日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑩
「史的文字データベース連携検索システム」(https://mojiportal.nabunken.go.jp、以下、史的文字DBと略す)が公開された。これは奈良文化財研究所が中心となって運営するもので、国内外の複数機関が所蔵・管理する史的文字(木簡・紙面)の画像を横断的に検索することができる。字体研究には朗報であり、大いに参照させていただくとともに、本稿における電子活字化に当たっては引き続きグリフウィキを用いる。
(91)
給ヘキ諸ノ聲聞ハ尓前ノ経々ニテハ肉*1眼*2ノ上ニ天眼惠*3眼ヲ
ウ法華経ニシテ法眼佛眼備レリ十方丗畍*4
スラ猶照見シ給ラン何況此ノ娑婆丗界ノ中法
芲経ノ行者ヲ知見せラレサルヘシヤ設日蓮𢙣人
ニテ一言二言一年二年一劫二劫乃至百千
万億劫此等ノ聲聞ヲ𢙣口罵詈シ奉刀杖ヲ加マイ
ラスル㐌ナリトモ法芲経ヲタニモ信仰シタル行者
(92)*205頁
ナラハステ給ヘカラス譬ヘハ幼稚ノ父母ヲノル父母コレヲ
スツルヤ梟鳥母ヲ食母コレヲステス破鏡父ヲ
カイス父コレニシタカフ畜生スラ猶カクノコトシ大聖法
芲経ノ行者ヲ捨ヘシヤサレハ四大聲聞ノ領解文
云我等今者*5 真是聲聞 以佛道聲 令一切聞
我等今者 真阿羅漢 於諸丗間 天人魔梵
普於其中 應受供養 丗尊大㤙 以希有事
(93)
憐愍教化 利益我䓁 無量億劫 誰䏻報者
手足供給 頭頂礼敬 一切供養 皆不䏻報
𠰥以頂戴*6 两*7肩荷負 於恒沙劫 盡心恭敬
又以𫟈*8饍*9 無量寳衣 及諸卧*10具 種種湯*11藥
牛頭旃*12𣞀 及諸珎*13寳 以起塔廟 寳衣布地
如斯等事 以用供養 於恒沙劫 亦不䏻報
等云云諸ノ聲聞等者前四味ノ経々ニイクソハク
(94)
ソノ呵嘖ヲ蒙*14リ人天大㑹ノ中ニシテ耻*15辱カマ
シキ事其ノ數ヲシラスシカレハ迦𫟒尊者ノ渧泣ノ
音ハ三千ヲヒヽカシ「湏菩提尊者」〔目連聖者 御本〕*16ハ亡*17然トシテ
手ノ一鉢ヲスツ舎利弗ハ飯*18食ヲハキ富楼那ハ
𦘕*19瓶ニ糞*20ヲ入ルト嫌ル丗尊鹿野*21苑ニシテハ阿含経ヲ
讃嘆シ二百五十戒ヲ師トせヨナント慇懃ニホメサせ
給テ今又イツノマニ我㪽説ヲハカウハ*22ソシラせ給ト二
(95)
言相違ノ失トモ申ヌヘシ例セ*23ハ丗尊提婆達多ヲ汝愚
人人ノ唾ヲ食ト罵詈せサせ給シカハ毒
箭ノ胷*24ニ入カコトクヲモヒテウラミテ云瞿曇ハ佛陁ニハアラス我ハ
斛飯王ノ嫡子阿難尊者カ兄瞿曇カ一類ナリイカニ
アシキ事アリトモ内々教訓スヘシ此等䄇ノ人
天大㑹ニ此*25䄇ノ大禍ヲ現ニ向テ申スモノ大人佛陁ノ
中ニアルヘシヤサレハ先々ハ妻ノカタキ今ハ一𫝶ノカタキ今
(96)
日ヨリハ生々丗々ニ大怨歒トナルヘシト誓シソカシ此ヲ
モツ*26テ思ニ今諸大聲聞ハ本ト外道婆羅門ノ家ヨリ
出タリ又諸外道ノ長者ナリシカハ諸王ニ皈*27依せラレ諸
𣞀那ニタトマル或ハ種姓高貴ノ人モアリ或富福充満*28ノ
ヤカラモアリ而彼々ノ栄官等ヲウチステ𢢔心ノ幢ヲ倒シテ
俗服ヲ脱キ壊㐌ノ糞衣ヲ身ニマトヒ白拂弓箭等ヲウチ
ステヽ一鉢ヲ手ニニキリ貧人乞丐*29ナントノコトクシテ
(97)*206頁
丗尊ニツキ奉風雨ヲ防宅*30モナク身命ヲツク衣食
乏少ナリシアリサマナルニ五天四海皆外道ノ弟子
𣞀那ナレハ佛スラ九横ノ大難ニアヒ給フ㪽謂提
婆カ大石ヲトハせシ阿闍丗王ノ酔象ヲ放シ阿耆多王ノ
馬麦婆羅門城ノコンツせンシヤ婆羅門女カ鉢ヲ腹ニ
フせシ何況㪽化ノ弟子ノ數難申計ナシ無量ノ粎
子ハ波瑠璃王ニ殺レ千万ノ眷属酔象ニフマレ芲色
(98)
比丘尼提多*31ニカイせラレ迦盧提*32尊者ハ馬糞ニウツ
マレ目楗*33尊者ハ竹杖ニカイせラル其上六師同心シテ
阿闍丗婆斯匿王等讒奏シテ云瞿曇閻浮第一ノ
大𢙣人ナリ彼カイタル𠙚ハ三灾*34七難ヲ前トス大海ノ衆
流ヲアツメ大山ノ衆木ヲアツメタルカコトシ瞿曇カトコロニハ
衆𢙣ヲアツメタリ㪽謂迦𫟒舎利弗目連湏菩
提等ナリ人身ヲ受タル者忠孝ヲ先トスヘシ彼等ハ瞿
(99)
曇ニスカサレテ父母ノ教訓ヲモ用ス家ヲイテ王法ノ
宣*35ヲモソムイテ山林ニイタル一國ニ跡*36ヲトヽムヘキ者ニハアラ
スサレハ天ニハ日月衆星變ヲナス地ニハ衆夭サカンナリ
ナントウツタウ堪ヘシトモオホエサリシニ又ウチソウワサ
ワイト佛陁ニモウチソヒカタクテアリシナリ人天大㑹ノ
衆㑹ノ砌ニテ時々呵嘖ノ音ヲキヽシカハイカニアルヘシ
トモオホヘス只アワツル心ノミナリ其上大ノ*37大難ノ第一ナリ
(100)
シハ淨名経ノ其施汝者不名福田供養汝者墮三
𢙣道等云云文ノ心ハ佛菴羅苑ト申トコロニヲハせシニ梵
天帝粎日月四天三界諸天地神龍神等无
數恒沙ノ大㑹ノ中ニシテ云湏菩提等ノ比丘䓁ヲ供
養せン天*38人ハ三𢙣道ニ堕ヘシ此䓁ヲウチキク天人*39此
等ノ聲聞ヲ供*40養スヘシヤ詮スルトコロハ佛ノ𢓦言ヲ用テ諸
二乗ヲ殺害せサせ給カト見ユ心アラン人々ハ佛ヲモウトミヌ■
*2:これまで見過ごしてきたが、形状はtoikawa_hkrm-02063740に近く、史的文字DBでは散見されるが、グリフウィキにはない。下線対応とする。
*3:保留
*4:=界
*5:以下の法華経信解品の偈は、四字の一句ごとに空きを入れ、四句で一行とする。
*7:=両
*8:=美
*9:偏が食である異体字。u994d-var-001。録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』はいずれも「膳」。膳は常用漢字であり、饍は同字。
*10:=臥
*12:録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』はいずれも「栴」。現代では栴檀の方が一般的な表記のようである。全くの余談だが、栴檀はサンスクリット語のcandanaチャンダナの音写語であり色は問わないが、旃・栴ともに音符の丹は赤い色を意味しており(『新漢語林』、『学研新漢和大字典』参照)、音写の際に牛頭栴檀のような赤色をイメージして旃・栴を用いたのか興味深い。また偶然であろうが栴檀は英語ではsandalwoodであり音が似ている。
*13:=珍
*14:保留
*15:=恥
*16:ここは維摩詰所説経巻上・弟子品第三より、須菩提が正しいようで、日乾は真蹟との異同を明記している。大正No.475, 14巻540頁b段18行-c段14行。兜木正亨は「底本に「目連聖者、亡然」。文明年間の朝師見聞に「須菩提忙然」。版本以降これによる」(『日本古典文学大系82 親鸞集 日蓮集』岩波書店、359頁)と注しているが、出典を「正蔵一三」とするのは誤植で正しくは「正蔵一四」である。また底本の表記は今回翻刻したように「目連聖者は亡然」である。この兜木の注釈は岩波文庫『日蓮文集』では省かれている。
*17:異体字。u30004か。「忙」を削除。「亡」部について、底本とされた写本と日乾筆とで用いる字体が異なる好例である。これは、例えば日蓮と直弟子日興とで用いた仮名が異なっていたように、個人差によるのだろうか。小林正博「日蓮文書の研究(4)―真蹟に現われる「かな」の全容」(『東洋哲学研究所紀要』第26号、2010年)によれば、小林氏は日蓮・日興・法然・親鸞の真蹟および『土佐日記』に登場する変体仮名の字体を比較しつつ、中世日本では仮名文字の標準的使用はなかったとし、また明治33(1900)年の「小学校令施行規則」により教育現場で変体仮名の使用をやめて平仮名を一音一字に確定されたことを指摘している。日存本や日乾本当時含め、使用する仮名に個人差がある、あるいは一音に対し複数の仮名文字が使用されるのが慣例であったようだが、今後の研究課題としたい。なお、そうであるから、写本といっても字体まで忠実に写すわけではなく、さらには日存本(日蓮滅後135年、応永23=1416年)の時点で既に仮名がカタカナで写されている。日蓮真筆の変体仮名をカタカナに置き換える際に誤写が起きる可能性は考えられるし、日乾が真蹟と対校した際もカタカナで訂正している。例えば現代かな「せ」について日蓮は「せ」ではなく「セ」を用る(前掲小林論文参照)が、これまで本稿で見てきたように、日乾対校で底本とされた写本では「せ」が多用されている(ただし95頁一行目にあるように「セ」も使用されている)。以上を考え合わせると、漢字の字体も真蹟を忠実に写していない、あるいは日乾の対校時にも写本と真蹟とで字体が異なっていても無視しているのかといった疑問がわく。刊本の日蓮文集の校訂については、各編纂者・機関・教団で真蹟・写本の表記異同は検討されているものの、底本の学術的な史料批判の成果は(例えば校訂の一過程とされて)充分に公開されぬまま現在に至っているのではないだろうか。
*19:=畫、画
*21:○の右脇に野。
*22:○の右脇に「カウハ」。
*23:ママ
*24:=胸
*25:異体字。異体字解読字典やグリフウィキでは確認できないが、史的文字DBでは頻出する。
*26:○の右脇にツ。
*27:=帰
*28:滿で翻刻してきたが既出を含めu6eff-itaiji-002に訂正する。
*29:勹の下に丐を置く異体字。異体字解読字典、毛筆版くずし字解読辞典、グリフウィキでは確認されず、史的文字DBではヒットしない。
*31:婆を削除し右脇に多。日存本、録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録は「達多」。縮刷遺文、御書全集は「提婆」。昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』は「提多」。前97頁3-4行目に「提婆」とあることをもって「提多」を「提婆」に校訂する理由とできなくもない。日蓮大聖人御書全集全文検索では提婆達多を「提多」とした用例は見られない。
*32:ママ
*33:→犍。「楗」は親文字「連」の右脇にあるが、「連」に斜線があるか判読し難い。しかし「報恩抄」の日乾対校本にも同様の記載があり、こちらは「連」に斜線を入れた跡が明らかである(真蹟不在箇所。『報恩抄 乾師対校本』梅本正雄編、本満寺刊、1965年、170頁参照。御書全集329頁)。これと比較してみると、本抄の「連」にも斜線があると見て差し支えなさそうである。ただし「法華取要抄」の真蹟も目「犍」ではなく「楗」(第十六紙)に見える。日存本、録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録は「目連」。縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』は「目犍」。
*34:=災
*35:もとは「宣旨」であるが「旨」を削除している。日存本、録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、御書全集は「宣旨」。縮刷遺文、昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』は「宣」。
*37:○の右脇に「大ノ」。
*38:「人天」の人を削除し○の右脇に天。
*39:「人天」の人を削除し○の右脇に天。