七円玉の読書記録

Researching on Nichiren, the Buddhist teacher in medieval Japan. Twitter @taki_s555

日蓮書簡における「折伏」の用法

日蓮法華経弘通の方法と法華経の教えの解釈に「折伏」という語がある。特に前者は日蓮系教団のみならず日蓮のイメージとして広く人口に膾炙してきた。これについて論ずるのは、あまりに膨大な先行研究を前に鵜の真似をする烏となる。

今ここで確認したいのは、この「折伏」という語が日蓮自身が書簡で用いた語としては40 件(後述)であり、これは頻出と言えるのか、また語義として今日解釈される「破折屈伏」といった説明は日蓮自身による記録にはないという点に留めたい。以下、検索結果および用法に関する小考を記す。

日蓮折伏に関する最近の研究は、澁澤光紀「日蓮の摂折論とその展開」(小松邦彰・花野充道責任編集『シリーズ日蓮2 日蓮の思想とその展開』春秋社、第7章所収、2015年)が先学を踏まえた論考として研究・研鑽の基礎となり、花野充道「智顗と日蓮の摂折論の対比」(『法華仏教研究』第15号所収、2013年4月)も150頁を超す重厚な内容で、天台智顗の法門を基礎に独自のそれを構築した日蓮折伏論を理解するうえで極めて重要な論考だと思う。なお澁澤氏は『シリーズ日蓮』刊行当時に改めて講演され、その内容は「日蓮聖人の摂折論とその展開」として詳細なレジュメとともに『法華仏教研究』第20号(2015年4月)に収められている。

さて、40件と書いたが、検索方法は基本的に以前書いた疫病と日蓮② 書簡における疫病の記述(改)と同様である。御書全集、昭和定本、真蹟集成に漏れる新発見の真蹟断簡についてはアクセス困難なので対象外とした。(参考文献の略記の詳細は末尾に記載)
上記検索方法の限界は、①予め知り得る語について検索するだけなので漏れの可能性があること、②検索が語レベルに留まり言説やナラティブのレベルの検証はできないことである。また検出語の問題のみで日蓮折伏観を把握するのは余りに乱暴であることは承知している。〔当然ながら例えば「法華経を強いて説き聞かすべし」(法華初心成仏抄、御書552頁)といった言説を「折伏」と解釈するかは別の議論となる〕①については差し当たり「折伏」「摂折」「折」「摂」「摂受」に留めた。
先に挙げた先行研究は折伏の語義を初出・ミリンダ王経から勝鬘経、天台学の論釈、日蓮書簡に至るまで追跡していた。ここではまず日蓮自身が用いた語句を検索し、今後の研究の資料としたい。

検索語および検索結果、その内訳は以下の通り。他に漏れがあれば御教示いただきたく存じます。

検索結果(頁数のみは御書全集)

折伏:40件
開目抄下、10件、234, 235頁
観心本尊抄、1件、254頁
聖愚問答抄下、7件、494, 495頁
如説修行抄、6件、502, 503, 504頁
御義口伝上、3件、729, 742, 750頁
御義口伝下、3件、766, 767, 774頁
御講聞書、1件、837頁
佐渡御書、1件、957頁
富木殿御返事、1件、962頁
常忍抄(またの名を富木入道殿御返事・禀権出界抄)、1件、982頁
転重軽受法門、1件、1000頁
祈禱経送状、1件、1356頁
上野殿御返事、1件、1556頁
一代五時継図、2件、681, 682頁
真蹟断簡(昭和定本新加250番)、1件、定2955頁(勝鬘経云として図示)
 *以下はカウントせず。百六箇抄、4件、860, 867頁。五人所破抄、2件、1614, 1615頁。祈禱経言上(昭和定本続篇26番)、1件、定2094頁。〔追記 2020/06/22:法華本門宗要鈔下(昭和定本続篇44番)、1件、定2166頁〕

摂折:5件
開目抄下、1件、236頁
聖愚問答抄下、2件、494頁
如説修行抄、2件、503頁
 *以下はカウントせず。百六箇抄、1件、867頁

折のみ(摂折の折):4件
開目抄下、2件、234頁
一代五時継図、2件、681頁

摂のみ(摂折の摂):4件
内訳同上

摂受:27件
開目抄下、9件、235頁
観心本尊抄、1件、254頁
聖愚問答抄下、6件、494, 495, 497頁
如説修行抄、2件、503頁
御義口伝上、1件、750頁
佐渡御書、1件、957頁
富木殿御返事、1件、962頁
常忍抄、1件、982頁
転重軽受法門、1件、1000頁
浄蓮房御書、1件、1432頁
一代五時継図、2件、681頁
真蹟断簡(昭和定本新加250番)、1件、定2955頁
 *以下はカウントせず。百六箇抄、3件、860, 867頁。五人所破抄、2件、1614, 1615頁。〔追記 2020/06/22:法華本門宗要鈔下(昭和定本続篇44番)、1件、定2166頁〕

折伏」の用法
用法は、様々な角度から分類、整理、分析可能で既に上記先行研究でもなされているから、差し当たり折伏40件について二種に分類した。摂受と対比して用いられることがほとんどである。

A. 摂折の対比で使用:31件
開目抄下、10件、234, 235頁
観心本尊抄、1件、254頁
聖愚問答抄下、7件、494, 495頁
如説修行抄、5件、503, 504頁
御義口伝上、1件、750頁
佐渡御書、1件、957頁
富木殿御返事、1件、962頁
常忍抄(またの名を富木入道殿御返事・禀権出界抄)、1件、982頁
転重軽受法門、1件、1000頁
一代五時継図、2件、681, 682頁
真蹟断簡(昭和定本新加250番)、1件、定2955頁(勝鬘経云として図示)

B. 単独で使用:9件
如説修行抄、1件、502頁
御義口伝上、2件、729, 742頁
御義口伝下、3件、766, 767, 774頁
御講聞書、1件、837頁
祈禱経送状、1件、1356頁
上野殿御返事、1件、1556頁 (以上全40件を二分)

以下、若干の確認に留めたい。

一、佐渡期の日蓮は、劣悪な機根(教えを受容する能力)を無視して教えを説くから非難に遭うのだとして、日蓮の布教方法あるいは弘教に関する経文の解釈が、教団内外からの批判の矛先となっていたことが伺える。そしてそれに応える形で摂折の対比から折伏に言及している。寺泊御書では「或る人日蓮を難じて云く、機を知らずして麤義を立て難に値うと」(御書953頁参照)と述べ、法華経勧持品・不軽品から応答しているが摂折には言及していない。開目抄における検出箇所では「疑って云く、念仏者と禅宗等を無間と申すは諍う心あり。修羅道にや堕つべかるらむ」(御書234頁参照)以下、日蓮が他宗を批判するのは争う心があり修羅道に堕ちるのではないか、安楽行品の一文と矛盾するのではないかという問いに対して摂折で応答している。この問題意識は開目抄から遡ること12年前の唱法華題目抄(御書14頁)の時からあり、撰時抄(御書257頁)でも会通している。佐渡御書では文末に「日蓮御房は師匠にておはせども余にこは(剛)し。我等はやは(柔)らかに法華経を弘むべし」(御書961頁参照)という批判があったことを述べていて、摂折は時によること、また不軽品を引いている。

一、検索結果から見るに、聖愚問答抄を除いて佐渡期以前には「折伏」という語が使用されていない点については注意したい。

一、佐渡期では摂折は天台の釈「適時而已(時に適うのみ)」(『法華文句』巻八)から仏説に基づいて時によるべきと主張していた。この時と機根に関する考察は身延期の撰時抄でさらに深められ、機根によって教えを説くのは大いに誤っていると結論付ける(御書267頁)。ただし撰時抄でも摂受・折伏という語は用いられていない。

一、上記に対し、佐渡期の観心本尊抄では、その一篇で摂受・折伏という語が一回のみ突如として言及され、上行始め四菩薩が賢王・僧として摂折を行ずるという主張(御書254頁)がなされており、特に不軽菩薩ではなく地涌の菩薩と連関させるという意味で、ここに日蓮の摂折論の独自性が極まっていると言えないだろうか。

一、門下個人への手紙で「折伏」という語を用いて教導することは稀であったことは、上記の検索結果から容易にわかる。

一、検索結果40件と書いてきたものの、真偽問題を考慮して日蓮筆と確実に言える書簡のみであれば半分ほどとなるから、書簡全体として見れば、日蓮が「折伏」という語を用いた例は少ないと言わざるを得ない。だからといって日蓮の思想や行動意識における折伏の意義が矮小化されるわけではないし、今回は素直に原文に立ち返ってみた次第である。

以上、日蓮書簡における語レベルとしての折摂について調査したが、日蓮法華経弘通の方軌として併せて重要な概念に順縁・逆縁がある。摂折と順逆との連関は妙楽大師湛然『止観義例』で教観の摂折において見られるようで、この辺りは冒頭記した先行研究で言及され、また故・大黒喜道氏が下種や不軽菩薩との関連から考察している(「事行の法門について(三)―逆縁毒鼓の折伏行について」『興風』第8号所収、「日蓮の種脱論とその展開」『シリーズ日蓮2』第6章所収等)。■

参考文献略記
御書全集または御書:新編日蓮大聖人御書全集(創価学会版)
定または昭和定本:昭和定本日蓮聖人遺文(立正大学日蓮教学研究所編)
真蹟集成:日蓮聖人真蹟集成(法蔵館