七円玉の読書記録

Researching on Nichiren, the Buddhist teacher in medieval Japan. Twitter @taki_s555

日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑪

十頁ずつ連載しているが、今回は区切りがよい開目抄上巻終わりの113頁まで翻刻する。
終盤、法華経方便品・略開三顕一から説き起こされた「具足」義のサンスクリット語・漢語による解釈については、少々注記したものの、課題が多いので時間をかけて調査し、後日別稿で整理、考察したい。

(101)
ヘシサレハ䓁ノ人々ハ佛ヲ養シタテマツリシツイテニコソ
ワツカノ身命ヲモ扶サせ給シカサレハ事ノ心ヲ案スルニ四
年ノ々ノミトカレテ法芲八箇年ノ㪽説ナクテ
𢓦入滅ナラせ給タラマシカハ誰ノ人カ䓁ノ者ヲハ
養シ奉ヘキ現身ニ餓道ニコソオハスヘケレ而ニ四
年ノ々ヲハ東春ノ大日輪寒氷*1ヲ消滅スルカ
コトク無量ノ草露ヲ大風ノ零落ス*2カコトク一言一
(102)*207頁
ニ未顕真實ト打ケシ大風ノ黒雲ヲマキ大
月ノ𠙚カコトク青天ニ日輪ノ懸給カコトク丗
法乆後要當説真實ト照サせ給テ芲光如來光明
如來等ト舎利弗𫟒等ヲ赫々タル日輪明々タル月
輪ノコトク鳯*3文ニシルシ龜鏡ニ浮ヘラレテヘハコソ如
來滅後ノ人天ノ諸𣞀那等ニハ佛陁ノコトクハ仰レ
給シカ水スマハ月影*4ヲヲシムヘカラス風フカハ草木
(103)
ナヒカサルヘシヤ法芲ノ行者アルナラハ等ノ聖
者ハ大火ノ中ヲスキテモ大石ノ中ヲトヲリテモトフラワせ
給ヘシ迦𫟒ノ入定モコトニコソヨレイカニトナリヌルソイフ*5
カシトモ申ハカリナシ後五百歳ノアタラサルカ廣宣流
布ノ妄語トナルヘキカ日カ法華ノ行者ナラサルカ
法芲ヲ教内ト下テ別𫝊ト稱スル大妄語ノ者ヲマホリ
給ヘキカ捨閇*6閣抛*7ト定テ法華ノ門ヲトチヨ巻ヲナケ
(104)
ステヨト*8ヱリツケテ法華堂ヲ失ル者ヲ守シ給ヘ
キカ佛前ノ誓ハアリシカトモ濁丗ノ大ハケシサヲ
ミテ諸天下給サルカ日月天ニマシマス湏弥山
イマモクツレス海潮モ増减ス四季モカタノコトク
タカハスイカニナリヌルヤラント大イヨ〱ツモリ
〔此ヨリ已下ヲ可調下巻〕*9又諸大菩薩天人䓁ノコトキハ尓前ノ々ニシテ莂ヲ
ウルヤウナレトモ水中ノ月ヲ取トスルカコトクヲ体*10
(105)
オモウカコトクイロカタチノミアテ實義モナシ又佛𢓦
㤙モクテカラス丗初成道ノハイマタ説教モ
ナカリシニ法恵菩功徳林𦬇*11金剛幢菩
剛蔵菩等ナント申せシ六十ノ大菩十方ノ
諸佛ノ國圡ヨリ教主粎ノ𢓦前ニ來給テ䝨首菩
解脱月等ノ菩ノ請ニヲモムイテ十住十行十廽向十地
等ノ法門ヲ説給キ等ノ大菩ノ㪽説ノ法門ハ釈*12
(106)
ニ習タテマツルニアラス十方丗ノ諸梵天等モ來テ法ヲ
トク又粎ニナライタテマツラス惣シテ芲㑹𫝶ノ大菩
龍等ハ粎已前ニ不思議解脱ニ住せル大菩ナリ粎
去囙位ノ𢓦弟子ニヤ有ラン十方丗ノ先佛ノ𢓦
弟子ニヤ有ラン一代教主始成正覚ノ佛弟子ニハ
アラス阿方等般𠰥ノ時四教ヲ佛ノ説給シコソ
ヤウヤク𢓦弟子ハ出來シテモ又佛ノ自説ナレ
(107)*208頁
トモ正説ニハアラスユヘイカントナレハ方等般𠰥ノ別
二教ハ芲厳経ノ別二教ノ義趣ヲ*13イテス彼ノ別二教ハ
教主粎ノ別二教ニハアラス法恵等ノ大菩
二教ナリ䓁ノ大菩ハ人目ニハ佛ノ𢓦弟子カトハ
見ユレトモ佛ノ𢓦師トモイ井ヌヘシ丗彼ノ菩ノ㪽説ヲ
聴聞シテ智シテ後重テ方等般𠰥ノ別ヲトケリ㐌モ
カワラヌ*14厳経ノ別二教サレハ等大菩
(108)
ハ粎ナリ芲厳経等ノ菩ヲカスヘテ
*15知識トトカレシハコレナシ善*16知識ト申ハ一向師ニモ
アラス一向*17弟子ニモアラスアル事ナリ蔵二教ハ又別
枝〔シ〕流ナリ別二教ヲシル人必蔵二教ヲシルヘシ
人ノト申ハ弟子ノシラヌ事ヲ教タルカニテハナリ
例セハ佛前一切ノ人天外道ハ二天三仙ノ弟子ナリ九
十五種マテ流沠*18*19タリシカトモ三仙ノ見ヲ出ス
(109)
教主粎モカレニ習𫝊テ外道弟子ニテマシマせシカ
行樂行十二年ノ時苦空无常无我ノ理ヲサトリ
出テコソ外道ノ弟子ノ名ヲハ離*20サせ給無師智トハナノ
ラせ給シカ又人天モ大師トハ仰マイラせシカサレハ
前四味ノ間ハ教主粎法恵菩等ノ𢓦弟子
ナリ例せハ文殊ハ粎九代ノ𢓦ト申カコトシツ子ハ諸
不説一字トトカせ給モコレナリ佛𢓦年七十二ノ年
(110)
摩竭*21霊鷲山ト申*22山ニシテ无量義ヲトカせ給シニ四
年ノ々ヲアケテ枝𫟒ヲハ其ノ中ニオサメテ
四十年未顕真實ヲ打消給ハナリ此時コソ
諸大菩諸天人等ハアハテヽ實義ヲ請トハ
申せシカ無量義ニテ實義トヲホシキ事一言
アリシカトモイマタマコトナシヘハ月ノ出トシテ其躰*23
東山ニカクレテ光西山ニ及トモ諸人月躰ヲ見サルカ
(111)
コトシ法芲方便品畧開三顕一ノ佛畧シテ一念
三千心中ノ本懐ヲ宣給始ノ事ナレハホトヽキスノ
*24*25ヲ子ヲヒレ*26タル者ノ一音キヽタルカ*27ヤウニ月ノ山ノ半ヲハ*28
出タレトモ薄雲ノヲホヘルカコトクカソカナリシヲ舎
利弗等驚テ諸天龍神大菩等ヲモヨヲシテ諸
龍神等其數如恒沙求佛諸菩大衆*29
八万又諸万億國輪聖王至合掌以敬心
(112)*209頁
欲聞具足道等ハ*30請せシナリ文ノ心ハ四味三教四十
年ノ間イマタキカサル法門ウケ給ハラント請せシ
ナリ文ニ欲聞具足道ト申ハ大者名具
足義等云云無依無得大乗四論玄義云妙〔沙 御本〕*31
者决*32云六胡法ニハ*33六為具足ノ義也等云云吉蔵
*34云妙〔沙 御本〕*35者翻*36為具足等云云天台玄義八云
梵語此翻妙也等云云*37
(113)
*38
身延久遠寺以御正本校合了用可為證本
日乾■

つづく

*1:諸本により「氷」「冰」の異同がある。冰は氷の正字

*2:「吹」を削除し脇に「零」。「零落(れいらく)す」と読むならば、古典文法では複合動詞、活用はサ変で、ここでは格助詞「が」に連体形接続するため「零落する」であるはずだが、「る」がないということとなり、直前が「東春ノ大日輪寒冰ヲ消滅スルカコトク」であることをもって「る」を補って校訂するのが妥当といえよう。しかし「零落す」は自動詞で「(草木が)枯れ落ちる」「おちぶれる」といった意味であり、当該文は他動詞であるはずなので、読みとして問題がある(諸橋轍次編『大漢和辞典』大修館書店、鎌田・米山編『新漢語林』大修館書店、藤堂・加納編『学研新漢和大字典』学習研究社を参照)。高祖遺文録は「零落スルガコトク」、縮刷遺文および御書全集は「零落するがごとく」、昭和定本および平成校定は「零落するがごとく」に日乾本で「る」がないと注記、平成新修は「零落(れいらく)するがごとく」(括弧内は振り仮名、以下同じ)とする。一方、録内御書(宝暦修補本)は「吹落スカコトク」で日乾の対校前の写本の表記と同じであり、これは「吹き落とすがごとく」(「落とす」は他動詞サ行四段活用)と読める。注目すべきは兜木正亨の校訂で、『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』(岩波書店、昭和39年)及び『日蓮文集』(岩波文庫、1968年初版)では「零(ふき)落(おと)すがごとく」(前者362頁、後者238頁)とする。『現代語訳 開目抄(上)』(創価学会教学部編、聖教新聞社、2016年)でも「無数の草についた露を大風が吹き落とすように」(同書200頁)と訳していて、前掲・録内御書(宝暦修補本)と同じ読みとなっている。この兜木と創価学会の二例は古語・現代語の違いはあるにせよ、「吹き落とす」「零落す」を会通したものと解せるだろう。問題は「零落す」を「ふきおとす」と訓読みすることが妥当なのか、「吹き落とす」の意があるのかということだが、諸橋大漢和でも漢字「零」に「吹く」の意はなく、さらには「零落れる」で「おちぶれる」とする難読の例がある(前掲『学研新漢和大字典』参照)。なお「零落」を日蓮大聖人御書全集全文検索で検索すると、当該箇所の他に2件、すなわち①「佛堂零落」(「立正安国論」、原漢文、真蹟第十六紙、中尾堯『読み解く『立正安国論』』臨川書店、2008年、119頁、御書全集は23頁)、②「鎮護國家ノ道場雖トモ令せシムト零落」(「災難対治抄」、原漢文・訓点あり、真蹟第十紙、『日蓮聖人真蹟集成』第1巻、法蔵館、昭和51年、261頁、御書全集は83頁)がヒットする。二つは原文が漢文であることから「れいらく」と音読みし、文法及び文脈上「おちぶれる」を意味すると解せる。また鎌倉遺文フルテキストデータベース(東京大学史料編纂所)で「零落」を検索すると8件の用例が見られるが、全て「れいらく」「おちぶれる」の読み・意味のようである。なお刊本録内御書については、国立国会図書館蔵の古活字本では、宝暦修補本とは異なり「零落スルカコトク」(御書二、四十九丁表、同書については過去記事「国立国会図書館ウェブ公開中の日蓮書簡集について」で紹介した)。
さて、本稿で私がこれまで日蓮文集の諸本を対照した注記は、翻刻する上で、御書全集との異同で気になった箇所を取りあげているだけで、極めて恣意的なところがあるが、一字の違いであれ、度々調べていると思いの外、校定上の問題が浮き彫りになることが確認された。これには日乾本の翻刻という本稿の第一義的な目的からは逸れるものがあるが、今後も併せて進めたい。

*3:=鳳

*4:異体字。u2d9df

*5:濁点が消されているか判読し難いが、104頁四行及び五行の「クズレズ」「タガハズ」で消去跡が分かるから、ここも同様とした。

*6:=閉

*7:保留。史的文字DB、異体字解読字典、グリフウィキにない。

*8:○の右脇に書き込みがあるが二重以上の線で消されている。この削除がなされたのが写本成立時なのか日乾による対校時なのかは定かではない。このような削除は度々あったが、筆跡が分からず確認しようがない。

*9:「又諸大菩薩」以下の右肩に日乾筆で注記されている。判読困難であるが、高木豊「『開目抄』『撰時抄』『報恩抄』の分巻をめぐって――日蓮遺文の書誌に関する試論の一つ――」(『大崎学報』第128号、立正大学仏教学会、昭和51年、46頁)を参照。同稿で高木はこの注記を「此ヨリ已下ヲ可調下巻」とし、これについて「内容上の分巻の一提言として注目してよいであろう」と述べている。宮崎英修も同様に翻刻(宮崎英修「開目抄の伝承と乾師本の価値について」、『大崎学報』第98号、昭和26年、36頁)。兜木正亨は「此より已下可調下巻」と注釈している(『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』、363頁)が、高木が記したように「已下」の直後に一文字あるように見える。なお、この注も岩波文庫日蓮文集』では省かれている(注の省略のみならずテキストにも両者で異同があるかは気にかかる。と思っていたら確認された。112頁注を往見されたい)。高木と兜木が参照した日乾本について付言しておきたい。高木が前掲稿で参照した日乾本は、本稿で底本としているのと同じ本満寺刊『開目抄 乾師対校本』(梅本正雄編)であり、同書の発行は昭和39年12月8日である。対して兜木注を収めた『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』は同年4月6日発行であり、『開目抄 乾師対校本』に先行する。となれば、兜木(及び他の御書の校訂を担当した新間進一)が『日本古典文学大系』の凡例で「「開目抄」の底本は、日乾が身延旧蔵の真筆本に対校した、京都本満寺蔵の写本によった」(前掲書288頁)というのは原本のことであろうか。兜木が件の日乾の注記で「ヲ(を)」を拾わなかった理由として、原本の筆跡から、これが誤字の塗りつぶしか何かであると判読した可能性が見出されるが、単なる誤記とも考えられなくもない(前稿・翻刻⑩、94頁の注で、兜木の校訂の誤りを指摘した)。いずれにせよ高木や兜木による先行研究は、もはやテキストの原本またはその鮮明な写真へのアクセスが困難な現在では、貴重な成果であるといえよう。

*10:異体字。ikin127。≒體

*11:合字・略字、「并」に近い字体。=菩薩。日乾の訂正筆。訂正前の親文字は「艸」を上下に二つ並べた字に見える。菩薩の列挙として、ここだけ略字を使用している。

*12:釋の偏が米である異体字。グリフウィキにはない。

*13:「二教」直後の「ヲ」を削除し○の右脇に「ノ義趣ヲ」。

*14:写本の筆。「ス」と「ヌ」の違いは、「ス」は筆がとめで終わるのに対し、「ヌ」ははらいで終わっていることで判読できる。

*15:ママ

*16:異体字としてきたが再検討の余地あり。

*17:○の右脇に「一向」。

*18:=派

*19:「ワカレ」を削除し○の右脇に「沠シ」。

*20:87頁に既出だが、保留して後出を含めて検討する。

*21:異体字。u7aed-ue0102

*22:○の右脇に「山ト申」。

*23:=体

*24:「初」を削除。

*25:日存本、録内御書(宝暦修補本)、御書全集は「初音」。高祖遺文録、縮刷遺文、昭和定本、平成新修、『日蓮文集』は「音」。

*26:○の右脇にレ。

*27:○の右脇にカ。

*28:高祖遺文録は「山の半バ」。縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成新修は「を」のみ。『日蓮文集』は「をば」。平成校定は「をば」で日存本に「ば」がないと注記。稲田海素が本満寺にて日乾対校本によって校正したという縮刷遺文で「ば」がないのは不審である(後注も参照)。昭和定本は日乾本との異同が漏れている。録内御書(宝暦修補本)は「山ノハニ」で日乾の対校前の写本と同じであり、これは101頁「零落ス」で注記したのと同様である。録内御書(前掲・国会図書館蔵古活字本)は「山ノ半ハ」で高祖遺文録に同じ。

*29:音通か。録内御書(宝暦修補本)、録内御書(国会図書館蔵古活字本)、高祖遺文録、縮刷遺文、昭和定本は「大數」。御書全集、平成新修は「大数」。平成校定は「大数」で日乾本は(大)「衆」と注記。兜木は『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』で経文により「大數」に校訂(『日蓮文集』も同じ)。昭和定本ではここでも日乾対本との異同が漏れている。今後の研究のために以下記すが、前後の法華経方便品の経文は「諸の天竜神等は 其の数恒沙の如し 仏を求むる諸の菩薩は 大数八万有り 又諸の万億国の 転輪聖王は至れり 合掌し敬心を以て 具足の道を聞きたてまつらんと欲す」(『妙法蓮華経並開結』創価学会版、115頁。同書は日蓮が所持し注釈を書き込んだ春日版の法華経並開結、いわゆる「注法華経」を底本とし、大正蔵によって校訂を加えている)。大正No.262, 9巻6頁c段2行。これはいわゆる三止三請における舎利弗による第一請の偈の部分であり、現代語訳では「多くの天・竜神などで、その数がガンジス河の砂ほど数多くのものと、/仏を求める多くのボサツが、その数はたいそう多くて八万人もおります。/それらのものたちと、また多くの万億の国の、転輪聖王(世俗世界の理想的な王)とにいたるまで、/一同みな合掌して、尊敬の心をもって、仏のそなえられた完全な道をお聞きしたいと願っています」(『法華経現代語訳(全)』三枝充悳訳、第三文明社、1978年、56頁、改行は/で示して追い込んだ。春日版の漢訳・妙法蓮華経の口語訳)とされる。当該文周辺はサンスクリット本によれば「ヤクシャ(夜叉)や、ラークシャサ(羅刹)に伴われたガンジス河の砂(恒河沙)の〔数の〕ように幾千・コーティもの〔多くの〕神々や、龍、さらにまた完全な覚りを求めるところの人(菩薩)たちで、八万もの数を満たして立っているところの人たち、/大地の保護者であるところの王たち、幾千・コーティもの〔多くの〕国土からやってきたところの転輪王たち、〔それらの神々や、龍、菩薩、王、そして転輪王たちの〕すべてが合掌し、尊敬の心をもって立っています。『私たちは、いったいどのようにして、修行を完成させるのだろうか?』と」(『梵漢和対照・現代語訳 法華経 上』植木雅俊訳、岩波書店、2008年、89頁)であり、「具足の道」については、漢訳の妙法蓮華経とはいささか文意が異なるようである。略開三顕一における「具足(の道)」を字義から薩、沙、六、妙、法華経の肝心真言、正、六度万行、十界互具、九界即仏界・仏界即九界と解釈していく展開は、途中は明覚『悉曇要訣』巻第四(11世紀成立、後注参照)に類似していて着想のヒントになったと推測できるとはいえ、日蓮独自と見てよいと思う。また「妙法」の意義を方便品から解釈している点も興味深いが、これらは探求課題とする。

*30:録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、『日蓮文集』は「は」。縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修は「とは」。

*31:引用出典や文意から「沙」が妥当であろう。録内御書(宝暦修補本)は「砂(妙)」。高祖遺文録、縮刷遺文、御書全集、平成新修は「沙」。昭和定本は「沙」で「妙」(乾師所依本)と注記。平成校定は「沙」で日乾本は「妙」と注記するが、これでは誤解を招く。『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』では注法華経と日乾本により「沙」(『日蓮文集』も同じ)。

*32:=決。→訳。高祖遺文録、平成新修は「決」。録内御書(宝暦修補本)、縮刷遺文、御書全集は「訳」。昭和定本は「决」で縮刷遺文「譯」と注記。平成校定は「訳」で日乾本は「決」と注記。注目すべきは兜木『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』では注法華経により「譯」としていたのを『日蓮文集』では「决」に変更している点である。『日本古典文学大系』では「沙とは訳(ママ)して六と云う」の補注に「決の字が訳の誤りであることは、文意から見てもわかるが、書入経(引用者注=注法華経のこと。同書で便宜上なされた略称)巻一の見返しに、この同文を引いており、そこには訳となっている」(同書506頁)とある。

*33:昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』は「胡法には」。録内御書(宝暦修補本)、御書全集は「胡法に」。高祖遺文録、縮刷遺文は「胡法」のみであるが、両者は真蹟または日乾対校本を用いて校正されているにも関わらず、共に「ニハ」がない。以下、両者の校訂について付言しておきたい。小川泰堂が高祖遺文録の開目抄の末尾に記した注によれば、明治5年に身延山で小川は日蓮真蹟を披見し、「此開目鈔ハ最モ其首タル書ニシテ分テ四軸トセリ兼テ古版不審ナル処ハ此時ニ照鑑シ全部ハ中古遠乾二師此ヲ親写上木アリシ百部摺本ノ内ノ一本ヲ得テ謹テ校定セリ」(巻十二、八十三丁裏、漢字は常用漢字に改めた)と記しており、これは焼失前の開目抄の真蹟との対照が部分的なものだったことを示している。その判断も何らかの事情があった、あるいは恣意的なものだったことが推測されるが、その解明のヒントは上記引用中の「慶長の百部摺本」にあると思われ、今後の課題としたい(同本の研究は近年、進展が見られる)。縮刷遺文については、稲田海素が真蹟対照主任として校正に用いた日乾本と表記が一致しない点は、その真蹟重視の編纂方針に反する結果となっている。縮刷遺文の本文校訂には本間解海の判断が大きく関与しているようであるが、稲田の校正の精度の問題か、それとも本間の影響によるのか、不審な点である(前川健一「『縮刷遺文』の本文整定について」、『東洋哲学研究所紀要』第25号所収、2009年を参照)。稲田は縮刷遺文の開目抄下の末尾に「明治三十五年六月七日於京都本満寺乾師之御真蹟直写対照之本正之(稲田海素処記)」(縮刷遺文=『日蓮聖人御遺文』、加藤文雅編集代表、昭和10年=第15版、824頁、漢字は常用漢字に改めた)と注記している。当時の様子は『日蓮聖人御遺文対照記』に記録されており、稲田は明治35年6月4日に京都本満寺を訪れ、「日々当山に詣りて日乾上人の慶長九甲辰年六月二十八日身延山に於て後代の証本として入念に校正遊されたる御本を以て、開目鈔報恩抄顕謗法抄の全部及諌暁八幡抄の遺文大本二十九の最初より四十一左二行の酪味のことしまてを対照する事前後一周間程なり」(『日蓮聖人御遺文対照記』、明治41年=再版、77頁、漢字は常用漢字に改めた)と記している。開目抄全篇を含む長編の日乾本を一週間ほどで対照すればミスが起こる蓋然性が高いと見られるが、この点は稲田自身が自覚的であったようで、同書凡例に「今回の真蹟校正の如きは古来難事とする所なれば最も慎重を払て精校すと雖猶ほ誤謬なきを保せず況んや印刷の誤植に於てをや其責固より予の甘受する所なり読者敢て叱正の労を吝むなかれ」(前掲書、序5頁、漢字は常用漢字に改めた)と記している。

*34:=疏

*35:諸本の表記の異同は既出『無依無得大乗四論玄義記』引用と同じであるが、高祖遺文録と縮刷遺文は「妙」。先の「ニハ」の注と同様の結果であるが、これも不審である。

*36:異体字。u7ffb-itaiji-003

*37:以上の具足義に関する五つの経論の引用、①法華経方便品、②涅槃経如来性品、③『(無依無得大乗)四論玄義記』、④吉蔵疏、⑤『法華玄義』の文については、同抄下巻冒頭の⑥『大智度論』の文や「観心本尊抄」における引用(以上に加え⑦無量義経、御書全集246頁参照)を含めて時間をかけて調査し、別稿に記したい。日乾本では下巻となる開目抄では引かれるも観心本尊抄では引かれない⑧「善無畏三蔵の法華経の肝心真言」については、あくまで法華経方便品から説き起こされた具足義の経論引用中の一環であるから、日蓮密教受容と捉えるべきかは慎重を要する。併せて追究する。
先の注で触れたが、明覚『悉曇要訣』巻第四には「沙字云六亦云具足。故可云具足章句而云六字章句。涅槃經云。沙者名具足義吉藏疏云。沙者翻爲具足文大品經云。沙門諸字法六自在性清淨故文大論云。若聞沙字即知人身六種相。沙秦言六無依無得大來四諦玄義記云。沙者譯云六。胡法以六爲具足義也文若爾梵可云沙字章句。漢可云具足章句。如法華云其語巧妙具足清白。文云。欲聞具足道般若。云文義巧妙具足無雜。華嚴云。爲説圓滿經。大經云滿字法門也。然沙字中含六義故云六字章句歟。若以六釋具足義即可也。如薩達磨此云正法或云妙法。故合云正妙法也。若離具足而釋六義即難也」(大正No.276, 84巻552頁a段15行-29行)とある。一読してわかるように、開目抄の引用文は同書にほとんどが収録されている(下線参照)。『無依無得大玄義記』としているが誤表記か。同書でも「吉藏疏云」としている。智顗・灌頂『法華玄義』巻第八上の文については、原典は「薩達磨。此翻妙法」(大正No.1716, 33巻775頁a段3行)であるが、開目抄や『悉曇要訣』では類似の文となる。
なお上下の分巻については、下巻の始めは、上巻終盤で説き起こされた具足義のサンスクリット語・漢語による解釈が続くから、ここで上巻が終わるのは歯切れが悪く、専ら分量によるものであるとの高木の指摘(前掲論文)も頷ける。
また104頁の日乾による分巻の傍注も、一案として妥当性があると思う。当該箇所の前後の文脈は、法華経の行者である(はずの)日蓮に対して、二乗、諸菩薩、諸天、諸人が守護する責務があることを、彼らが爾前経ではなく法華経によって成仏が保証されたことに対する報恩という観点から追究していくが、日乾が指摘した箇所は、直前が爾前経に恩がない人物として二乗を挙げてきたのに対し、以後に諸菩薩・天・人を挙げていく箇所である。これは、前掲『現代語訳 開目抄』及び日寛「開目抄愚記」の第26段冒頭に相当する(御書全集207頁十行)。その他、一案として、同第27段「仏、御年七十二の年、摩竭提国」以下=具足義の考察の前(本稿底本109頁七行、御書全集208頁十一行)か第28段「而れども霊山日浅くして」以下=具足義の考察の後(本稿底本119頁七行、御書全集210頁下巻五行)かで区切ることもできるだろう。

*38:「開目抄上」を二重線で削除。