日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑧
日蓮自身の誓願が明かされる。また天台大師や伝教大師よりも自身の慈悲が優れているとまで宣言しておきながら、一転して天の加護がない、自分は法華経の行者ではないのか?と自問する。この落差、起伏、うねりに圧倒されるが、当時の「今日切る、あす切る」(報恩抄、御書全集323頁参照)と言われる状況で、日蓮が命懸けで自身の内心、境地、「魂魄」(開目抄、本稿底本182頁)を留め遺すのは、この表現でこそ成し得るのかもしれないと拝察している。
(71)
経ノ難ナントハ忍シ䄇ニ権大乗實大乗経極タル
ヤウナル道綽善導法然等カコトクナル𢙣魔ノ
身ニ入タル者法芲経ヲツヨクホメアケ機ヲアナカチニ
下理深解微ト立未有一人得者千中无一等ト
スカシヽモノニ无量生カ間恒河沙度*1スカサレテ権
経ニ堕ヌ権経ヨリ小乗経ニ堕ヌ外道外典ニ堕ヌ結句ハ
𢙣道ニ墮*2ケリト深此ヲシレリ日本国ニ此ヲシレル者
(72)
但日蓮一人ナリコレヲ一言モ申出スナラハ父母
兄弟師匠國主王難必來ヘシイワスハ慈悲ナキニ
ニタリト思惟スルニ法芲経涅槃経等ニ此二𨕙ヲ
合*3見ルニイワスワ今生ハ叓*4ナクトモ後生ハ必无間地獄ニ
墮ヘシイウナラハ三障四魔必竸*5起ルヘシトシヌ*6二
𨕙ノ中ニハイウヘシ王難等出來ノ時ハ退転スヘクハ一
度ニ思止ヘシト且ヤスライシ䄇ニ寳塔品ノ六難九易
(73)
コレナリ我等䄇ノ小力ノ者湏弥山ハナクトモ我等
䄇ノ無通ノ者乾草ヲ負*7テ劫火ニハヤケストモ我等䄇ノ無
智ノ者恒沙ノ経々ヲハヨミヲホウトモ法華経ハ
一句一偈末代ニ持カタシトトカルヽハコレナルヘシ今
度強盛ノ菩提心ヲヲコシテ退転せシト願シヌ既ニ二十餘
年カ間此法門ヲ申ニ日々月々年々ニ難カサナル
少々ノ難ハカスシラス大事ノ難四度ナリ二度ハ
(74)*201頁
シハラクヲク王難ステニ二度ニヲヨフ今度ハステニ我身命ニ及
其上弟子トイ井𣞀那トイ井ワツカノ聴聞ノ俗人ナント
來テ重科ニ行ル謀反ナントノ者ノコトシ法芲経第四云
而此経者如來現在猶多怨嫉況滅度後等
云云第二云見有讀誦書持経者軽賎憎嫉而
懐結恨等云云第五云一切丗間多怨難信等云云
又云有諸无智人𢙣口罵詈等又云向國王大
(75)
臣婆羅門居士*8誹謗説我𢙣謂
是邪見人又云數々見擯*9出等云云又云
杖木瓦石而打擲之等云云涅槃経云尓時多
有リ二無量*10外道一和合*11共ニ往二摩訶陁國ノ王阿闍卋ノ
㪽ニ一今マ唯有リ二一ノ大𢙣人一瞿曇沙門一切丗間ノ
𢙣人為ノ二利養ノ一故ニ往二集其ノ所ニ一而為二眷*12属ト一不䏻二修
善ニ一咒*13術ノ力ノ故ニ調二伏迦𫟒及ヒ舎利弗目犍*14連等云云
(76)
疏八*15天台云何況未來ヲヤ理在レ難ニレ化シ一也等云云妙樂云
障未レ除者ヲ為シレ怨ト不二喜テ聞一者ヲ名レ嫉ト一等云云南三北
七之十師漢圡無量学者天台ヲ怨歒トス得一
云咄哉智公汝是誰カ弟子ソ以テ下不レ足二三寸ニ一舌根ヲ上
而謗ス二覆面舌ノ之㪽説ヲ一等云云東春云問在
丗ノ時許多怨嫉一佛滅度ノ後説二此経ヲ一時何故ソ亦
多キ留難一耶答テ一如キハ二俗ノ言カ一良藥苦〔ニ〕カシレ口ニ此経ハ廃*16□二
(77)
五乗ノ*17之異*18執ヲ一立ルカ二一極ノ之玄宗ヲ一故ニ斥〔ソシリ〕*19レ凡ヲ呵*20〔カシ〕レ聖ヲ排〔ハライ〕レ
大一ヲ破レ小ヲ銘〔ナツケテ〕*21天魔ヲ一為シ二毒䖝ト一説テ二外道ヲ一為シ二𢙣鬼*22ト一貶〔ソシツテ〕二執
小ヲ一為シ二貧賎ト一拙〔せツ□〕*23〔ハチシメテ〕*24菩薩ヲ一為ス二新学ト一故ニ天魔𢙣〔ニクミ〕レ聞ヿヲ*25外道ハ
逆レ耳ニ二乗驚恠*26シ菩薩ハ怯〔カウ〕行ス如レ此之徒ラヲ𢘻ク為ス二留
難ト一多怨嫉ノ言豈ニ唐哉等云云顕戒論ニ云僧
統奏*27曰西〔せイ〕夏*28〔トニ〕有リ二鬼弁婆羅門一東圡ニ吐ク二巧言〔ケンヲ〕一禿〔トク〕
頭〔ツノ〕*29〔トウ〕*30沙門此レ乃チ物類冥*31召誑二惑ス丗間ヲ一等云云論曰*32
(78)*202頁
昔ハ聞ク齊*33〔せイ〕朝之光統今ハ見ル本朝之六〔ロク〕統實ナル哉法芲ノ
何況也等云云秀句云語代則像ノ終末ノ初メ尋ハレ地ヲ
唐ノ東羯*34〔カツ〕ノ西原ヘハレ人則五濁ノ之生闘諍ノ之時経ニ云猶
多怨嫉況滅度後此ノ言良有以也䓁云云夫小
兒ニ灸治ヲ加ハ必父母ヲアタム重病ノ者良藥ヲアタウレハ
定口ニ苦トウレウ在丗猶ヲシカリ乃至像末𨕙
土ヲヤ山ニ山ヲカサ子波ニ波ヲタヽミ難ニ難ヲ加非ニ々ヲマスヘシ
(79)
像法ノ中ニハ天台一人法芲経一切經*35ヲヨメリ南北コレヲ
アタミシカトモ陳隋二代ノ聖主眼前ニ是非ヲ明メ
シカハ歒ツイニ盡像ノ末ニ傳*36教一人法芲経
一切経ヲ佛説ノコトク讀給ヘリ南都七大
寺蜂*37起せシカトモ桓武乃至嵯*38峨等ノ䝨主我ト
明給シカハ又事ナシ今末法ノ始二百餘年ナリ
況滅度後ノシルシニ闘諍*39ノ序トナルヘキユエニ非□理ヲ前ト
(80)
シテ濁丗ノシルシニ召合セ*40ラレスシテ流罪乃至壽ニモ
ヲヨハントスルナリサレハ日蓮カ法芲経ノ智解ハ天台
傳教ニハ千万カ一分モ及事ナケレトモ難ヲ忍ヒ慈悲*41
スクレタル事*42ヲソレヲモイタキヌヘシ定テ天ノ𢓦
計ニモアツカルヘシト存スレトモ一分ノシルシモナシイヨ〱
重科ニ沉*43還テ此事計ミレハ我身ノ法芲経ノ行者ニ
アラサルカ又諸天善神等ノ此國ヲステヽ去給ル■
*1:これまで複数回出現し確認を進めた結果、既出も異体字u2ff8-u5e7f-u2ff1-u9fb7-u53c8であると判断できる。
*2:=堕
*3:直後に「せ」があるが削除跡がある。
*4:=事
*5:=競
*6:「しぬ」ではあるが、親文字「知ン」を「シ」に替えているから、校定後の読みは「し(知)んぬ」がよいと思われる。
*8:「及餘比丘衆」を削除。
*10:直後に「ノ」がありそうだが削除点がある。後注参照。
*11:「ノ」に小さな削除点があるように見える。ここは文章的に「ノ」はあり得ず、その形が直前の「ノ」の削除点と類似していることから、直前の「ノ」も削除と見なせると判断した。
*13:=呪
*14:○の右脇に犍。
*15:ただし疏は偏がない。「疏八」は「天台云」の右脇にある。これは『法華文句』巻八上を指すと考えられる(大正No.1718, 34巻110頁b段14行)。「疏八」に削除線らしきものはなく厳然と記されているが、大体の遺文集を調べたが拾われていないようである。注記と解されたのだろうか。
*17:ここからしばらく「ノ之」という表記が続くが、読みが重複すること、また「ノ」(脇書き)の形が通常よりも長いことが不審である。
*18:下部・共が異体字u5171-itaiji-002であるが、グリフウィキにはない。異体字解読字典にもない。
*19:ここから振り仮名が急増する。
*20:口と可を上下に配する異体字。u2d1ce-jv。=呵
*21:左脇に付す。
*22:一画目の点がない異体字。u2ff1-u7530-u2ffa-u513f-u53b6-var-001。=鬼
*23:右脇に付す。
*24:左脇に付す。
*25:遺文集は「聞くを悪み」が多いが「ク(=く)」よりも「ヿ」に見え、「聞くことを悪む」と読める。
*26:=怪
*29:右脇に付す。
*30:左脇に付す。
*32:○があるが不明。
*33:=斉
*35:訂正部分であるが、この日乾筆の「經」字は、字体、筆跡が親文字と異なることが端的にわかる一例と言えよう。当然ではあるが、改めてこの日乾対校本の大部分は日乾筆ではないと銘記したい。
*36:𫝊ではない。
*37:グリフウィキ、異体字解読字典ともにないが、後者収録の俗字に近い。
*38:山部に横棒があるように見えるが、これで進める。
*40:ママ
*41:直後の「ノ」は明らかに二重線で消されているが、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修は拾っている。昭和定本は縮刷遺文を、平成校定は昭和新定を、平成新修の真蹟曽存書は昭和定本を、それぞれ底本とするので、日乾本が底本でない以上、表記に瑕疵があるわけではないものの、昭和定本や平成校定では異同を注記すべきであったと言えよう。「の」は、高祖遺文録にはないが、縮刷遺文にはある。日乾本を底本とする『日蓮文集』にはない。同様の事象は、次注に述べる「は」にも見られる。平成7年発行の平成新修が部分的に昭和定本を底本とすることから、昭和定本の底本である明治37年刊の縮刷遺文の影響が現在にも及んでいることは見逃せない。
*42:直後の「ハ」は明らかに消されていると見えるが、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修は拾っている。削除点ではなく墨が落ちた跡と見たのだろうか。「は」は、高祖遺文にないが、縮刷遺文にはある。『日蓮文集』にはない。
*43:=沈