七円玉の読書記録

Researching on Nichiren, the Buddhist teacher in medieval Japan. Twitter @taki_s555

「立正安国論」真蹟翻刻①第一紙~第十二紙

日蓮立正安国論」の真蹟写真を翻刻した。この真蹟は文応元(1260)年に北条時頼に提出したのと同じテクストを日蓮自身が文永6(1269)年末に書写したものと考えられ(奥書参照)、現在は国宝として、門下の富木常忍を淵源とする中山法華経寺(千葉県市川市)に保管されている。文永本、中山本、略本、要本と呼ばれる。原漢文、奥書を含めて全三十六紙。第二十四紙のみ欠損しているが、替わりに日通が慶長6(1601)年に身延山で別の真蹟を模写して継いでいる。本稿における真蹟写真は『読み解く『立正安国論』』(中尾堯、臨川書店)に全紙分が収録されていて、これを参照した。

もとより真蹟へのアクセスは容易だが、検索のため、また日蓮の用字について見識を深めたく試みた。訓読から漢文に置き換えていく作業だが、これと校正を繰り返すことで、これまで気付かなかった論点、視点が生まれた。また内容理解を進める上でも有意義であった。例えば冒頭の七鬼神は疫病退散のためであった等、普段軽く読み過ごしている箇所も、コロナ禍で違う重みが出てきた。
現在を安国論さながらの乱世であると云々することが、不安を煽るか安易な解答を見出すような雑な解像度の低い読みに終始してはならないだろう。想像するまでもないが、為政者に上申する際にその証文、卑近な言い方をすれば“添付資料”として経典を引用する事態一つ見ても、時代状況は現代と全く異なる。

客と主人がどのような思想、立場、心情を共有し、主人は客のどのような問題意識にどのような手法で働きかけたのか、そして現実における北条得宗等、人物の言動や政治力学とのズレ、そういったことを丹念に検証していくことで、日蓮の世俗的権力に対する論法、主張法、説得方法を知り、時代的文化的背景が大きく異なる現代でも再現性のある読み方を見出したい。
その際の視点として、安国論を単なる為政者批判と呼んでよいのか問い直す時に来ていると思う。客と主人は、両者ともに国家の安泰のためには仏法の繁栄が不可欠であるという認識に立っており、そもそも客はあらゆる仏教の儀礼や祈禱を尽くしているのになぜ国は災禍が絶えないのかという問題意識から始まる。そして最終的に主人は客の「信仰の寸心」を改めさせている。仁王経等の四経に基づく為政者批判と併せて、信仰問題として読む。あるいは為政者批判か信仰問題かという、これまでの理解のフレームをどう外せるか試行錯誤したい。例えば戦にあたり仏教の祈禱が兵力と同等かそれ以上に威力をもっていた中世人の内心、治世と信仰が分かち難い精神世界は、安国論の問答でも随所にみられる。

日蓮は文応元年に安国論を提出する前に北条時頼と会見し、そこで禅宗を批判している点も忘れてはならないと思う。つまり安国論を問答体として提出する前、既に日蓮は実際に時頼と問答をしているわけである。そこでどのようなやり取りがあったかは知る由もないが、日蓮が時頼と顔を合わせたのち、彼の政治思想や人柄、心情、人間関係、政治力学等々を慮り、周到に用意して書き上げた勘文であるというのが、安国論理解の前提であろう。安国論が時頼との面談の続き、あるいは第二ラウンドとして、さらに込み入った対話に日蓮が仕上げたのか。日蓮が安国論では禅宗批判をせず、時頼の面前、また仲介者の宿屋入道を通して伝えたのはなぜかという点は、既に78年前に山川智応が『日蓮聖人』で言及しており、再読して先達の洞察に改めて感心している。

前置きが長くなったが、全三十六紙を三回に分けて翻刻する。日蓮「立正安国論」広本略本異同① - 七円玉の読書記録同様、旧字は概ね新字に改めた。なお、立正安国論の基本情報はnoteにまとめた。日蓮「立正安国論」の基本情報をまとめてみた|ずんだもち|note



(第一紙)
立正安国論
旅客来嘆曰自近年至近日
天変地夭飢饉疫癘遍満天
下広迸地上牛馬斃巷骸骨
*1路招死之輩既超大半不悲之
族敢無一人然間或専利剣即
是之文唱西土教主之名或持*2
病悉除之願誦東方如来之経
或仰病即消滅不老不死之詞
崇法華真実之妙文或信七難
即滅七福即生之句調百座百講
之儀有因秘蜜*3真言之教灑五
瓶之水有全坐坐*4禅入定之儀
澄空観之月若書七鬼神之号
(第二紙)
而押千門若図五大力之形而懸
万戸若拝天神地祇*5而企四角四堺
之祭祀若哀万民百姓而行国*6
*7宰之徳政雖然唯摧肝胆弥逼
飢疫乞客溢目死人満眼臥屍為
観並尸作橋観夫二離合璧五
緯連珠三宝在世百王未窮此
世早衰其法何廃是依何禍是
由何誤矣
主人曰独愁此事憤悱胸臆客来
共嘆屢致談話夫出家而入道者
依法而期仏也而今神術不協仏
威無験具覿当世之体愚発後生
之疑然則仰円覆而呑恨俯方載而
深慮倩傾微管聊披経文世皆背
正人悉帰悪故善神捨而相去聖
(第三紙)
人辞所而不還是以魔来鬼来災起
難起不可不言不可不恐
客曰天下之災中之難余非独嘆
衆皆悲今入蘭室初承芳詞神
聖去辞災難並起出何経哉聞其
証拠矣
主人曰其文繁多其証弘博
金光明経云於其土雖有此経未*8
未甞流布生捨離心不楽聴聞
不供養尊重讃歎見四部衆持経
之人亦復不能尊重乃至供養遂令
我等及余眷属無量諸天不得聞
此甚深妙法背甘露味失正法流無
有威光及以勢力増長悪趣損減
人天墜生死河乖涅槃路世尊我
等四王并諸眷属及薬叉等見如
(第四紙)
斯事捨其国*9土無擁護心非但我等
捨棄是王必有無量守護土諸大
善神皆悉捨去既捨離已其当有
種種災禍喪失位一切人衆皆無
善心唯有繫縛殺害瞋諍互相讒
諂枉*10及無辜疫病*11流行慧*12星数出
両日並現薄蝕無恒黒白二虹表不
祥相星流地動井内発声暴雨悪風
不依時節常遭飢饉苗実不成多
有他方怨賊侵掠内人民受諸苦
悩土地無有所楽之処〈已上〉
大集経云仏法実隠没鬚髪爪皆
長諸法亦忘失当時虚空中大声
震於地一切皆遍動猶如水上輪城壁
破落下屋宇悉汜*13坼樹林根枝葉華
葉菓薬尽唯除浄居天欲界一切処
(第五紙)
七味三精気損減無有余解脱諸善
論当時一切尽所生華菓味希少亦
不美諸有井泉池一切尽枯涸土地悉
鹹鹵敵裂成丘澗諸山皆燋燃天龍
不降雨苗稼皆枯死生者皆死尽余
草更不生雨土皆昏闇日月不現
明四方皆亢旱数現諸悪瑞十不善
業道貪瞋癡倍増衆生於父母
観之如獐鹿衆生及寿命色力威
楽減遠離人天楽皆悉堕悪道如
是不善業悪王悪比丘毀壊我正
法損減天人道諸天善神王悲愍衆
生者棄此濁悪皆悉向余方〈已上〉
仁王経云土乱時先鬼神乱鬼神
乱故万民乱賊来劫百姓亡喪臣
君太子王子百官共生是非天地怪
(第六紙)
二十八宿星道日月失時失度
多有賊起亦云我今五眼明見三世
一切国王皆由過去世侍五百仏得為
帝王主是為一切聖人羅漢而為
来生彼土中作大利益若王福尽
時一切聖人皆為捨去若一切聖人去
時七難必起〈已上〉
薬師経云若刹帝利灌頂王等災
難起時所謂人衆疾疫難他
逼難自界叛逆難星宿変怪難
日月薄蝕難非時風雨難過時不雨
難〈已上〉
仁王経云大王吾今所化百億須弥百
億日月一一須弥有四天下其南閻浮
提有十六大五百中十千小
土中有七可畏難一切王為是
(第七紙)
難故云何為難日月失度時節返
逆或赤日出黒日出二三四五日出
日蝕無光或日輪一重二三四五
重輪現為一難也二十八宿失度金
星彗星輪星鬼星火星水星風
星刀*14星南斗北斗五鎮大星一
主星三公星百官星如是諸星
各各変現為二難也大火焼万姓
焼尽或鬼火龍火天火山神火人火樹
木火賊火如是変怪為三難也大水漂*15
没百姓時節返逆冬雨夏雪冬時
雷電*16礰六月雨氷霜雹雨赤水黒
水青水雨土山石山雨沙礫石江河逆
流浮山流石如是変時為四難也大風
吹殺万姓土山河樹木一時滅没非時
大風黒風赤風青風天風地風火風水風
(第八紙)
如是変為五難也天地土亢陽炎火
洞燃百草亢旱五穀不登土地赫燃
万姓滅尽如是変時為六難也四方賊
来侵内外賊起火賊水賊風賊鬼賊
百姓荒乱刀兵劫起如是怪時為七難也
大集経云若有国王於無量世修施戒
恵見我法滅捨不擁護如是所種無
量善根悉皆滅失其当有三不祥
事一者穀実*17二者兵革三者疫病
一切善神悉捨離之其王教令人不
随従常為隣之所侵嬈暴火横
起多悪風雨*18水増長吹漂人民内外
親戚其共謀叛其王不久当遇重
病寿終之後生大地獄中乃至如王夫
人太子太*19臣城主柱師郡守宰官亦
復如是〈已上〉
(第九紙)
夫四経文朗万人誰疑而盲瞽之輩迷
惑之人妄信邪説不弁正教故天下
世上於諸仏衆経生捨離之心無擁護
之志仍善神聖人捨去所是以悪鬼
外道成災致難矣
客作色曰後漢明帝者悟金人之夢
得白馬之教上宮太子者誅守屋之
逆成寺塔之構爾来上自一人下至万
民崇仏像専経巻然則叡山南都
*20城東寺四海一州五畿七道仏経
星羅堂宇雲布鶖子之族則観
鷲頭之月靏*21勒之流*22亦伝鶏足之風
誰謂褊一代之教廃三宝之跡哉
若有其証委聞其故矣
主人喩曰仏閣連甍経蔵並軒僧者
如竹葦侶者似稲麻崇重年旧
(第十紙)
尊貴日新但法師諂曲而迷惑人
倫王臣不覚而無弁邪正
仁王経云諸悪比丘多求名利於国王
太子王子前自説破仏法因縁破国因
縁其王不別信聴此語横作法制不
依仏戒是為破仏破因縁〈已上〉
涅槃経云菩薩於悪象等心無恐怖
於悪知識生怖畏心為悪象殺不至
三趣為悪友殺必至三趣〈已上〉
法華経云悪世中比丘邪智心諂曲未
得謂為得我慢心充満或有阿練若
納衣在空閑自謂行真道軽賤人
間者貪著利養故与白衣説法為世*23
所恭敬如六通羅漢乃至常在大衆
中欲毀我等過*24王大臣婆羅門
居士及余比丘衆誹謗説我悪謂是
(第十一紙)
邪見人説外道論議濁劫悪世中多
有諸恐怖悪鬼入其身罵詈毀辱我*25
我濁世悪比丘不知仏方便随宜所説
法悪口而嚬蹙数数見擯出〈已上〉
涅槃経云我涅槃後無量百歳四道聖
人悉復涅槃正法滅後於像法中当有
比丘似像持律少読誦経貪嗜飲食
長養其身雖著袈裟猶如猟師細
視徐行如猫伺鼠常唱是言我得羅
漢外現賢善内懐貪嫉如受啞法婆
羅門等実非沙門現沙門像邪見熾
盛誹謗正法〈已上〉
就文見世誠以然矣不誡悪侶豈成
善事哉
客猶憤曰明王因天地而成化聖人察
理非而治世世上之僧侶者天下之所帰
(第十二紙)
也於悪侶者明王不可信非聖人者賢
哲不可仰今以賢聖之尊重則知龍象
之不軽何吐妄言強成誹謗以誰人
謂悪比丘哉委細欲聞矣
主人曰後鳥羽院御宇有法然作撰*26
集矣則破一代之聖教遍迷十方之
衆生其撰*27択云道綽禅師立聖道
浄土二門而捨聖道正帰浄土之文初
聖道門者就之有二乃至准之思之
応存蜜*28大及以実大然則今真言
心天台華厳三論法相地論摂論此等
八家之意正在此也曇鸞法師往生論
*29云謹案龍樹菩薩十住毘婆沙云
菩薩求阿毘跋致有二種道一者難行
道二者易行道此中難行道者即是
聖道門也易行道者即是浄土門

つづく

*1:真蹟の字形は宛に似ているが、ここでは充の異体字と認識した。第十紙、第十六紙にもあり。立正安国論広本真蹟では明らかに異なる字体で「充」(第一紙4行目)とわかる。

*2:「恃」と翻刻するものもあるが他の字と比較して手偏でよいと思う。

*3:→密。今日では蜜と密は別の字種で字義も異なり、校定の余地があるが、それも本稿のように原漢文の翻刻か、読み下しか等、目的によってその判断は変わる。日蓮自身の用字及び当時の漢字文化は現代と異なるから、誤記ではなく音通として、あえて真蹟のままとした。

*4:重複。トル。

*5:真蹟は衣偏だが、こちらはJISコードにないので示偏とした。

*6:真蹟は「囗+王」だが、JISコードにない。「囗+王」:『大漢和辞典』(大修館書店、修訂第二版、諸橋大漢和と略記)の漢字の通番、巻数-頁数(通巻頁数)の順に注記する。諸橋大漢和4716、3-62(2336)。國(4798)の俗字。〔正字通〕「囗+王」、俗國字。國:諸橋大漢和4798、3-73(2347)。

*7:以下、国字が「囗+民」の場合、太字とした。「囗+民」:諸橋大漢和4750、3-68(2342)。國に同じ。〔字彙補〕「囗+民」、同國。

*8:削除記号ヒが傍にあり。重複。トル。

*9:国:諸橋大漢和4752、3-68(2342)。國の俗字。大漢和辞典よりは簡易で当用漢字の制定にも対応した『広大漢和辞典』(諸橋・鎌田・米山編、大修館書店、初版第十刷、1991年)では国を新字として主にし、旧字で國とする。国:広漢和辞典2491、上-665。

*10:「抂」に見えなくもない。大正No.665, 16巻430頁a段7行は「抂」。抂は枉の俗字。

*11:原典は「疾疫」(大正No.665, 16巻430頁a段7行)。

*12:→彗。大正No.665, 16巻430頁a段8行。真蹟を底本とした遺文集である『平成新修日蓮聖人遺文集』(米田淳雄編、連紹寺、1995年。以下、平成新修と略記)も「慧」で翻刻し読み下しで「彗」に校訂しているが、巻末の校訂一覧表で言及されていない。

*13:→圮。大正No.397, 13巻379頁b段7行。汜:諸橋大漢和17136、6-913(6625)。氾は別字。平成新修では「氵+巴」で翻刻し、読み下しの際の校訂で「圮」とする。平成新修には読み下し文と原漢文の翻刻との両方が収録されており、読み下しにのみ校訂を加えているようである。「氵+巴」は諸橋大漢和では見つからなかった。

*14:立正安国論広本も「刀」(第四紙5行目)。平成新修含む多くの遺文集が「刁(ちょう)」と翻刻することを検証し、真蹟、写本、原典、注釈書、中国の正史等から「刀(とう)」が適切であるという指摘は、既に山中講一郎「『立正安国論』の文体(三)」(『法華仏教研究』第11号所収、2011年、105頁以下)に詳しく、この論考から「刀」であることは確定的となったと思う。なお同稿によれば、「刀星」とするテキストとしては神保弁静編『日蓮聖人御真蹟対照録』所収の稲田海素対照本、『日本古典文学大系 親鸞日蓮集』所収の兜木正亨校注本があるとされているが、後者と関連し兜木校注『日蓮文集』(岩波文庫)でも「刀星」(178頁)であった。さらに議論を広げると、この翻刻全般に関する重要な指摘を同稿で山中氏はなされている。すなわち「刀」漢字一文字を扱うことが些末な問題に見えるという周囲の予想に自覚的でありながら、なぜ先学の「刀」との指摘が無視され解明されずに放置されてきたのかと問い、そこには日蓮遺文・御書を扱うテキスト学、方法論上に若干の問題が潜んでいるとする。真蹟を翻刻する際、一般には既成のテキストを用い、それを真蹟原文と比較して異同をチェックしていくという方法が取られる。しかし、ここに落とし穴があって、既成のテキストに引きずられて、特に異体字の扱いとなると、何を拾い何を正字に置き換えるか、その判断が一定しなくなるという。こうした山中氏の指摘は、実際に作業をしてみて身に染みた。特に「刀」の翻刻正字だの新字だの旧字だの異体字といった、テキストの編纂方針以前の「解字・判読」の問題であるからこそ、すり抜けやすい。この指摘が重要な意味を持つ所以であろう。さて、日蓮が用いた字体は、その大多数に対して、日蓮独自というよりも当時としては一般的なものとみなす方が合理的であろう。ならば、平安・鎌倉期に用いられた用字法を研究する、具体的には空海法然親鸞らの真蹟、また当時用いられた経典の版本と比較する中で、異体字・略字等のより正確な翻刻が可能となるのではないかと思う。私は本稿で、ここまでに諸橋大漢和等を参照してきたものの、字典にないからといって特殊な字体とも限らないし、日蓮より遥か後代の字典(康煕字典にしろ諸橋大漢和にしろ)から字種を拾うより同時代か先代の例から拾う方が正攻法であることは、当然かもしれないが、私のような素人眼からここに改めて指摘しておきたい。異体字・略字・正字という概念自体が日蓮当時にあったのかという疑問も含めて。と書いてみたが、そもそも何が字体として存在するのかをまず知るために字典を繙くのも研究には当然の行為と言えるので、両方向からのアプローチが必要ということになろう。しかしやはり(日蓮より後代の諸橋やら日国にあるからといった)活字に引きずられてしまう「落とし穴」はこの字典によることに自覚的であったほうがよいだろう。

*15:真蹟は「漂+寸」。「漂+寸」:諸橋大漢和18497、7-314(7222)。水のさま。〔集韻〕「漂+寸」、水皃。大正No.245, 8巻832頁c段16行。

*16:→霹。大正No.245, 8巻832頁c段11行。

*17:→貴。引用経文より。大正No.397, 13巻173頁a段3行。

*18:+暴。引用経文より。大正No.397, 13巻173頁a段6行。

*19:→大。大正No.397, 13巻173頁a段11行。

*20:→園

*21:→鶴

*22:脱落記号○の傍に流。

*23:○の傍に世。

*24:→故。引用経文より。立正安国論広本では「禍」(第七紙21行目)。過が故の音通になっていないことから、日蓮は「我等の禍(過)を謗らんと欲す」と読んでいたのではないかという仮説を立て、今後検証していきたい。この法華経勧持品の二十行の偈中の「過」がある句は、四句一行からなる偈の9行目に当たるが、変則的であり、前半二句は8行目の四句に入り、後半二句は10行目の四句に入る(『現代語訳 立正安国論池田大作監修、創価学会教学部編、聖教新聞社、38頁参照)。つまり「我等を謗らんと欲するが故に」(『妙法蓮華経並開結』創価学会版、2015年、419頁参照)で一旦文が切れる。この辺りの読みと先の仮説が関係しているのだろうか。

*25:重複。トル。墨の滲みあり。

*26:→選

*27:→選

*28:→密

*29:さんずいなので「註」ではない。選択集本文も「注」(『選択本願念仏集』大橋俊雄校注、岩波文庫、17頁)。