ぶるや、威を現当に施し虚空地蔵の化を成すや、益を生後に被らしむ。故に〈國〉主は〈郡〉郷を寄せて、以て灯燭を明かにし、地頭は田園を充てて以て供養に備う。
而るを法然の選択に依って、則ち教主を忘れて西土の仏駄を貴び、付属を抛って東方の如来を閣き、唯四巻三部の経典を専らにして空しく一代五時の妙典を抛つ。是を以て弥陀の堂に非ざれば皆、供仏の志を止め、念仏の者に非ざれば早く施僧の懐いを忘る。故に仏堂零落して瓦松の煙老い、僧房荒廃して庭草の露深し。然りと雖も、各護惜の心を捨てて、並びに建立の思を廃す。是を以て住持の聖僧行いて帰らず。守護の善神去って来ること無し。是れ偏に法然の選択に依るなり。悲しいかな、数十年の間、百千万の人、魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり。〈傍←謗〉を好んで正を忘る。善神怒を〈成〉さざらんや。〈円〉を捨てて〈偏〉を好む。悪鬼便りを得ざらんや。如かず、彼の万祈を修せんよりは、此の一凶を禁ぜんには。

⑤客殊に色を作して曰く、我が本師・釈迦文、浄土の三部経を説きたまいて以来、曇鸞法師は四論の講説を捨てて一向に浄土に帰し、道綽禅師は涅槃の広業を閣きて偏に西方の行を弘め、善導和尚は法華の雑行を抛って観経の専修に入り〈を立て〉、恵心僧都は諸経の要文を集めて念仏の一行を宗とす。永観律師は顕密の二門を閉じて念仏の一道に入る。弥陀を貴重すること誠に以て然なり。又往生の人、其れ幾ばくぞや。就中、法然聖人は幼少にして叡山天台山〉に昇り、十七にして六十巻に渉り、並びに八宗を究め具に大意を得たり。其の外一切の経論七遍反覆し、章疏・伝記究め看ざること莫く、智は日月に斉しく徳は先師に越えたり。然りと雖も、猶出離の趣に迷いて涅槃の旨を弁えず。故に偏[→徧]〈徧く〉覿、悉く鑑み、深く思い、遠く慮り、遂に諸経を抛ちて専ら念仏を修す。其の上、一夢の霊応を蒙り、四裔の親疎に弘む。故に或は勢至の化身と号し、或は善導の再誕と仰ぐ。然れば則ち十方の貴賤頭を低れ、一朝の男女歩を運ぶ。爾しより来た、春秋推移り星霜〔相〕積れり。而るに忝くも釈尊の教えを疎にして恣に弥陀の文を譏る。何ぞ近年の災を以て聖代の時に課せ、強ちに先師を毀り更に聖人を罵るや。毛を吹いて疵を求め、皮を剪って血を出す。昔より今に至るまで此くの如き悪言未だ見ず。惶る可く慎む可し。罪業至って重し。科条争か遁れん。対座猶以て恐れ有り。杖に携えて則ち帰らんと欲す。
主人咲み止めて曰く、辛きことを蓼の葉に習い、臭きことを涸廁[→溷廁]に忘る。善言を聞いて悪言と思い、謗者を指して聖人と謂い、正師を疑って悪侶に擬す。其の迷誠に深く、其の罪浅からず。事の起りを聞け。委しく其の趣を談ぜん。釈尊説法の内、一代五時の間に先後を立てて権実を弁ず。而るに曇鸞道綽・善導、既に権に就いて実を忘れ、先に依って後を捨つ。未だ仏教の淵底を探らざる者なり。就中、法然は其の流を酌むと雖も、其の源を知らず。所以は何ん。大乗経の六百三十七部二千八百八十三巻并びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て、捨閉閣抛の字を置いて一切衆生の心を蕩かす〈薄んず〉。是れ偏に私曲の詞を展べて、全く仏経の説を見ず。〈忘[→妄]〉語の至り、悪口の科、言うても比無し、責めても余り有り。具に事の心を案ずるに、慈恩・弘法の、三乗真実・一乗方便、後に望めば戯論と作すとの邪義に超過し、光宅・法蔵の、涅槃は正見、法華は邪見、寂場は本教、鷲峯は末教との悪見に勝出せり。大慢波羅門の蘇生か。無垢論師の再誕か。毒蛇を恐怖し悪賊を遠離す。破仏法の因縁、破國の因縁の金言是れなり。而るに人皆、其の妄語を信じ、悉く彼の選択を貴ぶ。故に浄土の三経を崇めて衆経を抛ち、極楽の一仏を仰いで諸仏を忘る。誠に是れ諸仏・諸経の怨敵、聖僧・衆人の讎敵なり。此の邪教、広く八荒に弘まり周く十方に遍す。抑近年の災を以て往代を難ずるの由、強ちに之を恐る。聊か先例を引いて汝が迷を悟す可し。止観第二に史記を引いて云く「周の末に被髪・袒身、礼度に依らざる者有り」。弘決の第二に此の文を釈するに、左伝を引いて曰く「初め平王の東遷するや。伊川に髪を被にする者の野に於て祭るを見る。識者の曰く、百年に及ばじ。其の礼先ず亡びぬ」と。爰に知んぬ、徴、前に顕れ、災い後に致ることを。又「阮藉が逸才なりしに蓬頭散帯す。後に公卿の子孫、皆之に教いて奴苟相辱しむる者を方に自然に達すといい、撙節兢持する者を呼んで田舎と為す。司馬氏の滅する相と為す」と〈已上〉。
又慈覚大師の入唐巡礼記を案ずるに云く「唐の武宗皇帝、会昌元年、勅して章敬寺の鏡霜法師をして諸寺に於て弥陀念仏の教えを伝えしむ。寺毎に三日巡輪すること絶えず。同二年、廻鶻〉の〈軍〉兵等、唐の堺を侵す。同三年、河北の節度使忽ち乱を起す。其の後、大蕃〉更た命を拒み、廻鶻〉重ねて地を奪う。凡そ兵乱秦項の代に同じく、災火邑里の際に起る。何に況んや、武宗大いに仏法を破し、多く寺塔を滅す。乱を撥むること能わずして遂に以て事有り」已上取意。
此れを以て之を惟うに、法然後鳥羽院の御宇、建仁年中の者なり。彼の院の御事、既に眼前に在り。然れば則ち大唐に例を残し、吾が朝に証を顕す。汝疑うこと莫かれ、汝怪むこと莫かれ。唯須く凶を捨てて善に帰し、源を塞ぎ根を截べし。

⑥客聊か和ぎて曰く、未だ淵底を究めざるに、数ば其の趣を知る。但し華洛より柳営に至るまで、釈門に枢楗在り、仏家に棟梁在り。然り而して〈然るに〉未だ勘状を進らせず、上奏に及ばず。汝賤身を以て輙く莠言を吐く。其の義余り有り、其の理謂れ無し。
主人の曰く、予少量為りと雖も、忝くも大乗を学す。蒼蠅驥尾に附して万里を渡り、碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ。弟子、一仏の子と生れて諸経の王に事う。何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや。
法華経に云く「薬王、今汝に告ぐ。我が所説の諸経、而も此の経の中に於て法華は最も第一なり」と。又云く「我が所説の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。而も其の中に於て、此の法華経は最も為れ難信難解なり」と。又云く「文殊師利、此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵にして、諸経の中に於て最も其の上に在り」と。又云く「衆山の中に須弥山為れ第一なり。衆星の中に月天子最も為れ第一なり」。又「日天子の能く諸の闇を除くが如く」。又「大梵天王の一切衆生の父なるが如く、能く是の経典を受持すること有らん者も、亦復是くの如く、一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」と。
〔其の上〕涅槃経に云く「若し善比丘あって、法を壊る者を見て、置いて呵嘖し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵嘖し挙処せば、是れ我が弟子、真の声聞なり」と。
法華経に云く「我身命を愛せず、但無上道を惜むのみ」と。
大涅槃経に云く「譬えば王の使の善能談論して、方便に巧みなる、命を他国に奉るに寧ろ身命を喪うとも、終に王の所説の言教を匿さざるが如し。智者も亦爾なり。凡夫の中に於て身命を惜しまず。要必大乗方等如来の秘蔵、一切衆生に皆仏性有りと宣説すべし」已上経文。
余、善比丘の身為らずと雖も、「仏法中怨」の責を遁れんが為に、唯大綱を撮って粗一端を示す。
其の上、去る元仁年中に延暦・興福の両寺より度度奏〈聞〉を経、勅宣・御教書を申し下して、法然の選択の印板を大講堂に取り上げ、三世の仏恩を報ぜんが為に、之を焼失せしむ。法然墓所に於ては、感神の犬神人に仰せ付けて破却せしむ。其の門弟、隆観・聖光・成覚・薩生等は遠〉に配流せらる。其の後、未だ御勘気を許されず。豈未だ勘状を進らせずと云わんや。

⑦客則ち和ぎて曰く、経を下し僧を謗るは、一人の論難なり。然れども大乗経六百三十七部二千八百八十三巻并びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て、捨閉閣抛の四字に載す。詞は勿論なり。其の文顕然なり。此の瑕瑾を守って其の誹謗を成せども、迷うて言うか、覚りて語るか、賢愚弁ぜず、是非定め難し。但し災難の起りは選択に因るの由、盛んに其の詞を増し〈其の詞を盛んにし〉、弥其の旨を談ず。所詮、天下泰平・〉土安穏は君臣の楽う所、土民の思う所なり。夫れ〉は法に依って昌え、法は人に因って貴し。亡び人滅せば、仏を誰か崇む可き、法を誰か信ず可きや。先ず〈國〉家を祈りて須く仏法を立つべし。若し災を消し難を止むるの術有らば聞かんと欲す。
主人の曰く、余は是れ頑愚にして敢て賢を存せず。唯経文に就いて聊か所存を述べん。抑も治術の旨、内外の間、其の文幾多ぞや。具に挙ぐ可きこと難し。但し仏道に入って数ば愚案を廻すに、謗法の人を禁めて正道の侶を重んぜば、〉中安穏にして天下泰平ならん。
即ち涅槃経に云く「仏の言く、唯一人を除いて余の一切に施さば、皆讃歎す可し。純陀問うて言く、云何なるをか名けて唯除一人と為す。仏の言く、此の経の中に説く所の如きは破戒なり。純陀復言く、我今未だ解せず。唯願くば之を説きたまえ。仏、純陀に語って言く、破戒とは謂く一闡提なり。其の余の在所一切に布施すれば、皆讃歎すべく大果報を獲ん。純陀復問いたてまつる、一闡提とは其の義云何ん。仏言く、純陀、若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有って麤悪の言を発し正法を誹謗し、是の重業を造って永く改悔せず、心に懺悔無からん。是くの如き等の人を名けて一闡提の道に趣向すと為す。若し四重を犯し五逆罪を作り、自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども、而も心に初めより怖畏・懺悔無く、肯て発露せず、彼の正法に於て永く護惜建立の心無く、毀呰・軽賤して言に過咎多からん。是くの如き等を亦一闡提の道に趣向すと名く。唯此くの如き一闡提の輩を除いて、其の余に施さば一切讃歎せん」と。
又云く「我往昔を念うに、閻浮提に於て大〉の王と作れり。名を仙予と曰いき。大乗経典を愛念し敬重し、其の心純善に麤悪・嫉恡有ること無し。善男子、我爾の時に於て心に大乗を重んず。〈波〉羅門の方等を誹謗するを聞き、聞き已って即時に其の命根を断ず。善男子、是の因縁を以て是れ従り已来地獄に堕せず」と。又云く「如来昔、王と為りて菩薩を行ぜし時、爾所の〈波〉羅門の命を断絶す」と。又云く「殺に三有り。謂く下・中・上なり。下とは蟻子乃至一切の畜生なり。唯菩薩の示現生の者を除く。下殺の因縁を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具に下の苦を受く。何を以ての故に。是の諸の畜生に微善根有り。是の故に殺す者は具に罪報を受く。中殺とは凡夫の人従り阿那含に至るまで是を名けて中と為す。是の業因を以て地獄・〔畜生〕・餓鬼に堕して具に中の苦を受く。上殺とは父母乃至阿羅漢・辟支仏・畢定の菩薩なり。阿鼻大地獄の中に堕す。善男子、若し能く一闡提を殺すこと有らん者は、則ち此の三種の殺の中に堕せず。善男子、彼の諸の〈波〉羅門等は一切皆是れ一闡提なり」と〈已上〉。
仁王経に云く「仏、波斯匿王に告げたまわく、是の故に諸の〉王に付属して、比丘・比丘尼に付属せず。何を以ての故に。王のごとき威力無ければなり」と〈已上〉。
涅槃経に云く「今、無上の正法を以て諸王・大臣・宰相及び四部の衆に付属す。正法を毀る者をば大臣、四部の衆、応当に苦治すべし」と。
又云く「仏の言く、迦葉、能く正法を護持する因縁を以ての故に、是の金剛身を成就することを得たり。善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず。威儀を修せず、応に刀剣・弓箭・鉾槊を持すべし」と。又云く「若し五戒を受持せんの者有らば、名けて大乗の人と為すことを得ざるなり。五戒を受けざれども、正法を護るを為て乃ち大乗と名く。正法を護る者は応当に刀剣・器仗を執持すべし。刀杖を持すと雖も、我是れ等を説きて名けて持戒と曰わん」と。
又云く「善男子、過去の世に此の拘尸那城に於て、仏の世に出でたまうこと有りき。歓喜増益如来と号したてまつる。仏、涅槃の後、正法世に住すること無量億歳なり。余の四十年、仏法末だ滅せず。爾の時に一の持戒の比丘有り。名を覚徳と曰う。爾の時に多く破戒の比丘有り。是の説を作すを聞きて皆悪心を生じ、刀杖を執持し是の法師を逼む。是の時の〉王、名けて有徳と曰う。是の事を聞き已って護法の為の故に即便説法者の所に往至して、是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。爾の時に説法者、厄害を免ることを得たり。王、爾の時に於て身に刀剣・〈箭〉槊の瘡を被り、体に完き処は芥子の如き許りも無し。爾の時に覚徳、尋いで王を讃めて言く、善きかな、善きかな、王、今真に是れ正法を護る者なり。当来の世に此の身、当に無量の法器と為るべし。王、是の時に於て法を聞くことを得已って心大いに歓喜し、尋いで即ち命終して阿閦仏の〉に生ず。而も彼の仏の為に第一の弟子と作る。其の王の将従・人民・眷属、戦闘有りし者、歓喜有りし者、一切菩提の心を退せず、命終して悉く阿閦仏の〉に生ず。覚徳比丘却って後、寿終って亦阿閦仏の〉に往生することを得て、彼の仏の為に声聞衆中の第二の弟子と作る。若し正法尽きんと欲すること有らん時、応当に是くの如く受持し擁護すべし。迦葉、爾の時の王とは則ち我が身是れなり。説法の比丘は迦葉仏是れなり。迦葉、正法を護る者は、是くの如き等の無量の果報を得ん。是の因縁を以て我今日に於て種種の相を得て、以て自ら荘厳し法身不可壊の身を成す。仏、迦葉菩薩に告げたまわく、是の故に法を護らん優婆塞等は、応に刀杖を執持して擁護すること是くの如くなるべし。善男子、我涅槃の後、濁悪の世に〉土荒乱し、互に相抄掠し、人民飢餓せん。爾の時に多く飢餓の為の故に発心・出家するもの有らん。是くの如きの人を名けて禿人と為す。是の禿人の輩、正法を護持するを見て駈逐して出さしめ、若しくは殺し若くは害せん。是の故に我今、持戒の人の、諸の白衣の刀杖を持つ者に依って、以て伴侶と為すことを聴す。刀杖を持すと雖も、我是れ等を説いて名けて持戒と曰わん。〔刀杖を持すと雖も、応に命を断ずべからず〕」と。
法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん」。又云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賎・憎嫉して結恨を懐かん。乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」已上経文
夫れ経文顕然なり。私の詞、何ぞ加えん。凡そ法華経の如くんば、大乗経典を謗ずる者は無量の五逆に勝れたり。故に阿鼻大城に堕して、永く出る期無けん。涅槃経の如くんば、設い五逆の供を許すとも、謗法の施を許さず。蟻子を殺す者は必ず三悪道に落つ。謗法を禁ずる者は不退の位に登る。所謂、覚徳とは是れ迦葉仏なり。有徳とは則ち釈迦文なり。
法華・涅槃の経教は一代五時の肝心なり。八万法蔵の眼目なり。其の禁、実に重し。誰か帰仰せざらんや。而るに謗法の族は正道の人を忘れ、剰え法然の選択に依って弥愚癡の盲瞽を増す。是を以て或は彼の遺体を忍びて木画の像に露し、或は其の妄説を信じて莠言の模を彫り、之を海内に弘め、之を郭外に翫ぶ。仰ぐ所は則ち其の家風、施す所は則ち其の門弟なり。然る間、或は釈迦の手指を切って弥陀の印相に結び、或は東方如来の鴈宇を改めて西土教主の鵝王を居え、或は四百余廻の如法経を止めて〔西方〕浄土の三部経と成し、或は天台大師〔講〕を停めて善導講と為す。此くの如き群類、其れ誠に尽くし難し。是れ破仏に非ずや、是れ破法に為[→非]〈非〉ずや、是れ破僧に非ずや、是れ亡國の因縁に非ずや。此の邪義則ち選択に依るなり。
嗟呼悲しいかな、如来誠諦の禁言に背くこと。哀なるかな、愚侶迷惑の麤語に随うこと。早く天下の静謐を思わば、須く〉中の謗法を断つべし。■

つづく

日蓮「立正安国論」広本略本異同①

日蓮の「立正安国論」(文応元年提出、中山法華経寺蔵、以下略本と記す)と広本(再治本、京都本圀寺蔵)との異同について調査した。広本は身延期に経文を大幅に添加し、また真言批判、謗法呵責を強めた文言を加えている。同本は真偽問題もあるが、仮に模写だったとしても日蓮の思想の深化について探求するに当たり、その価値が貶められるものではないと思う。

コロナ禍において立正安国論が益々読まれてよい情況の中、広本についてはまだアクセスが容易とは言い難く、もとより私家版ではあるが、訓読で異同を公開するのも無益ではないと思い、今後の研究のため作成してみた。
安国論は十問九答から成るが、初回は第一、第二、第三問答までを収録する。便宜上、本文各問答の冒頭に①②と番号を振った。

凡例
一、本文は広本とした上で略本との異同を記すものである。
一、広本新加分は赤字にした。
一、異同については広本の語句を赤字にし直後に略本の記載を〈〉で示した。
一、略本にはあって広本にはない語句は〔〕で記した。
一、注記は[]で記した。
一、字種・字体は概ね新字・常用漢字に直し、外字は〓にして直後に注記した。
一、「国」字が「囗+民」の箇所については太字でと記した。
一、訓読は新編日蓮大聖人御書全集(創価学会版)を参照し、他の主な参考文献は末尾に記した。

立正安国論広本(原漢文)

立正安国論 沙門日蓮
①旅客来りて〈嘆〉いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭、飢饉・疫癘、遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩、既に大半に超え、悲まざるの族、敢て一人も無し。然る間、或は利剣即是の文を専らにして西土教主の名を唱え、或は衆病悉除の願を持ちて東方如来の経を誦し、或は病即消滅・不老不死〔の〕詞を仰いで法華真実の妙文を崇め、或は七難即滅・七福即生の句を信じて百座百講の儀を調え、有るは秘密真言の教に因って五瓶の水を灑ぎ、有るは坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄まし、若しくは七鬼神の号を書して千門に押し、若しくは五大力の形を図して万戸に懸け、若しくは天神・地祇を拝して四角・四堺の祭祀を企て、若しくは万民・百姓を哀んで〈〓[囗+王]〉主・〉宰の徳政を行う。然りと雖も〔唯〕肝胆を摧くのみにして、弥飢疫に逼られ、乞客目に溢れ、死人眼に満てり。屍を臥して観と為し、尸を並べて橋と作す。観れば夫れ二離璧を合わせ、五緯珠を連ぬ。三宝も世に在し、百王未だ窮まらざるに、此の世早く衰え、其の法何ぞ廃れたる。是れ何なる禍に依り、是れ何なる誤りに由るや。
主人の曰く、独り此の事を愁いて胸臆に憤悱す。客来って共に〈嘆〉く。屢談話を致さん。夫れ出家して道に入る者は、法に依って仏を期するなり。〔而るに〕今、神術も協わず、仏威も験無し。具に当世の体を覿るに、愚にして後生の疑を発す。然れば則ち円覆を仰いで恨を呑み、方載に俯して慮を深くす。倩ら微管を傾け、聊か経文を披きたるに、世皆正に背き、人悉く〈悪〉に帰す。故に善神は〉を捨て〔相〕去り、聖人は所を辞して還りたまわず。是れを以て魔来り、鬼来り、災難並び〈災起り難〉起る。言わずんばある可からず、恐れずんばある可からず。

②客の曰く、天下の災、〉中の難、余独り〈嘆〉くのみに非ず、衆皆悲しむ。今、蘭室に入って初めて芳詞を承るに、神聖去り辞し災難並び起るとは、何れの経に出でたるや。其の証拠を聞かん。
主人の曰く、其の文繁多にして其の証弘博なり。
金光明経に云く「其の土に於て、此の経有りと雖も、未だ甞て流布せしめず。捨離の心を生じて、聴聞せんことを楽わず。亦供養し尊重し讃歎せず。四部の衆・持経の人を見て亦復尊重し、乃至供養すること能わず。遂に我等及び余の眷属、無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ざらしめ、甘露の味に背き、正法の流を失い、威光及以び勢力有ること無からしむ。悪趣を増長し、人天を損減し、生死の河に墜ちて、涅槃の路に乖かん。世尊、我等、四王并びに諸の眷属及び薬叉等、斯くの如き事を見て、其の国土を捨てて擁護の心無けん。但だ我等のみ是の王を捨棄するに非ず。必ず無量の〉土を守護する諸大善神有らんも、皆悉く〈去〉せん。既に捨離し已りなば、其の、当に種種の災禍有って、〉位を喪失すべし。一切の人衆、皆善心無く、唯繫縛・殺害・瞋諍のみ有って、互に相讒諂し、〈枉〉げて辜無きに及ばん。疫病流行し、彗星数ば出で、両日並び現じ、薄蝕恒無く、黒白の二虹不祥の相を表し、星流れ、地動き、井の内に声を発し、暴雨・悪風時節に依らず、常に飢饉に遭って苗実成らず。多く他方の怨賊有って〉内を侵掠し、人民諸の苦悩を受け、土地所楽の処有ること無けん」云云〈已上〉。
大集経に云く「仏法実に隠没せば、鬚髪爪皆長く、諸法も亦忘失せん。当の時、虚空の中に大なる声あって地を震い、一切皆遍く動かんこと、猶水上輪の如くならん。城壁破れ落ち下り、屋宇悉く〓[土+比]〈圮〉れ坼け、樹林の根・[他筆]・枝・葉・華葉・菓・薬尽きん。唯浄居天を除いて欲界の一切処の七味・三精気、損減して余り有ること無けん。解脱の諸の善論、当の時一切尽きん。所生の華菓の味わい希少にして亦美からず。諸有の井泉池、一切尽く枯涸し、土地悉く鹹鹵し、敵裂して丘澗と成らん。諸山皆燋燃して、天竜雨を降さず。苗稼も皆枯死し、生ずる者皆死し尽き、余草更に生ぜず。土を雨らし、皆昏闇に日月も明を現ぜず。四方皆亢旱して数ば諸悪瑞を現じ、十不善業の道、貪・瞋・癡倍増して、衆生父母に於ける之を観ること、獐鹿の如くならん。衆生及び寿命・色力・威楽減じ、人天の楽を遠離し、皆悉く悪道に堕せん。是くの如き不善業の悪王・悪比丘、我が正法を毀壊し、天人の道を損減し、諸天善神、王の衆生を悲愍する者、此の濁悪の〉を棄てて皆悉く余方に向わん」云云〈已上〉。
仁王経に云く「〉土乱れん時は、先ず鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る。賊来って〉を劫かし百姓亡喪し、臣は太子を君とし、王子・百官共に是非を生ぜん。天地怪異し、二十八宿・星道・日月時を失い、度を失い、多く賊起ること有らん」と。亦云く「我、今五眼をもって明かに三世を見るに、一切の〈国〉王は皆、過去の世に五百の仏に侍えるに由って帝・王・主と為ることを得たり。是を為って一切の聖人・羅漢而も為に彼の〉土の中に来生して大利益を作さん。若し王の福尽きん時は、一切の聖人皆為に捨て去らん。若し一切の聖人去らん時は、七難必ず起らん」云云〈已上〉。
薬師経に云く「若し刹帝利の灌頂王等の災難起らん時、所謂人衆疾疫の難、他侵逼の難、自界叛逆の難、星宿変怪の難、日月薄蝕の難、非時風雨の難、過時不雨の難あらん」云云〈已上〉。
仁王経に云く「大王、吾が今化する所の百億の須弥、百億の日月、一一の須弥に四天下有り。其の南閻浮提に十六の大、五百の中、十千の小有り。其の国土の中に七つの畏る可き難有り。一切の王、是の難の為の故に、云何なるを難と為す。日月度を失い、時節返逆し、或は赤日出で、黒日出で、二三四五の日出で、或は日蝕して光無く、或は日輪一重、二三四五重輪現ずるを一の難と為すなり。二十八宿度を失い、金星・彗星・輪星・鬼星・火星・水星・風星・刀[or刁]星・南斗・北斗、五鎮の大星、一切の主星・三公星・百官星、是くの如き諸星、各各変現するを二の難と為すなり。大火を焼き、万姓焼尽せん。或は鬼火・〔竜火〕・天火・山神火・人火・樹木火・賊火あらん。是くの如く変怪するを三の難と為すなり。大水百姓を〓[漂+寸]没し、時節返逆して冬雨ふり夏雪ふり冬時に雷電辟[=霹]礰し、六月に氷・霜・雹を雨らし、赤水・黒水・青水を雨らし、土山・石山を雨らし、沙・礫・石を雨らす。江河逆に流れ山を浮べ石を流す。是くの如く変ずる時を四の難と為すなり。大風、万姓を吹殺し、〉土・山河・樹木、一時に滅没し、非時の大風・黒風・赤風・青風・天風・地風・火風・水風あらん。是くの如く変ずるを五の難と為すなり。天地・〉土亢陽し、炎火洞燃として百草亢旱し、五穀登らず、土地赫燃として万姓滅尽せん。是くの如く変ずる時を六の難と為すなり。四方の賊来って〉を侵し、内外の賊起り、火賊・水賊・風賊・鬼賊ありて百姓荒乱し、刀兵の劫起らん。是くの如く怪する時を七の難と為すなり」云云。大集経に云く「若し国王有って無量世に於て施・戒・恵を修すとも、我が法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば、是くの如く種ゆる所の無量の善根悉く皆滅失して、其の当に三の不祥の事有るべし。一には〈実〉、二には〈兵〉革、三には疫病なり。一切の善神悉く之を捨離せば、其の王教令すとも人随従せず。常に隣の侵嬈する所と為らん。暴火横に起り悪風雨多く、水増長して人民を吹〓[漂+寸]〈漂〉し、内外の親戚其れ共に謀叛せん。其の王久しからずして当に重病に遇い、寿終の後、大地獄〔中〕に生ずべし、乃至王の如く夫人・太子・〈太〉臣・城主・柱師・郡守・宰官も亦復是くの如くならん」已上経文
夫れ四経の文、朗かなり。万人誰か疑わん。而るに盲瞽の輩、迷惑の人、妄に邪説を信じて正教を弁えず。故に天下世上、諸仏・衆経に於て捨離の心を生じて擁護の志無し。仍って善神・聖人、〉を捨て所を去る。是を以て悪鬼・外道、災を成し難を致す。

③客色を作して曰く、後漢の明帝は金人の夢を悟って白馬の教を得、上宮太子は守屋の逆を誅して寺塔の構を成す。爾しより来た、上一人より下万民に至るまで、仏像を崇め経巻を専らにす。然れば則ち叡山・南都・園城・東寺・四海・一州・五〈畿〉・七道、仏経は星のごとく羅なり、堂宇雲のごとく布けり。鶖子の族は則ち鷲頭の月を観じ、〈靏〉勒の流は亦鶏足〔の〕風を伝う。誰か一代の教を褊し、三宝の跡を廃すと謂んや。若し其の証有らば、委しく其の故を聞かん。
主人喩して曰く、仏閣甍を連ね、経蔵軒を並べ、僧は竹葦の如く、侶は稲麻に似たり。崇重年旧り、尊貴日に新たなり。但し法師は諂曲にして人倫を迷惑し、王臣は不覚にして邪正を弁ずること無し。仁王経に云く「諸の悪比丘、多く名利を求め、〈国〉王・太子・王子の前に於て自ら破仏法の因縁、破国の因縁を説かん。其の王別えずして此の語を信聴し、横に法制を作って仏戒に依らず〔是を破仏・破の因縁と為す〕」云云〈已上〉。
守護経に云く「大王、此の悪沙門は戒を破し悪を行じ、一切族姓の家を汙穢し、国王・大臣・官長に向って真実の沙門を論説し毀謗し、横に是非を言[他筆か]わん。乃至、一寺同一國邑の一切の悪事、皆彼の真実の沙門に推与し、国王・大臣・官長を蒙蔽[他筆]して、遂に真実の沙門を駈逐し、尽く国界を出ださしむ。其の破戒の者、自在に遊行して、国王・大臣・官長と共に親厚を為さん」云云。又云く「風雨節ならず、旱澇して調わず、飢饉相仍り、寃敵侵擾し、疾疫・災難、無量百千ならん」云云。又云く「釈迦牟尼如来所有の教法は、一切の天魔・外道・悪人、五通の神仙、皆乃至小分をも破壊せず。而るに此の名相の諸の悪沙門、皆悉く毀滅して余り有ること無からしむ。須弥山を仮使三千界の中の草木を尽して薪と為し長時に焚焼すとも一毫も損すること無きに、若し劫火起りて火内従り生じ須臾も焼滅せんには灰燼をも余す無きが如し」云云。
最勝王経に云く「非法を行ずる者を見て愛敬を生じ、善法を行ずる人に於て苦楚して治罰す。悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、星宿及び風雨、皆時を以て行われず」と。又云く「三十三天の衆、咸忿怒の心を生じ、此に因って國政を損し、諂・偽、世間に行われ、悪風起ること恒無く、暴雨時に非ずして下らん」と。又云く「彼の諸の天王衆、共に是の如き言を作し、此の王非法を作し、悪輩相親附す。王位久しく安んぜず、諸天皆忿恨す。彼忿を懐くに由るが故に、其の国当に敗亡すべし。天主護念せず。余天減じ[→咸]国土を捨棄し当に滅亡すべし。王の身苦厄を受け、父母及び妻子・兄弟并びに姉妹、俱に愛別離に遭い、乃至身亡歿せん。変怪の流星堕ち、二の日俱時に出で、他方の怨賊来りて国人喪乱に遭わん」云云。
大集経に云く「若しは復、諸の刹利国王の、諸の非法を作して世尊の声聞の弟子を悩乱し、若しは以て毀罵し刀杖をもって打斫し及び衣鉢、種種の資具を奪い、若しは他の給施せんに留難を作す者有らば、我等彼をして自然に卒卒に他方の怨敵を起さしめん[or怨敵を卒起せしめん]。及び自らの国土にも亦兵起り、病疫・飢饉し、非時の風雨、闘諍言訟せしめん。又其の王をして久しからずして復当に己が國を亡失せしむべし」云云。
大涅槃経に云く「若[=善]男子、如来の正法将に滅尽せんと欲す。爾の時に多く悪を行ずる比丘有らん。如来微密の蔵を知らず。譬えば癡賊の真宝を棄捨し、草〓[麦+戈]を選[→担]負するが如し。如来微密の蔵を解せざるが故に、是の経の中に於て懈怠して勤めず。哀なるかな、大険当来の世、甚だ怖畏すべし。諸の悪比丘、是の経を抄略し分ちて多分と作し、能く正法の色・香・美・味を滅せん。是の諸の悪人、復是くの如き経典を読誦すと雖も、如来の深密の要義を滅除して世間荘厳の文飾、無義の語を安置す。前を抄して後に著け、後を抄して前に著け、前後を中に著け、中を前後に著く。当に知るべし、是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」と。
〈涅槃経に〉云く「菩薩は悪象等に於ては心に恐怖すること無く、悪知識に於ては怖畏の心を生ず。悪象に殺されては三趣に至らず、悪友に殺されては必ず三趣に至る」云云〈已上〉。〖〈涅槃経に〉云く「我涅槃の後、無量百歳、四道の聖人悉く復涅槃せん。正法滅して後、像法の中に於て当に比丘有るべし。持律に似像して少く経を読誦し、飲食を貪嗜して其の身を長養し、袈裟を著すと雖も、猶猟師の細めに視て徐に行くが如く、猫の鼠を伺うが如し。常に是の言を唱えん。我、羅漢を得たりと。外には賢善を現し、内には貪嫉を懐く。啞法を受けたる婆羅門等の如し。実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん」と〈已上〉〗。[=略本では*に有]
法華経に云く「諸の無智の人の、悪口・罵詈等し、及び刀杖を加うる者有らん。我等は皆当に忍ぶべし。悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを謂いて得たりと為し我慢の心は充満せん。或は阿練若に納衣にして空閑に在って、自ら真の道を行ずと謂いて、人間を軽賤する者有らん。利養に貪著するが故に、白衣の与めに法を説いて世の恭敬する所と為ること六通の羅漢[他筆]の如くならん。乃至常に大衆の中に在って我等を毀らんと欲するが禍[→故]に〉王・大臣・〈婆〉羅門・居士及び余の比丘衆に向って誹謗して、我が悪を説いて、是れ邪見の人、外道の論議を説くと謂わん。濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん。悪鬼其の身に入って我を罵詈・毀辱せん。濁世の悪比丘は仏の方便、随宜所説の法を知らず。悪口して嚬蹙し、数数擯出せられん」云云〈已上〉。
涅槃経に云く「善男子、一闡提有って羅漢の像を作して空処に住し、方等大乗経典を誹謗せん。諸の凡夫人、見已って皆、真の阿羅漢是れ大菩薩なりと謂わん」云云。
般泥洹経に云く「羅漢に似たる一闡提有って悪業を行じ、一闡提に似たる阿羅漢あって慈心を作さん。羅漢に似たる一闡提有りとは、是の諸の衆生方等を誹謗するなり。一闡提に似たる阿羅漢とは、声聞を毀呰し広く方等を説くなり。衆生に語って言く、我と如来と俱に是れ菩薩なり。所以は[何ん]。一切皆如来の性有るが故に。然も彼の衆生、一闡提なりと謂わん」と。又云く「究竟の処を見ざれば、永く彼の一闡提の輩の究竟の悪を見ず。亦彼の無量の生死究竟の処を見ず」已上経文。

文に就て世を見るに、誠に以て然なり。悪侶を誡めずんば、豈善事を成さんや。■

つづく

主な参考文献
日蓮聖人真蹟集成(法蔵館
現存日蓮聖人御真跡(山川智応編)
日蓮大聖人御真蹟対照録(立正安国会編)
昭和定本日蓮聖人遺文(立正大学日蓮教学研究所編)
『現代語訳 立正安国論』(池田大作監修、創価学会教学部編、聖教新聞社
『読み解く『立正安国論』』(中尾堯、臨川書店
菅原関道「『立正安国論』広本の一考察」(『興風』第22号所収、2010年12月)
都守基一「『立正安国論』の再確認」(『法華仏教研究』第18号所収、2014年5月)

国立国会図書館ウェブ公開中の日蓮書簡集について

近代から出版された日蓮(1222-82)の書簡集は、国立国会図書館(NDL)で閲覧可能であり、中には版権切れからウェブ公開され、ダウンロードできるものがある。しかし入力された書誌情報が不正確なためか、見つけづらいものがある。ここではウェブ公開中のものをまとめてみた。(書誌IDにリンクを貼った)

日蓮聖人御遺文(=縮刷遺文、加藤文雅編、本間解海・稲田海素対校、霊艮閣版)
二つの版を見つけた。
本書は縮刷遺文と通称される。確かに後述する高祖遺文録の縮刷版という意で、内題は「高祖遺文録」なわけだが、検索しても見つけにくい。
①初版、明治37年
国立国会図書館書誌ID000000466621
見出し語が「日蓮上人御遺文」としてヒットする。誤記なので訂正してほしい。
②第15版、昭和10年、第二続集有
国立国会図書館書誌ID000000758527
大正9年に第二続集として増補したものの重版。見出し語が「高祖遺文録 15版」としてヒットする。

高祖遺文録(日明・小川泰堂編)
二つの版を見つけた。
明治13年、全30巻、木版本、大本
国立国会図書館書誌ID000000466488
版面が木活字による印刷で、いわゆる大本であろう。
②明治19-20年、全16巻、小本
国立国会図書館書誌ID000000466489
こちらは版面が銅活字による印刷で、いわゆる小本であろう。

高祖遺文録匡謬(小林日董著)
明治34年
国立国会図書館書誌ID000000466490
高祖遺文録の大本の表記について、疑わしきもの、真筆との相違や脱漏について指摘したもの。

類纂高祖遺文録(長滝泰昇・山川智応編)
大正3年、師子王文庫
国立国会図書館書誌ID000000543444
高祖遺文録を再編。

刊本録内御書
録内御書の刊本は様々あるが、確認できたものは以下の通り。両者とも書誌情報では寛永年間の刊行、同種活字が用いられていると解題されている。録内御書の刊本は寛永年間では、①寛永十九年四良左衛門版(1642)、②寛永二十年庄左衛門版(1643)、③寛永二十年勘左衛門版があり、そのいずれかであろうか。
①録内第2-3巻=開目抄(上下2冊)
寛永年間
国立国会図書館書誌ID000007280022
遊び紙に「恵宅日義」、末丁裏に「義天日応」「存長日侍之」(第2冊は「存長日侍」)の墨書がある。部分的に注記を書入れ。実業家・古書収集家高木利太(1871-1933)の旧蔵(解題より)。
②録内第16巻=兄弟抄、十法界明因果抄、祈禱抄、四條金吾許御文、四信五品事
寛永年間
国立国会図書館書誌ID000007282381

上記二書については、「国立国会図書館所蔵貴重書解題」第2巻(古活字版の部)という小冊子で解題されていて、デジタル版を館内端末で閲覧できるが、録内御書の刊本であるという説明はなかった。上のような誤植もあって、日蓮の遺文集の編纂経緯に明るい司書は少ないと見て、やむを得ないと思う。国立国会図書館書誌ID000001233429

なお、書誌情報は『日蓮文集』(兜木正亨校注、岩波文庫)解説等を参照した。■

疫病と日蓮④ 弥三郎殿御返事 補遺

以前、疫病と日蓮③ 弥三郎殿御返事 ノートを書いたが、さらに調べると書誌情報に補正が必要となったので、ここに当該箇所のみ整理しなおした。

建治3(1277)年8月4日、与弥三郎、弥三郎殿御返事(真蹟ナシ、京都本満寺本)、御書1449頁、定253番。(参考文献の略記の詳細は末尾に記載)

書誌情報
真蹟は現存しない。写本は本満寺本(文禄4年=1595年集成、本満寺録外12巻109番=『本満寺御書下』梅本正雄編、本満寺刊、87頁)がある。執筆年月日に異論はないようである。御書1451頁、定1370頁、高祖23巻33-34丁、縮遺1624頁では、本文に「建治三年丁丑八月四日 日蓮 花押/弥三郎殿御返事」とある。
しかし本満寺本の本文に執筆年はなく「八月四日 日蓮在御判」(前掲『本満寺御書下』91頁)とあるのみで、後述する同本目録にも執筆年は記載されていないようだから、同本によって執筆年が判断されたわけではない。刊本録外(録外2巻23丁)、ここでは『縮刷 録内・録外』(大石寺内事部発行、昭和48年)によれば、これも「八月四日/日蓮 御判」(同書1789頁)と執筆年は記載されていない。よって、いつ、何によって建治3年作が定説とされるに至ったのか判断しかねるが、高祖遺文録(1880)の時点で本文に「建治三年丁丑」と入れてあるあたりが気になる。

ちなみに昭和定本所収の目録で執筆年に言及しているものは以下の通り。
境妙庵御書目録(1770、日通)「二五三 一船守抄 建治三年八月四日」(定2810頁)。
祖書目次(1779、日諦)建治三年丁丑「二五三 與彌三郎書」(定2818頁)。
新撰校正祖書目次(1814、日明)建治三年丁丑「二五三 與彌三郎書 八月四日」(定2830頁)。
新定祖書目録攷異(1845以前編=堀日亨説、日騰)建治三年丁丑「二五三 與船守彌三郎書 八月四日/繋年舊(=旧)説」(定2838頁)。

同書の執筆年および疫病の記述については若江賢三「御書の系年研究(その1)――弘安年間の諸事象について――」および「御書の系年研究(その2)――表現・表記の変化からの考察――」(『東洋哲学研究所紀要』21, 22号、2005, 06年)で言及されており、疫病の流行時期から建治3年執筆が望ましいと指摘されている。

なお刊本録外については前掲『縮刷 録内・録外』は、録内収録分末尾に「宝暦第六丙子歳補之功畢」(40巻20丁=『縮刷 録内・録外』1711頁)とあるから、宝暦6(1756)年の録内修補改刻版、いわゆる宝暦修補本であるとわかる(録外は寛文9=1669年、寛文2=1662年版のまま)。上記録内・録外御書の刊本については兜木正亨校注『日蓮文集』岩波文庫の解説等を参照。

本文冒頭は欠けているような印象を受けなくもないが、本満寺本では冒頭「是」の一字が「夫」となっていると昭和定本で指摘されており(定1366頁)、原典に当たると確かに「夫無智ノ俗ニテ候ヘトモ」(前掲『本満寺御書下』87頁)となっている。刊本録外では「夫レ無智ノ俗ニテ候ヘトモ」(録外2巻19丁=前掲『縮刷 録内・録外』1785頁)。なお高祖23巻30丁、縮遺1620頁は「是」。

弥三郎について
日蓮遺文の目録の中には、昭和定本所収の本満寺録外御書目次の十二巻十一通の項に「二五三 彌三郎殿御返事 私云鎌倉ノ住人也」(定2786頁)とある。これは原典の本文「弥三郎殿御返事」の左脇にも注記されている(前掲『本満寺御書下』91頁参照)。「私云」と断るあたり慎重であるが、この注記者は誰なのか。遺文辞典歴史篇1059頁(高木豊)によれば、昭和定本に載せたこの目録は日成によるもの(1766年正月)の翻刻ではなく、昭和定本収録のため編纂委員会が新たに作成したものとのこと。同目録にある注記は三系統あるようで誰のものかは判別しかねる。原典に当たると、本満寺録外12巻の表紙に「録外第十二冊十一通 日重」(前掲『本満寺御書下』84頁)とあるが、本文の書写がすべて日重筆によるものではなく分担されていて、当該注記は他の日重筆の箇所と比べると同筆ではなさそうである。日重、本満寺11世・一如院。■

略記
御書:新編日蓮大聖人御書全集(創価学会版)
定または昭和定本:昭和定本日蓮聖人遺文(立正大学日蓮教学研究所編)
遺文辞典歴史篇:日蓮聖人遺文辞典歴史篇(立正大学日蓮教学研究所編)
高祖:高祖遺文録(日明・小川泰堂編)、大本
縮遺:日蓮聖人御遺文(=縮刷遺文、加藤文雅編、本間解海・稲田海素対校、霊艮閣版)