七円玉の読書記録

Researching on Nichiren, the Buddhist teacher in medieval Japan. Twitter @taki_s555

北御門二郎『ある徴兵拒否者の歩み』(みすず書房)

トルストイ翻訳者の北御門二郎(きたみかど・じろう、1913-2004)といえば、ちくま文庫に収められたトルストイ『文読む月日』全3巻(2003-2004年)の訳者として知る人ぞ知るものと思われますが、もっと注目されてもよいのではと思います。
私もこの『文読む月日』を手に取って彼の名を初めて知ったのですが、その直後に逝去されていたことを知りました。さらに彼の経歴や近影を知るには、『ある徴兵拒否者の歩み トルストイに導かれて』(みすず書房、2009年)を手にするまで時間を要しました。
北御門は17歳でトルストイ文学に出あい、その平和主義に倣って第二次大戦中に良心的兵役拒否をするも、周囲から精神病とみなされたようで、徴兵を免れました。また敗戦の年の1月には勤労奉仕出動命令を拒否しています。そうした自伝的な著作が本書です。原卓也との論争、武者小路実篤による太平洋戦争礼賛への批判についても収録されています。

さて、トルストイ(1828-1910)は「国家という名の淫祠邪教」という一篇を残しています。これは『文読む月日』の姉妹篇ともいうべき、彼の最後の編著『人生の道』に収めらています。かつてこれを読むために、私は原久一郎訳の岩波文庫(1961年改版)を手にとったのですが、管見のかぎり、そこでは、この一篇がすっぽり抜けていて訳出されていないようでした。対して、北御門訳『人生の道』(武蔵野書房、1985年)には訳出されていました。これはどうしたことか。
このあたりの事情は、同書の「訳者あとがき」に書かれていました。『人生の道』は原久一郎訳では『永生の道』という表題で1935年に訳出されて中央公論社の大トルストイ全集に収められましたが、戦前ということもあって、「国家という名の淫祠邪教」は完全に削除されています。しかし原訳の岩波文庫版は戦後ですから、訳者が生前にこの一篇を追加できなかったのかという疑問が残りました。いずれにしても北御門訳が「日本最初の完訳」(前掲「訳者あとがき」、351頁)のようです。
なお、トルストイは生前に『人生の道』のゲラに目を通していたものの、発刊時にはこの世を去っていました。先の「国家という名の淫祠邪教」は検閲をパスするために収録されず、他にも伏字が多数あったようです。同篇が初めて世に出たのは1918年のこととなりました。

あくまで感覚的な話ですが、北御門の文章を読んでいると、その息づかいがトルストイに通じているのではないかと思います。それは北御門の訳文だから当たり前だ、ではなく、以前取り上げた『復活』の藤沼貴訳と比べてもそう感じる。一人の人間が、ある人物に傾倒し、自身をその偉大な魂に同期させていくなかで生き方を変容させていくさまは、トルストイと北御門にかぎらないでしょうが、仏教でいうところの「廻向」がここにあるのではないかと思いました。というか偉大な魂は、廻向というかたちで再現性をもち得るのではないかということを教えてくれているのではないか。以前取り上げた、日蓮上原専禄との関係も然り。引用ができませんでしたが、調子があまりよくないので、とりあえず筆を置きます。■

ある徴兵拒否者の歩み

ある徴兵拒否者の歩み

 
文読む月日〈上〉 (ちくま文庫)

文読む月日〈上〉 (ちくま文庫)

 
人生の道 (1985年)

人生の道 (1985年)

 
人生の道 上巻 (岩波文庫 赤 620-0)

人生の道 上巻 (岩波文庫 赤 620-0)