日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑬
翻刻を通して再読してみると、教主(本尊)論として吟味したい一節の多い箇所である。
「或は云く『法華寿量品の仏は無明の辺域、大日経の仏は明の分位』等云云」(137頁)と空海が主張したとする文は、「撰時抄」「報恩抄」等における日蓮による空海批判で頻出する語句なので、今後の研究のために少し注釈を加えた。
(131)*213頁
ナリシ事ナリ外典申或者道ヲユケハ路ノホトリニ年
三十計ナルワカモノカ八十計ナル老人ヲトラヘテ打
ケリ何ナル事ソトトエ*1ハ此老翁ハ我子也ナント申トカ
タルニモニタリサレハ弥勒菩薩䓁疑云丗尊如來
為太子時出於粎宮去伽耶城不遠㘴於道
場得成阿耨多羅三藐*2三菩提是已來始過
四十餘年丗尊云何於此少時大作佛事䓁云云
(132)
一切ノ菩薩始芲厳経ヨリ四十餘年㑹々ニ疑ヲマウ
ケテ一切衆生ノ疑網ヲハラス中ニ此*3疑第一ノ疑ナルヘシ
無量義経ノ大㽵厳䓁ノ八万ノ大士四十餘年ト今
トノ歴劫疾成ノ疑ニモ超過せリ観无量壽経ニ韋
提希夫人ノ子阿闍丗王提婆ニスカサレテ父ノ王ヲ
イマシメ母ヲ殺トせシカ耆婆月光ニヲトサレテ母ヲ
ハナチタリシ時佛ヲ請タテマツテマツ第一ノ問云我
(133)
宿□*4何罪生此𢙣子丗尊復有何等因縁與
提婆達多共為眷属等*5云云此疑ノ中ニ世尊復有何等*6
囙縁等疑ハ大ナル大事ナリ輪王歒ト共ニ生レス帝粎ハ鬼ト
トモナラス佛ハ無量劫ノ慈悲者ナリイカニ大怨ト共ニハ
マシマス還□佛ニハマシマササルカト疑ナルヘシ而トモ佛答給ワス
サレハ観*7経ヲ讀誦せン人法芲経ノ提婆品ヘ入スハイタ
ツラコトナルヘシ大涅槃経*8ニ迦𫟒菩薩ノ三十六ノ問モコレニハ
(134)
及ハスサレハ佛此ノ疑ヲ晴サせ給ハスハ一代聖教泡沫ニトウシ
一切衆生疑網ニカヽルヘシ壽量ノ一品ノ大切ナルコレナリ
其後佛壽量品ヲ説云一切丗間天人及阿脩羅
皆謂今粎迦牟尼佛出粎𫞕宮去伽耶城不
遠㘴於道場得阿耨多羅三藐三菩提等云云
此経文ハ始寂滅道場ヨリ終法芲経ノ安樂行品ニ
イタルマテノ一切ノ大菩薩䓁ノ㪽知ヲアケタルナリ然
(135)*214頁
善男子我實成佛已來无量无𨕙百千万億
那由他*9劫䓁云云此ノ文ハ芲厳経ノ三𠙚ノ始成正覚
阿含経云*10初成*11淨名経ノ始㘴佛樹大集経云*12始
十六年大日経我昔㘴道場*13仁王経二十九
年无量義経我先道場法芲経ノ方便品云*14我始
㘴道場等ヲ一言ニ大虚妄ナリトヤフルモン*15ナリ此過
去常顕時諸佛皆粎尊ノ分身ナリ尓前迹門ノ時ハ
(136)
諸佛粎尊ニ肩並テ各修各行ノ佛カルカユヘニ諸佛ヲ本
尊*16トスル者粎尊等ヲ下今芲厳ノ台上方等般𠰥
大日経等ノ諸佛皆粎尊ノ眷属ナリ*17佛三十成道ノ
𢓦時ハ大梵天王第六天䓁ノ知行ノ娑婆世界ヲ𡙸*18
取給キ今尒前迹門ニシテ十方淨圡トカウシテ此圡ヲ穢
土トトカレシヲ打カヘシテ此圡ハ本圡トナリ十方淨土垂
迹ノ穢圡トナル佛久遠ノ佛ナレハ迹化他方ノ大菩薩
(137)
教主粎尊ノ𢓦弟子ナリ一切経ノ中ニ此壽量品マ
シマサスハ天ニ無ク二*19日月ノ一國ニ無二*20大王ノ一山河ニ无*21珠ノ人ニ
神ノカカランカコトクシテアルヘキヲ華厳真言䓁ノ権
宗ノ智者トヲホシキ澄観嘉*22祥慈㤙弘法䓁ノ一
往権宗ノ人々且ハ自依経ヲ讃歎せンタメニ或云*23華
厳経ノ教主ハ報身法芲経*24ハ應身或云法芲
壽量品佛無明𨕙域*25大日経ノ佛ハ明ノ分位䓁云云*26
(138)
*27雲ハ月ヲカクシ讒臣ハ䝨人ヲカクス人讒ハ黄石モ玉トミヘ
諛*28臣モ䝨人カトヲホユ今濁丗ノ学者䓁彼等ノ讒義ニ
隠テ壽量品ノ玉ヲ翫ハス又天台宗ノ人々モタホラ
カサレテ金石一同ノヲモヒヲナせル人々モアリ佛久成ニ
マシマサスハ㪽化ノ少カルヘキ事ヲ弁ヘキナリ月ハ影ヲ
悭*29サレトモ水ナクハウツルヘカラス佛衆生ヲ化*30せントヲ
ホせトモ結縁ウスケレハ八相ヲ現せス例せハ諸聲聞カ
(139)
初地初住ニハノホレトモ尓前ニシテ自調自度ナリシカハ
未來ノ八相ヲコスルナルヘシシカレハ教主粎尊
始成ナラハ今此卋界ノ梵帝日月四天䓁ハ劫初
ヨリ此ノ圡ヲ領スレトモ四十餘年ノ佛弟子ナリ霊
山八年ノ法芲結縁衆今マイリノ主君ニヲモヒ
ツカス久住ノ者ニヘタテラルヽカコトシ今久遠實成アラ
ワレヌレハ東方ノ藥師如來ノ日光月光西方阿弥陁
(140)*215頁
如來ノ観音㔟*31至乃至十方丗界ノ諸佛ノ𢓦弟子
大日金剛頂*32䓁ノ両部大日如來ノ𢓦弟子ノ諸
大菩薩猶教主粎尊ノ𢓦弟子也諸佛粎迦如
來ノ分身タル上ハ諸佛ノ㪽化申ニヲヨハス何況此圡ノ*33
劫初ヨリコノカタノ日月衆星䓁教主粎尊ノ𢓦弟
子ニアラスヤ而ヲ天台宗ヨリ外ノ諸宗ハ本尊ニマト
エリ*34俱舎成實律宗ハ三十四心断結成道ノ粎尊ヲ■
*1:親文字「へ」に削除線は見えない。
*2:草冠の下部が犭である異体字。史的文字DB、毛筆版くずし字解読辞典、グリフウィキにはない。そもそも日乾本は楷書とくずし字の混交である。
*3:○の右脇に「此ノ」があり「ノ」が削除されている。この削除跡と「此」の筆跡から、○による追加は元の写本筆であると推測される。
*4:「世」を削除。
*5:○の右脇に「等」。
*6:○の右下に「等」。
*7:異体字。u89b3-itaiji-001か。史的文字DB、毛筆版くずし字解読辞典、異体字解読字典、グリフウィキにはない。
*8:左肩にある「第三壽命品」を削除。
*9:御書全集は「佗」。
*10:○の右脇に「云」。
*11:「道」を削除。
*12:○の右脇に「云」。
*13:御書全には「等」あり。
*14:○の右脇に「云」。
*15:「文」を訂正。「文」すら仮名であることに疑問を持った私は、日蓮が真蹟現存の書簡で「文」を仮名「もん」と書いた用例を調べてみたが、「もんの心は」(南条殿御返事、御書全集1531頁)、「法華経のもんじなり」(南条殿御返事、同1542頁)が見つかり、ともに南条時光宛であった。小瀬玄士「武士の文書作成――鎌倉時代の場合」(東京大学史料編纂所編『日本史の森をゆく』中公新書、2015年第四版所収)によれば、鎌倉武士は文筆が不得手ゆえに特に漢文体の公式文書を右筆に代筆させていたようだが、その具体的事例として、梶川貴子「南条氏所領における相論」(『東洋哲学研究所紀要』第27号、2011年所収)を参照しながら、日蓮の富士方面の代表的檀越・南条時光(法名大行)を挙げている。こうした文筆能力の観点から日蓮の檀越の教養のレベルを推し量るうえで重要な情報を与えてくれる研究が、小林正博「日蓮文書の研究(1)」(『東洋哲学研究所紀要』第18号、2002年所収)である。同稿で小林氏は、日蓮が門弟の識字能力に合わせて書簡の漢字・仮名の使用比率を変えていたことを明らかにし、例えば四条金吾宛では漢字使用率が47.4%に対し南条時光宛では19.5%であり、南条氏は日蓮門下の中では、特に読み書きが不得手であったことを伺わせる。四条金吾に持たせた「開目抄」もやけに仮名が多い印象を受けるが、南条氏宛ほどではない。おそらくは教団内で四条金吾が読み書きができない者を含めて門弟を集め、金吾あるいは出家の弟子が開目抄を読み聞かせたと想像する。本抄の漢字・仮名の比率は四条金吾に合わせたのだろうか。当稿の翻刻が終了したのちに日乾本開目抄の漢字使用率を算出したいと思う。
*16:ここで日蓮は「本尊」という語を仏像や曼荼羅といった礼拝の対象物の意味で使用していない。文脈から「教主」(本稿底本137頁)、「本師」(=根本とする師、日蓮による用例としては「滝泉寺申状」にある)の意と思われる。
*17:娑婆世界の教主・久遠実成の釈尊の分身にして眷属(従者)である諸仏に、(密教の教主)大日如来が含まれるというのが、日蓮の認識であると明言されている。
*18:=奪
*19:○の左脇に「無ク二」。
*20:○の左脇に「無二」。
*22:吉部の右に点があるがこれで進める。
*23:右肩にある数文字の書入れが削除されているが判読困難。
*24:「ノ教主ハ」を削除。
*25:異体字。毛筆版くずし字解読辞典4448番に近い。史的文字DB、異体字解読字典、グリフウィキにはない。
*26:「或は云く『法華寿量品の仏は無明の辺域、大日経の仏は明の分位』等云云」は、空海の『秘蔵宝鑰』『弁顕密二教論』にある文の趣意である。日蓮は「撰時抄」「報恩抄」で空海のこの主張を批判の照準としている。空海の二書における当該文は六カ所あり、全て『釈摩訶衍論』巻五からの引用であり、以下に掲げる。引用については漢文は大正蔵、読み下しは部分的に『空海コレクション1』(宮坂宥勝監修、頼富本宏訳注、ちくま学芸文庫、2011年第五刷)を用い、それぞれの頁数を付した。
『釈摩訶衍論』は『大乗起信論』の注釈書であるが、法蔵以後の7-8世紀に中国か朝鮮半島において成立したとする説が有力であり、日本には天応元(781)年に戒明が伝えたという(『仏典解題事典〈第三版〉』春秋社、2020年、211-2頁、平川彰・佐藤もな稿)。竜樹菩薩造とされるが、後世の経録や僧伝には本書に関する記録は見られず、また偽撰とするものも多かったから(前掲書参照)、日蓮が開目抄・撰時抄・報恩抄で空海の言として扱っているのも一定の妥当性があると言えよう。もっとも日蓮にそのような認識があったかは精査する必要があるが、日蓮が諸著作で『菩提心論』等、密教経典及び注釈書の成立に疑義を呈していることは、その傍証になり得るかもしれない。また、同書及び空海の引用文中にある「不二摩訶衍」という最上の教えが何を意味するかは同書では明らかにされていないという(加藤精一訳『ビギナーズ 日本の思想 空海「弁顕密二教論」』角川文庫、2014年)。日蓮が『釈摩訶衍論』全文を披見していたかは確認できないが、知っていたら批判していただろう。
日蓮が開目抄のこの箇所で、空海が「法華寿量品の仏」(=久遠実成釈尊)と「大日経の仏」(=大日如来)を比較し前者を貶めていることを批判している点に注意したい。文脈上、教主の勝劣を述べているから、これは娑婆世界の教主・久遠実成の釈尊と密教の教主・大日如来の比較と言えるが、ここでは「法華寿量品(=法華経)の仏」と「大日経の仏」と書いているあたり、日蓮が日本仏教ないし経典の総称としての「顕密」の語を使用していても、空海が言うところの教主の「弁顕密」を容認しているか疑わしく、あくまで経典を主軸に所説の教主の勝劣を比較している。本抄で「大日経に云く『我昔坐道場』等云云」(本稿底本53頁、翻刻⑥)、「華厳経の台上十方、阿含経の小釈迦、方等、般若の金光明経の阿弥陀経の大日経等の権仏等は、此の寿量仏の天月しばらく影を大小の器にして浮かべ給うを」(59頁、同)、「大日経には『我一切本初』等云云」(66頁、翻刻⑦)、「大日経の『我昔坐道場』」(135頁、当稿)と見てきたように、日蓮は大日経所説の仏を始成正覚の権仏としている。経典の勝劣から所説の仏・教主の勝劣を論じ、その基準は久遠実成か始成正覚かに依っている。仮に顕教の教主・(久遠実成)釈尊が密教の教主・大日如来より優れていると主張しようとするものなら、それこそ相手の土俵に乗ることになるから、空海が新しく設けた「弁顕密」のフレームワークを日蓮は容認せずに教主論を展開していると私は考えている。なお日乾本の「法華寿量品の仏」は日存本では「法華経寿量品の仏」である。
前置きが長くなったが、空海の二書における「無明辺域」「非明分位」の文、六カ所を見ていこう。まずは『秘蔵宝鑰』巻下について。①「問。絶諸戲論寂靜無爲。如是住心致極底否。那伽羅樹那菩薩説。淸淨本覺從無始來。不觀修行非得他力。性徳圓滿本智具足。亦出四句亦離五邊。自然之言不能自然。淸淨之心不能淸淨。絶離絶離。如是本處無明邊域非明分位」(大正No.2426, 77巻370頁c段28行 - 371頁a段5行、空海コレクション189頁)。これは第七覚心不生心の章で中観を批判したものであるから、直接的に日蓮の逆鱗に触れた文ではないだろう。
②「問。如是一法界一道眞如之理爲究竟佛。龍猛菩薩説。一法界心非百非背千是。非中非中背天背天。演水之談足斷而止。審慮之量手亡而住。如是一心無明邊域非明分位」(問う。かの如くの一法界一道真如の理をば究竟の仏とやせん。龍猛菩薩の説かく、「一法界心は百非にあらず、千是に背けり。中にあらず、中にあらざれば天に背けり。天に背きぬれば、演水の談、足、断って止まり、審慮の量手、亡じて住す。かくの如くの一心は無明の辺域にして明の分位にあらず」と。大正No.2426, 77巻371頁c段18行-22行、空海コレクション202頁)。これは第八一道無為心の章で、天台宗を扱い、まさしく法華経および天台智顗を批判している。結論を先取りすれば、空海が特に紙幅を割いて法華経を「無明の辺域」と下しているのは、同章であり、ここでは善無畏『大日経疏』巻二を引用し、久遠実成の釈尊に言及している。同章をさらに遡ると空海の地の文として法華経の教えを解説する箇所があるのだが、開三顕一、発迹顕本、二仏並坐、地涌出現と、説相がわりと交錯した順序で説明をした上に「一実の理、本懐をこの時に吐き、無二の道、満足を今日に得」(空海コレクション192頁)としており、これは久遠実成よりも開三顕一を釈尊の「本懐」としていると読める。現代人が虚心に読めば法華経の基礎知識に欠けるとの謗りを免れない文だと思う。こうした寿量仏の軽視が伏線となった「無明辺域」の引用でもあるので「法華寿量品の仏は無明の辺域」という日蓮の理解も頷けよう。『秘蔵宝鑰』で空海は久遠実成釈尊を直接批判せず、大日経や『釈摩訶衍論』の引用をもって批判している。同書は天長7(830)年の成立で伝教大師最澄没(822)の後であるとはいえ、久遠実成釈尊を破折することは容易ではなかったと思われるがこれも探求課題としたい。
③「問。如是一法界一道眞如之理爲究竟佛。龍猛菩薩説。一法界心非百非背千是。非中非中背天背天。演水之談足斷而止。審慮之量手亡而住。如是一心無明邊域非明分位」(大正No.2426, 77巻371頁c段18行-22行、空海コレクション225頁)。これは第九極無自性心の章で華厳を批判している。②③は同じ文の引用である。なお『十住心論』と『秘蔵宝鑰』は広本・略本の関係とされるが、『釈摩訶衍論』の引用については、「無明邊域非明分位」は『十住心論』に見られない。
次に『弁顕密二教論』巻上について。「龍猛菩薩釋大衍論云。一切衆生從無始來。皆有本覺無捨離時。何故衆生先有成佛後有成佛今有成佛。亦有勤行亦有不行。亦有聰明亦有暗鈍。無量差別。同有一覺皆悉一時發心修行到無上道。本覺佛性強劣別故如是差別。無明煩惱厚薄別故如是差別。若言如初者此事則不爾。所以者何。本覺佛性圓過恒沙之諸功徳無増減故。若言如後者此事亦不爾。所以者何。一地斷義不成立故。如是種種無量差別皆依無明而得住持。於至理中無關而已。若如是者一切行者。斷一切惡修一切善。超於十地到無上地。圓滿三身具足四徳。如是行者爲明無明。如是行者無明分位非明分位。若爾淸淨本覺從無始來不觀修行非得他力。性徳圓滿本智具足。亦出四句亦離五邊。自然之言不能自然。淸淨之心不能淸淨。絶離絶離。如是本處爲明無明。如是本處無明邊域非明分位。若爾一法界心非百非背千是。非中非中背天背天。演水之談足斷而止。審慮之量手亡而住。如是一心爲明無明。如是一心無明邊域非明分位。三自一心摩訶衍法。一不能一假能入一。心不能心假能入心。實非我名。而立曰。我亦非自唱而契於自。如我立名而非實我。如自得唱而非實自。玄玄又玄遠遠又遠。如是勝處爲明トヤ無明カ。如是勝處無明邊域非明分位。不二摩訶衍法唯是不二摩訶衍法。如是不二摩訶衍法爲明トヤ無明カ喩曰。已上五重問答甚有深意。細心研覈乃能詣極。一一深義不能染紙。審而思之」(大正No.2427, 77巻375頁b段22行-c段25行、空海コレクション284-5頁)。最後の喩釈以外大部分が引用であり、その中で四カ所にわたって「無明」と断じるが、一つ目は法相宗、二つ目は三論宗、三つ目が天台宗、四つ目が華厳宗に相当する。三つ目は『秘蔵宝鑰』②で法華経及び天台を批判した箇所に相当する。
最後に大正蔵所収の『釈摩訶衍論』巻五における当該文を引く。「一切衆生從無始來。皆有本覺無捨離時。何故衆生先有成佛。後有成佛。今有成佛。亦有勤行。亦有不行。亦有聰明。亦有闇鈍。無量差別。同有一覺皆悉一時發心修行到無上道。本覺佛性強劣別故。如是差別。無明煩惱厚薄別故。如是差別。若言如初者。此事則不爾。所以者何。本覺佛性圓過恒沙之諸功徳無増減故。若言如後者。此事亦不爾。所以者何。一地斷義不成立故。如是種種無量差別。皆依無明而得住持。於至理中無關而已。若如是者一切行者。斷一切惡修一切善。超於十地到無上地。圓滿三身具足四徳。如是行者爲明無明。如是行者無明分位非明分位。若爾清淨本覺從無始來。不觀修行非得他力。性徳圓滿本智具足。亦出四句亦離五邊。自然之言不能自然。清淨之心不能清淨。絶絶離離。如是本處爲明無明。如是本處無明邊域非明分位。若爾一法界心。非百非背千是。非中非中背天。非天演水之談足斷而已止。審慮之量手亡而*已住。如是一心爲明無明。如是一心無明邊域非明分位。三自一心。摩訶衍法一不能一假能入一心。不能心假能入心。實非我名而目於我。亦非自唱而契於自。如我立名而非實我。如自得唱而非實自。玄玄又玄。遠遠又遠。如是勝處爲明無明。如是勝處無明邊域非明分位。不二摩訶衍法。唯是不二摩訶衍法。如是不二摩訶衍法爲明無明」(大正No.1668, 32巻637頁b段23行-c段22行)
*27:「夫」を削除。
*29:=慳
*30:保留。
*31:=勢
*32:「経」を削除。
*33:○の右脇に「ノ」。
*34:前注や文脈からして、つまり「…諸宗は教主にまどえり」と換言できるのではないか。次回冒頭も「教主」と「本尊」を同義に扱っている。その点は次回追って考察する。