七円玉の読書記録

塵も積もれば山となる

日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑫=開目抄下

今回から下巻となる。便宜上、130頁まで翻刻する。
上下巻それぞれの冒頭と終わりの「開目抄上巻」「開目抄下巻」は棒線で削除されており、日蓮自身が上下に分巻した筆跡がなかったことになるから、身延山所蔵の真蹟は全部通しで一巻であったと解されている。一方で、題紙あるいは扉には「開目抄上」「開目抄下」と記されて分巻されているが、これは日乾筆ではなく元の写本の筆である。
下巻冒頭の「善無畏三蔵の法華経の肝心真言」については、前回・上巻末の具足義の一環であり、かつ諸本で異同があって課題が多いので、これも時間をかけて研究し、後日別稿で考察したい。
とは言え具足義については、釈尊誓願成就との関連で、注にコメントを書き入れた。これは、私のライフワークたる関心領域の一つが「法華経に説かれる誓願とその日蓮による継承・成就」であることによる。

(中扉)
開目抄下*1
(114)
*2
付法蔵第十三真言諸宗ノ元祖本地
法雲自在王如來*3迹ニ龍猛菩初地ノ大聖ノ大
論千ノ肝心云者六也*4等云云妙法
ト申ハ語也月支ニハ達磨分*5*6
*7ト申善无畏三蔵ノ法華ノ肝心真言云曩謨*8
三〔サ〕曼〔マ〕普佛 *9唵〔□*10ン〕三身如來 阿々暗〔アン〕悪*11〔□*12ク〕開示悟入 〔サル〕縛〔ハ〕勃〔ホ〕
(115)
〔タ〕枳〔キ〕攘〔ナウ〕 娑*13乞〔キ〕蒭〔シユ〕毗*14〔ヒ〕耶〔ヤ〕 誐〔キヤ〕々曩〔ナウ〕娑〔バ〕縛〔バ〕空性
羅〔アラ〕〔ラ〕*15乞〔キ〕叉*16〔シヤ〕你*17〔ニ〕離塵相也 〔サツ〕哩〔リ〕達〔タル〕摩〔マ〕正法也 浮〔フ〕〔ホ〕*18〔タ〕里〔リ〕〔キヤ〕白蓮
 蘇*19〔ソ〕駄〔タ〕覧*20〔ラン〕 惹〔シヤク〕*21 吽〔ウン〕 鑁*22〔バン〕 〔コク〕歓喜 縛〔バ〕曰〔ザ〕羅〔ラ〕堅固
羅〔アラ〕〔ラ〕*23乞〔キ〕叉〔シヤ〕鋡擁護*24 娑*25*26訶〔カ〕决定成就 真言南天竺ノ䥫*27
ノ中ノ法芲ノ肝心ノ真言*28真言ノ中
達磨ト申ハ正法ナリト申ハ正也正ハ妙也妙ハ正也
正法芲妙法華是也又妙法ノ上南無ノ
(116)
二字ヲヲケリ南無妙法コレナリ妙
者具足六者六万行諸ノ菩万行ヲ
具足スルヤウヲキカントヲモウ具ト者十㸦具
足ト申ハ一ニ十アレハ當位ニ餘界アリ足ノ義
ナリ此経一部八二十八品六万九千三
百八十四字一々ニ皆妙ノ一字ヲテ三十二相
八十種好ノ佛ナリ十ニ皆己ノ佛ヲ顕ス
(117)
妙樂云尚具佛果*29果亦然等云云佛
欲令衆生開佛知見等云云衆生ト申ハ舎利弗
衆生ト申ハ一闡提衆生ト申ハ九法*30
衆生无𨕙誓願*31度此足ス我本立誓願欲令
一切衆如我等無異如我昔*32㪽願今者已
足等云云*33諸大菩諸天等ノ法門ヲキヒテ
領解云我等従*34來數聞丗説未曽*35聞如
(118)*210頁
妙之上法䓁*36云云𫝊敎大師云*37我等*38
來數聞丗説謂聞法芲ノ前ニ説ケル芲䓁ノ
大法也未曽聞如是妙之上法ハ謂ク未
ノ唯一佛乗ノ教ヲ也等云云芲方等般𠰥
密大日等ノ恒河沙ノ諸大乗ハイマタ一代肝
心タル一念三千大綱*39骨髄タル二乗作佛久遠
實成䓁イマタキカスト領解せリ*40又今ヨリコソ
(119)
諸大菩モ梵帝日月四天等モ敎主粎ノ𢓦
弟子ニテハヘサレハ寳品ニハ等ノ大菩ヲ佛我
𢓦弟子等*41トヲホスユヘニ諌*42暁云告諸大衆我滅
後誰䏻持讀誦此経今於佛前自説
言トハシタヽカニ仰下シカ又諸大菩
大風吹小樹枝等*43ト吉祥草ノ大風ニ随河水ノ大海ヘ
引カコトク佛ニハ随マイラせシカ而トモ霊山日浅クシテ
(120)
夢ノコトクウツヽナラスアリシニ證前ノ寳ノ上後ノ
アテ十方ノ諸佛來集せル皆我分身ナリト
ナノラせ給寳空ニ粎多寳坐*44ヲ並日月ノ青
天ニ並出せルカコトシ人天大㑹ハ星ヲツラ子分身ノ
諸佛大地ノ上寳樹ノ下師子ノユカニマシマス華
厳経芲蔵丗ハ十方圡ノ佛各々ニ國々ニ
シテ彼ノ佛圡ニ來テ分身トナノラス此界ノ佛彼ノ
(121)*211頁
ヘユカス但法惠䓁ノ大菩ノミ㸦ニ來㑹せリ
大日金剛頂䓁ノ八𫟒九三十七
大日如來ノ化身トワミユレトモ其化身三身円満
古佛ニアラス大品ノ千佛阿弥陁経ノ六方諸佛
イマタ來集ノ佛ニアラス大集ノ来*45集ノ佛又分*46
ナラス金光明ノ四方四佛化身ナリ惣シテ一切
ノ中ニ各各行ノ三身円満ノ諸佛ヲ集テ我身トワ
(122)
トカレス*47コレ壽量品ノ遠序ナリ始
*48四十年ノ粎一劫十劫等已前ノ諸
佛ヲ集テ分身トトカルサスカ平等意趣ニモニスヲヒ
タヽシクヲトロカシ又*49始成ノ佛ナラハ㪽化十方ニ充スヘ
カラサレハ身ノ徳ハタリトモ示現シテエキ*50ナシ
天台云*51分身既多當知成佛久矣*52䓁云云大㑹ノ
ヲトロキシ心*53ヲカヽレタリ *54其上ニ地涌ノ大
(123)
*55大地ヨリ出來せリ粎ニ第一ノ御*56弟子トヲ
ホシキ普䝨文殊䓁ニモニルヘクモナシ芲
䓁般𠰥法華ノ寳品ニ來集せ*57ル大菩
䓁ノ金剛埵䓁ノ十六大菩ナントモノ菩
ニ對當スレハ獼*58猴ノ群*59中ニ帝粎ノ來給カコトシ山
人ニ月郷*60䓁ノマシワレルニ*61コトナラス補𠙚ノ弥勒
惑せリ何況其已下ヲヤ千丗*62
(124)
ノ中ニ四人ノ大聖マシマス㪽謂上行無𨕙行浄
行安立行ナリノ四人ハ空霊山ノ諸菩
モアハせ心モヲヨハス芲厳経ノ四菩大日
四菩*63金剛頂ノ十六大菩䓁モノ菩
對スレハ瞖*64ノモノヽ日輪ヲ見ルカコトク海人カ皇
帝ニ向奉カコトシ大*65公䓁ノ四聖ノ衆中ニ*66アツ*67シニニタリ商山ノ
四皓カ惠帝ニ仕ニコトナラス魏*68々堂々トシテ*69
(125)
髙也粎迦多寳十方ノ分身ヲ*70除テハ一切衆
生ノ善知識トモタノミ奉ヌヘシ  *71勒菩*72念言
ラク我ハ佛ノ太子ノ𢓦ヨリ三十成道今ノ霊山
マテ四十二年カ間此界ノ菩十方丗ヨリ來
集せシ諸大菩皆シリタリ又十方ノ淨穢圡ニ或ハ御使*73
或ハ*74我ト遊戯*75シテ其國々ニ大菩見聞せリ《然トモイマタカクノコトキノ大菩ヲハミス》*76大菩ノ𢓦師ナン
(126)
トハイカナル佛ニテヤアルランヨモ多寳十方ノ分
身ノ佛ニハニルヘクモナキ佛ニテコソヲハスラメノ猛*77ヲ見テ龍*78ノ大ナル事シリノ大*79ナルヲ見テ池ノフカキ
コトハシンヌヘシ䓁ノ大菩ノ來ル國又誰ト申佛ニ
アイタテマツリイカナル大法ヲカ習修シ給ラントシア
マリノ不サニ音ヲモイタスヘクモナケレトモ佛力ニヤ
アリケン弥勒薩疑云無量千万億大衆諸
(127)*212頁
昔ヨリ㪽也未ル曽テ見是諸ノ大威徳ノ精進ノ菩衆ハ
誰レカ為ニ其説テ法ヲ敎化シ而成就せル従テカ誰ニ初テ心シ稱-*80揚スル
何レノ佛法*81我昔ヨリ來タ未曽テ見*82是ノ事ヲ願ハ説下ヘ*83其ノ㪽
國圡ノ之名号ヲ我レ常ニ遊トモ諸ノ國ニ曽見是事ヲ我レ
ノ衆ノ中ニ乃不一人モ忽然ニ地出タリ願ハ説下ヘ其ノ囙
縁ヲ䓁云云天台*84云自𡧤*85已降今𫝶ヨリ已往〔コノカタ〕*86十方ノ
大士來㑹不不ト可限我レ以テ補𠙚ノ智力𢘻
(128)
見𢘻知ル而ニ衆ニ不識一人モ然ニ我遊-十方ニ
-奉諸佛ニ大衆快ク㪽□識知等云云妙樂云*87*88
*89自識虵等云云粎ノ心分明ナリ詮スルトコロハ*90
成道ヨリコノカタ圡十方ニテ䓁ノ菩ヲ見タテ
マツラスキカスト申ナリ佛疑答云阿多○*91
等昔*92未ル見者ハ我是娑婆丗阿耨多羅三藐三*93已テ敎-化シ示-導シ是諸ノ菩調-伏
其心ヲ令メタリ道意䓁又云我レ伽耶城菩
(129)
下ニ㘴得成ヿ最正覚ヲ无上ノ法輪ヲ尒乃チ敎-化之
初テ道心ヲ今皆住せリ不退ニ乃至我久遠來タ
化せリ是䓁ノ衆ヲ䓁云云 *94弥勒䓁ノ大菩大ニ
ヲモウ芲厳経ノ時法恵䓁ノ无量ノ大菩アツマルイカナル
人々ナルラントヲモヘハ我善知識ナリトヲホせラレシカハ
サモヤトウチヲモヒキ其後ノ大寳坊白鷺池䓁ノ來
㑹ノ大菩モシカノコトシ大菩ハ彼等ニハニルヘクモナキ
(130)
フリタリケニマシマス定テ粎ノ𢓦師匠カトナントヲ
ホシキヲ令初道心トテ幼稚ノモノトモナリシヲ敎
化シテ弟子トナせリナントヲホせアレハ大ナルナルヘシ日
本ノ聖徳太子ハ人王第三十二代用明天皇ノ𢓦
子ナリ𢓦年六歳ノ百済髙麗*95唐圡ヨリ老*96
トモノワタリタリ*97シヲ六歳ノ太子我弟子ナリトヲホせアリ
シカハ彼老*98人トモ又合掌シテ我師ナリ等云々*99不思議■

*1:一紙を割き中央に記載。

*2:「開目抄下巻」を一本線で削除。

*3:「法雲自在王」をSATで検索しても該当するのはこの1件のみである。

*4:大智度論』巻第四十八・釈四念処品第十九に「沙秦言六」(大正No.159, 25巻408頁b段28行)とあるが、日蓮はこれを『大智度論』中の肝心としている。

*5:御書全集は「伽」。

*6:異体字。=u8607-ue0103

*7:保留。

*8:振り仮名「ナウ」「マク」には削除線がある。

*9:以下の法華経陀羅尼は、読みやすくするため、各音写・意訳の直後に一字空きを入れた。

*10:「ヲ」か。

*11:保留。

*12:「ア」か。

*13:振り仮名か何かの脇書きを削除。

*14:=毘

*15:左脇に「ラ」。

*16:「刄」に見えるが保留。

*17:=儞

*18:左脇に「ホ」。

*19:異体字。hdic_hkrm-03096831。≒蘓

*20:異体字。hdic_u2e5d8-var-001。≒覽

*21:または「ジヤク」か。兜木正亨は「シ」の右肩に本濁の記号「○○」印が付いているとし、「じゃく」と読む(『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』岩波書店、昭和39年、507頁)。

*22:異体字。史的文字DBにはない。

*23:左脇に「ラ」。

*24:判読困難な一字を削除し○の右脇に「護」。

*25:「ソ」があるか判読困難。兜木は無いとする(前掲書)。

*26:「ハ」があるか擦れか否か判読困難。兜木は無いとする(前掲書)。

*27:=鉄

*28:法華肝心陀羅尼の諸本の異同を網羅的に検討するのは時間を要するので、詳細は後日とする。

*29:脇書き「□」を削除。この湛然『止観輔行伝弘決』巻第五之二の文(大正No.1912, 46巻289頁c段12行)は、録内御書(宝暦修補本)では「尚具佛界餘界亦然」(御書二、四十八丁裏)であり、日寛「開目抄愚記」で引いた文も同じである。「果」と「界」が伝写の過程で混同されたのだろうか。

*30:衆生ト申ハ」を削除。

*31:保留。

*32:異体字か。下線対応とする。

*33:舎利弗らの「具足の道を聞きたい」という要請に応えて、釈尊は「あらゆる仏は衆生(=舎利弗、一闡提、九界)に仏知見を開かせようとする」と述べ、この時に釈尊誓願が成就されたという。それは十界を具足する妙法によって実現したということだろう。法華経方便品のこの一節で、仏の誓願が果たされたと述べられた以上、日蓮はその因、すなわち仏因とは何かを探求したと考えられる。その意味で当該文は、「観心本尊抄」の五重三段とは別のアプローチで仏種を探索した形跡と言えないだろうか。日蓮は自身を地涌の菩薩や不軽菩薩と同一視したが、悪世末法の現実を生きる衆生の仏種(=仏因)を菩薩の誓願(=仏因・因行の遂行の起点)と併せて追究した、というか仏因の遂行主体である菩薩の誓願は下種・仏種論と必然的に接続していくと私は考えている(それが法華経身読の内実であろう。これについては少し「「開目抄」における法華経勧持品・不軽品の引用文の合成」で触れた)。誓願成就から妙法を信ずる根拠を見出したことは、浄土教における念仏往生の根拠を彷彿させる。無量寿経では阿弥陀仏の因位である法蔵菩薩四十八願を立てるが、経典では法蔵が阿弥陀仏となっている以上、その誓願は成就されていることを意味し、第十八願「設し我、十方の衆生、至心に信楽して、我が国に生ぜんと欲して、乃至十念せん(乃至念仏)。もし生まれずんば、正覚を取らじ。ただ、五逆と正法を誹謗するものを除く」が、仏を念ずることで往生を遂げられる根拠となった(平岡聡『法然大乗仏教法蔵館、2019年参照)。しかし、ここには「唯除五逆誹謗正法」(「立正安国論」で法然への批判で用いられた)とあるから、日蓮に従えば、それは衆生無辺誓願度の成就にはならないと言えるだろう。これに関連して日蓮が上記方便品「欲令衆生開仏知見」の「衆生」には敢えてか一闡提を含むと述べている点は、娑婆世界の衆生無辺誓願度の成就を強く意識していたと言えよう。いずれにせよ、仏因を信受する根拠を如来誓願成就に求めている点では、日蓮浄土教も共通していると言えそうだが如何だろうか。上記の問題意識は、上原專祿「誓願論――日蓮における誓願の意識――」(『死者・生者―日蓮認識への発想と視点』未来社所収、1971年脱稿)によるところが大きい。上原は同論で、如来誓願について回向の主体との関係性から説き起こし、無量寿経阿弥陀仏誓願経であるのに対し、法華経釈迦牟尼仏誓願経であると述べている。「歴史的現実への基本姿勢とみられる誓願の問題を軸とした日蓮教学の新展開」「誓願の問題を度外視しては『開目抄』は理解されえない」との問題提起を私なりにこの十年近く断続あったものの反芻しつつ開目抄を探求してきて、今は上のようなことを痛感している。

*34:異体字。u5f93-itaiji-001

*35:「曽」が常用漢字に、「曾」がその旧字に制定されたのは2010年の常用漢字表改定である。

*36:今範囲では「䓁」が頻出する。

*37:右肩の「守護章下之下」を削除。

*38:ママ

*39:異体字。koseki-309880

*40:御書全集ではここまでが「開目抄上」。

*41:○の右脇に「等」。日乾筆は「等」の字体であると確認できる。

*42:=諫

*43:○の右脇に「等」。日乾筆は「等」の字体であると確認できる。

*44:「𫝶」を削除し脇に「坐」。したがって日乾は現在と同様に「座」と「坐」を別字として扱っていたことがわかる。

*45:ママ

*46:異体字。u5206-itaiji-004

*47:「今品ハ」を削除。これにより、直後で説明される「寿量品の遠序」が「コレ」=起後の宝塔に限定される。智顗・灌頂『法華文句』巻第八下参照。

*48:「正覚」を削除。

*49:○の右脇に「又」。

*50:「益」を訂正。御書全集は「益」。

*51:脇にある「玄九」と思しき二字を削除。日乾所依の写本に施された他筆の注記か、真蹟における異同か。智顗・灌頂『法華玄義』巻第九下。大正No.1716, 33巻798頁b段23行。

*52:失部が異体字

*53:御書全集は「意」。

*54:一字空き。

*55:「開目抄」で地涌の菩薩に触れられているのは、以下131頁までの、この一範囲のみであり、「地涌」なる語もこの一カ所のみ登場する。しかもそれは涌出品の要約であり、日蓮自身と関連付ける解釈は皆無である。しかし地涌の菩薩は法華経にのみ登場する菩薩であり、ここで他経と比較して譬喩も増幅させて叙述している点は、日蓮独自である。これは、日蓮上行菩薩の自覚は佐渡期周辺で醸成されたとする日蓮教学の理解からすれば、いささか違和感を残す事実ではある。しかしそれも「観心本尊抄」等に譲られたと大方了解されていると思う。日蓮観心本尊抄では自身の法門を開示するに当たってかなり慎重に教示している。すなわち「此より堅固に之を秘す」(観心本尊抄、御書全集242頁)、「観心の法門、少々之を注して大田殿・教信御房等に奉る。此の事、日蓮身に当るの大事なり、之を秘す。無二の志を見ば、之を開〓(=衣偏に石)せらる可きか。此の書は難多く、答少し。未聞の事なれば、人、耳目之を驚動す可きか。設い他見に及ぶとも、三人、四人、座を並べて之を読むこと勿れ。仏滅後二千二百二十余年、未だ此の書の心有らず。国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す。乞い願くば、一見を歴来るの輩は、師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん」(観心本尊抄送状、同255頁参照、「之を秘す」は「公表はしない」と訳されている。=『現代語訳 観心本尊抄池田大作監修、創価学会教学部編、聖教新聞社、2018年、180頁)。対して、開目抄についてはそのような言及は見受けられない。この辺りにも、日蓮上行菩薩自覚の開示が関わっているのだろうが、上記・観心本尊抄送状の一節は、教えを説くべきかは時により機根に依らないという自身の結論(撰時抄、御書全集267頁参照)と矛盾するようにも取れる(これについては他の御書も参照して別稿で考察したい)。しかし両抄とも「日蓮身に当るの大事」を主題としており、それを開目抄では自身の法華経弘通の言動や人格的側面、内心の披歴として、観心本尊抄では錬成した独自の法門(観心の成就内容とそれを成し得る妙法五字の本尊及び地涌の菩薩によるその建立)の開陳として語られており、前者は自身が法華経の行者であることを疑問視する内外の批判に応答するため公表の意図があり、後者は前代未聞の法門として公開を避けたと考えられる。前代未聞とはオリジナリティ、独自性があるということだから、それは他者と共有され難い側面があり、法華経の文を借りれば「難信難解」である。それを広めるには不軽菩薩のような迫害・逆縁(英語ではreverse connection)とならざるを得ないと言えよう。竜の口の法難、佐渡流罪という受難の極致を体験した自身と不軽を重ねたことと前代未聞の観心の法門の錬成とは、相互媒介的に成し得たと言えよう。共有し難い独自性があったとしても、唱題の易行性は弘教に一役買ったと愚案するが、日蓮にそのような意識はあったのだろうか。さらに両抄については、前者は四条金吾に持たせたことから法難で教団が壊滅的となった鎌倉をはじめとする周囲からの疑義に答えた同抄の内容を広めること、後者は富木常忍の下で後世まで格護する意図があり、また日蓮富木常忍四条金吾を通じて開目抄を読むよう指示しているから(翻刻②で述べた)、佐渡流罪中の門下の結束を常忍(下総)・金吾(鎌倉)を双璧として期待したと、私は推測している。両抄を元に図式的な推測が強くなったが、日蓮の著作は門下や諸宗・幕府への応答であるから、言語行為論を引き合いに出すまでもなく、宛先や社会情勢との関係性の中で理解しようとする意識が強くならざるを得ない。

*56:○の右脇に「ノ御」。

*57:御書全集は「す」。

*58:異体字。≒猕

*59:「カル」を削除。御書全集は「る」がある。

*60:→卿

*61:御書全集は「まじはるに」。

*62:「微塵數ノ」を削除。

*63:右肩に四文字「普文観弥」(=普賢・文殊・観音・弥勒)があるが削除されている。

*64:=翳

*65:→太

*66:○の右脇に「ノ衆中ニ」。

*67:→リ。兜木正亨が「あつし」は「ありし」の音便であると注釈している(『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』岩波書店、昭和39年、369頁)。

*68:=巍。別字体だが同一語。

*69:日蓮法華経にない文を用いて地涌の菩薩を形容した一例であるが、「巍巍堂堂」は仏典に頻出する。訳は「そびえ立つ山のように堂々としており」(『現代語訳 開目抄(下)』池田大作監修、創価学会教学部編、聖教新聞社、2016年、12頁)。

*70:「諸仏ヲ」を削除。

*71:二字程度空き。

*72:○の右脇に「心」。

*73:○の右下に「ハ御使」。日乾筆は「御」の字体であると確認できる。

*74:○の右上に「或ハ」。

*75:異体字。linchuyi_hkrm-05057641

*76:この「然トモイマタカクノコトキノ大菩薩ヲハミス」等、比較的文字数の多い削除は当該文を四角で囲んでいる。その範囲については《》で示すことにする。

*77:「タケキ」の振り仮名あるか。

*78:異体字。u2ff0-u97f3-u5c28のようだが同様の字形のコードは複数ある。龍は他の字に比較して多種多様な字体・字形が見受けられる。

*79:」を訂正。つまり写本では「盛んなるを」。これを伝写中に起きた誤りと見るべきなのか。むしろ同様の例は多数見られ、これらを傍証として、日乾所依本は単に誤写された本というよりも別系統の写本であると見たほうが自然であろう。

*80:以下、訓点の付く熟語に「-」が見受けられる。

*81:=中略。

*82:○の右脇に見。訓点・二点がない。

*83:=タマヘ

*84:九」を削除。

*85:=寂

*86:判読困難。

*87:九」を削除。

*88:→智

*89:=蛇

*90:「所詮」の「所」を削除。○の右脇に「スルトコロハ」。

*91:=中略。

*92:ここは「ヨリ」が削除されている。

*93:○の右脇に「見者ハ我是娑婆丗界ニ阿耨多羅三藐三」と大幅に加筆。これは日乾筆ではなく元の写本の筆である。

*94:一字空き。

*95:異体字。史的文字DBで確認できるがグリフウィキにはない。

*96:保留。第三筆の入れ方が常用漢字と異なる。

*97:○の右脇に「タリ」。

*98:保留。

*99:「云云」ではない。

日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑪

十頁ずつ連載しているが、今回は区切りがよい開目抄上巻終わりの113頁まで翻刻する。
終盤、法華経方便品・略開三顕一から説き起こされた「具足」義のサンスクリット語・漢語による解釈については、少々注記したものの、課題が多いので時間をかけて調査し、後日別稿で整理、考察したい。

(101)
ヘシサレハ䓁ノ人々ハ佛ヲ養シタテマツリシツイテニコソ
ワツカノ身命ヲモ扶サせ給シカサレハ事ノ心ヲ案スルニ四
年ノ々ノミトカレテ法芲八箇年ノ㪽説ナクテ
𢓦入滅ナラせ給タラマシカハ誰ノ人カ䓁ノ者ヲハ
養シ奉ヘキ現身ニ餓道ニコソオハスヘケレ而ニ四
年ノ々ヲハ東春ノ大日輪寒氷*1ヲ消滅スルカ
コトク無量ノ草露ヲ大風ノ零落ス*2カコトク一言一
(102)*207頁
ニ未顕真實ト打ケシ大風ノ黒雲ヲマキ大
月ノ𠙚カコトク青天ニ日輪ノ懸給カコトク丗
法乆後要當説真實ト照サせ給テ芲光如來光明
如來等ト舎利弗𫟒等ヲ赫々タル日輪明々タル月
輪ノコトク鳯*3文ニシルシ龜鏡ニ浮ヘラレテヘハコソ如
來滅後ノ人天ノ諸𣞀那等ニハ佛陁ノコトクハ仰レ
給シカ水スマハ月影*4ヲヲシムヘカラス風フカハ草木
(103)
ナヒカサルヘシヤ法芲ノ行者アルナラハ等ノ聖
者ハ大火ノ中ヲスキテモ大石ノ中ヲトヲリテモトフラワせ
給ヘシ迦𫟒ノ入定モコトニコソヨレイカニトナリヌルソイフ*5
カシトモ申ハカリナシ後五百歳ノアタラサルカ廣宣流
布ノ妄語トナルヘキカ日カ法華ノ行者ナラサルカ
法芲ヲ教内ト下テ別𫝊ト稱スル大妄語ノ者ヲマホリ
給ヘキカ捨閇*6閣抛*7ト定テ法華ノ門ヲトチヨ巻ヲナケ
(104)
ステヨト*8ヱリツケテ法華堂ヲ失ル者ヲ守シ給ヘ
キカ佛前ノ誓ハアリシカトモ濁丗ノ大ハケシサヲ
ミテ諸天下給サルカ日月天ニマシマス湏弥山
イマモクツレス海潮モ増减ス四季モカタノコトク
タカハスイカニナリヌルヤラント大イヨ〱ツモリ
〔此ヨリ已下ヲ可調下巻〕*9又諸大菩薩天人䓁ノコトキハ尓前ノ々ニシテ莂ヲ
ウルヤウナレトモ水中ノ月ヲ取トスルカコトクヲ体*10
(105)
オモウカコトクイロカタチノミアテ實義モナシ又佛𢓦
㤙モクテカラス丗初成道ノハイマタ説教モ
ナカリシニ法恵菩功徳林𦬇*11金剛幢菩
剛蔵菩等ナント申せシ六十ノ大菩十方ノ
諸佛ノ國圡ヨリ教主粎ノ𢓦前ニ來給テ䝨首菩
解脱月等ノ菩ノ請ニヲモムイテ十住十行十廽向十地
等ノ法門ヲ説給キ等ノ大菩ノ㪽説ノ法門ハ釈*12
(106)
ニ習タテマツルニアラス十方丗ノ諸梵天等モ來テ法ヲ
トク又粎ニナライタテマツラス惣シテ芲㑹𫝶ノ大菩
龍等ハ粎已前ニ不思議解脱ニ住せル大菩ナリ粎
去囙位ノ𢓦弟子ニヤ有ラン十方丗ノ先佛ノ𢓦
弟子ニヤ有ラン一代教主始成正覚ノ佛弟子ニハ
アラス阿方等般𠰥ノ時四教ヲ佛ノ説給シコソ
ヤウヤク𢓦弟子ハ出來シテモ又佛ノ自説ナレ
(107)*208頁
トモ正説ニハアラスユヘイカントナレハ方等般𠰥ノ別
二教ハ芲厳経ノ別二教ノ義趣ヲ*13イテス彼ノ別二教ハ
教主粎ノ別二教ニハアラス法恵等ノ大菩
二教ナリ䓁ノ大菩ハ人目ニハ佛ノ𢓦弟子カトハ
見ユレトモ佛ノ𢓦師トモイ井ヌヘシ丗彼ノ菩ノ㪽説ヲ
聴聞シテ智シテ後重テ方等般𠰥ノ別ヲトケリ㐌モ
カワラヌ*14厳経ノ別二教サレハ等大菩
(108)
ハ粎ナリ芲厳経等ノ菩ヲカスヘテ
*15知識トトカレシハコレナシ善*16知識ト申ハ一向師ニモ
アラス一向*17弟子ニモアラスアル事ナリ蔵二教ハ又別
枝〔シ〕流ナリ別二教ヲシル人必蔵二教ヲシルヘシ
人ノト申ハ弟子ノシラヌ事ヲ教タルカニテハナリ
例セハ佛前一切ノ人天外道ハ二天三仙ノ弟子ナリ九
十五種マテ流沠*18*19タリシカトモ三仙ノ見ヲ出ス
(109)
教主粎モカレニ習𫝊テ外道弟子ニテマシマせシカ
行樂行十二年ノ時苦空无常无我ノ理ヲサトリ
出テコソ外道ノ弟子ノ名ヲハ離*20サせ給無師智トハナノ
ラせ給シカ又人天モ大師トハ仰マイラせシカサレハ
前四味ノ間ハ教主粎法恵菩等ノ𢓦弟子
ナリ例せハ文殊ハ粎九代ノ𢓦ト申カコトシツ子ハ諸
不説一字トトカせ給モコレナリ佛𢓦年七十二ノ年
(110)
摩竭*21霊鷲山ト申*22山ニシテ无量義ヲトカせ給シニ四
年ノ々ヲアケテ枝𫟒ヲハ其ノ中ニオサメテ
四十年未顕真實ヲ打消給ハナリ此時コソ
諸大菩諸天人等ハアハテヽ實義ヲ請トハ
申せシカ無量義ニテ實義トヲホシキ事一言
アリシカトモイマタマコトナシヘハ月ノ出トシテ其躰*23
東山ニカクレテ光西山ニ及トモ諸人月躰ヲ見サルカ
(111)
コトシ法芲方便品畧開三顕一ノ佛畧シテ一念
三千心中ノ本懐ヲ宣給始ノ事ナレハホトヽキスノ
*24*25ヲ子ヲヒレ*26タル者ノ一音キヽタルカ*27ヤウニ月ノ山ノ半ヲハ*28
出タレトモ薄雲ノヲホヘルカコトクカソカナリシヲ舎
利弗等驚テ諸天龍神大菩等ヲモヨヲシテ諸
龍神等其數如恒沙求佛諸菩大衆*29
八万又諸万億國輪聖王至合掌以敬心
(112)*209頁
欲聞具足道等ハ*30請せシナリ文ノ心ハ四味三教四十
年ノ間イマタキカサル法門ウケ給ハラント請せシ
ナリ文ニ欲聞具足道ト申ハ大者名具
足義等云云無依無得大乗四論玄義云妙〔沙 御本〕*31
者决*32云六胡法ニハ*33六為具足ノ義也等云云吉蔵
*34云妙〔沙 御本〕*35者翻*36為具足等云云天台玄義八云
梵語此翻妙也等云云*37
(113)
*38
身延久遠寺以御正本校合了用可為證本
日乾■

つづく

*1:諸本により「氷」「冰」の異同がある。冰は氷の正字

*2:「吹」を削除し脇に「零」。「零落(れいらく)す」と読むならば、古典文法では複合動詞、活用はサ変で、ここでは格助詞「が」に連体形接続するため「零落する」であるはずだが、「る」がないということとなり、直前が「東春ノ大日輪寒冰ヲ消滅スルカコトク」であることをもって「る」を補って校訂するのが妥当といえよう。しかし「零落す」は自動詞で「(草木が)枯れ落ちる」「おちぶれる」といった意味であり、当該文は他動詞であるはずなので、読みとして問題がある(諸橋轍次編『大漢和辞典』大修館書店、鎌田・米山編『新漢語林』大修館書店、藤堂・加納編『学研新漢和大字典』学習研究社を参照)。高祖遺文録は「零落スルガコトク」、縮刷遺文および御書全集は「零落するがごとく」、昭和定本および平成校定は「零落するがごとく」に日乾本で「る」がないと注記、平成新修は「零落(れいらく)するがごとく」(括弧内は振り仮名、以下同じ)とする。一方、録内御書(宝暦修補本)は「吹落スカコトク」で日乾の対校前の写本の表記と同じであり、これは「吹き落とすがごとく」(「落とす」は他動詞サ行四段活用)と読める。注目すべきは兜木正亨の校訂で、『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』(岩波書店、昭和39年)及び『日蓮文集』(岩波文庫、1968年初版)では「零(ふき)落(おと)すがごとく」(前者362頁、後者238頁)とする。『現代語訳 開目抄(上)』(創価学会教学部編、聖教新聞社、2016年)でも「無数の草についた露を大風が吹き落とすように」(同書200頁)と訳していて、前掲・録内御書(宝暦修補本)と同じ読みとなっている。この兜木と創価学会の二例は古語・現代語の違いはあるにせよ、「吹き落とす」「零落す」を会通したものと解せるだろう。問題は「零落す」を「ふきおとす」と訓読みすることが妥当なのか、「吹き落とす」の意があるのかということだが、諸橋大漢和でも漢字「零」に「吹く」の意はなく、さらには「零落れる」で「おちぶれる」とする難読の例がある(前掲『学研新漢和大字典』参照)。なお「零落」を日蓮大聖人御書全集全文検索で検索すると、当該箇所の他に2件、すなわち①「佛堂零落」(「立正安国論」、原漢文、真蹟第十六紙、中尾堯『読み解く『立正安国論』』臨川書店、2008年、119頁、御書全集は23頁)、②「鎮護國家ノ道場雖トモ令せシムト零落」(「災難対治抄」、原漢文・訓点あり、真蹟第十紙、『日蓮聖人真蹟集成』第1巻、法蔵館、昭和51年、261頁、御書全集は83頁)がヒットする。二つは原文が漢文であることから「れいらく」と音読みし、文法及び文脈上「おちぶれる」を意味すると解せる。また鎌倉遺文フルテキストデータベース(東京大学史料編纂所)で「零落」を検索すると8件の用例が見られるが、全て「れいらく」「おちぶれる」の読み・意味のようである。なお刊本録内御書については、国立国会図書館蔵の古活字本では、宝暦修補本とは異なり「零落スルカコトク」(御書二、四十九丁表、同書については過去記事「国立国会図書館ウェブ公開中の日蓮書簡集について」で紹介した)。
さて、本稿で私がこれまで日蓮文集の諸本を対照した注記は、翻刻する上で、御書全集との異同で気になった箇所を取りあげているだけで、極めて恣意的なところがあるが、一字の違いであれ、度々調べていると思いの外、校定上の問題が浮き彫りになることが確認された。これには日乾本の翻刻という本稿の第一義的な目的からは逸れるものがあるが、今後も併せて進めたい。

*3:=鳳

*4:異体字。u2d9df

*5:濁点が消されているか判読し難いが、104頁四行及び五行の「クズレズ」「タガハズ」で消去跡が分かるから、ここも同様とした。

*6:=閉

*7:保留。史的文字DB、異体字解読字典、グリフウィキにない。

*8:○の右脇に書き込みがあるが二重以上の線で消されている。この削除がなされたのが写本成立時なのか日乾による対校時なのかは定かではない。このような削除は度々あったが、筆跡が分からず確認しようがない。

*9:「又諸大菩薩」以下の右肩に日乾筆で注記されている。判読困難であるが、高木豊「『開目抄』『撰時抄』『報恩抄』の分巻をめぐって――日蓮遺文の書誌に関する試論の一つ――」(『大崎学報』第128号、立正大学仏教学会、昭和51年、46頁)を参照。同稿で高木はこの注記を「此ヨリ已下ヲ可調下巻」とし、これについて「内容上の分巻の一提言として注目してよいであろう」と述べている。宮崎英修も同様に翻刻(宮崎英修「開目抄の伝承と乾師本の価値について」、『大崎学報』第98号、昭和26年、36頁)。兜木正亨は「此より已下可調下巻」と注釈している(『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』、363頁)が、高木が記したように「已下」の直後に一文字あるように見える。なお、この注も岩波文庫日蓮文集』では省かれている(注の省略のみならずテキストにも両者で異同があるかは気にかかる。と思っていたら確認された。112頁注を往見されたい)。高木と兜木が参照した日乾本について付言しておきたい。高木が前掲稿で参照した日乾本は、本稿で底本としているのと同じ本満寺刊『開目抄 乾師対校本』(梅本正雄編)であり、同書の発行は昭和39年12月8日である。対して兜木注を収めた『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』は同年4月6日発行であり、『開目抄 乾師対校本』に先行する。となれば、兜木(及び他の御書の校訂を担当した新間進一)が『日本古典文学大系』の凡例で「「開目抄」の底本は、日乾が身延旧蔵の真筆本に対校した、京都本満寺蔵の写本によった」(前掲書288頁)というのは原本のことであろうか。兜木が件の日乾の注記で「ヲ(を)」を拾わなかった理由として、原本の筆跡から、これが誤字の塗りつぶしか何かであると判読した可能性が見出されるが、単なる誤記とも考えられなくもない(前稿・翻刻⑩、94頁の注で、兜木の校訂の誤りを指摘した)。いずれにせよ高木や兜木による先行研究は、もはやテキストの原本またはその鮮明な写真へのアクセスが困難な現在では、貴重な成果であるといえよう。

*10:異体字。ikin127。≒體

*11:合字・略字、「并」に近い字体。=菩薩。日乾の訂正筆。訂正前の親文字は「艸」を上下に二つ並べた字に見える。菩薩の列挙として、ここだけ略字を使用している。

*12:釋の偏が米である異体字。グリフウィキにはない。

*13:「二教」直後の「ヲ」を削除し○の右脇に「ノ義趣ヲ」。

*14:写本の筆。「ス」と「ヌ」の違いは、「ス」は筆がとめで終わるのに対し、「ヌ」ははらいで終わっていることで判読できる。

*15:ママ

*16:異体字としてきたが再検討の余地あり。

*17:○の右脇に「一向」。

*18:=派

*19:「ワカレ」を削除し○の右脇に「沠シ」。

*20:87頁に既出だが、保留して後出を含めて検討する。

*21:異体字。u7aed-ue0102

*22:○の右脇に「山ト申」。

*23:=体

*24:「初」を削除。

*25:日存本、録内御書(宝暦修補本)、御書全集は「初音」。高祖遺文録、縮刷遺文、昭和定本、平成新修、『日蓮文集』は「音」。

*26:○の右脇にレ。

*27:○の右脇にカ。

*28:高祖遺文録は「山の半バ」。縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成新修は「を」のみ。『日蓮文集』は「をば」。平成校定は「をば」で日存本に「ば」がないと注記。稲田海素が本満寺にて日乾対校本によって校正したという縮刷遺文で「ば」がないのは不審である(後注も参照)。昭和定本は日乾本との異同が漏れている。録内御書(宝暦修補本)は「山ノハニ」で日乾の対校前の写本と同じであり、これは101頁「零落ス」で注記したのと同様である。録内御書(前掲・国会図書館蔵古活字本)は「山ノ半ハ」で高祖遺文録に同じ。

*29:音通か。録内御書(宝暦修補本)、録内御書(国会図書館蔵古活字本)、高祖遺文録、縮刷遺文、昭和定本は「大數」。御書全集、平成新修は「大数」。平成校定は「大数」で日乾本は(大)「衆」と注記。兜木は『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』で経文により「大數」に校訂(『日蓮文集』も同じ)。昭和定本ではここでも日乾対本との異同が漏れている。今後の研究のために以下記すが、前後の法華経方便品の経文は「諸の天竜神等は 其の数恒沙の如し 仏を求むる諸の菩薩は 大数八万有り 又諸の万億国の 転輪聖王は至れり 合掌し敬心を以て 具足の道を聞きたてまつらんと欲す」(『妙法蓮華経並開結』創価学会版、115頁。同書は日蓮が所持し注釈を書き込んだ春日版の法華経並開結、いわゆる「注法華経」を底本とし、大正蔵によって校訂を加えている)。大正No.262, 9巻6頁c段2行。これはいわゆる三止三請における舎利弗による第一請の偈の部分であり、現代語訳では「多くの天・竜神などで、その数がガンジス河の砂ほど数多くのものと、/仏を求める多くのボサツが、その数はたいそう多くて八万人もおります。/それらのものたちと、また多くの万億の国の、転輪聖王(世俗世界の理想的な王)とにいたるまで、/一同みな合掌して、尊敬の心をもって、仏のそなえられた完全な道をお聞きしたいと願っています」(『法華経現代語訳(全)』三枝充悳訳、第三文明社、1978年、56頁、改行は/で示して追い込んだ。春日版の漢訳・妙法蓮華経の口語訳)とされる。当該文周辺はサンスクリット本によれば「ヤクシャ(夜叉)や、ラークシャサ(羅刹)に伴われたガンジス河の砂(恒河沙)の〔数の〕ように幾千・コーティもの〔多くの〕神々や、龍、さらにまた完全な覚りを求めるところの人(菩薩)たちで、八万もの数を満たして立っているところの人たち、/大地の保護者であるところの王たち、幾千・コーティもの〔多くの〕国土からやってきたところの転輪王たち、〔それらの神々や、龍、菩薩、王、そして転輪王たちの〕すべてが合掌し、尊敬の心をもって立っています。『私たちは、いったいどのようにして、修行を完成させるのだろうか?』と」(『梵漢和対照・現代語訳 法華経 上』植木雅俊訳、岩波書店、2008年、89頁)であり、「具足の道」については、漢訳の妙法蓮華経とはいささか文意が異なるようである。略開三顕一における「具足(の道)」を字義から薩、沙、六、妙、法華経の肝心真言、正、六度万行、十界互具、九界即仏界・仏界即九界と解釈していく展開は、途中は明覚『悉曇要訣』巻第四(11世紀成立、後注参照)に類似していて着想のヒントになったと推測できるとはいえ、日蓮独自と見てよいと思う。また「妙法」の意義を方便品から解釈している点も興味深いが、これらは探求課題とする。

*30:録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、『日蓮文集』は「は」。縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修は「とは」。

*31:引用出典や文意から「沙」が妥当であろう。録内御書(宝暦修補本)は「砂(妙)」。高祖遺文録、縮刷遺文、御書全集、平成新修は「沙」。昭和定本は「沙」で「妙」(乾師所依本)と注記。平成校定は「沙」で日乾本は「妙」と注記するが、これでは誤解を招く。『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』では注法華経と日乾本により「沙」(『日蓮文集』も同じ)。

*32:=決。→訳。高祖遺文録、平成新修は「決」。録内御書(宝暦修補本)、縮刷遺文、御書全集は「訳」。昭和定本は「决」で縮刷遺文「譯」と注記。平成校定は「訳」で日乾本は「決」と注記。注目すべきは兜木『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』では注法華経により「譯」としていたのを『日蓮文集』では「决」に変更している点である。『日本古典文学大系』では「沙とは訳(ママ)して六と云う」の補注に「決の字が訳の誤りであることは、文意から見てもわかるが、書入経(引用者注=注法華経のこと。同書で便宜上なされた略称)巻一の見返しに、この同文を引いており、そこには訳となっている」(同書506頁)とある。

*33:昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』は「胡法には」。録内御書(宝暦修補本)、御書全集は「胡法に」。高祖遺文録、縮刷遺文は「胡法」のみであるが、両者は真蹟または日乾対校本を用いて校正されているにも関わらず、共に「ニハ」がない。以下、両者の校訂について付言しておきたい。小川泰堂が高祖遺文録の開目抄の末尾に記した注によれば、明治5年に身延山で小川は日蓮真蹟を披見し、「此開目鈔ハ最モ其首タル書ニシテ分テ四軸トセリ兼テ古版不審ナル処ハ此時ニ照鑑シ全部ハ中古遠乾二師此ヲ親写上木アリシ百部摺本ノ内ノ一本ヲ得テ謹テ校定セリ」(巻十二、八十三丁裏、漢字は常用漢字に改めた)と記しており、これは焼失前の開目抄の真蹟との対照が部分的なものだったことを示している。その判断も何らかの事情があった、あるいは恣意的なものだったことが推測されるが、その解明のヒントは上記引用中の「慶長の百部摺本」にあると思われ、今後の課題としたい(同本の研究は近年、進展が見られる)。縮刷遺文については、稲田海素が真蹟対照主任として校正に用いた日乾本と表記が一致しない点は、その真蹟重視の編纂方針に反する結果となっている。縮刷遺文の本文校訂には本間解海の判断が大きく関与しているようであるが、稲田の校正の精度の問題か、それとも本間の影響によるのか、不審な点である(前川健一「『縮刷遺文』の本文整定について」、『東洋哲学研究所紀要』第25号所収、2009年を参照)。稲田は縮刷遺文の開目抄下の末尾に「明治三十五年六月七日於京都本満寺乾師之御真蹟直写対照之本正之(稲田海素処記)」(縮刷遺文=『日蓮聖人御遺文』、加藤文雅編集代表、昭和10年=第15版、824頁、漢字は常用漢字に改めた)と注記している。当時の様子は『日蓮聖人御遺文対照記』に記録されており、稲田は明治35年6月4日に京都本満寺を訪れ、「日々当山に詣りて日乾上人の慶長九甲辰年六月二十八日身延山に於て後代の証本として入念に校正遊されたる御本を以て、開目鈔報恩抄顕謗法抄の全部及諌暁八幡抄の遺文大本二十九の最初より四十一左二行の酪味のことしまてを対照する事前後一周間程なり」(『日蓮聖人御遺文対照記』、明治41年=再版、77頁、漢字は常用漢字に改めた)と記している。開目抄全篇を含む長編の日乾本を一週間ほどで対照すればミスが起こる蓋然性が高いと見られるが、この点は稲田自身が自覚的であったようで、同書凡例に「今回の真蹟校正の如きは古来難事とする所なれば最も慎重を払て精校すと雖猶ほ誤謬なきを保せず況んや印刷の誤植に於てをや其責固より予の甘受する所なり読者敢て叱正の労を吝むなかれ」(前掲書、序5頁、漢字は常用漢字に改めた)と記している。

*34:=疏

*35:諸本の表記の異同は既出『無依無得大乗四論玄義記』引用と同じであるが、高祖遺文録と縮刷遺文は「妙」。先の「ニハ」の注と同様の結果であるが、これも不審である。

*36:異体字。u7ffb-itaiji-003

*37:以上の具足義に関する五つの経論の引用、①法華経方便品、②涅槃経如来性品、③『(無依無得大乗)四論玄義記』、④吉蔵疏、⑤『法華玄義』の文については、同抄下巻冒頭の⑥『大智度論』の文や「観心本尊抄」における引用(以上に加え⑦無量義経、御書全集246頁参照)を含めて時間をかけて調査し、別稿に記したい。日乾本では下巻となる開目抄では引かれるも観心本尊抄では引かれない⑧「善無畏三蔵の法華経の肝心真言」については、あくまで法華経方便品から説き起こされた具足義の経論引用中の一環であるから、日蓮密教受容と捉えるべきかは慎重を要する。併せて追究する。
先の注で触れたが、明覚『悉曇要訣』巻第四には「沙字云六亦云具足。故可云具足章句而云六字章句。涅槃經云。沙者名具足義吉藏疏云。沙者翻爲具足文大品經云。沙門諸字法六自在性清淨故文大論云。若聞沙字即知人身六種相。沙秦言六無依無得大來四諦玄義記云。沙者譯云六。胡法以六爲具足義也文若爾梵可云沙字章句。漢可云具足章句。如法華云其語巧妙具足清白。文云。欲聞具足道般若。云文義巧妙具足無雜。華嚴云。爲説圓滿經。大經云滿字法門也。然沙字中含六義故云六字章句歟。若以六釋具足義即可也。如薩達磨此云正法或云妙法。故合云正妙法也。若離具足而釋六義即難也」(大正No.276, 84巻552頁a段15行-29行)とある。一読してわかるように、開目抄の引用文は同書にほとんどが収録されている(下線参照)。『無依無得大玄義記』としているが誤表記か。同書でも「吉藏疏云」としている。智顗・灌頂『法華玄義』巻第八上の文については、原典は「薩達磨。此翻妙法」(大正No.1716, 33巻775頁a段3行)であるが、開目抄や『悉曇要訣』では類似の文となる。
なお上下の分巻については、下巻の始めは、上巻終盤で説き起こされた具足義のサンスクリット語・漢語による解釈が続くから、ここで上巻が終わるのは歯切れが悪く、専ら分量によるものであるとの高木の指摘(前掲論文)も頷ける。
また104頁の日乾による分巻の傍注も、一案として妥当性があると思う。当該箇所の前後の文脈は、法華経の行者である(はずの)日蓮に対して、二乗、諸菩薩、諸天、諸人が守護する責務があることを、彼らが爾前経ではなく法華経によって成仏が保証されたことに対する報恩という観点から追究していくが、日乾が指摘した箇所は、直前が爾前経に恩がない人物として二乗を挙げてきたのに対し、以後に諸菩薩・天・人を挙げていく箇所である。これは、前掲『現代語訳 開目抄』及び日寛「開目抄愚記」の第26段冒頭に相当する(御書全集207頁十行)。その他、一案として、同第27段「仏、御年七十二の年、摩竭提国」以下=具足義の考察の前(本稿底本109頁七行、御書全集208頁十一行)か第28段「而れども霊山日浅くして」以下=具足義の考察の後(本稿底本119頁七行、御書全集210頁下巻五行)かで区切ることもできるだろう。

*38:「開目抄上」を二重線で削除。

日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑩

「史的文字データベース連携検索システム」(https://mojiportal.nabunken.go.jp、以下、史的文字DBと略す)が公開された。これは奈良文化財研究所が中心となって運営するもので、国内外の複数機関が所蔵・管理する史的文字(木簡・紙面)の画像を横断的に検索することができる。字体研究には朗報であり、大いに参照させていただくとともに、本稿における電子活字化に当たっては引き続きグリフウィキを用いる。

(91)
給ヘキ諸ノ聲聞ハ尓前ノ々ニテハ肉*1*2ノ上ニ天*3
ウ法華ニシテ法眼備レリ十方丗畍*4
スラ照見シ給ラン何況ノ娑婆丗ノ中法
ノ行者ヲ知見せラレサルヘシヤ設日𢙣人
ニテ一言二言一年二年一劫二劫乃至百千
万億劫等ノ聲聞ヲ𢙣口罵詈シ奉刀杖ヲ加マイ
ラスル㐌ナリトモ法芲ヲタニモ信仰シタル行者
(92)*205頁
ナラハステ給ヘカラスヘハ幼稚ノ父母ヲノル父母コレヲ
スツルヤ梟鳥母ヲ食母コレヲステス破鏡父ヲ
カイス父コレニシタカフ畜生スラカクノコトシ大聖法
ノ行者ヲ捨ヘシヤサレハ四大聲聞ノ領解文
云我等今者*5 真是聲聞 以佛道聲 令一切聞
我等今者 真阿羅 諸丗間 天人魔梵
其中 應受供養 丗大㤙 以希有事
(93)
憐愍教化 利益我䓁 無量億劫 誰䏻
足供給 頭頂礼敬 一切供養 皆不䏻
𠰥以頂戴*6 两*7肩荷 恒沙劫 盡心恭敬
又以𫟈*8*9 無量寳衣 及諸卧*10具 種種湯*11
牛頭旃*12𣞀 及諸珎*13寳 以起塔廟 寳衣布地
如斯等事 以用供養 恒沙劫 亦不䏻
等云云諸ノ聲聞等者前四味ノ々ニイクソハク
(94)
ソノ嘖ヲ蒙*14リ人天大㑹ノ中ニシテ耻*15辱カマ
シキ事其ノ數ヲシラスシカレハ迦𫟒者ノ渧泣ノ
音ハ三千ヲヒヽカシ「湏菩提尊者」〔目連聖者 御本〕*16ハ亡*17然トシテ
手ノ一鉢ヲスツ舎利弗ハ飯*18食ヲハキ富楼那ハ
𦘕*19瓶ニ糞*20ヲ入ルトル丗鹿野*21苑ニシテハ阿含経
シ二百五十戒ヲ師トせヨナント慇懃ニホメサせ
給テ今又イツノマニ我㪽説ヲハカウハ*22ソシラせ給ト二
(95)
言相ノ失トモ申ヌヘシ例セ*23ハ丗尊提婆達多ヲ汝愚
人人ノ唾ヲ食ト罵詈せサせ給シカハ毒
箭ノ胷*24ニ入カコトクヲモヒテウラミテ云瞿曇ハ佛陁ニハアラス我ハ
斛飯王ノ嫡子阿難尊者カ兄瞿曇カ一類ナリイカ
アシキ事アリトモ内々教訓スヘシ等䄇ノ人
天大㑹ニ*25䄇ノ大ヲ現ニ向テ申スモノ大人佛陁ノ
中ニアルヘシヤサレハ先々ハ妻ノカタキ今ハ一𫝶ノカタキ今
(96)
日ヨリハ生々丗々ニ大怨歒トナルヘシト誓シソカシ
モツ*26テ思ニ今諸大聲聞ハ本ト外道婆羅門ノ家ヨリ
出タリ又諸外道ノ長者ナリシカハ諸王ニ皈*27依せラレ諸
𣞀那ニタトマル或ハ種姓高貴ノ人モアリ或福充*28
ヤカラモアリ而彼々ノ栄官等ヲウチステ𢢔心ノ幢ヲ倒シテ
ヲ脱キ壊㐌ノ糞衣ヲ身ニマトヒ白拂弓箭等ヲウチ
ステヽ一鉢ヲ手ニニキリ貧人乞丐*29ナントノコトクシテ
(97)*206頁
ニツキ奉風ヲ防宅*30モナク身命ヲツク衣食
乏少ナリシアリサマナルニ五天四海皆外道ノ弟子
𣞀那ナレハ佛スラ九横ノ大ニアヒ給フ㪽謂
婆カ大石ヲトハせシ阿闍丗王ノ酔象ヲ放シ阿耆多王ノ
馬麦婆羅門城ノコンツせンシヤ婆羅門女カ鉢ヲ
フせシ何況㪽化ノ弟子ノ數申計ナシ無量ノ粎
子ハ波瑠璃王ニレ千万ノ属酔象ニフマレ芲
(98)
比丘尼*31ニカイせラレ迦盧*32者ハ馬糞ニウツ
マレ目楗*33者ハ竹杖ニカイせラル其上六師同心シテ
阿闍丗婆斯匿王等讒奏シテ云瞿曇閻浮第一ノ
大𢙣人ナリ彼カイタル𠙚ハ三灾*34ヲ前トス大海ノ衆
流ヲアツメ大山ノ衆木ヲアツメタルカコトシ瞿曇カトコロニハ
衆𢙣ヲアツメタリ㪽謂𫟒舎利弗目連湏菩
等ナリ人身ヲ受タル者忠孝ヲ先トスヘシ彼等ハ瞿
(99)
曇ニスカサレテ父母ノ教訓ヲモ用ス家ヲイテ王法
*35ヲモソムイテ山林ニイタル一國ニ跡*36ヲトヽムヘキ者ニハアラ
スサレハ天ニハ日月衆星變ヲナス地ニハ衆夭サカンナリ
ナントウツタウ堪ヘシトモオホエサリシニ又ウチソウワサ
ワイト佛ニモウチソヒカタクテアリシナリ人天大㑹ノ
衆㑹ノ砌ニテ々呵嘖ノ音ヲキヽシカハイカニアルヘシ
トモオホヘス只アワツル心ノミナリ其上大ノ*37ノ第一ナリ
(100)
シハ淨名ノ其施汝者不名福田供養汝者墮三
𢙣道等云云文ノ心ハ佛菴羅苑ト申トコロニヲハせシニ梵
天帝粎日月四天三諸天地神龍神等无
數恒沙ノ大㑹ノ中ニシテ云湏菩等ノ比丘䓁ヲ供
養せン天*38人ハ三𢙣道ニ堕ヘシ䓁ヲウチキク天人*39
等ノ聲聞ヲ供*40養スヘシヤスルトコロハ佛ノ𢓦言ヲ用テ諸
二乗ヲ害せサせ給カト見ユ心アラン人々ハ佛ヲモウトミヌ■

つづく

*1:異体字。u2e307-var-002

*2:これまで見過ごしてきたが、形状はtoikawa_hkrm-02063740に近く、史的文字DBでは散見されるが、グリフウィキにはない。下線対応とする。

*3:保留

*4:=界

*5:以下の法華経信解品の偈は、四字の一句ごとに空きを入れ、四句で一行とする。

*6:厳密には共部が異体字であるが、これで進める。

*7:=両

*8:=美

*9:偏が食である異体字。u994d-var-001。録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』はいずれも「膳」。膳は常用漢字であり、饍は同字。

*10:=臥

*11:異体字。u2ff0-u6c35-u6613

*12:録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』はいずれも「栴」。現代では栴檀の方が一般的な表記のようである。全くの余談だが、栴檀サンスクリット語のcandanaチャンダナの音写語であり色は問わないが、旃・栴ともに音符の丹は赤い色を意味しており(『新漢語林』、『学研新漢和大字典』参照)、音写の際に牛頭栴檀のような赤色をイメージして旃・栴を用いたのか興味深い。また偶然であろうが栴檀は英語ではsandalwoodであり音が似ている。

*13:=珍

*14:保留

*15:=恥

*16:ここは維摩詰所説経巻上・弟子品第三より、須菩提が正しいようで、日乾は真蹟との異同を明記している。大正No.475, 14巻540頁b段18行-c段14行。兜木正亨は「底本に「目連聖者、亡然」。文明年間の朝師見聞に「須菩提忙然」。版本以降これによる」(『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』岩波書店、359頁)と注しているが、出典を「正蔵一三」とするのは誤植で正しくは「正蔵一四」である。また底本の表記は今回翻刻したように「目連聖者は亡然」である。この兜木の注釈は岩波文庫日蓮文集』では省かれている。

*17:異体字。u30004か。「忙」を削除。「亡」部について、底本とされた写本と日乾筆とで用いる字体が異なる好例である。これは、例えば日蓮と直弟子日興とで用いた仮名が異なっていたように、個人差によるのだろうか。小林正博「日蓮文書の研究(4)―真蹟に現われる「かな」の全容」(『東洋哲学研究所紀要』第26号、2010年)によれば、小林氏は日蓮・日興・法然親鸞の真蹟および『土佐日記』に登場する変体仮名の字体を比較しつつ、中世日本では仮名文字の標準的使用はなかったとし、また明治33(1900)年の「小学校令施行規則」により教育現場で変体仮名の使用をやめて平仮名を一音一字に確定されたことを指摘している。日存本や日乾本当時含め、使用する仮名に個人差がある、あるいは一音に対し複数の仮名文字が使用されるのが慣例であったようだが、今後の研究課題としたい。なお、そうであるから、写本といっても字体まで忠実に写すわけではなく、さらには日存本(日蓮滅後135年、応永23=1416年)の時点で既に仮名がカタカナで写されている。日蓮真筆の変体仮名をカタカナに置き換える際に誤写が起きる可能性は考えられるし、日乾が真蹟と対校した際もカタカナで訂正している。例えば現代かな「せ」について日蓮は「せ」ではなく「セ」を用る(前掲小林論文参照)が、これまで本稿で見てきたように、日乾対校で底本とされた写本では「せ」が多用されている(ただし95頁一行目にあるように「セ」も使用されている)。以上を考え合わせると、漢字の字体も真蹟を忠実に写していない、あるいは日乾の対校時にも写本と真蹟とで字体が異なっていても無視しているのかといった疑問がわく。刊本の日蓮文集の校訂については、各編纂者・機関・教団で真蹟・写本の表記異同は検討されているものの、底本の学術的な史料批判の成果は(例えば校訂の一過程とされて)充分に公開されぬまま現在に至っているのではないだろうか。

*18:反部が異体字

*19:=畫、画

*20:厳密には共部が異体字であるが、これで進める。

*21:○の右脇に野。

*22:○の右脇に「カウハ」。

*23:ママ

*24:=胸

*25:異体字異体字解読字典やグリフウィキでは確認できないが、史的文字DBでは頻出する。

*26:○の右脇にツ。

*27:=帰

*28:滿で翻刻してきたが既出を含めu6eff-itaiji-002に訂正する。

*29:勹の下に丐を置く異体字異体字解読字典、毛筆版くずし字解読辞典、グリフウィキでは確認されず、史的文字DBではヒットしない。

*30:点が入る異体字。koseki-080680

*31:婆を削除し右脇に多。日存本、録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録は「達多」。縮刷遺文、御書全集は「提婆」。昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』は「提多」。前97頁3-4行目に「提婆」とあることをもって「提多」を「提婆」に校訂する理由とできなくもない。日蓮大聖人御書全集全文検索では提婆達多を「提多」とした用例は見られない。

*32:ママ

*33:→犍。「楗」は親文字「連」の右脇にあるが、「連」に斜線があるか判読し難い。しかし「報恩抄」の日乾対校本にも同様の記載があり、こちらは「連」に斜線を入れた跡が明らかである(真蹟不在箇所。『報恩抄 乾師対校本』梅本正雄編、本満寺刊、昭和40年、170頁参照。御書全集329頁)。これと比較してみると、本抄の「連」にも斜線があると見て差し支えなさそうである。ただし「法華取要抄」の真蹟も目「犍」ではなく「楗」(第十六紙)に見える。日存本、録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録は「目連」。縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』は「目犍」。

*34:=災

*35:もとは「宣旨」であるが「旨」を削除している。日存本、録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、御書全集は「宣旨」。縮刷遺文、昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』は「宣」。

*36:旁が𡖋である異体字。グリフウィキにはない。

*37:○の右脇に「大ノ」。

*38:「人天」の人を削除し○の右脇に天。

*39:「人天」の人を削除し○の右脇に天。

*40:共がcbeta-27621である異体字。グリフウィキにはない。

読書メモ: “Two Buddhas Seated Side by Side”

外書購読の教材として、一年かけて “Two Buddhas Seated Side by Side: A Guide to the Lotus Sutra”(Donald S. Lopez Jr. and Jacqueline I. Stone, Princeton University Press)を読み進めることとした。
昨夏に概容について触れたように、法華経の解説書であるが、気になる品から読んでいる。常不軽菩薩品第二十に対する日蓮の解釈に触れた一節を挙げたい。

In seeing himself as charged by the Buddha with the mission of disseminating the Lotus Sutra in the evil, Final Dharma age, Nichiren identified with the noble and heroic figure of the bodhisattva Viśiṣṭacāritra, leader of the bodhisattvas of the earth. But at the same time, in seeing his trials as opportunities to rid himself of the consequences of past errors, he identified with the humbler figure of the bodhisattva Sadāparibhūta. In so doing, Nichiren placed himself on the same level as the people he was attempting to save and identified a karmic bond between them.
(本書210-211頁)

日蓮が自身を、法華経に登場する上行菩薩と不軽菩薩との二者と同一視したことは、よく知られたことであるが、ここでは、二者に対する自己同一視の在り方の違いを述べている。
すなわち、日蓮は、自身が悪世末法法華経を広める使命をブッダから託されたと解することで、高貴で英雄のような上行菩薩地涌の菩薩のリーダー)と自身を同一視した。しかし同時に、降りかかる試練を、過去の誤りの影響(過去世の罪業の報い)を自身から取り除く機会としたことで、より卑しい不軽菩薩の姿と自身を同一視した。そうすることで、自らが救済せんとする人々と自己を同じレベルに位置づけ、人々との間に業的なつながりを見たのである、と。

「知らない」と人がいう時、二つの意味があるようである(千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』ちくまプリマー新書参照)。一つは問いに答えられない、わからないという意味で「知らない」。もう一つはその問いすら自覚していないという意味での「知らない」。そして後者を自覚させられた時、なんとも言えない喜びや驚きがもたらされよう。
上記の一節は、まさしく後者であった(そこから、そういえば日蓮の文字曼荼羅に上行等四菩薩は書かれていても不軽菩薩はないのはなぜだろうと、また別の疑問が出てきたりする)。新しい「問い」に自身をいざなってくれる読書は楽しい。■

「開目抄」における法華経勧持品・不軽品の引用文の合成

日蓮「開目抄」:日乾による対校本の翻刻⑧」の範囲で、日蓮(1222-82)は、自身の忍難と慈悲は天台・伝教に優れていると言っておきながら、すぐさま一転して、私は法華経の行者ではないのか?と疑問を呈した。翻刻⑨では、また一転して、法華経勧持品の文*1を引き、私こそがこの文を読んだと、さらなる確度をもって言い切ることで、法華経身読のみならず、自身の法華経弘通と忍難が、むしろ仏語に正当性を与えていると宣言している。そしてはたまた「我が身、法華経の行者にあらざるか。此の疑は此の書の肝心、一期の大事なれば、処処にこれをかく上、疑を強くして答をかまうべし」*2と追究を深めてゆく。日蓮による造語「法華経の行者」には、こうした筆致を重ねることで、意味に厚みが生まれていることを改めて確認した次第である。

勧持品に混入された「瓦石」
さて本稿では、この勧持品の引用文から、日蓮による勧持品・不軽品身読の過程について理解するためのヒントが得られそうなので、小考を加えたい。
件の勧持品の文「経ニ云有諸無智人悪口罵詈等加刀杖瓦石等云云」*3は、経文通りの引用ではない。日乾本の対校前は「経ニ云有諸無智人悪口罵詈等及加刀杖者等云云」であり、勧持品の経文通り*4であるが、真蹟対校によって「及」を削り「者」を「瓦石」に置き換えた跡がある。したがって勧持品の文をそのまま引用せず「瓦石」を加えたのは、明らかに日蓮筆であると確認できる。さらに直弟子日興(1246-1333)が開目抄に引用される経釈等を採録した「開目抄要文」における当該箇所も同様である点は、傍証となり得よう*5
「瓦石」は妙法蓮華経に四カ所登場するが、譬喩品の文は開目抄の当該文脈には直接関係がないので除外した上で*6、残りは法師品に二カ所、不軽品に一カ所、確認される。
法師品の文を以下に掲げる。
①「若説此経時 有人悪口罵 加刀杖瓦石 念仏故応忍」*7
②「若人欲加悪 刀杖及瓦石 則遣変化人 為之作衛護」*8
不軽品の文を以下に掲げる。
③「説是語時、衆人或以杖木・瓦石而打擲之」*9
さて勧持品に混入された「瓦石」はこのうちどれが妥当だろうか。日蓮遺文の用例としては、①②から「瓦石」を引用した例は見当たらない*10
「瓦石」はむしろ決まって不軽菩薩の受けた迫害として記されている。ここでは真蹟現存・曽存及び直弟子写本がある文を掲げる*11
①「又一経の内に凡有所見、我深敬汝等等と説いて、不軽菩薩の杖木瓦石をもつてうちはられさせ給いしをば顧みさせ給はざりしは如何と申させ給へ」*12
②「又云く「杖木瓦石もて之を打擲せん」等云云」*13
③「不軽品に云く「悪口罵詈」等、又云く「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云」*14
④「不軽菩薩は過去に法華経を謗じ給う罪、身に有るゆへに、瓦石をかほるとみへたり」*15
⑤「今反詰して云く、不軽品に云く……又云く「衆人、或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云」」*16
⑥「設い日蓮一人は杖木・瓦石・悪口・王難をも忍ぶとも、妻子を帯せる無智の俗なんどは争か叶うべき」*17
⑦「過去を尋ぬれば不軽菩薩に似たり。現在をとぶらうに加刀杖瓦石にたがう事なし」*18
⑧「加刀杖瓦石・数数見擯出の文に任せて流罪せられ刀のさきにかかりなば、法華経一部よみまいらせたるにこそとおもひきりて、わざと不軽菩薩の如く覚徳比丘の様に竜樹菩薩・提婆菩薩・仏陀密多・師子尊者の如く弥強盛に申しはる」*19
⑨「法華経第七に云く「……或は杖木瓦石を以て之れを打擲す……」*20
⑩「又云く「杖木瓦石をもつて之を打擲す」」*21
⑪「法華経第七の巻不軽品に云く……又云く「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云」*22
⑫「仏、不軽品に自身の過去の現証を引いて云く「爾の時に一りの菩薩有り、常不軽と名く」等云云。又云く「悪口罵詈等せらる」。又云く「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云。釈尊、我が因位の所行を引き載せて末法の始を勧励したもう。不軽菩薩既に法華経の為に杖木を蒙りて、忽に妙覚の極位に登らせたまいぬ。日蓮此の経の故に現身に刀杖を被むり二度遠流に当る、当来の妙果之を疑う可しや*23
⑬「同第七に云く「……衆人、或は杖木瓦石を以て之を打擲す。……」已上」*24
以上、遺文における日蓮の問題意識の表明から見れば、先の勧持品に混入させた「瓦石」は、不軽品のものと見るのが妥当と言えよう*25。しかも⑦⑧の文においても同じ操作がされていることが注目される。

「一偈」に見る勧持品と不軽品の連関
その上で、不軽品を混入させた勧持品の引用文を、日蓮は「一偈」*26と見なし、「日蓮なくば此の一偈の未来記、妄語となりぬ」*27と言い切る。
次に、この「一偈」について考察を加えてみたい。まず佐渡流罪直前に書かれた「寺泊御書」の以下の文に着目したい。
⑭「勧持品に云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈し」等云云。日蓮、此の経文に当れり。汝等何ぞ此の経文に入らざる。「及び刀杖を加うる者」等云云。日蓮は此の経文を読めり。汝等何ぞ此の経文を読まざる。「常に大衆の中に在つて我等が過を毀らんと欲す」等云云。「国王大臣婆羅門居士に向つて」等云云。「悪口して顰蹙し、数数擯出せられん」。「数数」とは度度なり。日蓮、擯出衆度、流罪は二度なり。法華経は三世の説法の儀式なり。過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり。今の勧持品は、未来は不軽品為る可し。其の時は日蓮は即ち不軽菩薩為る可し*28
ここに引かれた勧持品の文は経文通りであるが、その直後で日蓮は、不軽品を引用こそしていないので唐突な感はあるが、「過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり」として、勧持品と不軽品を三世の説法の儀式において同一視し、さらに自身を不軽菩薩と同一視している。
こう見ていくと、「経ニ云有諸無智人悪口罵詈等加刀杖瓦石等云云」は「過去の不軽品」にある「瓦石」を、「今の勧持品」に混入させていると解することができるのではないか。なお勧持品の一偈が「未来記」であるとするのは、「今の勧持品は、未来は不軽品為る可し」の文と一致する。
さらに注目したいのが、⑫「……釈尊、我が因位の所行を引き載せて末法の始を勧励したもう。不軽菩薩既に法華経の為に杖木を蒙りて、忽に妙覚の極位に登らせたまいぬ。日蓮此の経の故に現身に刀杖を被むり二度遠流に当る、当来の妙果之を疑う可しや」である。
この文は、不軽の「杖木」を、日蓮が「刀杖」(勧持品)によって行ずることで、釈尊の因行を末法に再現し、現世・来世で妙覚の果徳を得るとの主張であるが、「杖木(瓦石)」=過去の不軽品、「刀杖」=今の勧持品=日蓮として、寺泊御書の記述と一致する。「瓦石」は直前に引用されているから、当文を「杖木(瓦石)を蒙りて」と読んで差し支えあるまい。これは⑦の文とも一致する。
以上のように見ていくと、件の「一偈」は、日蓮が勧持品・不軽品身読と同時に、かつそれを核として、自身を不軽菩薩と同一視していく形跡であると解釈できよう。特に受難を釈尊の因行(菩薩行)と見て、それを勧持・不軽品の媒介にしている点に注意したい。
そしてこれが、果たして日蓮による意図的な操作なのか、無意識に書き付けたものか、偶発的なものか、もはや本人に聞くしかないのだが、遺文に尋ねるならば⑭「過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり。今の勧持品は、未来は不軽品為る可し」の文と⑫の文は無視できないであろう。
また、「一偈」の文脈の直前で既に「杖木瓦石もて之を打擲せん」との不軽品の文=前掲②を正確に引いている点も注意したい。さらに寺泊御書で引かれた「向国王大臣婆羅門居士」と「数数見擯出」も、開目抄当該箇所*29に登場し、酷似した構成となっている。以上と⑦⑧の例をもって、ここでは一偈における「瓦石」の合成は日蓮の意図的な操作であると推測しておきたい。

おわりに
以上、開目抄における勧持品の引用文への不軽品の混入について考察してみた。勧持品・不軽品身読表明の過程は、日蓮が開目抄をはじめとする佐渡期で、どのようにして末法の教主たる意識*30を形成ないし宣明していったかを探る手掛かりになると言えよう。例えば、自身の受難による法華経身読が仏語に正当性を与えているとの主張は、不軽菩薩=釈尊の因行を、現在において勧持品・不軽品身読、特に竜の口の法難(「経ニ云有諸無智人悪口罵詈等加刀杖瓦石等云云」の端的かつ極致たる事象)によって、現実に末法に再現した、この事実、自身の体験に強く支えられていると、私は考えている。これと、久遠下種を受け釈尊滅後の弘教を託された上行菩薩の自覚とが相まって、末法における釈尊の因行の再現者という面で、日蓮自身に末法の教主であるとの意識が生まれたと推察でき、日蓮の造語「法華経の行者」にもそのような意味が込められていると解釈できよう。ただし上行菩薩の自覚の宣明は、開目抄の段階ではその文言からは積極的に見出せず、「観心本尊抄」等、他の著作に譲られているようである。
ともあれ、上行菩薩と不軽菩薩は日蓮自身の弘教・・の二面を表したもの*31ではあるが、同時に菩薩である以上、仏因の遂行者である。日蓮による二菩薩への自己同一視には、末法における仏因の探求が見られ、仏種論を錬成する基盤であるという意味で、両菩薩は(末法日蓮がしかと受けとめた)仏因の体現者である。この側面はさらに注目されてよいと問題提起し、本稿の結びとしたい。日蓮が言う「悦び」*32とは、教主釈尊の因行を末法追体験できた喜びだったのではないかと想像を膨らませている。
なお参考までに、真蹟は現存せず日朝本からのため文献学的には扱いに慎重になるが、「佐渡御書」の「日蓮は過去の不軽の如く、当世の人人は彼の軽毀の四衆の如し。人は替れども因は是一なり。父母を殺せる人、異なれども、同じ無間地獄におつ。いかなれば不軽の因を行じて日蓮一人釈迦仏とならざるべき」との文を掲げる*33。■

*1:翻刻底本、『開目抄 乾師対校本』(梅本正雄編、本満寺刊、昭和39年)81頁、後述。

*2:前掲『開目抄 乾師対校本』86頁、『新編日蓮大聖人御書全集』(創価学会版、以下御書全集と略記)203頁、『昭和定本日蓮聖人遺文』(立正大学日蓮教学研究所編、久遠寺刊、以下昭和定本と略記)561頁参照。遺文の引用は御書全集をもとに校訂を加え、中略する際は「……」で示した。

*3:「経に云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈等し、刀杖瓦石を加う」等云云」。『開目抄 乾師対校本』81頁、御書全集202頁、昭和定本559頁参照。

*4:妙法蓮華経並開結』(創価学会版、以下妙法華と略記)418頁。大正No.262, 9巻36頁b段23行-24行。

*5:「開目抄要文」上巻7丁裏、「経云、/有諸無智人、悪口罵詈等、加刀杖瓦石等云云、」、本間俊文「北山本門寺蔵『開目抄要文』について」(『日蓮教学研究所紀要』第44号、立正大学日蓮教学研究所、平成29年)39頁参照。ただし本間氏は、「開目抄要文」の底本は、日乾が対校に用いた身延曽存の開目抄ではなかったのではないかと考察している(同書18頁)。となれば、「瓦石」が混入された勧持品引用は、他の写本ないし真蹟にもあった可能性が高いと推測される。

*6:譬喩品の文は「生受楚毒 死被瓦石」(妙法華200頁、大正No.262, 9巻15頁c段5行)であり、法華経誹謗によって受ける罪報として挙げられている。

*7:妙法華369頁、大正No.262, 9巻32頁a段23行-24行。

*8:妙法華370頁、大正No.262, 9巻32頁b段2行-3行。

*9:妙法華558頁。大正No.262, 9巻50頁c段28行-29行。

*10:日蓮大聖人御書全集全文検索https://gosho-search.sokanet.jp/を使用。法師品の文を日蓮が無視したとは考え難いが、さほど関心を示していないようなので、勧持品・不軽品に吸収されたと推察しておくが、今後の探求課題としたい。

*11:真蹟及び直弟子写本のない以下は、考察の対象から外した。真蹟現存・曽存及び直弟子写本の重視は、遺文の記述・表記を考察の対象とする場合には不可欠であろうし、後段で私が試みる教理的な考察はともすると類推に堕しやすく一定の歯止めをかけるためである。
①「過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り」(如説修行抄、御書全集501頁、昭和定本732頁参照)
②「法華経には「諸の無智の人有り、悪口罵詈等し刀杖瓦石を加うる。乃至国王・大臣・婆羅門・居士に向つて乃至数数擯出せられん」等云云」(佐渡御書、御書全集960頁、昭和定本617頁参照)
③「或は云く「刀杖瓦石を加え」、或は「数数擯出せらる」等云云」(妙密上人御消息、御書全集1240頁、昭和定本1168頁参照)
④「彼は罵り打ちしかども、国主の流罪はなし。杖木瓦石はありしかども、疵をかほり頸までには及ばず。是は悪口・杖木は二十余年が間ひまなし、疵をかほり流罪・頸に及ぶ」(妙法比丘尼御返事、御書全集1416頁、昭和定本1566頁参照)。次の引用と同じく自身と不軽とを比較している。
⑤「勧持品に八十万億那由佗の菩薩の異口同音の二十行の偈は、日蓮一人よめり。誰か出でて日本国・唐土・天竺・三国にして仏の滅後によみたる人やある。又我よみたりとなのるべき人なし。又あるべしとも覚へず。「及加刀杖」の刀杖の二字の中に、もし杖の字にあう人はあるべし。刀の字にあひたる人をきかず。不軽菩薩は杖木瓦石と見えたれば、杖の字にあひぬ。刀の難はきかず。天台・妙楽・伝教等は刀杖不加と見えたれば、是又かけたり。日蓮は刀杖の二字ともにあひぬ。剰へ刀の難は前に申すがごとく東条の松原と竜口となり。一度もあう人なきなり。日蓮は二度あひぬ。杖の難にはすでにせうばうにつらをうたれしかども、第五の巻をもつてうつ。うつ杖も第五の巻、うたるべしと云う経文も五の巻、不思議なる未来記の経文なり」(上野殿御返事、御書全集1557頁、昭和定本1635頁参照)。不軽菩薩は日蓮のように刀の難には遭っていないと、自身を同一視してきながらも、ここでは不軽に難の不足を匂わす所に、勧持品の重要性も浮き彫りとなろう。不軽菩薩すら対比させて勧持品の「刀杖」身読を強調している点は大変興味深い。
以上においても②及び③の勧持品引用で「瓦石」が混入されている点は、開目抄と同様である。

*12:唱法華題目抄、御書全集14頁、昭和定本204頁参照、日興写本(部分)。

*13:開目抄、御書全集201頁、昭和定本557頁参照、後述、真蹟曽存。

*14:開目抄、御書全集230頁、昭和定本599頁参照。

*15:開目抄、御書全集231頁、昭和定本600頁参照。

*16:撰時抄、御書全集257頁、昭和定本1004頁参照、真蹟現存。

*17:四条金吾殿御返事、御書全集1163頁、昭和定本1361頁参照、日朝本だが引用箇所は真蹟断簡が現存。真蹟では「瓦石」は「瓦礫」のようである。

*18:四条金吾殿御返事、御書全集1182頁、昭和定本1668頁参照、真蹟断簡曽存、ただし引用箇所第八紙は欠落(日乾目録)。

*19:下山御消息、御書全集356頁、昭和定本1331頁参照、真蹟現存。

*20:顕謗法抄、御書全集448頁、昭和定本255頁参照、真蹟曽存、日乾対校本。

*21:顕仏未来記、御書全集507頁、昭和定本740頁参照、真蹟曽存。

*22:曾谷入道殿許御書、御書全集1026頁、昭和定本895-6頁参照、真蹟現存。

*23:波木井三郎殿御返事、御書全集1371頁、昭和定本746-7頁参照、日興写本。

*24:立正安国論広本、御書全集未収録、昭和定本1477頁参照、ここでは真蹟と見た。

*25:なお「経ニ云有諸無智人悪口罵詈等加刀杖瓦石等云云」について、兜木正亨は『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』(岩波書店)および『日蓮文集』(岩波文庫)で日乾本を底本にし、同文は「經に云、「有諸無智人 惡口罵詈」「加刀杖瓦石」等云云」(前者355頁。後者232頁)とカギ括弧で二文に分けて校訂し、両者とも勧持品二十行の偈、俗衆増上慢を指すと注している。「瓦石」に触れないあたり、兜木らしからぬ感が否めない。

*26:『開目抄 乾師対校本』81頁。御書全集202頁、昭和定本559頁参照。

*27:『開目抄 乾師対校本』81-2頁。御書全集、昭和定本同頁。

*28:御書全集953-4頁、昭和定本514-5頁参照、真蹟現存。

*29:『開目抄 乾師対校本』82-3頁。御書全集202頁、昭和定本560頁参照。

*30:開目抄の結論部分では「日蓮は日本国の諸人に」に続き、「しうし父母なり」(御書全集237頁、日寛「開目抄愚記」に依るか)、「主師父母也」(『平成校定日蓮大聖人御書』大石寺版、660頁、日存写本)、「シタシ父母也」(『開目抄 乾師対校本』241頁、昭和定本608頁参照)とある。

*31:例えば、ジャクリーン・ストーン「日蓮法華経」(『シリーズ日蓮 第1巻 法華経日蓮』春秋社、2014年)261頁参照。

*32:『開目抄 乾師対校本』85頁、御書全集203頁、昭和定本560頁参照。

*33:御書全集960頁、昭和定本617頁参照。不軽菩薩が釈尊の因位の修行の姿であることは経文から明らかであるし、前掲、日興写本が完存する⑫の文で充分であろう。本稿は大黒喜道氏の「事行の法門について(二)~(四)」(『興風』第七~九号、興風談所)から大いに着想を得た。氏の一連の論考は、氏も扱いを避けた佐渡御書の上記引用の内容的な妥当性を、結果的にでもあれ補強するものとなっていると思う。

日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑨

小考を記して本範囲の解題とするが、稿を改めた。「「開目抄」における法華経勧持品・不軽品の引用文の合成」を参照されたい。

(81)
カカタ〱ハシ而ニ法芲ノ第五ノ勧持品ノ二
十ノハ日タニモノ國ニ生スハホトヲト丗ハ大妄
語ノ人八十万億那由他ノ菩婆カ*1罪ニモ
墮ヌヘシニ云有諸无智人𢙣口罵詈等加刀
杖瓦石等云云*2今ノ丗ヲ見ルニ日ヨリ外ノ諸僧タレノ
人カ法芲ニツケテ諸人ニ𢙣口罵詈せラレ刀杖
等ヲ加ル者アル日ナクハノ未來
(82)
妄語トナリヌ𢙣丗中比丘邪智心謟*3
又云與白衣説法為丗㪽恭敬如六通羅
文ハ今ノ丗ノ念佛者禅宗律宗等ノ法ナク
ハ丗又大妄語ノ人*4常在大衆中乃至向
國王大臣婆羅門居士等今ノ丗ノ僧等日ヲ讒*5
𫝤シテ流罪せスハ此経文ムナシ又云數々見
出等云云日法芲ノユヘニ々ナカサレスハ
(83)*203頁
數々ノ二字イカンカせンノ二字ハ天台𫝊教イマ
タヨミ給ハス況人ヲヤ末法ノ始ノシルシ恐怖𢙣
丗中ノ金言ノアフユヘニ但日一人コレヲヨメリ例せハ
付法蔵云我滅後一百年ニ阿育
大王トイウ王アルヘシ摩耶云我滅後六百年ニ
龍樹菩トイウ人南天竺出ヘシ大悲云我滅
後六十年ニ末田池*6トイウ者地ヲ龍宮ニツクヘシ
(84)
等皆佛ノコトクナリキシカラスハ誰カ佛教ヲ信
受スヘキ而佛恐怖𢙣丗然後未來丗末世*7
法滅後五百歳ナント正妙二本ニ正ヲ定當
丗法華三類ノ強歒ナクハ誰カ佛説ヲ信受せン
ナクハ誰ヲカ法芲ノ行者トシテ佛語ヲタス
ケン南三北七々大寺等像法ノ法華ノ敵*8ノ内
何況當丗ノ禅律念佛者等脱ヘシヤ文ニ我カ
(85)
身普合せリ𢓦勘氣ヲカホレハイヨ〱悦ヲマス
ヘシ例せハ小乗ノ菩ノ未断惑ナルカ願兼於*9
申シテツクリタクナキ罪ナレトモ父母䓁ノ地獄ニ
墮テ大ヲウクルヲ見テカタノコトク其ノヲ造テ
願テ地獄ニ堕テ苦ニ同*10*11ニ代レルヲ悦トスルカコトシモ又カクノ
コトシ當ノ責ハタウヘクモナケレトモ未來ノ𢙣道ヲ脱ス
ラントヲモエハ悦ナリ但丗間ノトイ井自心ノト申イカテカ天
(86)
扶給サルラン諸天等ノ守神ハ佛ノ𢓦誓言ア
リ法芲ノ行者に*12ハサルニナリトモ法芲ノ行者ト号せハ〔カウシテ〕*13
早々ニ佛ノ𢓦誓言ヲトケントコソヲホスヘキニ其義
ナキハ我身法芲ノ行者ニアラサルカ此疑ハ此
書肝心一期ノ大事ナレハ𠙚々ニコレヲカク上ヲ強クシテ
ヲカマウヘシ李*14札トイ井シ者心ノヤクソクヲタカヘシト王ノ
重寳タル釼*15ヲ徐君カ墓〔塚〕ニカク王壽ト云人ハ河ノ水ヲ飲テ
(87)*204頁
金ノ鵞目ヲ水ニ入公トイ井シ人ハ腹*16ヲサイテ主君ノ肝ヲ入等ハ
䝨人ナリ恩ヲホウスルナルヘシ況舎利弗𫟒等ノ
大聖ハ二百五十戒三千ノ威儀一モカケス見思ヲ
断シ三ヲ離*17タル聖人也梵帝諸天ノ導一切衆
生ノ目ナリ而ニ四十年カ間永不成佛トステ
ハテラレテアリシカ法芲ノ不死ノ良藥ヲナメテ燋
種ノ生破石ノ合枯木菓ナント「成熟」〔御本ニ無シ〕*18せルカコトク
(88)
佛ニナルヘシト許テイマタ八相ヲトナエスイカテカ
重㤙ヲハホウせサラン𠰥ホウせスハ彼々ノ䝨人ニモヲトリテ
不知㤙ノ畜生ナルヘシ毛寳カ龜*19ハアヲノ㤙ヲワスレス
昆明池ノ大魚ハ命ノ㤙ホウせント明珠ヲ夜中ニサヽケ
タリ畜生㤙ヲホウス何況大聖ヲヤ阿難尊
斛飯王ノ次男羅睺羅者浄飯王ノ孫ナリ人中ニ
家髙キ證果ノ身トナツテ成佛ヲヲ*20サヘラレタリシニ八
(89)
年ノ霊山ノ席*21ニテ山海恵踏*22七宝芲ナント如來
号ヲサツケラレ給𠰥法芲マシマサスハイカニイエ
タカク大聖ナリトモ誰カ恭敬シタテマツルヘキ夏*23ノ桀*24殷ノ紂ト申ハ
万乗ノ主圡𫞖ノ帰依ナリシカレ*25トモ政アシクシテ丗ヲホロ
ホせシカハ今ニワルキモノヽ手本ニハ紂々々トコソ
申せ下賎ノ者癩病ノ者モ紂ノコトシトイワレヌレハノラ
レタリトタツナリ千二百無量ノ聲聞ハ法芲マシ
(90)
マサスハ誰カ名ヲモキクヘキ其音ヲモ習ヘキ一千ノ
聲聞一切ヲ結集せリトモ見ル人モヨモアラシ
マシテ等ノ人々ヲ絵*26像木像ニアラハ〔ワ〕シテ本
仰ヘシヤ偏ニ法芲ノ𢓦力ニヨテ一切ノ羅
依せラレサせ給ナルヘシ諸ノ聲聞法芲ヲハナレサせ
給ナハ魚ノ水ヲハナレ𫞤*27ノ木ヲハナレ少*28兒ノ乳ヲハナ
レ𫞖ノ王ヲハナレタルカコトシイカテカ法華ノ行者ヲステ■

つづく

*1:→誑。直前の那由「他」もそうだが、昭和定本では注釈が漏れている。

*2:「開目抄」における法華経勧持品・不軽品の引用文の合成」を参照。

*3:=諂

*4:法華経勧持品の二十行の偈中、僭聖増上慢に念仏者、禅宗律宗等の法師を挙げているが、彼ら逆縁の者をも仏語に正当性を与える担い手と捉えていることは興味深い。

*5:異体字、俗字。u2ff0-u8a00-u2b94e

*6:→地。SATで用例を調べたら凝然『淨土法門源流』にのみ「末田池」(大正No.2687, 84巻194頁b段6行)があった。

*7:御書全集に「未来世」はない。

*8:ママ

*9:異体字。u2da99-j

*10:○の右脇に「苦ニ同」。

*11:直前の校訂による「苦」と字体が異なる好例。

*12:尓をくずした仮名。

*13:親文字「号せハ」に削除跡は見えない。

*14:→季

*15:=剣

*16:異体字。otakusei_hkrm-02118721

*17:保留

*18:〔御本二無(シ)〕とする範囲を「」で示すこととする。

*19:=亀

*20:親文字「オ」を削除し「ヲ」に。直前の「ヲ」と比較し対校の字体が異なる好例。

*21:廗に近いが異なる。グリフウィキ、異体字解読字典にもない。

*22:日部が旧の異体字。zihai-142105

*23:異体字。u590f-07-itaiji-001

*24:異体字

*25:○右脇にレ。

*26:異体字。tomm_u7e6a。≒繪

*27:=猿

*28:→小

日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑧

日蓮自身の誓願が明かされる。また天台大師や伝教大師よりも自身の慈悲が優れているとまで宣言しておきながら、一転して天の加護がない、自分は法華経の行者ではないのか?と自問する。この落差、起伏、うねりに圧倒されるが、当時の「今日切る、あす切る」(報恩抄、御書全集323頁参照)と言われる状況で、日蓮が命懸けで自身の内心、境地、「魂魄」(開目抄、本稿底本182頁)を留め遺すのは、この表現でこそ成し得るのかもしれないと拝察している。
(71)
ナントハ忍シ䄇ニ権大乗實大乗極タル
ヤウナル道綽法然等カコトクナル𢙣魔ノ
身ニ入タル者法芲ヲツヨクホメアケ機ヲアナカチニ
下理解微ト立未有一人得者千中无一等ト
スカシヽモノニ无量生カ間恒河沙*1スカサレテ権
ニ堕ヌ権ヨリ小乗ニ堕ヌ外道外典ニ堕ヌ結句ハ
𢙣道ニ墮*2ケリト深此ヲシレリ日本国ニヲシレル者
(72)
但日一人ナリコレヲ一言モ申出スナラハ父母
兄弟師匠國主王必來ヘシイワスハ慈悲ナキニ
ニタリト思惟スルニ法芲涅槃等ニ二𨕙ヲ
*3見ルニイワスワ今生ハ叓*4ナクトモ後生ハ必无間地獄ニ
墮ヘシイウナラハ三障四魔必竸*5ルヘシトシヌ*6
𨕙ノ中ニハイウヘシ王等出來ノハ退スヘクハ一
ニ思止ヘシト且ヤスライシ䄇ニ寳品ノ六九易
(73)
コレナリ我等䄇ノ小力ノ者湏弥山ハナクトモ我等
䄇ノ無通ノ者乾草ヲ負*7テ劫火ニハヤケストモ我等䄇ノ無
智ノ者恒沙ノ々ヲハヨミヲホウトモ法華
一句一末代ニ持カタシトトカルヽハコレナルヘシ今
度強ノ菩心ヲヲコシテ退せシト願シヌ既ニ二十
年カ間法門ヲ申ニ日々月々年々ニカサナル
少々ノハカスシラス大事ノナリ二
(74)*201頁
シハラクヲク王ステニ二ニヲヨフ今ハステニ我身命ニ及
其上弟子トイ井𣞀那トイ井ワツカノ聴聞ノ俗人ナント
來テ重科ニ行ル謀ナントノ者ノコトシ法芲第四云
此経者如來現在多怨嫉況滅後等
云云第二云見有讀誦書持賎憎嫉而
懐結恨等云云第五云一切丗間多怨信等云云
又云有諸无智人𢙣口罵詈等又云向國王大
(75)
臣婆羅門居士*8誹謗説我𢙣謂
是邪見人又云數々見擯*9出等云云又云
杖木瓦石而打擲之等云云涅槃云尓
有リ無量*10外道和合*11ニ往摩訶國ノ王阿闍卋ノ
㪽ニ今マ唯有リ一ノ大𢙣人瞿曇沙門一切丗間ノ
𢙣人為ノ利養ノ故ニ往集其ノ所ニ而為*12属ト不䏻
*13術ノ力ノ故ニ調𫟒及ヒ舎利弗目犍*14連等云云
(76)
疏八*15天台云何況未來ヲヤ理在化シ也等云云妙樂云
障未除者ヲ為シ怨ト不喜テ聞者ヲ名嫉ト等云云南三北
七之十師圡無量学者天台ヲ怨歒トス得一
云咄哉智公汝是誰カ弟子ソ以テ三寸ニ舌根ヲ
而謗ス覆面舌ノ之㪽説ヲ等云云東春云問在
丗ノ許多怨嫉佛滅度ノ後説此経何故ソ亦
多キ留如キハ俗ノ言カ良藥苦〔ニ〕カシ口ニ此経ハ廃*16
(77)
五乗ノ*17之異*18執ヲ立ルカ一極ノ之玄宗故ニ斥〔ソシリ〕*19ヲ呵*20〔カシ〕聖ヲ排〔ハライ〕
ヲ破小ヲ銘〔ナツケテ〕*21天魔ヲ為シ毒䖝ト説テ外道ヲ為シ𢙣鬼*22貶〔ソシツテ〕
小ヲ為シ貧賎ト拙〔せツ□〕*23〔ハチシメテ〕*24為ス新学ト故ニ天魔𢙣〔ニクミ〕聞ヿヲ*25外道ハ
耳ニ二乗驚恠*26シ菩ハ怯〔カウ〕行ス如之徒ラヲ𢘻ク為ス
多怨嫉ノ言豈ニ唐哉等云云顕戒ニ云僧
統奏*27曰西〔せイ〕夏*28〔トニ〕有リ弁婆羅門東圡ニ吐ク巧言〔ケンヲ〕禿〔トク〕
頭〔ツノ〕*29〔トウ〕*30沙門レ乃チ物類冥*31召誑惑ス丗間ヲ等云云論曰*32
(78)*202頁
昔ハ聞ク齊*33〔せイ〕朝之光統今ハ見ル本朝之六〔ロク〕統實ナル哉法芲ノ
何況也等云云秀句云語代則像ノ終末ノ初メ尋ハ地ヲ
唐ノ東羯*34〔カツ〕ノ西原ヘハ人則五濁ノ之生闘諍ノ之時ニ云
多怨嫉況滅ノ言良有以也䓁云云夫小
兒ニ灸治ヲ加ハ必父母ヲアタム重病ノ者良藥ヲアタウレハ
定口ニトウレウ在丗ヲシカリ乃至像末𨕙
土ヲヤ山ニ山ヲカサ子波ニ波ヲタヽミヲ加非ニ々ヲマスヘシ
(79)
像法ノ中ニハ天台一人法芲一切經*35ヲヨメリ南北コレヲ
アタミシカトモ陳隋二代ノ聖主前ニ是非ヲ明メ
シカハ歒ツイニ盡像ノ末ニ傳*36教一人法芲
一切ヲ佛説ノコトク讀給ヘリ南都七大
寺蜂*37せシカトモ桓武乃至嵯*38峨等ノ䝨主我ト
明給シカハ又事ナシ今末法ノ始二百年ナリ
況滅後ノシルシニ闘諍*39ノ序トナルヘキユエニ非□理ヲ
(80)
シテ濁丗ノシルシニ召合セ*40ラレスシテ流罪乃至壽ニモ
ヲヨハントスルナリサレハ日蓮カ法芲ノ智解ハ天台
傳教ニハ千万カ一分モ及事ナケレトモヲ忍ヒ慈悲*41
クレタル事*42ヲソレヲモイタキヌヘシ定テ天ノ𢓦
計ニモアツカルヘシト存スレトモ一分ノシルシモナシイヨ〱
重科ニ沉*43還テ事計ミレハ我身ノ法芲ノ行者ニ
アラサルカ又諸天神等ノ國ヲステヽ去給ル■

つづく

*1:これまで複数回出現し確認を進めた結果、既出も異体字u2ff8-u5e7f-u2ff1-u9fb7-u53c8であると判断できる。

*2:=堕

*3:直後に「せ」があるが削除跡がある。

*4:=事

*5:=競

*6:「しぬ」ではあるが、親文字「知ン」を「シ」に替えているから、校定後の読みは「し(知)んぬ」がよいと思われる。

*7:異体字。aj1-14005。≒𧴥

*8:「及比丘衆」を削除。

*9:異体字。linchuyi_hkrm-03046840

*10:直後に「ノ」がありそうだが削除点がある。後注参照。

*11:「ノ」に小さな削除点があるように見える。ここは文章的に「ノ」はあり得ず、その形が直前の「ノ」の削除点と類似していることから、直前の「ノ」も削除と見なせると判断した。

*12:異体字。u7737-g

*13:=呪

*14:○の右脇に犍。

*15:ただし疏は偏がない。「疏八」は「天台云」の右脇にある。これは『法華文句』巻八上を指すと考えられる(大正No.1718, 34巻110頁b段14行)。「疏八」に削除線らしきものはなく厳然と記されているが、大体の遺文集を調べたが拾われていないようである。注記と解されたのだろうか。

*16:まだれの下部は「祭の上部+放」である異体字。≒廢

*17:ここからしばらく「ノ之」という表記が続くが、読みが重複すること、また「ノ」(脇書き)の形が通常よりも長いことが不審である。

*18:下部・共が異体字u5171-itaiji-002であるが、グリフウィキにはない。異体字解読字典にもない。

*19:ここから振り仮名が急増する。

*20:口と可を上下に配する異体字。u2d1ce-jv。=呵

*21:左脇に付す。

*22:一画目の点がない異体字。u2ff1-u7530-u2ffa-u513f-u53b6-var-001。=鬼

*23:右脇に付す。

*24:左脇に付す。

*25:遺文集は「聞くを悪み」が多いが「ク(=く)」よりも「ヿ」に見え、「聞くことを悪む」と読める。

*26:=怪

*27:異体字。≒𫝤

*28:異体字。u2d423-j

*29:右脇に付す。

*30:左脇に付す。

*31:冖+具の異体字。u2d077-j

*32:○があるが不明。

*33:=斉

*34:異体字。u7faf-ue0103

*35:訂正部分であるが、この日乾筆の「經」字は、字体、筆跡が親文字と異なることが端的にわかる一例と言えよう。当然ではあるが、改めてこの日乾対校本の大部分は日乾筆ではないと銘記したい。

*36:𫝊ではない。

*37:グリフウィキ、異体字解読字典ともにないが、後者収録の俗字に近い。

*38:山部に横棒があるように見えるが、これで進める。

*39:旁が争である異体字。u8acd-g

*40:ママ

*41:直後の「ノ」は明らかに二重線で消されているが、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修は拾っている。昭和定本は縮刷遺文を、平成校定は昭和新定を、平成新修の真蹟曽存書は昭和定本を、それぞれ底本とするので、日乾本が底本でない以上、表記に瑕疵があるわけではないものの、昭和定本や平成校定では異同を注記すべきであったと言えよう。「の」は、高祖遺文録にはないが、縮刷遺文にはある。日乾本を底本とする『日蓮文集』にはない。同様の事象は、次注に述べる「は」にも見られる。平成7年発行の平成新修が部分的に昭和定本を底本とすることから、昭和定本の底本である明治37年刊の縮刷遺文の影響が現在にも及んでいることは見逃せない。

*42:直後の「ハ」は明らかに消されていると見えるが、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修は拾っている。削除点ではなく墨が落ちた跡と見たのだろうか。「は」は、高祖遺文にないが、縮刷遺文にはある。『日蓮文集』にはない。

*43:=沈