七円玉の読書記録

Researching on Nichiren, the Buddhist teacher in medieval Japan. Twitter @taki_s555

「開目抄」における法華経勧持品・不軽品の引用文の合成

日蓮「開目抄」:日乾による対校本の翻刻⑧」の範囲で、日蓮(1222-82)は、自身の忍難と慈悲は天台・伝教に優れていると言っておきながら、すぐさま一転して、私は法華経の行者ではないのか?と疑問を呈した。翻刻⑨では、また一転して、法華経勧持品の文*1を引き、私こそがこの文を読んだと、さらなる確度をもって言い切ることで、法華経身読のみならず、自身の法華経弘通と忍難が、むしろ仏語に正当性を与えていると宣言している。そしてはたまた「我が身、法華経の行者にあらざるか。此の疑は此の書の肝心、一期の大事なれば、処処にこれをかく上、疑を強くして答をかまうべし」*2と追究を深めてゆく。日蓮による造語「法華経の行者」には、こうした筆致を重ねることで、意味に厚みが生まれていることを改めて確認した次第である。

勧持品に混入された「瓦石」
さて本稿では、この勧持品の引用文から、日蓮による勧持品・不軽品身読の過程について理解するためのヒントが得られそうなので、小考を加えたい。
件の勧持品の文「経ニ云有諸無智人悪口罵詈等加刀杖瓦石等云云」*3は、経文通りの引用ではない。日乾本の対校前は「経ニ云有諸無智人悪口罵詈等及加刀杖者等云云」であり、勧持品の経文通り*4であるが、真蹟対校によって「及」を削り「者」を「瓦石」に置き換えた跡がある。したがって勧持品の文をそのまま引用せず「瓦石」を加えたのは、明らかに日蓮筆であると確認できる。さらに直弟子日興(1246-1333)が開目抄に引用される経釈等を採録した「開目抄要文」における当該箇所も同様である点は、傍証となり得よう*5
「瓦石」は妙法蓮華経に四カ所登場するが、譬喩品の文は開目抄の当該文脈には直接関係がないので除外した上で*6、残りは法師品に二カ所、不軽品に一カ所、確認される。
法師品の文を以下に掲げる。
①「若説此経時 有人悪口罵 加刀杖瓦石 念仏故応忍」*7
②「若人欲加悪 刀杖及瓦石 則遣変化人 為之作衛護」*8
不軽品の文を以下に掲げる。
③「説是語時、衆人或以杖木・瓦石而打擲之」*9
さて勧持品に混入された「瓦石」はこのうちどれが妥当だろうか。日蓮遺文の用例としては、①②から「瓦石」を引用した例は見当たらない*10
「瓦石」はむしろ決まって不軽菩薩の受けた迫害として記されている。ここでは真蹟現存・曽存及び直弟子写本がある文を掲げる*11
①「又一経の内に凡有所見、我深敬汝等等と説いて、不軽菩薩の杖木瓦石をもつてうちはられさせ給いしをば顧みさせ給はざりしは如何と申させ給へ」*12
②「又云く「杖木瓦石もて之を打擲せん」等云云」*13
③「不軽品に云く「悪口罵詈」等、又云く「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云」*14
④「不軽菩薩は過去に法華経を謗じ給う罪、身に有るゆへに、瓦石をかほるとみへたり」*15
⑤「今反詰して云く、不軽品に云く……又云く「衆人、或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云」」*16
⑥「設い日蓮一人は杖木・瓦石・悪口・王難をも忍ぶとも、妻子を帯せる無智の俗なんどは争か叶うべき」*17
⑦「過去を尋ぬれば不軽菩薩に似たり。現在をとぶらうに加刀杖瓦石にたがう事なし」*18
⑧「加刀杖瓦石・数数見擯出の文に任せて流罪せられ刀のさきにかかりなば、法華経一部よみまいらせたるにこそとおもひきりて、わざと不軽菩薩の如く覚徳比丘の様に竜樹菩薩・提婆菩薩・仏陀密多・師子尊者の如く弥強盛に申しはる」*19
⑨「法華経第七に云く「……或は杖木瓦石を以て之れを打擲す……」*20
⑩「又云く「杖木瓦石をもつて之を打擲す」」*21
⑪「法華経第七の巻不軽品に云く……又云く「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云」*22
⑫「仏、不軽品に自身の過去の現証を引いて云く「爾の時に一りの菩薩有り、常不軽と名く」等云云。又云く「悪口罵詈等せらる」。又云く「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云。釈尊、我が因位の所行を引き載せて末法の始を勧励したもう。不軽菩薩既に法華経の為に杖木を蒙りて、忽に妙覚の極位に登らせたまいぬ。日蓮此の経の故に現身に刀杖を被むり二度遠流に当る、当来の妙果之を疑う可しや*23
⑬「同第七に云く「……衆人、或は杖木瓦石を以て之を打擲す。……」已上」*24
以上、遺文における日蓮の問題意識の表明から見れば、先の勧持品に混入させた「瓦石」は、不軽品のものと見るのが妥当と言えよう*25。しかも⑦⑧の文においても同じ操作がされていることが注目される。

「一偈」に見る勧持品と不軽品の連関
その上で、不軽品を混入させた勧持品の引用文を、日蓮は「一偈」*26と見なし、「日蓮なくば此の一偈の未来記、妄語となりぬ」*27と言い切る。
次に、この「一偈」について考察を加えてみたい。まず佐渡流罪直前に書かれた「寺泊御書」の以下の文に着目したい。
⑭「勧持品に云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈し」等云云。日蓮、此の経文に当れり。汝等何ぞ此の経文に入らざる。「及び刀杖を加うる者」等云云。日蓮は此の経文を読めり。汝等何ぞ此の経文を読まざる。「常に大衆の中に在つて我等が過を毀らんと欲す」等云云。「国王大臣婆羅門居士に向つて」等云云。「悪口して顰蹙し、数数擯出せられん」。「数数」とは度度なり。日蓮、擯出衆度、流罪は二度なり。法華経は三世の説法の儀式なり。過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり。今の勧持品は、未来は不軽品為る可し。其の時は日蓮は即ち不軽菩薩為る可し*28
ここに引かれた勧持品の文は経文通りであるが、その直後で日蓮は、不軽品を引用こそしていないので唐突な感はあるが、「過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり」として、勧持品と不軽品を三世の説法の儀式において同一視し、さらに自身を不軽菩薩と同一視している。
こう見ていくと、「経ニ云有諸無智人悪口罵詈等加刀杖瓦石等云云」は「過去の不軽品」にある「瓦石」を、「今の勧持品」に混入させていると解することができるのではないか。なお勧持品の一偈が「未来記」であるとするのは、「今の勧持品は、未来は不軽品為る可し」の文と一致する。
さらに注目したいのが、⑫「……釈尊、我が因位の所行を引き載せて末法の始を勧励したもう。不軽菩薩既に法華経の為に杖木を蒙りて、忽に妙覚の極位に登らせたまいぬ。日蓮此の経の故に現身に刀杖を被むり二度遠流に当る、当来の妙果之を疑う可しや」である。
この文は、不軽の「杖木」を、日蓮が「刀杖」(勧持品)によって行ずることで、釈尊の因行を末法に再現し、現世・来世で妙覚の果徳を得るとの主張であるが、「杖木(瓦石)」=過去の不軽品、「刀杖」=今の勧持品=日蓮として、寺泊御書の記述と一致する。「瓦石」は直前に引用されているから、当文を「杖木(瓦石)を蒙りて」と読んで差し支えあるまい。これは⑦の文とも一致する。
以上のように見ていくと、件の「一偈」は、日蓮が勧持品・不軽品身読と同時に、かつそれを核として、自身を不軽菩薩と同一視していく形跡であると解釈できよう。特に受難を釈尊の因行(菩薩行)と見て、それを勧持・不軽品の媒介にしている点に注意したい。
そしてこれが、果たして日蓮による意図的な操作なのか、無意識に書き付けたものか、偶発的なものか、もはや本人に聞くしかないのだが、遺文に尋ねるならば⑭「過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり。今の勧持品は、未来は不軽品為る可し」の文と⑫の文は無視できないであろう。
また、「一偈」の文脈の直前で既に「杖木瓦石もて之を打擲せん」との不軽品の文=前掲②を正確に引いている点も注意したい。さらに寺泊御書で引かれた「向国王大臣婆羅門居士」と「数数見擯出」も、開目抄当該箇所*29に登場し、酷似した構成となっている。以上と⑦⑧の例をもって、ここでは一偈における「瓦石」の合成は日蓮の意図的な操作であると推測しておきたい。

おわりに
以上、開目抄における勧持品の引用文への不軽品の混入について考察してみた。勧持品・不軽品身読表明の過程は、日蓮が開目抄をはじめとする佐渡期で、どのようにして末法の教主たる意識*30を形成ないし宣明していったかを探る手掛かりになると言えよう。例えば、自身の受難による法華経身読が仏語に正当性を与えているとの主張は、不軽菩薩=釈尊の因行を、現在において勧持品・不軽品身読、特に竜の口の法難(「経ニ云有諸無智人悪口罵詈等加刀杖瓦石等云云」の端的かつ極致たる事象)によって、現実に末法に再現した、この事実、自身の体験に強く支えられていると、私は考えている。これと、久遠下種を受け釈尊滅後の弘教を託された上行菩薩の自覚とが相まって、末法における釈尊の因行の再現者という面で、日蓮自身に末法の教主であるとの意識が生まれたと推察でき、日蓮の造語「法華経の行者」にもそのような意味が込められていると解釈できよう。ただし上行菩薩の自覚の宣明は、開目抄の段階ではその文言からは積極的に見出せず、「観心本尊抄」等、他の著作に譲られているようである。
ともあれ、上行菩薩と不軽菩薩は日蓮自身の弘教・・の二面を表したもの*31ではあるが、同時に菩薩である以上、仏因の遂行者である。日蓮による二菩薩への自己同一視には、末法における仏因の探求が見られ、仏種論を錬成する基盤であるという意味で、両菩薩は(末法日蓮がしかと受けとめた)仏因の体現者である。この側面はさらに注目されてよいと問題提起し、本稿の結びとしたい。日蓮が言う「悦び」*32とは、教主釈尊の因行を末法追体験できた喜びだったのではないかと想像を膨らませている。
なお参考までに、真蹟は現存せず日朝本からのため文献学的には扱いに慎重になるが、「佐渡御書」の「日蓮は過去の不軽の如く、当世の人人は彼の軽毀の四衆の如し。人は替れども因は是一なり。父母を殺せる人、異なれども、同じ無間地獄におつ。いかなれば不軽の因を行じて日蓮一人釈迦仏とならざるべき」との文を掲げる*33。■

*1:翻刻底本、『開目抄 乾師対校本』(梅本正雄編、本満寺刊、昭和39年)81頁、後述。

*2:前掲『開目抄 乾師対校本』86頁、『新編日蓮大聖人御書全集』(創価学会版、以下御書全集と略記)203頁、『昭和定本日蓮聖人遺文』(立正大学日蓮教学研究所編、久遠寺刊、以下昭和定本と略記)561頁参照。遺文の引用は御書全集をもとに校訂を加え、中略する際は「……」で示した。

*3:「経に云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈等し、刀杖瓦石を加う」等云云」。『開目抄 乾師対校本』81頁、御書全集202頁、昭和定本559頁参照。

*4:妙法蓮華経並開結』(創価学会版、以下妙法華と略記)418頁。大正No.262, 9巻36頁b段23行-24行。

*5:「開目抄要文」上巻7丁裏、「経云、/有諸無智人、悪口罵詈等、加刀杖瓦石等云云、」、本間俊文「北山本門寺蔵『開目抄要文』について」(『日蓮教学研究所紀要』第44号、立正大学日蓮教学研究所、平成29年)39頁参照。ただし本間氏は、「開目抄要文」の底本は、日乾が対校に用いた身延曽存の開目抄ではなかったのではないかと考察している(同書18頁)。となれば、「瓦石」が混入された勧持品引用は、他の写本ないし真蹟にもあった可能性が高いと推測される。

*6:譬喩品の文は「生受楚毒 死被瓦石」(妙法華200頁、大正No.262, 9巻15頁c段5行)であり、法華経誹謗によって受ける罪報として挙げられている。

*7:妙法華369頁、大正No.262, 9巻32頁a段23行-24行。

*8:妙法華370頁、大正No.262, 9巻32頁b段2行-3行。

*9:妙法華558頁。大正No.262, 9巻50頁c段28行-29行。

*10:日蓮大聖人御書全集全文検索https://gosho-search.sokanet.jp/を使用。法師品の文を日蓮が無視したとは考え難いが、さほど関心を示していないようなので、勧持品・不軽品に吸収されたと推察しておくが、今後の探求課題としたい。

*11:真蹟及び直弟子写本のない以下は、考察の対象から外した。真蹟現存・曽存及び直弟子写本の重視は、遺文の記述・表記を考察の対象とする場合には不可欠であろうし、後段で私が試みる教理的な考察はともすると類推に堕しやすく一定の歯止めをかけるためである。
①「過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り」(如説修行抄、御書全集501頁、昭和定本732頁参照)
②「法華経には「諸の無智の人有り、悪口罵詈等し刀杖瓦石を加うる。乃至国王・大臣・婆羅門・居士に向つて乃至数数擯出せられん」等云云」(佐渡御書、御書全集960頁、昭和定本617頁参照)
③「或は云く「刀杖瓦石を加え」、或は「数数擯出せらる」等云云」(妙密上人御消息、御書全集1240頁、昭和定本1168頁参照)
④「彼は罵り打ちしかども、国主の流罪はなし。杖木瓦石はありしかども、疵をかほり頸までには及ばず。是は悪口・杖木は二十余年が間ひまなし、疵をかほり流罪・頸に及ぶ」(妙法比丘尼御返事、御書全集1416頁、昭和定本1566頁参照)。次の引用と同じく自身と不軽とを比較している。
⑤「勧持品に八十万億那由佗の菩薩の異口同音の二十行の偈は、日蓮一人よめり。誰か出でて日本国・唐土・天竺・三国にして仏の滅後によみたる人やある。又我よみたりとなのるべき人なし。又あるべしとも覚へず。「及加刀杖」の刀杖の二字の中に、もし杖の字にあう人はあるべし。刀の字にあひたる人をきかず。不軽菩薩は杖木瓦石と見えたれば、杖の字にあひぬ。刀の難はきかず。天台・妙楽・伝教等は刀杖不加と見えたれば、是又かけたり。日蓮は刀杖の二字ともにあひぬ。剰へ刀の難は前に申すがごとく東条の松原と竜口となり。一度もあう人なきなり。日蓮は二度あひぬ。杖の難にはすでにせうばうにつらをうたれしかども、第五の巻をもつてうつ。うつ杖も第五の巻、うたるべしと云う経文も五の巻、不思議なる未来記の経文なり」(上野殿御返事、御書全集1557頁、昭和定本1635頁参照)。不軽菩薩は日蓮のように刀の難には遭っていないと、自身を同一視してきながらも、ここでは不軽に難の不足を匂わす所に、勧持品の重要性も浮き彫りとなろう。不軽菩薩すら対比させて勧持品の「刀杖」身読を強調している点は大変興味深い。
以上においても②及び③の勧持品引用で「瓦石」が混入されている点は、開目抄と同様である。

*12:唱法華題目抄、御書全集14頁、昭和定本204頁参照、日興写本(部分)。

*13:開目抄、御書全集201頁、昭和定本557頁参照、後述、真蹟曽存。

*14:開目抄、御書全集230頁、昭和定本599頁参照。

*15:開目抄、御書全集231頁、昭和定本600頁参照。

*16:撰時抄、御書全集257頁、昭和定本1004頁参照、真蹟現存。

*17:四条金吾殿御返事、御書全集1163頁、昭和定本1361頁参照、日朝本だが引用箇所は真蹟断簡が現存。真蹟では「瓦石」は「瓦礫」のようである。

*18:四条金吾殿御返事、御書全集1182頁、昭和定本1668頁参照、真蹟断簡曽存、ただし引用箇所第八紙は欠落(日乾目録)。

*19:下山御消息、御書全集356頁、昭和定本1331頁参照、真蹟現存。

*20:顕謗法抄、御書全集448頁、昭和定本255頁参照、真蹟曽存、日乾対校本。

*21:顕仏未来記、御書全集507頁、昭和定本740頁参照、真蹟曽存。

*22:曾谷入道殿許御書、御書全集1026頁、昭和定本895-6頁参照、真蹟現存。

*23:波木井三郎殿御返事、御書全集1371頁、昭和定本746-7頁参照、日興写本。

*24:立正安国論広本、御書全集未収録、昭和定本1477頁参照、ここでは真蹟と見た。

*25:なお「経ニ云有諸無智人悪口罵詈等加刀杖瓦石等云云」について、兜木正亨は『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』(岩波書店)および『日蓮文集』(岩波文庫)で日乾本を底本にし、同文は「經に云、「有諸無智人 惡口罵詈」「加刀杖瓦石」等云云」(前者355頁。後者232頁)とカギ括弧で二文に分けて校訂し、両者とも勧持品二十行の偈、俗衆増上慢を指すと注している。「瓦石」に触れないあたり、兜木らしからぬ感が否めない。

*26:『開目抄 乾師対校本』81頁。御書全集202頁、昭和定本559頁参照。

*27:『開目抄 乾師対校本』81-2頁。御書全集、昭和定本同頁。

*28:御書全集953-4頁、昭和定本514-5頁参照、真蹟現存。

*29:『開目抄 乾師対校本』82-3頁。御書全集202頁、昭和定本560頁参照。

*30:開目抄の結論部分では「日蓮は日本国の諸人に」に続き、「しうし父母なり」(御書全集237頁、日寛「開目抄愚記」に依るか)、「主師父母也」(『平成校定日蓮大聖人御書』大石寺版、660頁、日存写本)、「シタシ父母也」(『開目抄 乾師対校本』241頁、昭和定本608頁参照)とある。

*31:例えば、ジャクリーン・ストーン「日蓮法華経」(『シリーズ日蓮 第1巻 法華経日蓮』春秋社、2014年)261頁参照。

*32:『開目抄 乾師対校本』85頁、御書全集203頁、昭和定本560頁参照。

*33:御書全集960頁、昭和定本617頁参照。不軽菩薩が釈尊の因位の修行の姿であることは経文から明らかであるし、前掲、日興写本が完存する⑫の文で充分であろう。本稿は大黒喜道氏の「事行の法門について(二)~(四)」(『興風』第七~九号、興風談所)から大いに着想を得た。氏の一連の論考は、氏も扱いを避けた佐渡御書の上記引用の内容的な妥当性を、結果的にでもあれ補強するものとなっていると思う。