日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑭
前回の終わりにある「天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり」について、私は「……諸宗は教主にまどえり」と換言できるのではないかと仮説を提示したが、今回の範囲でも「教主」と「本尊」が同義に扱われていると見られる。その考察は後日に期す。
書誌情報、凡例等は翻刻①および翻刻②を参照。
なおフルテキストとしては最古の「開目抄」写本となる日存写本の影版本『開目抄 日存聖人筆』(寺内泰徹編、本能寺刊、1965年)を入手したので、これも参照していく。
(141)
本尊トせリ天尊ノ太子迷惑シテ我身ハ𫞖ノ子トヲモ
ウカコトシ芲厳宗真言宗三論宗法相宗䓁ノ
四宗ハ大乗ノ宗ナリ法相三論ハ勝*1應身ニニタル佛本
尊トス天〔大 別筆〕王*2ノ太子我カ父ハ侍トヲモウカコトシ華厳宗
真言宗ハ粎尊ヲ下テ盧舎那大日䓁ヲ本尊ト
定天子タル父ヲ下テ種姓モナキ者法王ノコトク
ナルニツケリ淨土宗ハ粎迦ノ分身ノ阿弥陁佛ヲ有縁ノ
(142)
佛トヲモテ教主*3ヲステタリ禅宗ハ下賎ノ者一
分ノ徳アテ父母ヲサクルカコトシ佛ヲサケ経ヲ下此
皆本尊ニ迷例せハ三皇已前ニ父*4シラス人
皆禽獣ニ同せシカコトシ壽量品ヲシラサル諸宗ノ
*5者畜*6ニ*7同不知㤙ノ者ナリ故妙樂*8云一代
教中未タ曽テ顕レ遠キヿヲ父母ノ之壽○*9*10若不ハレ知二
父*11壽之遠ヿヲ一復迷ナン二父統之邦ニ一徒*12ニ謂ヘリ二才*13䏻ヲ一全ク非ト二
(143)
人子*14䓁云云妙樂大師ハ唐ノ末天寳年中ノ者也三
論芲厳法相真言等ノ諸宗并ニ依経ヲ深ミ廣勘テ
壽量品ノ*15佛ヲシラサル*16者父統ノ邦ニ迷ル才䏻アル畜
生トカケルナリ徒謂才䏻トハ芲厳宗法蔵澄観
乃至真言宗ノ善无畏三蔵䓁ハ才䏻ノ人師*17
子ノ父ヲシラサルカコトシ𫝊教大師ハ日本顕密ノ元祖*18
秀句云他宗㪽依経雖有一分佛母ノ義然但有レ
(144)
愛ノミ闕厳ノ義天台法芲宗ハ具*19厳愛義一切䝨聖
学無学*20及発菩提*21心者之父䓁云云真言芲厳
䓁ノ経々ニハ種熟*22脱ノ三義名字*23猶ナシ何況其
義ヲヤ芲厳真言経*24䓁ノ一生初地即身成佛䓁ハ経
権経ニシテ過去ヲカクせリ種*25ヲシラサル脱ナレハ趙高*26カ
位ニノホリ*27道鏡カ王位ニ居*28セントセシカコトシ*29宗々㸦ニ権*30ヲ諍予此ヲ
アラソワス但経「「文」を削除。」ニ任スヘシ法芲経ノ種ニ依テ天親菩薩種
(145)*216頁
子無上ヲ立タリ天台ノ一念三千コレナリ芲厳経乃至
諸大乗経大日経䓁ノ諸尊ノ種子皆一念三千ナリ
天台智者大師一人此法門ヲ得給エリ芲厳宗ノ
澄観此義ヲ盗テ華厳経ノ心如工𦘕師ノ文ノ神トス真
言大日経䓁ニハ二乗作佛久遠實成一念三千ノ
法門コレナシ善无畏三蔵震旦ニ來テ後天台ノ止観ヲ
見テ智発シ大日経ノ心實相我一切本初ノ文ノ神ニ天
(146)
台ノ一念三千ヲ盗入テ真言宗ノ肝心トシテ其上印*31ト
真言トヲカサリ法芲経ト大日経トノ勝劣ヲ判スル時
理同事勝ノ粎ヲツクレリ两界ノ曼陁羅*32ノ二乗作佛
十界㸦具ハ一定大日経ニアリヤ第一ノ誑惑ナリ故
𫝊敎大師*33云新來真言家則泯*34筆受之相承舊
到之*35芲厳家ハ則隠影響之䡄*36模䓁云云浮*37囚*38ノ嶋
ナントニワタテホノ〱トイウウタワワレ*39ヨミタリナント申ハ
(147)
エソ*40テイノ者ハサコソトヲモウヘシ漢土日本ノ学者
又カクノコトシ良諝*41和尚云真言禅門華厳三論
乃至𠰥望法芲*42䓁是接引門䓁云云善无
畏三蔵ノ閻魔ノ責ニアツカラせ給シハ此ノ邪見ニヨル後ニ心ヲ
ヒルカエシ法芲経ニ帰伏シテコソコノ*43せメヲハ脱サせ
給シカ其後善无畏不空䓁法芲経ヲ两界ノ中
央ニヲキテ大王ノコトクシ胎蔵*44大日経*45金剛頂
(148)
経ヲハ㔫右ノ臣下ノコトクせシコレナリ日本ノ弘法モ
教相ノ時ハ芲厳宗ニ心ヲヨせテ法芲経ヲハ第八ニヲキ
シカトモ事相ノ時實恵真雅円澄光定䓁ノ人々ニ
𫝊給シ時两界ノ中央上ノコトクヲカレタリ例セハ三論ノ
嘉祥ハ法芲玄十巻*46法芲経ヲ第四時㑹
二破二ト定トモ天台ニ帰伏シテ七年ツカヘ*47
廃講散衆身為*48肉橋トナ*49せリ法相ノ慈㤙ハ法苑*50*51林
(149)
七巻十二巻一乗方便三〔四 御本〕*52乗真實䓁ノ妄言多
シカレトモ玄賛ノ第四ニハ故亦两存䓁*53我宗ヲ不定ニ
ナせリ言ハ两方ナレトモ心ハ天台ニ帰伏せリ芲厳澄観ハ
華厳ノ䟽ヲ造テ芲厳法華*54相對シテ法芲方便トカケルニ
似トモ彼宗以之*55為實此宗立義理无通
䓁トカケルハ悔還ニアラスヤ*56弘法又カクコ
トシ龜鏡ナケレハ我カ面ヲミス歒ナケレハ我非ヲシラス
(150)*217頁
真言䓁ノ諸宗ノ学者䓁我非ヲシラサリシ䄇ニ𫝊教
大師ニアヒタテマツテ自宗ノ失ヲシルナルヘシ*57サレハ諸経ノ諸
佛菩薩人天䓁ハ彼々ノ経々ニシテ佛ニナラせ給ヤウ
ナレトモ實ニハ法芲経ニシテ正覚ナリ給ヘリ釈迦
諸佛ノ衆生无𨕙ノ惣願ハ皆此経ニヲイテ満足ス今者
已満足ノ文コレナリ *58予事ノ由ヲヲシ計ニ芲厳
観経大日経䓁ヲヨミ修行スル人ヲハソノ経々ノ佛菩■
*2:書き入れ「別筆」は難読であるが『日本古典文学大系82 親鸞集 日蓮集』(岩波書店、1964年)の兜木正亨の注釈に依った。録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、縮刷遺文、平成校定は「天王」。日存本、御書全集、平成新修は「大王」。昭和定本は「大王」だが日乾の注記に触れていない。
*4:「母ヲ」を削除。
*5:「学」を削除。
*6:「生ニ」を削除。
*7:前注によりこの「ニ」は日乾筆と推測される。
*8:右肩にある「五百問論」を削除。肩に出典を注記した例は、これまでに76, 118, 122, 127, 128, 133頁、今回146頁に見られたが、日乾所依の写本が身延蔵真蹟とは別系統だったとしても日蓮の真蹟でこのような注記は稀であるから、写本作成時ないし後に研鑽のために注記されたのではないかと推測する。124頁で見たように四菩薩を注記した例も同様であろう。
*9:=中略。
*10:「不可不知○」を削除し、その脇の「不□□」も削除。御書全集では「…遠を顕さず、父母の寿知らずんばある可からず」(215頁)とする。
*15:○の右脇に「品ノ」。
*16:○の右脇に書入れがあるが削除されており判読不可。
*17:「ナレトモ」を削除。録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録にはないが縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修には「なれども」を記載。『日蓮文集』には記載がない。
*18:「伝教大師は日本顕密の元祖」との一文だけでも日蓮の「顕密」理解の一端が現れている。弁「顕密」を初めて主張したのは空海だが、日蓮は密教を先に日本に将来した者として「元祖」と述べているのかもしれない。
*20:異体字。u2ff3-u2ff0-u5202-u5201-u5196-u5b50か。直前の「学」と字体が異なる。
*21:「薩」を訂正。筆跡は日乾筆か。日興「開目抄要文下」では「菩提心」(三丁表、本間俊文「北山本門寺蔵『開目抄要文』について」、『日蓮教学研究所紀要』第44号所収、立正大学日蓮教学研究所、2017年、46頁、稿末の翻刻より)。『現代語訳 開目抄(下)』(創価学会教学部編、聖教新聞社、2016年)では『法華秀句』巻下や日蓮「秀句十勝抄」(昭和定本2368頁参照)が「菩薩心」であることから、日乾本「菩提心」に触れつつ、底本とした御書全集の「菩提心」を訂正しており、注釈で「菩薩と菩提の略表記が極めて似ており、また菩薩の心と菩提心は内容も近似していることによる伝写の誤りとも考えられる」(同書51頁)としているが、日乾所依写本も対校後も略字・合字は使用されておらず、つまりは身延曽存の真蹟で略字が使われていて対校時にミスが起きたと言いたいのか、意味が不明瞭である。ただし御書全集は古い版、例えば私が所持する第一版第219刷では「菩薩心」で現行の第二版とは異なっていて、第二版・増刷時に変更が加えられたことが確認できるから、上記現代語訳から見ればこの変更は不要だったと読める。昭和定本、平成新修、『日蓮文集』は「菩提心」。録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、縮刷遺文、平成校定は「菩薩心」。
*23:「スラ」を削除。録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』には「すら」を記載。
*24:○の右脇に「経」。おそらく日乾筆。
*25:「子」を削除。
*26:御書全集や昭和定本は「超高」。
*27:「如シ二」を削除。
*28:「一」を削除。
*29:○の右脇に「セントセシカコトシ」。
*30:右脇に二字書入れがあるが削除されている。書入れは「種□」思われ、また前行で「種子」の「子」を削除していることから「種子」と推測できようか。宮崎英修は「種イ」と読んで日乾筆と指摘するが、削除線があることを指摘していない点に不審が残る(宮崎英修「開目抄の伝承と乾師本の価値について」、『大崎学報』第98号、1951年、28, 38頁)。日存本、録内御書(宝暦修補本)、御書全集、平成校定は「種」。国会図書館蔵古活字本、高祖遺文録、縮刷遺文、昭和定本は「権」、平成新修は「権(けん)」(括弧内はルビ)。兜木正亨は日本思想大系では「権(ごん)」とし「互に自宗を正とし相手宗を権として諍う」と注記するが、『日蓮文集』ではルビがなく「互に相手を権として諍う」と注記する。「権」と「種」とで字形が似ているから伝写の過程で日乾所依写本が「権」となった可能性は否定できず、この点は大黒喜道も指摘していた(「日蓮の種脱論とその展開」『シリーズ日蓮2 日蓮の思想とその展開』春秋社、2014年、および「「開目抄」に説かれる三世の成仏道について」『興風』第26号、興風談所、2014年)。しかし日蓮の真蹟をいくつか確認すると「権」と「種」とでは明らかに字形が異なることが目視可能である。ともあれ日乾が真蹟と対校し「権」のままとしていることに注意したい。前後の文脈から「種」(種子)が自然であると思われるが、日乾本から日蓮が「権」としたとされる以上、安易に日蓮の誤記とするのは慎むべきであり、兜木の会通も一理ある。一応指摘すれば、「権」の右脇二字を削除したのが日乾ではなく後世の他筆である可能性がなくはないが少々意地が悪いか。
*32:御書全集や昭和定本は「漫荼羅」。
*33:「依憑集」を削除。
*35:「之」には削除線があるか墨が垂れた跡か判読し難い。
*36:=軌
*37:録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』は「俘」。
*38:「浮囚」の脇に「ヱソ」と思しき書入れがあるが削除。
*39:「歌ハ我」を訂正。
*40:親文字「浮囚」及びその振り仮名「□□」を削除し「エソ」と訂正。
*42:「涅槃」を削除。
*43:「此」を訂正。
*44:「界」を削除。
*45:直後に高祖遺文録、縮刷遺文、御書全集では「金剛の」がある。高祖遺文録・縮刷遺文ともに真蹟と照合したと謳うがそれが部分的または不十分である一例である。翻刻⑪参照。
*46:「ツクリ」を削除。
*47:「奉テ」を削除。
*48:○の右脇に「為」。
*49:○の右脇に「トナ」。
*51:「義」を削除。昭和定本は「法苑義林」であるが注釈がない。このように昭和定本の注釈は日乾本との異同を網羅していないことが散見される。
*52:兜木正亨は日本思想大系で『法苑義林章』の意より「三」に訂正。日蓮が真蹟で「四」と誤記する内容なのか俄かには信じがたい。
*53:「云テ」を削除。
*54:○の右脇に「華」。
*55:「此」を訂正。
*56:「善無畏」を削除。本範囲における善無畏は全て「善无畏」と表記されているが、ここのみ「無」が使用されている。
*57:擦れて判読困難だが推測。
*58:一字空き。