日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻①
日蓮(1222-82)の「開目抄」は、佐渡流罪中の文永9(1272)年に執筆された代表作であり、日蓮が法華経の経文を自身の言動と照合しながら「法華経の行者」という造語をもって自己規定し、末法における教主ないし導師としての自身の境地を明かした最重要書の一つとして、日蓮教団の間で拝読されてきた。
同抄の真蹟は現存しておらず、身延山久遠寺に曽て在った真蹟は明治8(1875)年1月10日の大火で焼失したという。しかし久遠寺21世・寂照院日乾(にちけん、1560-1635)が某写本とこの真蹟とを照合したという、いわゆる真蹟対校本が現存(慶長9=1604年6月28日成立、京都本満寺蔵)し、巷間流通している日蓮文集における開目抄のテキストや現代語訳は、これを参照している(一例、『日蓮文集』兜木正亨校注、岩波文庫、初版1968年、および『現代語訳 開目抄(上)(下)』池田大作監修、創価学会教学部編、聖教新聞社、2016年)。
本稿では、この影版本の翻刻を試みた。詳しくは凡例に記したが、翻刻の底本には『開目抄 乾師対校本』(梅本正雄編、本満寺刊、1964年)を用いた。同書を約十ページずつ、全二十四回の予定。
この写真版は凸版印刷のため墨の濃淡が分からず、判読が困難な箇所が多々あるが、原本は何度も真蹟と照合し訂正された跡がわかるという(山口範道「開目抄の古写本の捜求」、『日蓮正宗史の基礎的研究』山喜房仏書林所収、1993年参照)。日存写本とともに、今後の日蓮研究、信仰、公益を考えると、鮮明な写真版の公開を望むものであります。
掲載を重ねるにつれて、様々訂正の必要が出てくると思われるが、御批正あれば戴きながら探求を進めていく所存です。
日乾は同真蹟対校本の上巻の奥書に「於身延久遠寺以御正本校合了用可為證本/日乾」、下巻の奥書に「於身延山以御正筆一校了後来用此可為証本/慶長九年甲辰六月廿八日 日乾」と記し、同書の正統性を主張している。
日乾本の翻刻は、既に『大正新脩大蔵経』第84巻(高楠順次郎・渡辺海旭都監、大蔵出版、大正蔵とも、T2689_.84.0208b18-0233a07)およびそのデータベースSAT(https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/)に「開目抄」の底本として収められている。しかし校訂が不充分な箇所が散見され、この指摘は同抄に限らず大正蔵の性格としてよく知られるところである(例えば、末木文美士「特論 仏教研究方法論と研究史」『新アジア仏教史14日本Ⅳ 近代国家と仏教』佼成出版社所収、2011年。同『日本仏教入門』角川選書、2014年。蓑輪顕量編『事典 日本の仏教』吉川弘文館、2014年。京都仏教各宗学校連合会編『新編 大蔵経――成立と変遷』法蔵館、2020年)。したがって、本稿で一から翻刻を見直し公開する作業も、あながち無益ではなかろう。
開目抄の写本については、フルテキストの写本としては最古である好学院日存による写本(日蓮滅後135年、応永23=1416年7月17日成立、尼崎本興寺蔵)があり、表記が日乾対校本と異なる箇所がかなり散見される。したがって真蹟には複数の系統があると推測される。
日存本については、その影版本『開目抄 日存聖人筆』(寺内泰徹編、本能寺刊、1965年)を入手したので、途中からこれも参照した(本書の書名の記載については、表紙および扉が「開目抄 存師御自筆」、背表紙および函が「開目抄 日存聖人筆」であり、奥付には書名が記されていない。今は背表紙に依った)。それ以前は『平成校定日蓮大聖人御書』第一巻(大石寺版、2002年、底本は『昭和新定日蓮大聖人御書』)が日乾・日存本との異同を注記しているので、これを用いた。今後は日存本の翻刻も同時に進める。
凡例
一、翻刻の底本には『開目抄 乾師対校本』(梅本正雄編、本満寺刊、1964年)を用いた。この写真版は凸版印刷のため墨の濃淡が分からず、細部もかすれたように判読が困難な箇所が多々あるが可能な限り試みた。
一、底本の頁数を()で記した。参考に『新編日蓮大聖人御書全集』(堀日亨編、創価学会、第二版)の該当頁を*で記した。
一、親文字(底本とした写本の本文)に斜線(斜め左から右へ一本か二本、あるいは左に点)を入れて傍に訂正している箇所は、訂正後の表記のみを翻刻した。
一、親文字に斜線がなく脇に表記がある場合、両方を併記し、○○〔○○〕とした。もっとも斜線が判読ができず誤って〔〕で拾っている可能性もあり注意されたい。
一、漢字の字体はJISコードやUnicodeがあるものは可能な限り原文を翻刻した。それ以外は新字、常用漢字に改め、代わりに注記した。以後、これと同類の字が出る場合は下線を付すのみとした。字形の検索にグリフウィキを多用し、ここに伏して謝意を示す。
一、経論の引用は漢文であるが、訓点については、送り仮名、返り点の順に記した。また引用終わり「云云」は級数を下げて一字分に二文字右上、左下に配されるが、他と同じ大きさとした。
一、漢文中の送り点(レ点、一二点、上下点)は級数を落とした。
一、仮名は、主に送り仮名や助詞と思われる右肩に小さく表記されるものと、親文字として表記されるものとがあるが、今回は大きさを同じとした。
一、判読が困難であった箇所は□とした。
一、必要に応じて日存本や他の刊本との異同を注記した。また内容上筆者が注目した箇所についても考察を加えるなどしている。
一、なお本稿は漢字の字体をテキストデータとして翻刻する試みだが、それが異体字と言えるものか、当人の書き癖、あるいは崩し字としての字形なのかという議論もあり得るだろう。よって字体を全て新字、常用漢字に改めてもよかったが、折角なので可能な限り試みた。
一、上記字形についてはグリフウィキを多用しているので、動作環境により表示されないUnicodeがある。筆者の場合PCのGoogle Chromeで表示可能なものを採取している。
(内扉)
開目抄上*1
(1)*186頁
*2
夫一切衆生ノ尊*3敬スヘキ者三アリ所*4謂主
師親コレナリ又習学*5スヘキ物三アリ㪽*6謂儒*7外内
コレナリ儒家ニハ三皇五帝三王此*8䓁*9ヲ天尊ト号
諸臣頭身万𫞖*10ノ橋鿄*11ナリ三皇已𫝐*12ハ父ヲシラ
ス人皆禽獸*13ニ同五帝已後ハ父母ヲ弁テ孝ヲ
イタス㪽謂重芲*14ハカタクナワシキ父ヲウヤマヒ沛
(2)
公ハ帝トナツテ太公ヲ拜*15ス武王ハ西伯ヲ木像ニ造丁
蘭ハ母ノ形*16ヲキサメリ此等*17ハ孝ノ手本也比
干ハ殷ノ丗*18ノホロフヘキヲ見テシ井*19テ帝ヲイサメ頭ヲ
ハ子ラル公胤*20トイ井シ者ハ魏王ノ肝ヲト*21テ我カ腹ヲサキ肝ヲ
入テ死ス此䓁ハ忠ノ手本也伊尹ハ尭王ノ師*22務成ハ舜
王ノ師太公望ハ文王ノ師老子ハ孔子ノ師ナリ此䓁ヲ四
聖トカウス天尊頭ヲカタフケ万𫞖掌ヲアワス此
(3)
䓁ノ聖人ニ三墳五典三史〔吏御本〕*23等ノ三千餘*24巻*25ノ書アリ
其㪽詮*26ハ三玄ヲイテス三玄ト者一者有ノ玄周公
䓁此ヲ立二者無ノ玄老子䓁三者亦有
亦無䓁㽵 *27子カ玄コレナリ玄者黒也父母未生已
前*28ヲタツヌレハ或元氣*29而生或*30貴賎*31苦*32樂*33是非得
失*34䓁皆自然䓁云云カクノコトク巧ニ立トイエトモイマ
タ過*35去未來*36ヲ一分モシラス玄也黒也幽也カルカ
(4)
ユヘニ玄トイウ但現在計シレルニニタリ現在ニ
ヲヒテ仁義ヲ製シテ身ヲマホリ國ヲ安ス此ニ相
違*37スレハ挨*38ヲホロホシ家ヲ亡等イウ此䓁ノ賢聖ノ
人々ハ聖人ナリトイエトモ過去ヲシラサルコト凡夫ノ背ヲ
ミス未來ヲカヽミサルコト盲人ノ𫝐ヲミサルカコトシ
但現在ニ家ヲ治孝ヲイタシ坚*39ク五常ヲ行スレハ傍
輩モウヤマイ名モ國ニキコエ䝨*40王モコレヲ召テ或ハ臣ト
(5)*187頁
ナシ或ハ師トタノミ或ハ位ヲユツリ天モ來テ守リツ
カウ㪽謂ル周ノ武王ニハ五老キタリツカエ後漢*41ノ光武ニハ
二十八宿來テ二十八将トナリシ此ナリ而トイエトモ
過去未來ヲシラサレハ父母主君師匠ノ後世ヲモ
タスケス不知㤙*42ノ者ナリマコトノ䝨聖ニアラス孔子カ
此圡*43ニ䝨聖ナシ西方ニ佛啚 *44トイウ者アリ此聖
人ナリトイ井テ外典ヲ佛法ノ初門トナせシコレナリ礼樂
(6)
䓁ヲ教テ内典ワタラハ戒定惠*45ヲシリヤスカラせン
カタメ王臣ヲ教テ尊卑ヲサタメ父母ヲ教テ孝高〔カウノタカキコト〕*46ヲ
シラシメ師匠ヲ教テ帰依ヲシラシム妙樂大師*47云佛教
流化實*48頼於*49茲礼樂𫝐駈真道後啓等云云
天台云金光明経*50云一切丗間㪽有善*51皆
因此経𠰥*52深*53識世法即是佛法等云云止観
云我遣三聖化彼真丹等云云弘*54𣲺*55云清浄法
(7)
行経云月光菩薩*56彼稱*57顔*58回光淨*59菩薩彼稱
仲尼迦*60𫟒*61菩薩彼稱老子天竺指此震旦為
彼等云云二月𫞕*62ノ外道三目八臂魔*63醘*64首羅
天毘紐*65天此二天ヲハ一切衆生ノ慈父悲母又天
尊主君ト号迦毘羅漚〔ク〕楼*66〔ル〕僧佉〔キヤ〕勒娑婆此三
人ヲハ三仙トナツク此䓁佛前八百年已𫝐已
後ノ仙人ナリ此三仙ノ㪽説ヲ四韋陁*67ト号六万蔵アリ
(8)
乃至佛出丗二當*68テ六師外道此外経ヲ習𫝊*69シテ五
天竺ノ王ノ師トナル支流九十五六䓁ニモナレリ一々ニ流々
多シテ我𢢔*70ノ幢高コト悲〔非御本〕*71想天ニモスキ執心ノ心ノ*72坚
コト金石ニモ超タリ其ノ見ノ深コト巧ナルサマ儒家ニハニル
ヘクモナシ或過去二生三生乃至七生八万劫ヲ
照見シ又兼*73未來八万劫ヲシル其㪽説ノ法門*74ノ極理
或ハ因中有果或因中无*75果或因中亦有果亦
(9)
無果等云云此外道ノ極理ナリ㪽謂善キ外道ハ五
戒十善戒等ヲ持テ有漏*76ノ禅定ヲ修シ上色*77无色ヲ
キワメ上界*78ヲ涅槃ト立テ屈歩䖝*79ノコトクせメノホレトモ
悲〔非御本〕想天ヨリ返テ三𢙣*80道ニ堕一人トシテ天ニ留モノ
ナシ而トモ天ヲ極者ハ永カヘラストヲモエリ各々*81自師ノ
義ヲウケテ坚執スルユヘニ或冬寒ニ一日ニ三
度*82恒河ニ浴或ハ髪ヲス*83キ或ハ巖*84ニ身ヲナケ或ハ身ヲ
(10)*188頁
火ニアフリ或ハ五𠙚*85ヲヤク或躶*86形或ハ馬ヲ多ク
殺*87□*88ハ福ヲウ或ハ*89草木ヲヤキ或一切ノ木ヲ礼此
等邪義其數*90ヲシラス師ヲ恭敬スル事諸天ノ帝
粎*91ヲウヤマイ諸臣ノ皇帝ヲ拜スルカコトシシカレトモ外道ノ
法九十五種善𢙣ニツケテ一人モ生死ヲハナレス善
師ニツカヘテハ二生三生等ニ𢙣道ニ堕𢙣師ニツカヘテハ
順次生ニ𢙣道ニ堕外道ノ㪽詮ハ内道ニ入即*92最要ナリ■
*1:一紙を割き中央に記載。
*2:「開目抄上巻」を一本線で削除。
*4:ママ
*5:左脇に追記。習の下に見える点が脱落記号○であるかどうか判読し難い。
*6:=所
*9:草冠。=等
*10:=民
*11:=梁
*12:=前
*13:=獣
*14:=花
*15:=拝
*17:冠が異なるか。
*18:以下、世・卋と複数の字体が出てくる。
*19:ヰの原形・井に見える。遺文集では平仮名「ゐ」と置換される。
*21:直後に「ツ」が入るべきだがない。元の写本は漢字「取」でそれを削除し傍に「ト」と記すも「ツ」が「取」の最後画の払いに重なって見えないのか、元からないのか定かではない。
*22:異体字。グリフウィキにはないが異体字解読字典には俗字として収録される。
*23:真蹟に校訂の余地あり等、日乾に何らか意図があった箇所に対しては、削除の斜線を入れずに傍に「○○御本」と記していると考えられる。この箇所の場合、内容的に「三史」(=『史記』『漢書』『後漢書』)が正しい。
*26:ただし俗字のほう。
*27:=荘。JISコードはない。
*29:=気
*30:脱落記号○の右側に或。この脱落記号による表記が、写本段階で真蹟を再現したものあるいは再現でなくとも起こされたものか、日乾の照合時に加えられたものかは分からない。
*31:=賤
*33:=楽
*36:=来
*38:=族
*39:=堅
*40:=賢
*42:=恩
*43:=土
*44:「口+面」に見える。=圖、図
*45:=恵
*46:「孝高」の傍にある。振り仮名か。
*47:○の右側に大師。
*48:=実
*52:=若
*55:ただし冫。=決。
*57:=称
*59:=浄
*60:之繞は一点。
*61:=葉
*62:=氏
*63:→摩
*64:=醯
*67:or阤。=陀
*68:=当
*69:=傳、伝
*70:=慢
*71:つまり真蹟は「非」だが校訂の余地ありとして注記したのだろう。
*72:○の右側に「心ノ」を追加。
*74:○の右側に門。
*75:=無
*79:=虫
*80:=悪
*81:○の右側に々。
*82:異体字。u2ff8-u5e7f-u2ff1-u9fb7-u53c8。異体字解読字典で俗字として収録される。
*83:ヌか。
*84:=巌。判読難。
*85:=處、処
*86:=裸
*88:「せ」か。
*89:薄くかすれて判断し難い。
*90:=数
*91:=釈
*92:○の左側に即。