七円玉の読書記録

Researching on Nichiren, the Buddhist teacher in medieval Japan. Twitter @taki_s555

中尾堯『読み解く『立正安国論』』(臨川書店)など

コツコツ、日蓮遺文の真蹟写真を読んでいくことにした。
立正安国論」。現存するものは文永6〔1269〕年12月8日付自筆写本、ほぼ完存で第24紙のみ欠、慶長6〔1601〕年11月6日に法華経寺第14世住持・功徳院日通〔1551-1608〕が身延山を訪れ別の真蹟〔現存はしない〕に従って補筆・模写、全36紙巻子本、中山法華経寺蔵、国宝。料紙は一紙につきタテ28.9センチメール、ヨコ44.0センチメートル。罫線が引かれ、一紙16行、「立正安国論」題字を1行目として全571行が使われている。
得宗北条時頼に文応元〔1260〕年7月16日に提出された真蹟は現存しないようである。ただし日蓮存命中、同書の「正本」と呼ばれるものが弟子の富木常忍のもとに預けられていて、それを常忍が書写して送ってくれとの旨が、某宛の日蓮の書状の真蹟からわかる。これが時頼に提出されたものかは定かではないが、もしそうだとしたら、提出したけれど戻されたという可能性もあるとのことで興味深い。安国論送状 - 日蓮聖人御遺文検索

立正安国論はじめ多くの日蓮遺文の真蹟写真は、神保弁静編『日蓮聖人御真蹟』(1913-14年)が国立国会図書館(NDL)のデジタルライブラリーで公開されているから、容易にその筆致を見ることができる。国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online

しかし当時の謄写品質より今日のもののほうがよいはず。真蹟写真といえば、『日蓮聖人真蹟集成』(全10巻、法蔵館、1976-77年)が学術論文においてはスタンダードなようだが、入手は困難で図書館で閲覧することとなるだろう。立正安国論については、管見のかぎりでは、料紙の罫線がよく見えるほど鮮明に全文が収録されているのは以下の2冊といえる。

  1. 中尾堯『読み解く『立正安国論』』臨川書店、2008年。モノクロだが、写真は四六判に収める大きさで一字一句読みやすく、最も入手しやすい。上記書誌情報はこれを参照した。
  2. 中尾堯・寺尾英智編『図説 日蓮聖人と法華の至宝』第2巻(真蹟遺文)、同朋舎メディアプラン、2012年。カラーだが、各紙の写真は小さい。代表作「観心本尊抄」の真蹟全紙の写真も収録されている。

立正安国論のみならず日蓮異体字や略字を使い、「此」は「https://glyphwiki.org/glyph/u2cf18-j.svg」が用いている。これは日蓮にかぎらず、日蓮が用いて注釈を書き入れている春日版法華経(奈良興福寺刊)、いわゆる注法華経の本文も、この字体である(前掲書2の135頁)。最初は翻刻を見ないと判読できなかったが、次第に慣れる。こんな異体字あったのかというタイポグラフィ的な発見もある。文字コードとしてどれが一番適切な字形なのかは難しいので、ここでは便宜上形がよく似ているものをグリフウィキから探した。また中世日本の漢字文化においてどのような字体、書体が一般的に使われていて、日蓮が特に好んで使ったものは何かとなればさらに難題である。安国論冒頭の「旅客来嘆曰」の「旅」は「https://glyphwiki.org/glyph/jmj-057564.svg」ないし「https://glyphwiki.org/glyph/u2d886-j.svg」である。現在の活字、印刷標準字体は康煕字典体をもとにされているが、当然ながら日蓮の使用した字体は、それより500年前のもの。さらにそもそも字体とは別に楷書か草書かの区別がある。この点、グリフウィキは草書をもグリフ(字形)として活字にしているようである。漢字を字母としてそれを草書にしたのが平仮名だから、あって当然ではある。(康熙字典体 | フォント用語集 | 文字の手帖 | 株式会社モリサワ

日蓮にかぎらず仏教用語には略字が頻繁に使われるが、「菩薩」の略字が「https://glyphwiki.org/glyph/u26b07-jv.svg」だったり、「涅槃」の略字が「炎」というのは、実際に拝見してみるとおもしろい。「南無妙法蓮華経」については「南无妙法蓮花経」(「四信五品抄」第10紙10-11行)と記しているものもあることを知ると、今日、正字とか常用漢字といわれる字体で記載されたものに必ずしも宗教的意味合いが込められているとも言えないようである。

ただし、字体ではなく書式の話だが、日蓮の弟子が裁判のために作成した陳状の草稿に日蓮が加筆した文書「滝泉寺申状」では、「日蓮聖人」「法主聖人」「聖人」「法華経」という語は必ず行頭に来るように書かれていることがわかるので、そういう様式的なところにも日蓮の意識があって何らかの思想的、宗教的な意味が付与されていることは考えられる。(庵谷行亨「瀧泉寺申状の「法主聖人」をめぐって」、『印度学仏教学研究』1996 年 45 巻 1 号 209-215頁を参照)

日蓮真蹟を訓点をつけて漢文のまま翻刻したものはたくさん世に出ているが、字体を含めて忠実に翻刻するのは容易ではないようだ。片岡随喜編『日蓮大聖人御真蹟対照録』全3巻(立正安国会、1967-68年)は日蓮自筆、他筆の区別、振り仮名や削除跡など、正確な翻刻を期している。しかし試しに同書上巻、立正安国論(同書217頁以下)を見てみると、字体については、①日蓮が使用した旧字・異体字のまま翻刻したもの(例:來や藥)、②日蓮が現在でいう新字を用いていても旧字で翻刻したもの(例:即が卽で)、③旧字を新字で翻刻したもの(例:上に言及した此)が見つけられた。

それから日蓮が用いた字体を写真で整理した辞典として、松本慈恵『日蓮聖人書体字典』(国書刊行会、1991年)があるが、これはNDLの検索では引っ掛からなかった。本書は、日蓮が使用した漢字と変体仮名の写真について、どの書にあるかまでは出典を明記しているが、何紙何行目までは記しておらず、また一書の中で複数使用されている字をすべて拾い出してはいなかったと記憶している。
以上テクストよりもテクスチャー寄りの話でした。■

読み解く『立正安国論』

読み解く『立正安国論』