七円玉の読書記録

Researching on Nichiren, the Buddhist teacher in medieval Japan. Twitter @taki_s555

上原專祿『クレタの壺』(評論社):文献学的研究と信仰

以前書いた上原専禄『生者・死者――日蓮認識への発想と視点』(未来社)に感化された私は、今度は彼の『クレタの壺 世界史像形成への試読』(評論社、1975年初版)を再読してみました。読んだのは、私が信奉している法華経日蓮に関するところを中心にですが、

文献学的研究の進展によって信仰そのものの深化が可能なのではないのか。(前掲書、第二章「永遠の古典」、第5節『法華経』の信仰と研究、72頁)

という一文は何よりも感銘を受けたところです。その前後を引いてみます。 

ヨーロッパのキリスト教信仰は、聖書に関する文献学的な批判がいかに鋭くなりましても、そのために衰えたとか微弱になったとかいうことは、少しもないと私は考えるのでございます。むしろそういうような学問的分析の研究が厳しくなり、学問的な証明が現れれば現われるほど、以前とは違った形ではあるけれども、キリスト信仰というものは深まってくるというようには考えられないだろうか。明治以前の学者や学僧たちのなさっておることを拝見いたしますと、信仰の問題と学問研究とをいちおう分けて、「これは学問の話じゃよ、信仰の方では別に考えなければならんのだが、新しい学問のやり方ですると、法華経はこう見られるのだ、」というような工合に、信仰と学問研究とを分けておいて、信仰は信仰の問題、学問は学問の問題として考える傾向が幾らか強かったのではあるまいかと思うのでございます。(中略)どうして明治以来今日までの法華経研究(中略)というもの、これは学問の話であって信仰の話ではない、という前提の下に学問研究をやっていて、信仰はそれとは関わりなしに、伝統的な考え方で進められる、という状態が私にはよくわからないのであります。これはいったい、どういうことなのだろうか。

学問研究が進んだ結果、法華経釈尊が説いたものではない、あれは紀元前百五十年位からでき始めて、すっかりでき上がったのは紀元後二世紀の半ば頃であって、ことに最初の形は二十七品であって後に二十八品になったのだ、とかいうことが明らかになることが、信仰を弱めるものででもあるかのような懸念の下に、学問と信仰との分離が行われて来ておるように、私には受け取れるのであります。(中略)学問研究の結果、動揺するような信仰であるならば、そういう信仰は、およそ安っぽい信仰ではあるまいか。日蓮聖人が「智者に我が義破られずば用いじ」(引用者注=「開目抄」より)といわれましたのは、何も文献学的研究のことではないと思いますけれども、理知的立場で法華経がヨーロッパ流に分析されると動揺するような法華経信仰というものは、いったいどんなものかという疑問が、私どものような者には、出てくるのでございます。むしろ文献学的研究の進展によって信仰そのものの深化が可能なのではないのか。日蓮聖人は、天台の体系化に基づいて法華経を捉えた。天台自身は、歴史的・発展的見方で仏典を見たのではなくて、一切の仏典を釈尊の生涯の中に圧縮して釈尊金口の説法として捉えるという方法に立って体系化――歴史的・発展的にではなく、非歴史的ないわば哲学的体系化――をやったのだ。そういう天台の方法の持っておる意味も考え、しかも法華経自体は数世紀の長い間のインドの社会と文化の中で作られたものだということを考えることが、法華経信仰を弱めるものか強めるものか(以下略)

(前掲書、71-72頁)

上記の問題意識の上で、上原は法華経日蓮遺文を研鑽し、特に「誓願論――日蓮における「誓願」の意識――」(前掲『生者・死者』所収)を上梓し、法華経の基本的性格を釈迦如来の「誓願経」であると措定しうるという認識に到達することができ、「『日蓮遺文』にたいする私の姿勢の変化」が起こったと自覚的に述べています。(上原自身が自身の人生を読書体験として振り返りかつ自著の解題をした、前掲『クレタの壺』最終第五章「本を読む・切手を読む」、329頁前後参照)
この「誓願論」で上原は日蓮遺文に史料批判を加えていますが、その点については今は措いておきます。

私にとって、上記の上原の主張は、信仰と学問の関係について、一番首肯できるものでした。文献学的な研究含め学問によって信仰が揺らぐのだろうか、人間はそこまで馬鹿ではないと思う。二百年、三百年とさらにながい年月のなかで、文献学的研究にかぎったことではないでしょうが、テクストの書き換えや改竄は誰かに見抜かれ、白日の下に曝される。それがすでにキリスト教の歴史であった。これは別にネットの時代だからではなく、活版印刷すらなかった時代から。こうした歴史は、以前友人から借りたのですが、バート・D・アーマン『書き換えられた聖書』(松田和也訳、ちくま学芸文庫)という本に、写本作成における偶発的なミスや意図的な改竄、改竄を見抜く方法などが書かれていて、大変興味深く学べました。

テキストの意図的改竄の面白い実例が、現存する最古かつ最良の写本のひとつで、四世紀に作られた「ヴァティカン写本」(ヴァティカン図書館から発見されたのでこの名がある)の中にある。ほとんどの写本では、『ヘブライ人への手紙』の冒頭には「御子は、……万物を御自分の力である言葉によって支えて(ギリシア語:PHERŌN)おられます」(一章三)と書いてあるのだが、「ヴァティカン写本」の場合、書記はここでちょっとした改竄を行なった。そこではテキストは「御子は、……万物を御自分の力である言葉によって顕わして(ギリシア語:PHANERŌN)おられます」と読めてしまうのだ。何世紀か後、別の書記がこの条を読み、見慣れない「顕わす」という単語を、一般的な「支える」に変えようと考えた。そこで問題の単語を消して書き直したのだった。だがさらに数世紀後、第三の書記がこれを見て、先人による書き直しに気づいた。そこで彼は欄外に、第二の書記に対する自らの所感を註として書きつけた。曰く、「阿呆かお前は! 元のままにしておけ、勝手に変えるな!」

私はこの写本のこのページをコピーして、額に入れて机の前の壁に飾っている。(以下略)

(バート・D・アーマン『書き換えられた聖書』松田和也訳、ちくま学芸文庫、2019年、98頁)

ここにひょろっと、「何世紀か後」とか「さらに数世紀後」と書かれていますが、そのぐらいのスパンをもって進められていく歴史の力を思うわけです。そして当然ながら、数世紀を隔つ書記たちはお互い見ず知らずの人、書き換えや改竄の事情など何も知らないもの同士でもあります。墓場までもっていったつもりが、墓場から掘り起こされてしまうというか。恐ろしくもむしろ歴史への信頼を感じてしまいました。

さて、上原は単純に学問的研究が信仰の深化に寄与するということを言いたいのではないことは、本書の引用箇所の後に書かれてあるのですが、その点の理解を今後深めたいと思っています。■

クレタの壺―世界史像形成への試読 (1975年)

クレタの壺―世界史像形成への試読 (1975年)

  • 作者:上原 専禄
  • 出版社/メーカー: 評論社
  • 発売日: 1975
  • メディア:
 
書き換えられた聖書 (ちくま学芸文庫)

書き換えられた聖書 (ちくま学芸文庫)

 

taki-s.hatenablog.com