七円玉の読書記録

Researching on Nichiren, the Buddhist teacher in medieval Japan. Twitter @taki_s555

Jacqueline I. STONE, “The Atsuhara Affair”を読む

Jacqueline I. STONE, “The Atsuhara Affair: The Lotus Sutra, Persecution, and Religious Identity in the Early Nichiren Tradition”, Japanese Journal of Religious Studies, vol. 41/1, pp.153-189, 2014

本稿は、日蓮(1222-82)の最晩年に富士地方で起きた熱原法難を概観し、法難に対する日蓮と直弟子日興(1246-1333)の理解を詳細に分析し、それがどのような点で、後代の初期日蓮教団が世俗的権力と対峙し命を惜しまず法華経信仰を貫く殉教者のモデルとしての影響を及ぼしたかについて考察している。
言うまでもなく、熱原法難は、日蓮が没する3年前の弘安2(1279)年を頂点とし、富士・熱原(現・厚原)地域の日蓮教団において農民信徒20人が政治・宗教権力から捕縛、尋問され、そのうち3人が首を斬られたという事件であり、日蓮の思想、生涯、教団史を把握するうえで必要不可欠な事例である。

熱原法難の研究は、堀日亨(1867-1957)が史料の公開流布および全般的な研究の基礎を作ったのをその嚆矢とし、高木豊(1928-1999)が法難の背景を政治・社会・宗教的権力構造の側面から研究し、これらが双璧と私は理解しているが、こうした先行研究をもとに本稿執筆者、ジャクリーン・I・ストーン氏(プリンストン大学宗教学部名誉教授)は独自の洞察を加えている。日本語を母語とせずとも中世古文書を猟歩し、日蓮・日興の文書を丹念に虚心に読み解いていくさまは驚きと感動を禁じ得ない。むしろ彼女の英文を読むことで、日頃触れてきた日蓮書簡で読み過ごしていた部分に多く気づかされ、何度も原文に当たらしめてくれた。

さて、そのストーン氏の考察についてであるが、高木豊の研究はその詳細な政治権力構造の探求から、法難の背景を知るうえで必要不可欠な土台を提供してくれたのだが、状況論的な話題が中心であった。ストーン氏は高木の研究を用いながら、考察の焦点は日蓮・日興の法華経信仰者としての内的理解に移している。ストーン氏は熱原法難における歴史的事実を把握する上では史料が限られていること、例えば熱原の受難者たちの直接の証言を遺した文献はなく、それらの動向は日蓮・日興からのまた聞きにならざるを得ない点を自覚的に述べている。むしろ法難の事象を日蓮・日興がどう法華信仰を通して解釈したのかに関心を向け、それを滝泉寺申状や四十九院申状など、日蓮・日興の文献を丹念に読み解くなかで追究し、特に日蓮の国家諌暁や滅罪、謗法者の罰に対する解釈の進展を熱原法難前後と比較して考察している点は、ストーン氏の鋭い洞察力とともに貴重な研究成果であろう。特に次の一文はハッとした。

Because both the Shijukuin mōshijō and Ryūsenji mōshijō were submitted to the bakufu and both explicitly reassert the risshō ankoku principle, they might together be considered a fourth act of “admonishing the state,” although the tradition does not speak of them in this way.
(173頁、訳:「四十九院申状」と「滝泉寺申状」は共に幕府へ提出され、両者とも立正安国の原理を明確に再び主張しているから、日蓮教団の伝統ではこのように言わないが、両者は4度目の「国家諌暁」であると考えられる。〔注:滝泉寺申状については実際に当局に提出されたのか、される前に熱原の信徒への尋問・処刑が行われたのかという議論があることを付言しておきたい〕)

個人の信仰表明を多分に含んだ宗教文献を冷静かつ慎重に解読する本稿は、今後熱原法難を研究する上で新たな基盤となり必読の文献となるだろう。
このような内容から巷間さらに読まれてよいと思い、ここに最初項にある要約を和訳してみた。以下訳文。

ジャクリーン・I・ストーン「熱原法難:法華経、迫害、初期日蓮教団における宗教的アイデンティティ

一二七九年、仏教指導者・日蓮の信徒であった二十人の農民は、駿河国の富士地域・熱原で予告なく即座に逮捕され、裁判のため鎌倉へ護送され、このうちの三人が斬首された。この事件は、日蓮仏教の歴史上、熱原法難として知られている。本稿では第一部で、この迫害の背景、また迫害をもたらした政治的または宗教的緊張関係を概説し、そして日蓮がいかにして、この脅威に直面した熱原の信徒に対して信仰に踏み止まるよう説得したか考察する。第二部では、日蓮による迫害の解釈と、法華経専修という日蓮の教えにおけるより重大なテーマ、特に自らの命を法華経に捧げることが仏界を得る保証となることとの関連を調査する。最後に、熱原法難に対する後代の評価により、いかにして日蓮教団内で、法華衆が権力と対峙する際の模範が形成されていったのか論じる。

キーワード:法華経、熱原、日蓮、日興、迫害、殉教

なお本稿は国立国会図書館(NDL)のウェブサイトからDLできる。■

The Atsuhara affair : the Lotus Sutra, persecution, and religious identity in the early Nichiren tradition - 国立国会図書館デジタルコレクション