七円玉の読書記録

Researching on Nichiren, the Buddhist teacher in medieval Japan. Twitter @taki_s555

高崎直道『『涅槃経』を読む』(岩波現代文庫):仏教の歴史は「師弟の歴史」

以前、高崎直道『『涅槃経』を読む』(岩波現代文庫)という本を読んで感銘を受けました。以下、雑感を記します。

仏教の歴史は「師弟の歴史」であることを痛感します。それは釈尊という師とそれ以外の弟子という意味の師弟であり、また各宗派の祖師とその弟子という師弟でもあります。そして、おのおのの祖師は釈尊の弟子であり、その祖師の弟子も今度は自分の弟子をもつ師になります。その師弟が連綿と織りなす歴史が、仏教の歴史なのだと思います。その意味では、仏教の歴史は、「弟子の歴史」といってもいいわけです。釈尊一人に対して、何百年ものあいだの弟子たちの歴史のほうが圧倒的に長いわけですから。

仏が死ぬということ

そのような視点から仏教を見たとき、経典や論書や新たな教えがたくさんつくられる動機が垣間見えてきます。それは「仏が死んだ」ということです。釈尊という仏、師匠がもうこの世にいない中で、どうしようもない不安感、焦燥感、危機感、そして悲嘆が、弟子たちの胸中にあった。

では、「仏が死ぬ」ということはどういうことか、また師が生前明言しなかったことで、後世に新たな課題や矛盾が生まれてしまった(その責任が師なのか弟子なのかはここでは問わない)。それを今後どう明らかにするのか。そのような情況のなかで、師の代理として弟子が創作したのが大乗経典だったのでしょう。例えば、死後の世界に関しては、釈尊は生前、無記、つまり回答しないという立場をとったといいます。しかし、人は死後の安楽や死後の生命に思いをはせないわけにはいかない。そういう時代や人々の思いに対して、釈尊滅後の弟子たちはどうしたらよいのか、と思ったに違いありません。それに対する「回答」(成否はともかく)の一つが、阿弥陀仏の浄土でした。

(生前釈尊が死後の世界について無記であったとはいえ、そのことと、釈尊が死後の世界を認めていたか認めていないかということは別の話です。釈尊としては、認めるか認めないかという議論そのものは、人の救済には価値を生まないということで無記だった。少なくとも生前の弟子との問答では(ということにしておきましょうか)。ちなみに、スッタニパータにさえ、死後の世界についての言及があります。この箇所は後世の編纂なのでブッダの金口直説ではない、とする説もあるようですが、私は詳しくは知りません)

涅槃経の場合、その内容は、濁世で釈尊の法が廃れようとしているときに、弟子が師の教えを永遠ならしめるにはどうすればよいか煩悶した結果のように思えてなりません。法は常住である。しかし諸行は無常である。では師・釈尊が死んでしまったら、どうなってしまうのか。それに「仏性」という言葉で、弟子は答えようとした。(いわゆる仏身論の発達の一つとして。しかし、仏性が常住である、という説は、原始仏教以来の仏教の伝統に反するので、仏性とアートマンは同じなのか、という予想される反論に対してもあらかじめ答えています)

このように、大乗仏典の成立に思いをはせると、弟子の危機感と必死さを感じます。が、しかし、善意がしばしば悪果を生むのが世の常です。各経典の創作者、各宗派の教えはそういうものだったのだと思います。彼らの中には悪意を持っている者もいたでしょうが、ほとんどは、善意で「我こそは師の教えを後世に伝えねばならない」「師亡き後の深刻な状況のなかで、何とかしなければ」という使命感を奮い立たせていたことでしょう。そういう「弟子の善意」と「師匠の心」との一致とすれ違いが、私が「仏教は師弟の歴史」といった意味です。

すれ違いの典型が、伝教大師最澄とその弟子たちです。法華経第一を貫いた最澄に対し、高弟の慈覚大師円仁、智証大師円珍密教化を進めました。師は十分に唐で密教を学べなかったので、私たちは入唐して本格的な密教を勉強しよう、師に代わって、という意識があったのかもしれません。(最澄空海に弟子入りして灌頂を受けたという事実をもって、最澄密教法華経よりも優れていると捉えていたとはいえないでしょう。これは、私の、護教的な信念からではなく、論理的にもそのような可能性を開放しておく必要があります。また、最澄がそもそも密教に対してどの程度正当性を認めていたかという議論があります。しかし、最澄天台宗開創のさいに遮那業〈密教にもとづく修行〉を設けたとはいえ、『依憑集』=〈真言含め諸宗派は天台のパクリだ〉という主張があります。あるいは法相宗の得一との論争で最澄法華経の卓越性を述べたなかに密教を取り入れた形跡はないだろう、と思ってたら、どうやら『法華秀句』で密教が優れていることを述べていると知って、マジかよ、となったのですが、要調査です)

「おそらく、師はこうしたかったにちがいない」。この弟子の思いが常に、仏教を「混乱」と「発展」に導いてきたのが、歴史だと思うのです。

先生はえらい

このことと、最近再読した内田樹氏の『先生はえらい』(ちくまプリマー新書)を考え合わせてみます。私が上に、「すれ違い」と述べたことは、内田氏は「誤解」という言葉を使って展開しました。内田氏の「誤解」という言葉の使い方は、マイナス面だけではないので、「美しい誤解」と言っている個所もあります。

内田氏は、誤読の可能性が開かれていなければ師弟は機能しない、と述べました。師は、弟子が自ら問いを発するように仕向けます。弟子に答えを与えません。自ら自分で修行をし、覚りを得る、つまり答えを得る、というのが、仏教の根本的な姿勢だからです。(そういえば、日蓮が「観心本尊抄」で、「信ずる心がない人には意味がない」としたうえで、法門を明かしていることは、興味深いです)

弟子が問いを発さないかぎり、師弟は生まれない。師は薫陶、訓練を弟子にさせることはあっても、何かを注入したりはしない。それは弟子自ら体得することだから。しかし、弟子は、ある意味困ったことに、でも不可欠な言葉として、師匠のことを「わたしは、我が師から、このことを教わった」という。あたかも答えを教えてくれたかのように。でも、そう弟子が思い込んでいるだけです(ということにして議論を進めます)。思い込む、あるいは内田式に言えば誤読するとか、勝手に思い込むことこそが、弟子ならしめている。何を思い込むのかと言えば、私は師から教わった、ということ。師は何も教えてはいなくても。

内田氏の前掲書によれば、師弟を、主体的な「学び」を発動させることから、それによって自己がかけがえのない存在であることを実感することができ、無限の向上の鍵を開く生き方である、と説明しているとまとめられるでしょうが、本書にあるように、師弟にかんして、口ごもる律動にこそ、その本質が述べられているわけで、綺麗にまとめることは不可能であると思います。私たちは、本を読むと、それをすぐに内容を要約しなさいと知らず知らずに矯正されてきています。内田氏が本書に述べた言説自体、「誤読の幅」があり、あえて、訂正への道を開いているわけです。

それだからこそ、私たち一人一人が、師弟について語り、実感する多様性、つまり誤読の多様性が開かれている。仏教の過去の歴史においても、仏弟子たちが、師弟観をきれいに語って(多様性な解釈から均質化して)閉じたものとするのではなく、一人一人が、私は師からこれを学んだ(と弟子が勝手に思い込む)というものを確固として体験としてもち、それをシェアし合えるだけの多様性を持っていた。だからこそ、各地で宗派までいかなくても、性格の異なる教団や教えが生まれていったのでしょう。

師の偉大さの一つは、個性や性格、趣味、考え方などが多様で、かつ数多の弟子たちを魅了し、人生を向上ならしめた、ということのはずです。「私こそは、師のおかげで、人生を開けた」と「私こそは」と自分個人のことを強調しながらも、そう述べる人間が無数にいる事態が、師の偉大さを物語っているともいえます。あれこれ一人一人が自分の弟子としての体験を語り合い、「だから、先生はすごい」「だから、先生はえらい」とうなづき合うリアリティが伴った実感ではないでしょうか。そのためには、豊かな言葉が必要です。(ハンナ・アレントの他者性と差異性は、この辺りをすごく意識していたと思います)
少なくとも、このように語り合う開放性を担保されていることが、仏教の歴史であり、大きな特徴であったと、私は思っています。

追記 大乗経典について

大乗仏典の成立について、もう少し考えます。
このあたりは、苅谷定彦氏の論考に啓発を受けました。無仏の時代に、弟子はどうしようもない悲嘆にくれた。しかし、自らの修行のなかで、彼は心の中で仏を見た、出あった。その宗教的な体験は、「師が私に教えてくださった」という意味で、「師の声を聞いた」ことになります。この経験があるからこそ、「如是我聞」という言葉が、創作した経典の冒頭に枕詞として必ず付加されることになります。経典が膨大に増えたのは大乗経典からですが、これはそもそも経典を「編纂」したのではなく、「創作」したからである、といえます。(もっとも、仏教信徒の間で仏典を「創作」したなどという物言いはけしからん!という人もいるでしょうが、仏典を制作したのは釈尊自身ではなく仏弟子であることは事実であり、そのことと非仏説であることは、別の問題である。当たり前ですが、一応、こう書いておきます)

下田正弘氏の論考によれば、部派仏教と大乗仏教のあいだで経典の文体において、明確な違いが見られるといいます(前掲『『涅槃経』を読む』の解説)。簡単に言えば、部派仏教は、釈尊の言葉を忠実に記録するという文体であり、大乗経典は読者にその経典を実践することを積極的に働きかける文体であるとのことで、私はなるほど、と感嘆しました。確かに、法華経を読む中に、「成仏には、この法華経を広めることが不可欠だ」というのは、自己宣伝も甚だしいと一見思いますが、あえて、経典の制作者はこの経典に書かれた内容を、たとえば法華経なら仏塔を立てて経巻を置くとか、この経典を受持、読誦などをしなさいとかと、実践しなさいと仕向けるように書かれています。そもそも法華経の舞台装置として、ありえない宝塔とか、霊鷲山の聴衆の数とか、リアルな歴史とは言えない内容はザラなことからも、単に「編纂」というのには無理があるのではないでしょうか。宝塔に釈尊が入ったということが歴史的な事実である、と思っている人が現代にどれだけいるでしょうか。(「編纂」が表現として誤りというわけではなく、存命中の釈尊の言行を叙述するという意味での編纂ではないということです。法華経が編纂されたのは紀元前後と言われますが、釈尊に会ったこともなければ、それこそ前前前世ほどの世代差の人が編纂したということでもあります。また「創作」という表現も架空の内容をでっちあげるというマイナスな意味ではないということです)

さて、大乗経典が弟子の創作だったとしても、それを「如是我聞」として必ず「仏の言葉」としたのはなぜでしょうか。それは、「創作とはいえ、これは弟子の私自身が書いた、述べただけなら、ただの個人の勝手な見解であって、誰も相手にしないだろう、むしろ逸脱した主張として排除されるだろう」と心配したというような消極的な理由だけではないように思えます。私には、あえて、自らの著者性を徹底的に抹殺した結果のように思えます。

経典の創作者である弟子は、自身の生命を賭して修行する中で、心に確かに「師の声を聞いた」(と思い込んでいる)のであり、弟子自身から見れば、自分が創作した経典の内容は、「師から教わったこと」なわけですから、決して、決して「自分の独自の主張などではない」ということになります。その点で、「如是我聞」とする権利があり、弟子の自覚からすれば、「如是我聞」として仏の言葉として語らないわけにはいかない、ということになるでしょう。それが弟子としての道だ、と。今日まで、創作した経典の作者が一人として個人名が伝わっていない事実、これはもちろん何百年を経たら当然かもしれないのですが、ここには意図的に創作者の個人名を後世に伝えることを排除しようとしたのかもしれません。これは、部派仏教のような「編纂」された経典でも同じことです。「私は、このように師から聞いた」といった「私」は、決して編纂者や創作者である必要はないでしょう。いまこの経典に向かい合っているすべての仏弟子が「私」である権利があり、そうであることが望ましいからこそ、弟子は匿名性を貫いたのだと思います。そこには執拗なまでの「師の教えだけが後世に伝わる」ことへの大きな願いがあるように感じます。

ロラン・バルトは「作者の死」(花輪光訳『物語の構造分析』みすず書房)を説き、読者の主体性を積極的に認めようとしました。大乗経典の作者は、その作者性を抹殺しつつも、エクリチュールを、あくまで仏説という釈尊個人にすべて丸投げした。「読者に対して」どのような意図で丸投げしたのか、という点は、今後深めていきたいと思います。おそらく、創作者は仏の教えを(これまで述べてきた意味での)「誤読」したうえで経典を創作したが、それを読んだ読者には、作者性を明確に意識させようとしたかったのでしょう。仏が説いたという作者性がなければ、読んでも信仰の対象にならないですから。自分たちは仏の教えに触れて誤読して「作者の死」ならしめたにもかかわらず、創作して世に送り出した経典には、強い作者性を付与したわけです。なんとも、切れ者のように感じるのは私だけでしょうか。少なくとも経典を創作する以上、ここに述べたことは自覚したうえで創作したのではないかと思います)

経典が「記録(師の言行録)」のみならず、「弟子による物語、創作物だ」という点は、信仰の世界に生きる人にとっては違和感を持つ人もいるかもしれません。信仰心篤い人のなかには、こういう「メタい」話しが仏を軽んじてるような感覚を覚える人もいるかもしれません。ただし、問われるべきは、創作した人物の心のベクトルであると、私は考えます。あくまで、「師の教えなのだ」として師を宣揚し師の教えを広めようというベクトルです。また、経典を作ったのは釈尊ではなく仏弟子に他ならないという当たり前の事実を前提に「経典制作者の視点、編纂意図」を探ることが、経典の内容を読み解くさいに必要不可欠だと思う次第です。■

『涅槃経』を読む (岩波現代文庫)

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先生はえらい (ちくまプリマー新書)

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法華経“仏滅後”の思想―法華経の解明〈2〉

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智慧/世界/ことば: 大乗仏典I (シリーズ大乗仏教)

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