日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻④
今回の範囲(31頁から40頁)周辺は、前回に続き、爾前経では二乗は永久に成仏できないことを経文を挙げながら語られているが、その様を日蓮は、「(釈尊が)御自身の弟子たちをとことん責めて死なせてしまおうとされたのではないかと思うほどである」(36頁、前掲『現代語訳 開目抄(上)』82頁参照)と解説する。そして一転して、法華経では二乗作仏が説かれるから、釈尊は「自語相違」(39頁)だとまで言う。娑婆世界の本師・教主として釈尊を敬う日蓮が、こういう講談のような口調で書き上げるあたりに、本抄後半にかけて最高の教えであり難信難解である法華経を身読してきた人物こそ自分であるとその境地を明かす伏線として、日蓮の文学的技巧を凝らした表現が見受けられ興味深い。些細なようだが、これを極寒の佐渡の流罪地で執筆している事実に改めて驚嘆する。確か日本文学者の今成元昭が、日蓮の文体には『平家物語』等の軍記物語=語り物の影響が見られる旨を述べていたと記憶する。
字体の判読の漏れは終了まで続くと観念しているが、過去記事については既に更新した。
淨 =浄。ただし浄と併用される。
餘 偏が食の異体字。u9918-t=余
𠰥 =若
𢙣 =悪
提 草書体。u63d0-var-001
尽 盡と区別しにくいが別の異体字。zihai-130209
(31)
無漏ノ三静慮*1阿含経ヲキワメ三界ノ見思ヲ尽*2せリ
知㤙報恩ノ人ノ手本ナルヘシ然ヲ不知㤙ノ人ナリト
丗尊定給ヌ其故ハ父母ノ家ヲ出テ出家ノ身ト
ナルハ必父母ヲスクハンカタメナリ二乗ハ自身ハ解
脱トヲモエトモ利他ノ行カケヌ設分々ノ利他ア
リトイエトモ父母等ヲ永不成佛ノ道ニ入レハカヘリテ不知
㤙ノ者トナル維摩経云維摩詰又問文殊師利何
(32)
等ヲカ為二如來ノ種ト一答*3曰*4一切ノ塵*5勞*6ノ*7之疇は*8為如來種ト一
雖*9以テ二五无間ヲ一*10具スト猶䏻ク発*11ス二此ノ大道意ヲ一云云又云譬
如𫞀姓之子髙原陸*12土ニ不レ生二青蓮芲芙蓉衡
華一卑*13濕*14汙*15田乃生此芲等云云又云已得二阿羅
漢ヲ一為二應*16真*17者一終ニ不レ䏻下復起*18*19二道*20意ヲ一而モ具ルヿ*21中佛法ヲ上也
如下根敗之士其ノ於テ二五樂ニ一不ルカレ䏻中復利ア*22ルヿ上等云云文ノ
心ハ貪瞋*23癡*24等ノ三毒ハ佛ノ種トナルヘシ殺父等ノ五逆
(33)
罪ハ佛種トナルヘシ髙原陸圡ニハ青蓮芲生ヘシ二
乗ハ佛ニナルヘカラスイウ心ハ二乗ノ諸善ト凡*25夫ノ𢙣ト
相對スルニ凡夫ノ𢙣ハ佛ニナルトモ二乗ノ善ハ佛ニナラシト
ナリ諸小乗経ニハ𢙣ヲイマシメ善ヲホム此経ニハ二乗ノ
善ヲソシリ凡夫ノ𢙣ヲホメタリカヘテ佛経トモオホヘス
外道ノ法門ノヤウナレトモ詮スルトコロハ二乗ノ永不成佛ヲ
ツヨク定サせ給ニヤ方等陁*26羅尼経云文殊語舎
(34)*193頁
利弗*27猶如二枯樹ノ一更生ルヤレ芲不ヤ亦如キ山水ノ一還ルヤ二本𠙚ニ一
不ヤ折*28石還テ合ヤ不ヤ燋種生レ芽不*29舎利弗ノ言ク不也
文殊ノ言ク𠰥不ンハレ可レ得云何ソ問テ三我レニ得ルヲ二菩提ノ記*30ヲ一生歓
喜*31不等云云文ノ心ハ枯タル木花*32サカス山水山ニカヘラス
破タル石アハスイレル種ヲイス二乗マタカクノコトシ佛
種イレリ等トナン大品般𠰥経云諸天子今未発
三菩提ノ心一者應當レ発ス𠰥入聲聞正位一是人不レ䏻レ
(35)
發*33二三菩提心一何以故為生死一作鄣*34隔*35故等云云
文ノ心ハ二乗ハ菩提心ヲヲコササレハ我随喜せシ諸天ハ
菩提心ヲヲコせハ我随喜せン首楞厳経云五逆
罪人聞二*36是首楞厳三昧一發二阿耨菩提心ヲ一還テ得二
作佛一是丗尊漏尽ノ阿羅漢猶如破器ノ一永ク不レ堪三
忍受是三昧等云云淨名経云其施汝者不
名福田供養汝者堕三𢙣道等云云文ノ心ハ迦
(36)
𫟒舎利弗等ノ聖僧ヲ供養*37せン人天等ハ必三𢙣道ニ
堕ヘシトナリ此等聖僧ハ佛陁ヲ除タテマツリテハ
人天ノ眼目一切衆生ノ導師トコソヲモヒシニ幾許ノ人
天大㑹*38ノ中ニシテカウ度々仰せラレシハ本意ナカリ
シ事ナリ只詮スルトコロハ我𢓦弟子ヲ責コロサントニヤ
此外牛驢*39ノ*40二乳瓦器金器螢火日光等ノ无量ノ譬ヲ
トテ二乗ヲ呵責せサせ給キ一言二言ナラス一日
(37)
二日ナラス一月二月ナラス一年二年ナラス一
経二経ナラス四十餘年カ間无量无𨕙*41ノ経々ニ無
量ノ大㑹ノ諸人ニ對シテ一言モユルシ給事モナクソシリ給
シカハ世尊ノ不妄語ナリ我モシル人モシル天モシル
地モシル一人二人ナラス百千万人三界ノ諸
天龍神阿脩*42羅五天四州*43六欲㐌*44無㐌十方
丗界ヨリ雲集せル人天二乗*45大菩薩䓁皆コレヲ
(38)
シル又皆コレヲキク各々國々ヘ還テ娑婆丗
界ノ粎尊ノ説法ヲ彼々ノ國々ニシテ一々ニカタルニ
十方無𨕙ノ丗界ノ一切衆生一人モナク迦𫟒舎
利弗等ハ永不成佛ノ者供養シテハアシカリヌヘシト
シリヌ而ヲ後八年ノ法芲経ニ忽ニ悔還テ二乗作佛
スヘシト佛陁*46トカせ給ハンニ人天大㑹信仰ヲ
ナスヘシヤ用ヘカラサル上先後ノ経々ニ疑網ヲ
(39)*194頁
ナシ五十餘*47年ノ説教皆虚*48妄ノ説トナリナン
サレハ四十餘年未顕真實等ノ経文ハアラマサ*49
せカ天魔ノ佛陁ト現シテ後八年ノ経ヲハトカせ
給カト疑網スルトコロニケニ〱シケニ劫國名号ト申テ*50
二乗成佛ノ國ヲサタメ劫ヲシルシ㪽化ノ弟子
ナントヲ定サせ給ヘハ敎主粎尊ノ𢓦語ステニ二
言ニナリヌ自語相違ト申ハコレナリ外道カ佛陁ヲ
(40)
大妄語ノ者ト咲*51シコト*52コレナリ人天大㑹ケヲサメ
テアリシ䄇ニ尒時*53東方寳淨丗界ノ多寳如
來高サ五百由旬廣サ二百五十由旬ノ大七寳
塔*54ニ乗シテ教主粎尊ノ人天大㑹ニ自語相違ヲせメ
ラレテトノヘカウノヘサマ〱ニ宣サせ給シカト
モ不審*55猶ヲハルヘシトモ見ヘスモテアツカイテヲハ
せシ時佛𫝐ニ大地ヨリ涌*56現シテ虚*57空ニノホリ給例セ*58ハ■
*2:ママ
*3:荅に似た異体字。u2ff1-cdp-8cf0-u20b9b
*5:異体字zihai-052301に見えなくもないが、擦れて判読し難いので、これで進める。
*6:=労
*7:「の」が重複してしまい、同頁三行目に「𫞀姓ノ之子」とあるから削除されるべきか。
*8:判読しづらいが者を崩した仮名に見えなくもない。
*10:判読し難いが一と見た。
*11:u767c-itaiji-004の下部が放である異体字。
*13:字間の右脇に追記。
*14:=湿
*15:=汚
*16:=応
*17:ここに限ったことではないが、直後にノがあるように見えるものの、単に埃か筆先が当たったような跡のようにも見える。
*19:ノまたはテが入るか。同前。
*20:ノが入るか。同前。
*21:=事
*22:スが順当だがアに見える。
*23:異体字。u778b-ue0102に似ているが最終三画が大。
*26:複数見ていくうちにzihai-015922であると判明したが、陁も併用される。全篇作業が終わった際に整理したい。
*28:旁に点が入っているように見えるが、グリフウィキ、異体字解読字典、毛筆版くずし字解読辞典、さらに東京大学史料編纂所の電子くずし字辞典にもなかったので、これで進める。単なる埃か。
*29:直後にヤがありそうだが、斜線が上書きされているようなので翻刻しなかった。
*31:吉の右脇に点があるが、グリフウィキにないので、これで進める。
*32:ただし草冠が四画のほう。u82b1-var-001
*33:ママ。=発
*34:=障
*36:斜線がありそうだが次下に一点があるので翻刻しておく。
*37:最初の二画が八。
*38:=會、会
*40:何かの上にノと上書きしたように見えて判読し難いがノとした。
*42:=修
*45:○の左脇に二乗。
*46:ママ
*49:丸の右脇にサ。
*50:○の右脇に「ト申テ」。
*51:かなり細い筆跡で「笑」を消して脇に書かれている。ここだけでなく、訂正の筆跡が複数種あるように見受けられる。このことから親文字の訂正は、日乾だけでなく、その前段階があり得て、複数人によるものであると推測できる。次のケースを仮定できるが、それは①元の写本作成者による校正、②写本を別の者が校正した、③日乾による対校、④日乾が複数回対校した際に筆跡に違いが出た、となろう。さらには、脱落記号○の脇に追記した筆跡も、親文字=元の写本と同じ筆跡に見えるものが散見され、日乾が対校する前に誰かが校正した可能性を見出せる。いずれにせよ、墨の濃淡が分からないので推測となるが、ここでは、親文字に訂正・追記した箇所が日乾筆以外によるものがあり得るという問題提起に留めたい。
*52:○の右脇にコト
*53:ママ
*54:旁が異体字だが、グリフウィキにないので、これで進める。
*55:番が米+田の異体字。u2ff1-u5b80-u7568
*56:異体字。linchuyi_hkrm-05039410
*57:ママ
*58:「せ」か。