日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑫=開目抄下
今回から下巻となる。便宜上、130頁まで翻刻する。
上下巻それぞれの冒頭と終わりの「開目抄上巻」「開目抄下巻」は棒線で削除されており、日蓮自身が上下に分巻した筆跡がなかったことになるから、身延山所蔵の真蹟は全部通しで一巻であったと解されている。一方で、題紙あるいは扉には「開目抄上」「開目抄下」と記されて分巻されているが、これは日乾筆ではなく元の写本の筆である。
下巻冒頭の「善無畏三蔵の法華経の肝心真言」については、前回・上巻末の具足義の一環であり、かつ諸本で異同があって課題が多いので、これも時間をかけて研究し、後日別稿で考察したい。
とは言え具足義については、釈尊の誓願成就との関連で、注にコメントを書き入れた。これは、私のライフワークたる関心領域の一つが「法華経に説かれる誓願とその日蓮による継承・成就」であることによる。
(中扉)
開目抄下*1
(114)
*2
付法蔵第十三真言芲厳諸宗ノ元祖本地
法雲自在王如來*3迹ニ龍猛菩薩初地ノ大聖ノ大
智度論千巻ノ肝心云薩者六也*4等云云妙法蓮
芲経ト申ハ漢語也月支ニハ薩達磨分陁利迦*5蘇*6多
攬*7ト申善无畏三蔵ノ法華経ノ肝心真言云曩謨*8
三〔サ〕曼〔マ〕陁普佛陁 *9唵〔□*10ン〕三身如來 阿々暗〔アン〕悪*11〔□*12ク〕開示悟入 薩〔サル〕縛〔ハ〕勃〔ホ〕
(115)
陁〔タ〕枳〔キ〕攘〔ナウ〕知 娑*13乞〔キ〕蒭〔シユ〕毗*14〔ヒ〕耶〔ヤ〕見 誐〔キヤ〕々曩〔ナウ〕娑〔バ〕縛〔バ〕如虚空性
羅〔アラ〕〔ラ〕*15乞〔キ〕叉*16〔シヤ〕你*17〔ニ〕離塵相也 薩〔サツ〕哩〔リ〕達〔タル〕摩〔マ〕正法也 浮〔フ〕〔ホ〕*18陁〔タ〕里〔リ〕迦〔キヤ〕白蓮
華 蘇*19〔ソ〕駄〔タ〕覧*20〔ラン〕経 惹〔シヤク〕*21入 吽〔ウン〕遍 鑁*22〔バン〕作 発〔コク〕歓喜 縛〔バ〕曰〔ザ〕羅〔ラ〕堅固
羅〔アラ〕〔ラ〕*23乞〔キ〕叉〔シヤ〕鋡擁護*24 娑*25婆*26訶〔カ〕决定成就 此真言ハ南天竺ノ䥫*27
塔ノ中ノ法芲経ノ肝心ノ真言也*28此真言ノ中薩哩
達磨ト申ハ正法ナリ薩ト申ハ正也正ハ妙也妙ハ正也
正法芲妙法華是也又妙法蓮芲経ノ上南無ノ
(116)
二字ヲヲケリ南無妙法蓮華経コレナリ妙
者具足六者六度万行諸ノ菩薩六度万行ヲ
具足スルヤウヲキカントヲモウ具ト者十界㸦具
足ト申ハ一界ニ十界アレハ當位ニ餘界アリ満足ノ義
ナリ此経一部八巻二十八品六万九千三
百八十四字一々ニ皆妙ノ一字ヲ備テ三十二相
八十種好ノ佛陁ナリ十界ニ皆己界ノ佛界ヲ顕ス
(117)
妙樂云尚具佛果*29餘果亦然等云云佛此ヲ答云
欲令衆生開佛知見等云云衆生ト申ハ舎利弗
衆生ト申ハ一闡提衆生ト申ハ九法界*30
衆生无𨕙誓願*31度此ニ満足ス我本立誓願欲令
一切衆如我等無異如我昔*32㪽願今者已満
足等云云*33諸大菩薩諸天等此ノ法門ヲキヒテ
領解云我等従*34昔來數聞丗尊説未曽*35聞如
(118)*210頁
是深妙之上法䓁*36云云𫝊敎大師云*37我等従昔*38
來數聞丗尊説謂昔聞法芲経ノ前ニ説ケル芲厳䓁ノ
大法也未曽聞如是深妙之上法ハ謂ク未レ聞二法
芲経ノ唯一佛乗ノ教ヲ一也等云云芲厳方等般𠰥深
密大日等ノ恒河沙ノ諸大乗経ハイマタ一代肝
心タル一念三千大綱*39骨髄タル二乗作佛久遠
實成䓁イマタキカスト領解せリ*40又今ヨリコソ
(119)
諸大菩薩モ梵帝日月四天等モ敎主粎尊ノ𢓦
弟子ニテハ候ヘサレハ寳塔品ニハ此等ノ大菩薩ヲ佛我
𢓦弟子等*41トヲホスユヘニ諌*42暁云告諸大衆我滅
度後誰䏻護持讀誦此経今於佛前自説
誓言トハシタヽカニ仰下シカ又諸大菩薩モ譬如
大風吹小樹枝等*43ト吉祥草ノ大風ニ随河水ノ大海ヘ
引カコトク佛ニハ随マイラせシカ而トモ霊山日浅クシテ
(120)
夢ノコトクウツヽナラスアリシニ證前ノ寳塔ノ上起後ノ
寳塔アテ十方ノ諸佛來集せル皆我分身ナリト
ナノラせ給寳塔ハ虚空ニ粎迦多寳坐*44ヲ並日月ノ青
天ニ並出せルカコトシ人天大㑹ハ星ヲツラ子分身ノ
諸佛大地ノ上寳樹ノ下師子ノユカニマシマス華
厳経ノ蓮芲蔵丗界ハ十方此圡ノ報佛各々ニ國々ニ
シテ彼界ノ佛此圡ニ來テ分身トナノラス此界ノ佛彼ノ
(121)*211頁
界ヘユカス但法惠䓁ノ大菩薩ノミ㸦ニ來㑹せリ
大日経金剛頂経䓁ノ八𫟒九尊三十七尊等
大日如來ノ化身トワミユレトモ其化身三身円満ノ
古佛ニアラス大品経ノ千佛阿弥陁経ノ六方諸佛
イマタ來集ノ佛ニアラス大集経ノ来*45集ノ佛又分*46身
ナラス金光明経ノ四方四佛化身ナリ惣シテ一切
経ノ中ニ各修各行ノ三身円満ノ諸佛ヲ集テ我分身トワ
(122)
トカレス*47コレ壽量品ノ遠序ナリ始
成*48四十餘年ノ粎尊一劫十劫等已前ノ諸
佛ヲ集テ分身トトカルサスカ平等意趣ニモニスヲヒ
タヽシクヲトロカシ又*49始成ノ佛ナラハ㪽化十方ニ充満スヘ
カラサレハ分身ノ徳ハ備タリトモ示現シテエキ*50ナシ
天台云*51分身既多當知成佛久矣*52䓁云云大㑹ノ
ヲトロキシ心*53ヲカヽレタリ *54其上ニ地涌千界ノ大
(123)
菩薩*55大地ヨリ出來せリ粎尊ニ第一ノ御*56弟子トヲ
ホシキ普䝨文殊䓁ニモニルヘクモナシ芲厳方
䓁般𠰥法華経ノ寳塔品ニ來集せ*57ル大菩薩大
日経䓁ノ金剛薩埵䓁ノ十六大菩薩ナントモ此ノ菩
薩ニ對當スレハ獼*58猴ノ群*59中ニ帝粎ノ來給カコトシ山
人ニ月郷*60䓁ノマシワレルニ*61コトナラス補𠙚ノ弥勒猶迷
惑せリ何況其已下ヲヤ此千丗界ノ*62大
(124)
菩薩ノ中ニ四人ノ大聖マシマス㪽謂上行無𨕙行浄
行安立行ナリ此ノ四人ハ虚空霊山ノ諸菩薩䓁
眼モアハせ心モヲヨハス芲厳経ノ四菩薩大日経ノ
四菩薩*63金剛頂経ノ十六大菩薩䓁モ此ノ菩薩ニ
對スレハ瞖*64眼ノモノヽ日輪ヲ見ルカコトク海人カ皇
帝ニ向奉カコトシ大*65公䓁ノ四聖ノ衆中ニ*66アツ*67シニニタリ商山ノ
四皓カ惠帝ニ仕ニコトナラス魏*68々堂々トシテ*69尊
(125)
髙也粎迦多寳十方ノ分身ヲ*70除テハ一切衆
生ノ善知識トモタノミ奉ヌヘシ *71弥勒菩薩心*72念言
スラク我ハ佛ノ太子ノ𢓦時ヨリ三十成道今ノ霊山
マテ四十二年カ間此界ノ菩薩十方丗界ヨリ來
集せシ諸大菩薩皆シリタリ又十方ノ淨穢圡ニ或ハ御使*73
或ハ*74我ト遊戯*75シテ其國々ニ大菩薩見聞せリ《然トモイマタカクノコトキノ大菩薩ヲハミス》*76此大菩薩ノ𢓦師ナン
(126)
トハイカナル佛ニテヤアルランヨモ此粎迦多寳十方ノ分
身ノ佛陁ニハニルヘクモナキ佛ニテコソヲハスラメ雨ノ猛*77ヲ見テ龍*78ノ大ナル事シリ花ノ大*79ナルヲ見テ池ノフカキ
コトハシンヌヘシ此䓁ノ大菩薩ノ來ル國又誰ト申佛ニ
アイタテマツリイカナル大法ヲカ習修シ給ラント疑シア
マリノ不審サニ音ヲモイタスヘクモナケレトモ佛力ニヤ
アリケン弥勒菩薩疑云無量千万億大衆諸
(127)*212頁
菩薩昔ヨリ㪽也レ未ル二曽テ見一是諸ノ大威徳ノ精進ノ菩薩衆ハ
誰レカ為ニレ其説テレ法ヲ敎化シ而成就せル従テカレ誰ニ初テ発心シ稱二-*80揚スル
何レノ佛法一○*81丗尊我昔ヨリ來タ未三曽テ見*82是ノ事ヲ一願ハ説下ヘ*83其ノ㪽従ノ
國圡ノ之名号ヲ一我レ常ニ遊トモ二諸ノ國ニ一未三曽見二是事ヲ一我レ於テ
此ノ衆ノ中ニ一乃不レ識二一人モ一忽然ニ従レ地出タリ願ハ説下ヘ二其ノ囙
縁ヲ一䓁云云天台*84云自𡧤*85場已降今𫝶ヨリ已往〔コノカタ〕*86十方ノ
大士來㑹不レ絶雖不ト可限我レ以テ補𠙚ノ智力一𢘻
(128)
見𢘻知ル而ニ於ハ二此衆ニ一不識一人モ一然ニ我遊二-戯十方ニ一
覲二-奉諸佛ニ一大衆快ク㪽□識知等云云妙樂云*87知*88人
知レ起虵*89自識レ虵等云云経粎ノ心分明ナリ詮スルトコロハ*90初
成道ヨリコノカタ此圡十方ニテ此䓁ノ菩薩ヲ見タテ
マツラスキカスト申ナリ佛此ノ疑答云阿逸多○*91汝
等昔*92㪽レ未ルレ見者ハ我於二是娑婆丗界ニ一得二阿耨多羅三藐三*93菩提ヲ一已テ敎二-化シ示三-導シ是諸ノ菩薩ヲ一調二-伏
其心ヲ一令メタリ発道意䓁又云我レ於二伽耶城菩提樹
(129)
下ニ一㘴得レ成ヿ二最正覚ヲ一転二无上ノ法輪ヲ一尒乃チ敎二-化之一
令三初テ発二道心ヲ一今皆住せリ二不退ニ一乃至我従二久遠一來タ
教二化せリ是䓁ノ衆ヲ一䓁云云 *94此ニ弥勒䓁ノ大菩薩大ニ疑
ヲモウ芲厳経ノ時法恵䓁ノ无量ノ大菩薩アツマルイカナル
人々ナルラントヲモヘハ我善知識ナリトヲホせラレシカハ
サモヤトウチヲモヒキ其後ノ大寳坊白鷺池䓁ノ來
㑹ノ大菩薩モシカノコトシ此大菩薩ハ彼等ニハニルヘクモナキ
(130)
フリタリケニマシマス定テ粎尊ノ𢓦師匠カトナントヲ
ホシキヲ令初発道心トテ幼稚ノモノトモナリシヲ敎
化シテ弟子トナせリナントヲホせアレハ大ナル疑ナルヘシ日
本ノ聖徳太子ハ人王第三十二代用明天皇ノ𢓦
子ナリ𢓦年六歳ノ時百済髙麗*95唐圡ヨリ老*96人
トモノワタリタリ*97シヲ六歳ノ太子我弟子ナリトヲホせアリ
シカハ彼老*98人トモ又合掌シテ我師ナリ等云々*99不思議■
*1:一紙を割き中央に記載。
*2:「開目抄下巻」を一本線で削除。
*3:「法雲自在王」をSATで検索しても該当するのはこの1件のみである。
*4:『大智度論』巻第四十八・釈四念処品第十九に「沙秦言六」(大正No.159, 25巻408頁b段28行)とあるが、日蓮はこれを『大智度論』中の肝心としている。
*5:御書全集は「伽」。
*7:保留。
*8:振り仮名「ナウ」「マク」には削除線がある。
*9:以下の法華経陀羅尼は、読みやすくするため、各音写・意訳の直後に一字空きを入れた。
*10:「ヲ」か。
*11:保留。
*12:「ア」か。
*13:振り仮名か何かの脇書きを削除。
*14:=毘
*15:左脇に「ラ」。
*16:「刄」に見えるが保留。
*17:=儞
*18:左脇に「ホ」。
*20:異体字。hdic_u2e5d8-var-001。≒覽
*21:または「ジヤク」か。兜木正亨は「シ」の右肩に本濁の記号「○○」印が付いているとし、「じゃく」と読む(『日本古典文学大系82 親鸞集 日蓮集』岩波書店、1964年、507頁)。
*23:左脇に「ラ」。
*24:判読困難な一字を削除し○の右脇に「護」。
*25:「ソ」があるか判読困難。兜木は無いとする(前掲書)。
*26:「ハ」があるか擦れか否か判読困難。兜木は無いとする(前掲書)。
*27:=鉄
*28:法華肝心陀羅尼の諸本の異同を網羅的に検討するのは時間を要するので、詳細は後日とする。
*29:脇書き「界□」を削除。この湛然『止観輔行伝弘決』巻第五之二の文(大正No.1912, 46巻289頁c段12行)は、録内御書(宝暦修補本)では「尚具佛界餘界亦然」(御書二、四十八丁裏)であり、日寛「開目抄愚記」で引いた文も同じである。「果」と「界」が伝写の過程で混同されたのだろうか。
*31:保留。
*33:舎利弗らの「具足の道を聞きたい」という要請に応えて、釈尊は「あらゆる仏は衆生(=舎利弗、一闡提、九界)に仏知見を開かせようとする」と述べ、この時に釈尊の誓願が成就されたという。それは十界を具足する妙法によって実現したということだろう。法華経方便品のこの一節で、仏の誓願が果たされたと述べられた以上、日蓮はその因、すなわち仏因とは何かを探求したと考えられる。その意味で当該文は、「観心本尊抄」の五重三段とは別のアプローチで仏種を探索した形跡と言えないだろうか。日蓮は自身を地涌の菩薩や不軽菩薩と同一視したが、悪世末法の現実を生きる衆生の仏種(=仏因)を菩薩の誓願(=仏因・因行の遂行の起点)と併せて追究した、というか仏因の遂行主体である菩薩の誓願は下種・仏種論と必然的に接続していくと私は考えている(それが法華経身読の内実であろう。これについては少し「「開目抄」における法華経勧持品・不軽品の引用文の合成」で触れた)。誓願成就から妙法を信ずる根拠を見出したことは、浄土教における念仏往生の根拠を彷彿させる。無量寿経では阿弥陀仏の因位である法蔵菩薩が四十八願を立てるが、経典では法蔵が阿弥陀仏となっている以上、その誓願は成就されていることを意味し、第十八願「設し我、十方の衆生、至心に信楽して、我が国に生ぜんと欲して、乃至十念せん(乃至念仏)。もし生まれずんば、正覚を取らじ。ただ、五逆と正法を誹謗するものを除く」が、仏を念ずることで往生を遂げられる根拠となった(平岡聡『法然と大乗仏教』法蔵館、2019年参照)。しかし、ここには「唯除五逆誹謗正法」(「立正安国論」で法然への批判で用いられた)とあるから、日蓮に従えば、それは衆生無辺誓願度の成就にはならないと言えるだろう。これに関連して日蓮が上記方便品「欲令衆生開仏知見」の「衆生」には敢えてか一闡提を含むと述べている点は、娑婆世界の衆生無辺誓願度の成就を強く意識していたと言えよう。いずれにせよ、仏因を信受する根拠を如来の誓願成就に求めている点では、日蓮も浄土教も共通していると言えそうだが如何だろうか。上記の問題意識は、上原專祿「誓願論――日蓮における誓願の意識――」(『死者・生者―日蓮認識への発想と視点』未来社所収、1971年脱稿)によるところが大きい。上原は同論で、如来の誓願について回向の主体との関係性から説き起こし、無量寿経が阿弥陀仏の誓願経であるのに対し、法華経は釈迦牟尼仏の誓願経であると述べている。「歴史的現実への基本姿勢とみられる誓願の問題を軸とした日蓮教学の新展開」「誓願の問題を度外視しては『開目抄』は理解されえない」との問題提起を私なりにこの十年近く断続あったものの反芻しつつ開目抄を探求してきて、今は上のようなことを痛感している。
*35:「曽」が常用漢字に、「曾」がその旧字に制定されたのは2010年の常用漢字表改定である。
*36:今範囲では「䓁」が頻出する。
*37:右肩の「守護章下之下」を削除。
*38:ママ
*40:御書全集ではここまでが「開目抄上」。
*41:○の右脇に「等」。日乾筆は「等」の字体であると確認できる。
*42:=諫
*43:○の右脇に「等」。日乾筆は「等」の字体であると確認できる。
*44:「𫝶」を削除し脇に「坐」。したがって日乾は現在と同様に「座」と「坐」を別字として扱っていたことがわかる。
*45:ママ
*47:「今此寳塔品ハ」を削除。これにより、直後で説明される「寿量品の遠序」が「コレ」=起後の宝塔に限定される。智顗・灌頂『法華文句』巻第八下参照。
*48:「正覚」を削除。
*49:○の右脇に「又」。
*50:「益」を訂正。御書全集は「益」。
*51:脇にある「玄九」と思しき二字を削除。日乾所依の写本に施された他筆の注記か、真蹟における異同か。智顗・灌頂『法華玄義』巻第九下。大正No.1716, 33巻798頁b段23行。
*53:御書全集は「意」。
*54:一字空き。
*55:「開目抄」で地涌の菩薩に触れられているのは、以下131頁までの、この一範囲のみであり、「地涌」なる語もこの一カ所のみ登場する。しかもそれは涌出品の要約であり、日蓮自身と関連付ける解釈は皆無である。しかし地涌の菩薩は法華経にのみ登場する菩薩であり、ここで他経と比較して譬喩も増幅させて叙述している点は、日蓮独自である。これは、日蓮の上行菩薩の自覚は佐渡期周辺で醸成されたとする日蓮教学の理解からすれば、いささか違和感を残す事実ではある。しかしそれも「観心本尊抄」等に譲られたと大方了解されていると思う。日蓮は観心本尊抄では自身の法門を開示するに当たってかなり慎重に教示している。すなわち「此より堅固に之を秘す」(観心本尊抄、御書全集242頁)、「観心の法門、少々之を注して大田殿・教信御房等に奉る。此の事、日蓮身に当るの大事なり、之を秘す。無二の志を見ば、之を開〓(=衣偏に石)せらる可きか。此の書は難多く、答少し。未聞の事なれば、人、耳目之を驚動す可きか。設い他見に及ぶとも、三人、四人、座を並べて之を読むこと勿れ。仏滅後二千二百二十余年、未だ此の書の心有らず。国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す。乞い願くば、一見を歴来るの輩は、師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん」(観心本尊抄送状、同255頁参照、「之を秘す」は「公表はしない」と訳されている。=『現代語訳 観心本尊抄』池田大作監修、創価学会教学部編、聖教新聞社、2018年、180頁)。対して、開目抄についてはそのような言及は見受けられない。この辺りにも、日蓮の上行菩薩自覚の開示が関わっているのだろうが、上記・観心本尊抄送状の一節は、教えを説くべきかは時により機根に依らないという自身の結論(撰時抄、御書全集267頁参照)と矛盾するようにも取れる(これについては他の御書も参照して別稿で考察したい)。しかし両抄とも「日蓮身に当るの大事」を主題としており、それを開目抄では自身の法華経弘通の言動や人格的側面、内心の披歴として、観心本尊抄では錬成した独自の法門(観心の成就内容とそれを成し得る妙法五字の本尊及び地涌の菩薩によるその建立)の開陳として語られており、前者は自身が法華経の行者であることを疑問視する内外の批判に応答するため公表の意図があり、後者は前代未聞の法門として公開を避けたと考えられる。前代未聞とはオリジナリティ、独自性があるということだから、それは他者と共有され難い側面があり、法華経の文を借りれば「難信難解」である。それを広めるには不軽菩薩のような迫害・逆縁(英語ではreverse connection)とならざるを得ないと言えよう。竜の口の法難、佐渡流罪という受難の極致を体験した自身と不軽を重ねたことと前代未聞の観心の法門の錬成とは、相互媒介的に成し得たと言えよう。共有し難い独自性があったとしても、唱題の易行性は弘教に一役買ったと愚案するが、日蓮にそのような意識はあったのだろうか。さらに両抄については、前者は四条金吾に持たせたことから法難で教団が壊滅的となった鎌倉をはじめとする周囲からの疑義に答えた同抄の内容を広めること、後者は富木常忍の下で後世まで格護する意図があり、また日蓮は富木常忍に四条金吾を通じて開目抄を読むよう指示しているから(翻刻②で述べた)、佐渡流罪中の門下の結束を常忍(下総)・金吾(鎌倉)を双璧として期待したと、私は推測している。両抄を元に図式的な推測が強くなったが、日蓮の著作は門下や諸宗・幕府への応答であるから、言語行為論を引き合いに出すまでもなく、宛先や社会情勢との関係性の中で理解しようとする意識が強くならざるを得ない。
*56:○の右脇に「ノ御」。
*57:御書全集は「す」。
*60:→卿
*61:御書全集は「まじはるに」。
*62:「微塵數ノ」を削除。
*63:右肩に四文字「普文観弥」(=普賢・文殊・観音・弥勒)があるが削除されている。
*64:=翳
*65:→太
*66:○の右脇に「ノ衆中ニ」。
*67:→リ。兜木正亨が「あつし」は「ありし」の音便であると注釈している(『日本古典文学大系82 親鸞集 日蓮集』岩波書店、1964年、369頁)。
*68:=巍。別字体だが同一語。
*69:日蓮が法華経にない文を用いて地涌の菩薩を形容した一例であるが、「巍巍堂堂」は仏典に頻出する。訳は「そびえ立つ山のように堂々としており」(『現代語訳 開目抄(下)』池田大作監修、創価学会教学部編、聖教新聞社、2016年、12頁)。
*70:「諸仏ヲ」を削除。
*71:二字程度空き。
*72:○の右脇に「心」。
*73:○の右下に「ハ御使」。日乾筆は「御」の字体であると確認できる。
*74:○の右上に「或ハ」。
*75:異体字。linchuyi_hkrm-05057641
*76:この「然トモイマタカクノコトキノ大菩薩ヲハミス」等、比較的文字数の多い削除は当該文を四角で囲んでいる。その範囲については《》で示すことにする。
*77:「タケキ」の振り仮名あるか。
*78:異体字。u2ff0-u97f3-u5c28のようだが同様の字形のコードは複数ある。龍は他の字に比較して多種多様な字体・字形が見受けられる。
*79:「盛」を訂正。つまり写本では「盛んなるを」。これを伝写中に起きた誤りと見るべきなのか。むしろ同様の例は多数見られ、これらを傍証として、日乾所依本は単に誤写された本というよりも別系統の写本であると見たほうが自然であろう。
*81:=中略。
*83:=タマヘ
*84:「疏九」を削除。
*85:=寂
*86:判読困難。
*87:「記九」を削除。
*88:→智
*89:=蛇
*90:「所詮」の「所」を削除。○の右脇に「スルトコロハ」。
*91:=中略。
*92:ここは「ヨリ」が削除されている。
*93:○の右脇に「レ見者ハ我於テ二是娑婆丗界ニ一得二阿耨多羅三藐三」と大幅に加筆。これは日乾筆ではなく元の写本の筆である。
*94:一字空き。
*95:異体字。史的文字DBで確認できるがグリフウィキにはない。
*97:○の右脇に「タリ」。
*98:保留。
*99:「云云」ではない。