七円玉の読書記録

Researching on Nichiren, the Buddhist teacher in medieval Japan. Twitter @taki_s555

仏教における「時」の意味:メモ

時間としての縁起=因果、過去・現在・未来という三世、法華経における三千塵点劫、五百(千万億那由他阿僧祇)塵点劫=久遠という過去等、仏教で扱う「時」の例は枚挙に暇がない。
その意味合いは色々と整理が必要ではあるが、下田正弘氏の次の指摘は大変興味深い。

仏が教えを説いたのではなく、聞き手である弟子――この場合にはアーナンダ――が聞いたこととなっていること、そしてそのさい〈ある時〉ということばがつねに付帯していること、さらには説かれた場所が示されていること。これらは経典の形式を構成する要素なのですが、いずれも釈尊と弟子との〈出会い〉を特定するための要素にほかなりません。
注目しておきたいのは、ここでもちいられた〈時〉ということばの原語〈サマヤ〉が、原義として〈出会い〉や〈約束〉を意味する点です。通常、サンスクリット語において時間をあらわすことばは〈カーラ〉が使用されているにもかかわらず、経典の冒頭においてこのサマヤがもちいられていることは、仏教における出会いと時間の深い関係を示唆するように思えます。師と弟子の出会いにおいて師はみずからの過去を見出し、弟子は師にみずからの未来を見出し、両者の時が交錯することを、この本の第一章において確認しました。それはこのサマヤなることばにもそのまま反映されています。経典成立の基礎となる要素は、出会いにおける時の誕生なのです。
(下田正弘『パリニッバーナ 終わりからの始まり』NHK出版、118頁)

ここでいう〈サマヤ〉は、法華経鳩摩羅什による漢訳、妙法蓮華経では、序品第一の冒頭で「一時」(あるとき)として訳されている。その後、何度も登場する「爾時」(そのとき)には〈カーラ〉が使われている。

以前書いた「法華経に説かれる誓願と日蓮による継承」で私は、(大乗仏教における菩薩の)誓願は必ず誰かに対して結ぶ「約束」というかたちをとると述べた。法華経如来寿量品第十六における「久遠」という、ともすると過去=時間とされる概念と、「誓願」とが、ともに〈出会い〉〈約束〉という意味を伴っていることから、両者が主観的あるいは主体的な時間論の上でオーバーラップすることが了解される。久遠(元初)と誓願がどのような関係なのか、上記の引用を手掛かりに、さらに考察を深め、言語化していこうと思っている。■

日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑦

日蓮による仏教史の叙述は、「開目抄」に限らず「撰時抄」「報恩抄」等、仮名交り文に頻出する。開目抄では今回63頁からの法相宗日本伝来の御代について、人王三十七代孝徳天皇か第四十五代聖武天皇か、諸本で異同があり少々注釈した。こうした叙述は翻刻④で述べたように、講談調に加工している点、佐渡流罪中の典籍に乏しい執筆環境下であった点、伝承を元としている点で、いささか正確さに欠ける等、現代歴史学から批判され得るだろう。しかし上原專祿が言うように、開目抄は立正安国論のような「でき上がった思想体系」よりも「思想の成立過程にアクセント」を置いていると見れば、釈尊まで手玉に取るようなその自在な筆致とともに能う限りの情報量を駆使して書き付ける日蓮の感情の起伏や思考の過程を読み取る方が有益と思われる(「日蓮遺文の扱いかたについて」、『上原專祿著作集26』評論社所収、1987年参照)。とはいえ、そういう鑑賞は厳密な考証をへてなされるものでもあることは言うまでもない。本稿で私がしばしば「些細なこと」と付言しておくのは、批判の予防線を張らんがためではなく、些細な検討に拘泥はしなければよいだけで、その必要性は訴えたいがためである。異体字翻刻の漏れは一々言及せず、ブログ更新と併せて過去記事を訂正することにした。ご容赦ください。

(61)
成ヲ存せリ𩀱*1林最後大般*2涅槃四十其外ノ
法芲前後ノ諸大乗ニ一字一句モナク法身
無始無終ハトケトモ應身身ノ顕本ハトカレスイ
カンカ廣愽*3ノ尓前本*4*5涅槃等ノ諸大乗ヲハ
ステヽ但出壽量ノ二品ニハ付ヘキサレハ法相宗
申宗ハ西天佛滅後九百年ニ無着*6ト申大
師有シキ夜ハ都率*7ノ内院ニノホリ弥勒
(62)
對面シテ一代聖教ノ不ヲヒラキ晝*8ハ阿輸舎国ニ
シテ法相ノ法門ヲ弘給彼ノ𢓦弟子ハ丗親
難陁戒䝨等ノ大師ナリ戒日大王頭ヲカタフケ
五天幢ヲ倒シテニ帰依ス尸那國ノ玄三蔵月
𫞕ニイタリテ十七年印百三十ノ國々ヲ見
キヽテ諸宗ヲハフリステノ宗土ニワタシテ
太宗皇帝ト申䝨王ニサツケ給肪*9尚光基ヲ弟
(63)
子トシテ大慈恩寺并ニ三百六十箇國ニ弘給
日本國ニハ人王第四十五代聖武*10天皇ノ𢓦宇ニ道
慈道昭等ナライワタシテ山階寺ニアカメ給ヘリ三國第
一ノ宗ナルヘシ宗云始芲厳経ヨリ終法華
涅槃ニイタルマテ无性有情ト𣲺定性ノ二乗ハ永ク佛ニ
ナルヘカラス佛語ニ二言ナシ一永不成佛ト定給
ヌル上日月ハ地ニ落給トモ大地ハ反*11〔ホン〕覆ストモ永ク變改
(64)*199頁
有ヘカラスサレハ法芲涅槃ノ中ニモ尓前ノ
々ニ嫌*12シ无性有情𣲺定性ヲ正クツイサシテ成佛
ストハトカレスマツヲ閉テ案せヨ法芲涅槃𣲺
定性无性有情正ク佛ニナルナラハ無着世親ホトノ
師玄慈㤙ホトノ三蔵人師コレヲ見サルヘシ
ヲノせサルヘシヤコレヲ信テ𫝊ヘシヤ弥勒
ニ問タテマツラサルヘシヤ汝ハ法芲ノ文ニ依ヤウ
(65)
ナレトモ天台妙樂𫝊教ノ僻見ヲ信受シテ其見ヲモツ*13
文ヲ見ルユエニ尓前ニ法芲ハ水火ナリト見ルナリ
宗ト真言宗ハ法相三ニハニルヘクモナキ超*14
宗ナリ二乗作佛乆遠實成ハ法華ニ限ス芲
大日ニ分明ナリ芲宗杜順智*15法蔵澄
真言宗无畏金剛智不空等ハ天台𫝊教ニハ
ニルヘクモナキ高位ノ人其上無畏等ハ大日
(66)
如來ヨリ糸ミタレサル相𣴎*16アリ等ノ権化ノ人
イカテカ悮*17アルヘキ隨*18厳経ニハ或*19見粎*20成佛道已
不可思議劫等云云大日ニハ我一切本初䓁
云云何但乆遠實成壽量品ニ限ランヘハ井底*21
*22カ大海ヲ見ス山㔫*23カ洛中ヲシラサルカコトシ汝但壽
量ノ一品ヲ見テ芲大日等ノ諸ヲシラサルカ其
上月𫞕尸那新羅百済等ニモ一同ニ二乗作佛乆
(67)
遠實成ハ法芲ニ限トイウカサレハ八箇年ノハ四十
年ノ々ニハ相せリトイウトモ先判後判ノ中ニハ後
判ニツクヘシトイウトモ尓前ツリニコソオホウレ又但
在丗計ナラハサモアルヘキニ滅後ニ居せル論師人師
多ハ尓前ツリニコソヘカウ法華ハ信カタキ上
丗モヤウヤク末ニナレハ聖䝨ハヤウヤクカクレ迷者ハ
ヤウヤク多丗間ノ浅キ事アヤマリヤスシ
(68)
何況出丗ノ法悮ナカルヘシヤ犢子方廣カ聰*24
ナリシヲ大小乗ニアヤマテリ無垢摩沓*25カ利根ナ
リシ権實二教ヲ弁ス正法一千年ノ内在
丗モ近月𫞕ノ内ナリシステニカクノコトシ況尸那日本等
國モヘタテ音モカハレリ人ノ根鈍ナリ壽命モ日アサシ
瞋癡モ倍増せリ佛丗ヲ去テトシ乆シ佛ミナアヤ
マレリ誰ノ智解カカルヘキ佛涅槃経記末法ニハ正
(69)*200頁
法ノ者爪上圡謗法者十方圡ト見ヘヌ法
滅盡ニ云謗法者恒河沙正法者一二ノ小石ト
ヲキ給千年五百年ニ一人ナントモ正法ノ者アリ
カタカラン世間ノ罪ニ依テ𢙣道ニ堕者爪上圡佛法ニ
ヨテ𢙣道ニ堕者十方ノ土俗ヨリ僧女ヨリ*26尼多
𢙣道ニ堕ヘシニ日案云丗ステニ末代ニ入テ二
年𨕙圡ニ生ヲウク其上下賎其上貧
(70)
道ノ身ナリ輪廽*27六趣ノ間人天ノ大王ト生テ万𫞖ヲナヒカス
事大風ノ小木ノ枝ヲ吹カコトクせシモ佛ニナラス大小
ノ外凢内凢ノ大菩ト修*28アカリ一劫二劫無
量劫ヲテ菩ノ行ヲ立ステニ不退ニ入ヌヘカリシモ強
ノ𢙣縁ニオトサレテ佛ニモナラスシラス大結縁ノ第
三類ノ在丗ヲモレタルカ乆遠五百ノ退転*29シテ今ニ來カ
法芲ヲ行せシ䄇ニ丗間ノ𢙣縁王*30道ノ小乗■

つづく

*1:=雙、双

*2:○の右脇に般。

*3:ただし右上の点はない。=博

*4:○の右脇に本。

*5:之繞の最初が一点u8ff9-gに見えるが、印刷品質による擦れの可能性があり判別し難い。

*6:→著

*7:異体字か。保留。

*8:=昼

*9:→昉。ただし「前」と同様、月部と日部の判読が難しく、「昉」である可能性も否定できない。

*10:御書全集では「人王三十七代・孝徳」(198頁)であるが、『現代語訳 開目抄(上)』では日乾本および日寛「開目抄愚記」を採用し四十五代聖武とする(なお後述に関係するので挙げるが、孝徳の在位は645-654。天武の在位は673-686。文武の在位は697-707。聖武の在位は724-749。道昭の生没年は629-700。玄昉の没年は746)。日存本は「第四十五代聖武」(平成校定605頁参照)。御書全集の表記は底本の縮刷遺文の表記を引き継いだと思われる。高祖遺文録は「人王四十五代聖武」なので、縮刷遺文による校訂が確認される。録内御書(宝暦修補本)は「人王四十五代聖武」。平成新編および平成校定、平成新修は「人王三十七代孝徳」。昭和定本は同前で日乾本の注あり。表記の異同について、「第四十五代聖武」を採用した兜木正亨が詳細に注記しているので以下に引用する。「昭和定本に「人王第三十七代孝徳天皇の御宇」(引用者注=「第」は最新版の昭和定本にはない)と訂しているのは、報恩抄(昭定一二〇七)に「人王第三十七代に孝徳天王御宇に、三論宗華厳宗法相宗・俱舎宗・成実宗わたる。人王四十五代に聖武天皇の御宇に律宗わたる」とあるによったものであろう。法相宗の伝来を記したこの句にいう道昭は、わが国にはじめて法相宗を伝えた人で、入唐は孝徳天皇の白雉四年(六五三)であるが、帰朝の時は既に孝徳天皇の御宇をすぎている。道慈の入唐は、それよりあとの文武天皇の御宇、帰朝は元正天皇の御宇であるから、これまた孝徳天皇の御宇というのは当たらない。聖武天皇の御宇に道昭・道慈を結びつけることに無理があり、また孝徳天皇とも結びつかない。このことから見て、この文の意味は、聖武天皇の御宇に、(まえに)道慈・道昭等がつたえて(あった)法相宗山階寺にあがめた、と解釈するのほかはない。しかし、この二人は、山階寺興福寺)に住した人ではない」(『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』岩波書店、502頁、補注八二)と。ちなみに報恩抄のこの文の日乾対校本は「人王第卅七代ニ孝徳天王𢓦宇ニ三論宗厳宗法相宗俱舎宗成實宗ワタル人王四十五代ニ聖武天皇ノ𢓦宇ニ律宗ワタル」(『報恩抄 乾師対校本』梅本正雄編、本満寺刊、1965年、45頁、真蹟不在部分、御書全集302頁に該当)である。日寛「開目抄愚記」では「仁(ママ)王四十五代」を注釈し、「報恩抄上二十にいう「人王第三十七代・孝徳天王御宇に三論宗華厳宗法相宗・俱舎宗・成実宗わたる」とは、この御宇に道昭等これを渡すなり。今「四十五代」等とは、この御宇に玄昉これを渡すなり。総じて法相宗は四度の伝来これあり。故に応具に云く「人王三十七代・孝徳天皇の御宇より人王四十五代聖武天皇の御宇までに道慈、道昭等之を渡す」と云云。「等」とは玄昉を等取するなり」(前掲『日寛上人文段集』109頁、ここにある「応具」の意味が分からなかった)と記す。「この御宇(=人王第三十七代)に道昭等これを渡す」は兜木の言う通り無理がある。「この御宇(=四十五代)に玄昉これを渡すなり」は玄昉の帰国が天平7(735)年、聖武在位中であるから整合が取れる。「四度の伝来」とは凝然『三国仏法伝通縁起』によるものであろう。開目抄の記述にある「山階寺」は興福寺であり、北寺伝(興福寺系)とされる玄昉の第四伝で日寛が会通しようとするのには一定の妥当性があると言えよう。ただし『八宗綱要』が日蓮在世の佐渡流罪前、文永5(1268)年成立、『三国仏法伝通縁起』は日蓮没後の応長元(1311)年成立である点は注意したい(凝然『三国仏法伝通縁起』楠潜龍編、好文堂、明治9年国立国会図書館デジタルコレクション参照。小野玄妙編『仏書解説大辞典』(大東出版社)第四巻「三国仏法伝通縁起」項では「慶長元年」成立としているが誤植であろう。その他、法相宗伝来については『事典 日本の仏教』(蓑輪顕量編、吉村誠氏稿、吉川弘文館)、『八宗綱要』(鎌田茂雄全訳注、講談社学術文庫)を参照した)。ちなみに報恩抄の文について日寛「報恩抄文段」では「文に云く「三十七代・孝徳天王の御宇(までに)乃至成実宗わたる」と文。応に此くの如く点ずべし。これ則ち孝徳天皇の御宇に五宗整束するが故なり」(前掲『日寛上人文段集』364頁)と注釈している。その他の日蓮の著作における法相宗日本伝来の記述を確認しておこう。「撰時抄」(建治元年、真蹟現存、第二十三・二十四紙)では「其の後、人王第三十七代に孝徳天王の御宇に三論宗成実宗を観勒僧正、百済国よりわたす。同御代に道昭法師、漢土より法相宗倶舎宗をわたす。人王第四十四代・元正天王の御宇に天竺より大日経をわたして有りしかども、而も弘通せずして漢土へかへる。此の僧をば善無畏三蔵という。人王第四十五代に聖武天皇の御宇に審祥大徳、新羅国より華厳宗をわたして、良弁僧正・聖武天王にさづけたてまつりて、東大寺の大仏を立てさせ給えり。同御代に大唐の鑒真和尚、天台宗律宗をわたす」(263頁参照)とある。日寛「撰時抄愚記」では道昭による伝来については注釈がなされていない。「神国王御書」(文永12年=建治元年説があるが定まっていないようである、真蹟現存、第五・六紙)では「人王三十六代・皇極天皇の御宇に禅宗わたる。人王四十代・天武の御宇に法相宗わたる。人王四十四代元正天皇の御宇に大日経わたる。人王四十五代に聖武天皇の御宇に華厳宗を弘通せさせ給う。人王四十六代・孝謙天皇の御宇に律宗法華宗わたる」(1517頁)とある。ここで言う天武の御宇に伝来は、凝然が言う四伝のうち相当するものがない。また撰時抄との記述とも齟齬があり、本抄の経年が同じ建治元年かは検証が必要であろう。「妙密上人御消息」(建治2年、本満寺本)では「それより後、人王三十七代・孝徳天皇の御宇に観勒僧正と申す人、新羅国より三論宗成実宗を渡す。同じき御代に道昭と申す僧、漢土より法相宗倶舎宗を渡す。同じき御代に審祥大徳、華厳宗を渡す。第四十四代元正天皇の御宇に天竺の上人、大日経を渡す。第四十五代・聖武天皇の御宇に鑑真和尚と申せし人、漢土より日本国に律宗を渡せし」(1237頁参照)とあるが、真蹟は現存せず本満寺本では「道昭と申す僧、漢土より法相宗倶舎宗を渡す。同じき御代に」の部分がないから、考察の対象外とすることもできる。「本尊問答抄」(弘安元年、日興写本)では「孝徳の御宇に道昭、禅宗をわたす。文武の御宇に新羅国の智鳳、法相宗をわたす」(369頁参照)とある。昭和定本、また兜木が日源写本を底本とした日本思想大系(岩波書店)収録本は「天武」である。智鳳による伝来は、凝然が言う第三伝に相当し北寺伝(興福寺系)である。しかし入唐は大宝3(703)年であり、これは天武ではなく「文武」の御宇であるから、御書全集の表記の方が整合は取れる。さて、日蓮在世中に成立した『八宗綱要』には道昭による伝来の記述がないが、『三国仏法伝通縁起』に至って道昭による初伝を記す。日蓮在世当時に道昭初伝が普及ないし話題となっていたのだろうか。日蓮の著作を経年順に見れば、開目抄、撰時抄では道昭に言及したが、神国王御書、報恩抄では言及しなくなるものの、再び本尊問答抄で禅の将来者として道昭を挙げる。以上から、日蓮在世当時の仏教界では法相宗日本伝来に関する伝承が交錯していたと推測できる。余談であるが、日蓮の著作には、弟子への書簡にまで長々と仏教伝来の歴史を綴ることが少なくない。私は他の鎌倉仏教の祖師たちに明るくないが、こうした歴史の叙述、歴史意識の開陳は、日蓮書簡の際立った特徴なのではないかと思う。一遍、親鸞道元らにこうした記述はあるのだろうか。「立正安国論」における国土安穏に対する強い意識にも通じるし、自身を「法華経の行者」と規定した以上、そうせざるを得なかったのかもしれないが、日蓮が自身を歴史的現実を生きる主体としてどう歴史上に自己及び法門を位置づけるかという意識が強く働いていた形跡と拝観している。追記。「和漢王代記」(真蹟断簡現存)では、「第四十五聖武」の項に六宗及び法相宗を図示している(真蹟現存箇所、御書全集609頁参照)。これは聖武の代には六宗が伝来し揃ったという意味と解せるだろう。なぜなら第三十七代孝徳から第四十四元正までの項に特記がないからである。また「一代五時継図」では、法相宗の祖師として日本の項に、智鳳・義淵・空晴・真喜・善議・勤操(御書663-664頁)を挙げているが、本抄は真蹟がなく三宝寺録外であるため考察の対象外とする。この六人については御書全集の検索(図録以外)では、智鳳は前掲の本尊問答抄の文で、善議・勤操はいわゆる南都七大寺の六宗の碩学十四人としてヒットするが、義淵・空晴・真喜はヒットせず同抄でのみの記述となる。道昭を挙げていないことからも同抄の記述が疑わしい傍証となるかもしれない。なお玄昉の用例は、開目抄本翻刻62頁の「昉」のほか、報恩抄で「玄昉等、大日経の義釈十四巻をわたす」(御書全集304頁参照)とあって『大日経義釈』を将来した人物として挙げるのみである。

*11:異体字。u2d1a5-j

*12:異体字

*13:○の右脇にツ。

*14:保留。

*15:→儼

*16:=承

*17:=悞

*18:=随

*19:○の右脇に「ニハ或」。

*20:之繞の最初が二点に見えるが、これも印刷品質による擦れの可能性があり判別し難い。

*21:广の下が𫞕である異体字。koseki-105410

*22:虫部が䖝である異体字

*23:=左

*24:=聡

*25:白部が旧である異体字。zihai-101039

*26:○の右脇に「女ヨリ」。

*27:=廻

*28:脩の月部が久である異体字。kamiyo_chars-u4fee-itaiji-001

*29:≒轉。u8f49-ue0102

*30:○の右脇に外。

日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑥

今回の範囲のハイライトは「本因本果の法門」であるが、妙楽湛然「行布を存するが故に」以下の引用(57頁以下)から、現代の日蓮文集を研究対象とすることの価値について少々言及した。
始成正覚(52頁)については、大正蔵華厳経の用例を調べた。注を参照されたい。
久遠実成については、本抄の「無始の仏界」(59頁)と観心本尊抄にある「無始の古仏」との関連から、日蓮が久遠実成を九界即仏界・仏界即九界と解した意味を探求しているが、別稿を立てて後に論じる予定である。

(51)
せリ土トイ井機トイ井諸佛トイ井始トイ井何事ニツケテカ
大法ヲ秘給ヘキサレハ文ニハ顕現自在力為説
*1*2等云云一部六十ハ一字一点*3モナク
ナリヘハ如意寳珠ハ一珠モ無量珠モ共*4ニ同一
珠モ万宝ヲ尽*5テ雨*6万珠モ万宝ヲ*7カコトシ芲
ハ一字モ万字モ但同事ナルヘシ心佛及衆生ノ文ハ
宗ノ肝心ナルノミナラス法相三真言天台ノ
(52)
肝要トコソ申等䄇*8イミシキ𢓦ニ何事
ヲカ隠*9ヘキナレトモ二乗闡不成佛トトカレシハ
珠ノキストミユル上三𠙚マテ始成正覚*10トナノラ
せ給テ乆遠實成壽量品ヲ説カクサせ給キ珠ノ
破ト月ニ雲ノカヽレ*11ルト日ノカコトシ不思議
ナリシコトナリ阿方等般𠰥大日等ハ佛説
ナレハイミジ*12キ事ナレトモ芲厳経ニタイスレハイウニカイ
(53)
ナシ彼ニ秘せンコト等ノ々ニトカルヘカラスサレハ
*13含経云初成道等云云大集云如來
成道始十六年等云云淨名云始㘴*14佛樹
力降*15魔等云云大日云我昔㘴道
䓁云云般𠰥*16仁王云二十九年等云云
等ハ言ニタラス只耳目ヲヲトロカス事ハ无量義
厳経ノ唯心法方等般𠰥ノ海印三昧混
(54)*197頁
同無二等ノ大法ヲカキアケテ或未顕真
實或歴劫修行等下䄇ノ𢓦ニ我先道
樹下端㘴六年得成阿耨多羅三藐三
ト初成道ノ華厳経ノ始成ノ文ニ同せラレシ
不思議ト打思トコロニハ法芲ノ序分ナレハ正
宗ノ事ヲハイワスモアルヘシ法芲ノ正*17開三
廣開三ノ𢓦唯佛與*18佛乃䏻究諸法實
(55)
相等丗法久後*19等正直捨方
便䓁多寳佛迹門八品ヲ指テ皆是真實ト證明せラレ
シニ何事ヲカヘキナレトモ久遠壽量ヲハ秘せサせ
給テ我始㘴道観樹亦行等云云最第一ノ
大不思議ナリサレハ弥勒薩涌出品ニ四十
年ノ未見今見ノ大菩ヲ佛尓乃教化之令初
道心等トトカせ給シヲ云如來為太子
(56)
粎宮去伽耶城不遠㘴得成阿
耨多羅三藐三菩是已來始四十
云何於此少時大作佛事等云云教主
尊此等ノヲ晴サンカタメニ壽量品ヲトカントシテ尓
前迹門ノキヽヲ举*20云一切丗間天人及阿脩
羅皆謂今粎牟尼佛出粎𫞕宮去伽耶
不遠㘴得阿耨多羅三藐三菩
(57)
云云正此疑答云然男子我實成佛已來
無量無𨕙百千万億那由他劫等云云芲
乃至般𠰥大日等ハ二乗作佛ヲノミ
ナラス久遠實成ヲ説カクサせ給ヘリ等ノ々ニ
二ノアリ一ニハ存行布故仍未開権*21迹門ノ一念
三千ヲカクせリ二ニハ言始成故曽未發迹*22本門
久遠ヲカクせリ䓁ノ二ノ大法ハ一代ノ綱一切
(58)
心髄*23ナリ*24迹門方便品ハ一念三千二乗作佛ヲ説テ
尒前*25二種ノ一ヲ脱タリシカリトイエトモイマタ發迹
顕本せサレハマコトノ一念三千モアラワレス二乗作佛モ
定ス水中ノ月ヲ見ルカコトシ根ナシ草ノ波
上ニ浮ルニニタリ本門ニイタリテ始成正覚ヲヤ
フレハ四教ノ果ヲヤフル四教ノ果ヲヤフレハ四教ノ因ヤフレ
ヌ尓前迹門ノ十ノ因果ヲ打ヤフテ本門十
(59)*198頁
ノ因果ヲトキ顕ス即本因本果ノ法門ナリ九
モ無始ノ佛ニ具佛モ无始ノ九ニ備*26テ真
㸦具百千如一念三千ナルヘシカウテ
カヘリミレハ芲厳経ノ台*27上十方阿含経ノ小釈*28
方等般𠰥ノ金光明ノ阿弥陁経ノ大日䓁ノ権
佛等ハ壽量佛ノ天月シハラク影ヲ大小ノ器ニシテ*29浮給ヲ
諸宗ノ学者等近ハ自宗ニ迷遠ハ法芲ノ壽量品ヲ
(60)
シラス水中ノ月ニ實月ノ想ヲナシ或ハ入テ取トヲモヒ
或ハ縄ヲツケテツナキトヽメントス天台云不識
天月但観池月等云云日蓮*30案云二乗作佛
スラ尓前ツヨニヲホユ乆遠實成ハ又ニルヘクモナキ
尒前ツリナリ其ノ故ハ尓前法芲相對スルニ尓前
コワキ上尓前ノミナラス迹門十四品一向ニ尓前ニ
同ス本門十四品モ出壽量ノ二品ヲ除テハ皆始■

つづく

*1:囗+負の異体字。グリフウィキにはない。≒圓。=円

*2:原典は「顯現自在力 演説圓滿經」(六十華厳巻第五十五入法界品、大正No.278, 9巻750頁b段8行)であり大体の遺文集では「為」が「演」に校訂されている。

*3:㸃の左上が里の異体字。u3e03-var-001。=点

*4:異体字。u5171-itaiji-002

*5:zihai-130209とも異なる。u2ff1-u2ffb-u807f-u4e37-u76bf

*6:異体字。u96e8-t07

*7:字体は判読難。zihai-130209か。

*8:ただしネ+口+玉。

*9:旁がヨ+ヨ+心である異体字。jmj-058974

*10:同抄で「芲厳経ノ三𠙚ノ始成正覚」(135頁、御書全集213頁)と再説される。三処の始成正覚については、大石寺26世・日寛が「開目抄愚記」で妙楽湛然『法華文句記』の文を挙げている(『日寛上人文段集』阿部日顕監修、創価学会教学部編、聖教新聞社、94頁)。すなわち「一經之内三處明文。即世主品初名號品初。十定品初。皆云於菩提場始成正覺」(『法華文句記』巻第九、釈涌出品、大正No.1719, 34巻325頁b段1行-3行)。今ここに新訳八十華厳をSATで調べた。①巻第一、世主妙厳品第一之一「如是我聞。一時佛在摩竭提國。阿蘭若法菩提場中。始成正覺」(大正No.279, 10巻1頁b段27行-28行)。②巻第十二、如来名号品第七「爾時世尊。在摩竭提國阿蘭若法菩提場中。始成正覺」(大正No.279, 10巻57頁c段23行-24行)。③巻第四十、十定品第二十七之一「爾時世尊。在摩竭提國。阿蘭若法菩提場中。始成正覺」(大正No.279, 10巻211頁a段6行-7行)。さて「始成正覚」という語はもとは華厳経に登場し、術語(テクニカルターム)というより経文であった。歴史学に例えれば史料用語と言えようか。天台・日蓮教学では久遠実成との対比で術語として重視されるが、現代の一般的な仏教辞典、例えば『岩波仏教辞典 第二版』や『新版 仏教学辞典』(法蔵館)では見出し語に立っていない。

*11:○の右脇にレ。

*12:濁点がある。日蓮による「いみじ」の用例として「撰時抄」の真蹟を調べたら「いみしか里け里」(八十一紙)、「いみしき」(八十四紙)の二例があり、当然ながら濁点はない。これまで仮名に濁点がないのにここだけあるのは不審である。

*13:親文字に軽く斜線があり右脇に「諸」とある。録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、御書全集、平成校定は「雑」。縮刷遺文、昭和定本は「諸」。縮刷遺文が高祖遺文録から表記を変更したことが確認できる。意味としては「諸」阿含経でも問題ないが、御書全集の検索では用例が一つもヒットしなかった。兜木は『日蓮文集』で「もろもろの」とルビを振っている。

*14:=坐

*15:保留。

*16:次下「仁王般𠰥」であったところを「般𠰥」を削除し「仁王」の直前に○を入れ右脇に「般𠰥」。日存本も「般若仁王」(平成校定602頁参照)。

*17:=略

*18:=与

*19:直後の「要當説真實」を削除。

*20:=挙

*21:直後の「トテ」が削除されているが、漢文であることから「存行布故仍未開権」が湛然『法華玄義釈籤』からの引用・伝聞(大正No.1717, 33巻950頁b段2行)であると判断できる。日存本には「とて」があるとのこと(平成校定603頁参照)。一般向けの遺文集では、引用に「」を用いて読みやすくしてあるのが通例だが、御書全集では「」がなく、その現代語訳である前掲『現代語訳 開目抄(上)』では用いられ出典も注記されている。『日蓮文集』、平成新編日蓮大聖人御書、平成新修日蓮聖人遺文集には「」がある。後出の「言始成故曽未發迹」も同様。

*22:「尚」を削除し右脇に「曽」。ここも直後の「トテ」を削除。日存本は「言始成故とて」。『釈籤』、大正蔵は「言始成故。未發迹」(大正No.1717, 33巻950頁b段2行-3行)。今しがた挙げた遺文集の中では、御書全集は「尚」を用い、底本の縮刷遺文「曽」を校訂している。高祖遺文録は「尚」だから縮刷遺文による校訂が確認できる。引用として「」を用いるなら、上記一般向け遺文集では「尚」に校訂してよいと思われるが如何だろうか。

*23:髓の骨の上部が内である異体字。グリフウィキ、異体字解読字典ともにない。

*24:ここは地の文ではあるが、『釈籤』では「尚未發迹」に続き「此之二義。文意之綱骨。教法之心髓」(大正No.1717, 33巻950頁b段3行-4行)とあり、酷似している。これは既に兜木正亨が指摘している(『日本古典文学大系82 親鸞日蓮集』岩波書店、347頁、ただし同氏による岩波文庫日蓮文集』の注では言及されない)。日蓮が『釈籤』の文を借りて書いたと見てよいが、当時は原典が手元になかったか、要文集を頼るしかなかったのかもしれない。しかし、あえて地の文としたのかもしれず、そうだとすれば「存行布故仍未開権」以下はあながち引用と言い切れない。「」の有無は些細に見えるが、御書全集にはない点が私には疑問だった。単なる校訂不足と見なせなくもないが、編纂者が信仰的見地から開目抄前半の最重要文の一つとして、一連の文章を日蓮の地の文と見なして「」を入れない判断をしたのかと推測してみた。次いでながら問題提起となるが、上記の議論のように「」の有無一つとってみても、翻刻とは編纂者の解釈に他ならない。約物、特に句読点、カギ括弧、中黒、割注等(、。・「」『』()〈〉)の置き方一つで読み方が変わるのは言うまでもないが、御書全集以降の現代の日蓮文集は、高祖遺文録・縮刷遺文当時より使用する約物が増えた分、解釈の正確さが要求される結果となったと言えないか。また編纂は学術的知見を基礎としながらも、一般人向けに読みやすい表記への配慮や聖典としての信仰的解釈が入り込み、さらに常用漢字や印刷文字コード、流通性といった出版文化が大きく関わっていることが了解されよう。その意味では、現代の日蓮文集は、文献学的にまた一つの研究対象となり得、現在の出版文化の中で今後その重要性が増すと思われる。

*25:頻出だが、月部が日と判別が難しい。以後「前」としておき、作業を終えた時点で再整理したい。

*26:≒俻。zihai-008008。=備

*27:異体字。グリフウィキにはないが、異体字解読字典には俗字として収録される。≒臺。=台

*28:ママ

*29:○の右脇に「ニシテ」。

*30:草冠が四画のほう。

日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑤

49頁の「賢王の世には道理かつべし。愚主の世に非道先をすべし。聖人の世に法華経の実義顕るべし。(愚人の世には正法の理隠る)」については、「立正安国論」と関連させて考察を加えた。注を参照されたい。 

(41)
暗夜ニ月ノ東山ヨリ出カコトシ七寳ノ
ニカヽラせ給テ大地ニモツカス大ニモ付せ給
ワス天中ニ*1懸テ寳ノ中ヨリ梵音聲出シテ
證明シテ云尒*2中出大音聲歎*3
哉粎牟尼丗*4以平等大㑹*5教菩
佛㪽念妙法芲為大衆説如是*6如是粎
牟尼世如㪽説者皆是真實等云云又
(42)
云尓*7尊於文殊師利等無量百千万億
*8住娑婆丗乃至人非人䓁一切衆
𫝐現大神力出廣長舌上至梵丗一切毛孔
乃至十方丗衆寳樹下子𫝶*9上諸佛
亦復如是出廣長舌放無量光等云云又云
令十方來諸分身佛各還本圡乃至多寳佛
還可如故等云云*10
(43)
大覚丗初成道ノ
佛十方ニ現シテ粎ヲ慰喻*11シ給上諸大菩ヲ遣
シキ般𠰥ノ𢓦ハ粎*12長舌ヲ三千ニヲホヒ千佛十
方ニ現シ給金光明ニハ四方四佛現せリ阿
弥陁ニハ六方諸佛舌ヲ三千ニヲヽウ大集ニハ十
方ノ諸佛菩大宝坊ニアツマレリ䓁ヲ法華*13
ニ引合テカンカウルニ黄*14石ト黄金ト白雲ト白山ト白
(44)*195頁
氷ト銀鏡ト黒㐌ト青㐌トヲハ翳ノ者眇目ノ者一
者邪眼*15ノ者ハ見タカヘツヘシ芲厳経ニハ先後ノ
ナケレハ佛語相ナシナニヽツケテカ大イテ來
ヘキ大集大品金光明阿弥陁等ハ
諸小乗ノ二乗ヲ弾呵せンカタメニ十方ニ淨圡ヲ
トキ夫菩ヲ欣𪷂*16せシメ二乗ヲワツラワス小
ト諸大乗ト一分ノ相アルユヘニ或十方佛*17
(45)
現シ給ヒ或ハ十方ヨリ大菩ヲツカワシ或ハ十
方丗ニモヲトクヨシヲシメシ或十方ヨリ
諸佛アツマリ給或粎舌ヲ三千ニヲホイ或ハ諸佛ノ
舌ヲイタスヨシヲトカせ給ヒトエニ諸小乗ノ十方
唯有一佛トトカせ給シヲモヒヲヤフルナルヘシ法
ノコトクニ先後ノ諸大乗ト相出來シテ舎利
弗等ノ諸聲聞*18大菩人天等ニ将*19非魔
(46)
作佛トヲモワレサせ給大事ニハアラス而ヲ芲法相
三論*20真言念佛等ノ翳ノ輩彼々ノ々ト法
トハ同トウチヲモヘルハツタナキナルヘシ但在丗ハ
四十餘年ヲステヽ法芲ニツキ候*21モノモヤアリ
ケン佛滅後ニ此経文ヲ開見シテ信受せンコトカタ
カルヘシ先一ニハ尓前ノ々ハ多言也法華ハ一
言也尓𫝐々ハ多此経ハ一也彼々ノ
(47)
々ハ多年也此経ハ八年也佛ハ大妄語人
永ク信ヘカラス不信ノ上ニ信ヲ立ハ尓前ノ々ハ信
スル事モアリナン法芲ハ永信スヘカラス當丗モ
法芲ヲハ皆信シタルヤウナレトモ法芲ニテハナキ
ナリ其故ハ法芲ト大日ト法芲ト芲厳経ト法芲
ト阿弥*22ト一ナルヤウヲトク人ヲハ悦テ帰依シ
別々ナルナント申人ヲハ用スタトイ用レトモ本意
(48)
ナキ事トヲモヘリ日蓮云日本*23ニ佛法ワタリテステニ
七百年但𫝊敎大一人計法芲ヲヨ
メリト申ヲハ諸人コレヲ用ス但法芲
𠰥接湏弥擲置他方無數佛圡亦未為難
乃至𠰥佛滅後𢙣丗中䏻説此経是則為難
等云云日蓮カ強義文ニハ普合せリ法芲ノ流
タル涅槃ニ末代濁丗ニ謗法ノ者十方ノ地ノコトシ
(49)
正法ノ者ハ爪上ノ圡ノコトシトトカレテイカンカシ
ヘキ日本ノ諸人ハ爪上ノ圡カ日蓮ハ十方ノ圡カ
ヨク〱思惟アルヘシ䝨王ノ丗ニハ道理カツヘシ愚
主ノ丗ニ非道先ヲスヘシ聖人ノ丗ニ法芲
實義顕ルヘシ等ト*24心ウヘ
法門ハ迹門ト尓𫝐ト相對シテ尓𫝐ノ強キヤウニ
ヲホユモシ尓𫝐ツヨルナラハ舎利弗等ノ諸二乗ハ
(50)*196頁
永不成佛ノ者ナルヘシイカンカナケカせ給ラン
二□教主粎ハ住劫苐九ノ减*25人壽百歳ノ師子
*26王ニハ孫淨飯王ニハ嫡子童子𢘻*27*28太子一
切義成就菩コレナリ𢓦年十九ノ𢓦出家三
十成道ノ丗始𡧯*29滅道場*30ニシテ實華王ノ儀
*31ヲ示現シテ十玄六相法*32*33頓極㣲*34妙ノ
大法ヲ説給十方ノ諸佛モ顕現シ一切ノ菩モ雲集■

つづく

*1:天の直前の「中」を削除、天の直後に○し右脇に「中ニ」。

*2:ママ

*3:異体字

*4:異体字。u80fd-itaiji-001。䏻とも異なる。

*5:→慧

*6:日部が口のようだが保留。次下も同じ。

*7:=爾

*8:異体字。sdjt-06586。=舊

*9:=座

*10:直後に親文字に「カクノ如クアリシカハ人天大㑹ヲハラシキ」とあるが削除されている。

*11:=喩

*12:○の右脇に粎。

*13:ママ

*14:保留。次下も同じ。

*15:日乾筆の訂正であり字体も現代の常用漢字と同じ。

*16:=慕。ただし草冠は三画のほう。

*17:○の右脇に佛。

*18:直後の「文殊等ノ」を削除。

*19:旧字・將の偏と同じである異体字。=将

*20:ママ

*21:草書体。sosho-u5019-001

*22:偏が方である異体字。ligang_u5f25-var-001

*23:直後の「國」を削除。

*24:「等ト」は訂正後だが、訂正前の親文字には「愚人ノ丗ニハ正法ノ理隠(=異体字。jmj-058974)等」とあり、その右脇には、判読できなかったが「御本无」と思しき文言が注記されている。日乾は元の写本と対校した真蹟とが別の系統であると自覚していたのだろう。そして注目されるのは、この削除された「愚人ノ丗ニハ正法ノ理隠等」が日存写本には表記されている点である(大石寺版『平成校定日蓮大聖人御書』、601頁参照)。まさか日乾が用いた写本は日存本の系統だったのではと早とちりする気はないが(なぜなら後出241頁「シタシキ〔御本ニ無〕父母也」は親文字である)、時機が叶えば日乾本と日存本との表記を比較し、それで答えが出そうな気がする。「賢王の世には道理かつべし。愚主の世に非道先をすべし」という主張は、「立正安国論」及び中世日本に普及していた善神捨国思想の神話的世界観を共有しない現代人に対しても説得力を持つものであり、初期仏教において王権神授説を否定し、為政者(王)の正統性は彼自らの人民の福祉に寄与する行為(カルマ)によって担保されると説いた転輪王思想と併せて注目したい。「聖人の世に法華経の実義顕るべし。愚人の世には正法の理隠る」は、聖人(=日蓮)が説く「実乗の一善」(立正安国論、御書全集32頁)を為政者が用いる世との意味として、立正安国論の主張の言い換えと解することも可能なのではないか。そう考えると、敷衍するが、日蓮立正安国論提出は、日本国が賢王か愚主か、道理か非道か、聖人か愚人かを世に問う・試す行為(あるいは開目抄のこの文脈を用いれば、法華経が難信極まることを承知でそれを確認する行為)であり、日蓮からの社会への挑戦というか本格的な接続であったことが了解されよう。少なくとも立正安国論の完成と提出は法華経に依らなければありえず、また法華経身読の一環と私は見たい。それから削除部分については、前節が賢王・愚主を対比しているから、聖人と対比した愚人以下の一文があったほうが文体としては自然であるし、複数系統の写本→複数の真蹟が存在と措定し、この一節を真撰と解したほうが日蓮思想の解釈に豊かさを与えてくれると思うが如何だろうか。この対応から、さらに「道理」と「法華経の実義」=「正法の理」とが対応している、あるいは王法から見れば道理、仏法から見れば法華経の実義=正法の理(=実乗の一善)と読めないだろうか。(転輪王思想の説明は馬場紀寿『初期仏教』岩波新書、第四章「贈与と自律」を参照した)追記。録内御書(宝暦修補本)にも「愚人ノ世ニハ正法ノ理隠ト」(御書二、二十一丁裏、ただし末尾が「等ト」ではない)があることが確認できた。高祖遺文録や縮刷遺文にはない。

*25:=減

*26:=頰。頬は頰の俗字。wordで作業していると、頰のほうが常用漢字であるにも関わらず、環境依存字と示された。

*27:=悉

*28:=達。之繞が一点か二点か区別し難いが、この異体字で進める。

*29:=寂

*30:≒塲。u5872-itaiji-001か。

*31:異体字。koseki-109290=法務省戸籍統一文字109290

*32:=円

*33:異体字。u2ff0-u2ff1-cdp-88c8-cdp-8bdc-u866b

*34:=微

日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻④

今回の範囲(31頁から40頁)周辺は、前回に続き、爾前経では二乗は永久に成仏できないことを経文を挙げながら語られているが、その様を日蓮は、「(釈尊が)御自身の弟子たちをとことん責めて死なせてしまおうとされたのではないかと思うほどである」(36頁、前掲『現代語訳 開目抄(上)』82頁参照)と解説する。そして一転して、法華経では二乗作仏が説かれるから、釈尊は「自語相違」(39頁)だとまで言う。娑婆世界の本師・教主として釈尊を敬う日蓮が、こういう講談のような口調で書き上げるあたりに、本抄後半にかけて最高の教えであり難信難解である法華経を身読してきた人物こそ自分であるとその境地を明かす伏線として、日蓮の文学的技巧を凝らした表現が見受けられ興味深い。些細なようだが、これを極寒の佐渡流罪地で執筆している事実に改めて驚嘆する。確か日本文学者の今成元昭が、日蓮の文体には『平家物語』等の軍記物語=語り物の影響が見られる旨を述べていたと記憶する。

字体の判読の漏れは終了まで続くと観念しているが、過去記事については既に更新した。
淨 =浄。ただし浄と併用される。
餘 偏が食の異体字。u9918-t=余
𠰥 =若
𢙣 =悪
提 草書体。u63d0-var-001
尽 盡と区別しにくいが別の異体字。zihai-130209

(31)
無漏ノ三*1含経ヲキワメ三ノ見思ヲ尽*2せリ
知㤙恩ノ人ノ手本ナルヘシ然ヲ不知㤙ノ人ナリト
定給ヌ其故ハ父母ノ家ヲ出テ出家ノ身ト
ナルハ必父母ヲスクハンカタメナリ二乗ハ自身ハ解
脱トヲモエトモ利他ノ行カケヌ設分々ノ利他ア
リトイエトモ父母等ヲ永不成佛ノ道ニ入レハカヘリテ不知
㤙ノ者トナル維摩維摩詰又問文殊師利何
(32)
等ヲカ為如來ノ種ト*3*4一切ノ塵*5*6*7之疇は*8為如來種ト
*9以テ五无間ヲ*10具スト䏻ク発*11ノ大道意ヲ云云又云
如𫞀姓之子髙原陸*12土ニ不青蓮芲芙蓉衡
*13*14*15田乃生芲等云云又云已得阿羅
*16*17終ニ不復起*18*19*20意ヲ而モ具ルヿ*21佛法ヲ
根敗之士其ノ五樂ニ不ルカ復利ア*22ルヿ等云云文ノ
心ハ貪瞋*23*24等ノ三毒ハ佛ノ種トナルヘシ父等ノ五逆
(33)
罪ハ佛種トナルヘシ髙原圡ニハ青蓮芲生ヘシ二
乗ハ佛ニナルヘカラスイウ心ハ二乗ノ諸ト凡*25夫ノ𢙣ト
相對スルニ夫ノ𢙣ハ佛ニナルトモ二乗ノハ佛ニナラシト
ナリ諸小乗ニハ𢙣ヲイマシメヲホム此経ニハ二乗ノ
ヲソシリ夫ノ𢙣ヲホメタリカヘテ佛トモオホヘス
外道ノ法門ノヤウナレトモスルトコロハ二乗ノ永不成佛ヲ
ツヨク定サせ給ニヤ方等陁*26羅尼文殊語舎
(34)*193頁
利弗*27枯樹ノ更生ルヤ芲不ヤ亦如キ山水ノ還ルヤ本𠙚ニ
不ヤ折*28石還テ合ヤ不ヤ燋種生芽不*29舎利弗ノ言ク不也
文殊ノ言ク𠰥不ンハ得云何ソ問テ我レニ得ルヲノ記*30生歓
*31不等云云文ノ心ハ枯タル木花*32サカス山水山ニカヘラス
破タル石アハスイレル種ヲイス二乗マタカクノコトシ佛
種イレリ等トナン大品般𠰥云諸天子今未
三菩ノ心者應當ス𠰥入聲聞正位是人不
(35)
*33三菩何以故為生死作鄣*34*35故等云云
文ノ心ハ二乗ハ菩心ヲヲコササレハ我随喜せシ諸天ハ
心ヲヲコせハ我随喜せン首楞厳経云五逆
罪人聞*36是首楞三昧阿耨菩心ヲ還テ得
作佛是丗ノ阿羅漢猶如破器ノ永ク不
忍受是三昧等云云淨名云其施汝者不
名福田供養汝者堕三𢙣道等云云文ノ心ハ
(36)
𫟒舎利弗等ノ聖僧ヲ供養*37せン人天等ハ必三𢙣道ニ
堕ヘシトナリ此等聖僧ハ佛ヲ除タテマツリテハ
人天ノ目一切衆生ノ導師トコソヲモヒシニ幾許ノ人
天大㑹*38ノ中ニシテカウ々仰せラレシハ本意ナカリ
シ事ナリ只スルトコロハ我𢓦弟子ヲ責コロサントニヤ
外牛驢*39*40二乳瓦器金器螢火日光等ノ无量ノ
トテ二乗ヲ呵責せサせ給キ一言二言ナラス一日
(37)
二日ナラス一月二月ナラス一年二年ナラス一
ナラス四十年カ間无量无𨕙*41々ニ無
量ノ大㑹ノ諸人ニ對シテ一言モユルシ給事モナクソシリ給
シカハ世ノ不妄語ナリ我モシル人モシル天モシル
地モシル一人二人ナラス百千万人三ノ諸
龍神阿脩*42羅五天四州*43六欲㐌*44無㐌十方
ヨリ雲集せル人天二乗*45大菩䓁皆コレヲ
(38)
シル又皆コレヲキク各々國々ヘ還テ娑婆丗
ノ粎ノ説法ヲ彼々ノ國々ニシテ一々ニカタルニ
十方無𨕙ノ丗ノ一切衆生一人モナク𫟒舎
利弗等ハ永不成佛ノ者供養シテハアシカリヌヘシト
シリヌ而ヲ後八年ノ法芲ニ忽ニ悔還テ二乗作佛
スヘシト佛陁*46トカせ給ハンニ人天大㑹信仰ヲ
ナスヘシヤ用ヘカラサル上先後ノ々ニ疑網
(39)*194頁
ナシ五十*47年ノ説教皆虚*48妄ノ説トナリナン
サレハ四十年未顕真實等ノ文ハアラマサ*49
せカ天魔ノ佛陁ト現シテ後八年ノヲハトカせ
給カト疑網スルトコロニケニ〱シケニ劫國名号ト申テ*50
二乗成佛ノ國ヲサタメ劫ヲシルシ㪽化ノ弟子
ナントヲ定サせ給ヘハ敎主粎ノ𢓦語ステニ二
言ニナリヌ自語相ト申ハコレナリ外道カ佛陁ヲ
(40)
大妄語ノ者ト咲*51シコト*52コレナリ人天大㑹ケヲサメ
テアリシ䄇ニ尒時*53東方寳淨丗ノ多寳如
來高サ五百由旬廣サ二百五十由旬ノ大七
*54ニ乗シテ教主粎ノ人天大㑹ニ自語相ヲせメ
ラレテトノヘカウノヘサマ〱ニ宣サせ給シカト
モ不審*55ヲハルヘシトモ見ヘスモテアツカイテヲハ
せシ佛𫝐ニ大地ヨリ涌*56現シテ虚*57空ニノホリ給例セ*58ハ■

つづく

*1:異体字。グリフウィキ、異体字解読字典ともにない。

*2:ママ

*3:荅に似た異体字。u2ff1-cdp-8cf0-u20b9b

*4:直後に○か何かがあるが判読不能

*5:異体字zihai-052301に見えなくもないが、擦れて判読し難いので、これで進める。

*6:=労

*7:「の」が重複してしまい、同頁三行目に「𫞀姓之子」とあるから削除されるべきか。

*8:判読しづらいが者を崩した仮名に見えなくもない。

*9:異体字。=zihai-150825

*10:判読し難いが一と見た。

*11:u767c-itaiji-004の下部が放である異体字

*12:異体字。hokke-00656

*13:字間の右脇に追記。

*14:=湿

*15:=汚

*16:=応

*17:ここに限ったことではないが、直後にノがあるように見えるものの、単に埃か筆先が当たったような跡のようにも見える。

*18:異体字。u8d77-var-001

*19:ノまたはテが入るか。同前。

*20:ノが入るか。同前。

*21:=事

*22:スが順当だがアに見える。

*23:異体字。u778b-ue0102に似ているが最終三画が大。

*24:疑部の偏が止+天の異体字

*25:凢の中に点がある異体字。u2d0ab-j

*26:複数見ていくうちにzihai-015922であると判明したが、陁も併用される。全篇作業が終わった際に整理したい。

*27:直後に○か何かがあるが判読不能

*28:旁に点が入っているように見えるが、グリフウィキ、異体字解読字典、毛筆版くずし字解読辞典、さらに東京大学史料編纂所の電子くずし字辞典にもなかったので、これで進める。単なる埃か。

*29:直後にヤがありそうだが、斜線が上書きされているようなので翻刻しなかった。

*30:旁が巳である異体字。u8a18-ue0102

*31:吉の右脇に点があるが、グリフウィキにないので、これで進める。

*32:ただし草冠が四画のほう。u82b1-var-001

*33:ママ。=発

*34:=障

*35:異体字。u9694-var-002

*36:斜線がありそうだが次下に一点があるので翻刻しておく。

*37:最初の二画が八。

*38:=會、会

*39:異体字のようだが判読し難く、これで進める。

*40:何かの上にノと上書きしたように見えて判読し難いがノとした。

*41:異体字解読辞典に俗字としてある。=辺

*42:=修

*43:=洲。音通の異体字か。

*44:底本9頁に二カ所ある異体字とは異なる。=色

*45:○の左脇に二乗。

*46:ママ

*47:人部がムになっており、別の異体字か。

*48:異体字。koseki-371890に近い。

*49:丸の右脇にサ。

*50:○の右脇に「ト申テ」。

*51:かなり細い筆跡で「笑」を消して脇に書かれている。ここだけでなく、訂正の筆跡が複数種あるように見受けられる。このことから親文字の訂正は、日乾だけでなく、その前段階があり得て、複数人によるものであると推測できる。次のケースを仮定できるが、それは①元の写本作成者による校正、②写本を別の者が校正した、③日乾による対校、④日乾が複数回対校した際に筆跡に違いが出た、となろう。さらには、脱落記号○の脇に追記した筆跡も、親文字=元の写本と同じ筆跡に見えるものが散見され、日乾が対校する前に誰かが校正した可能性を見出せる。いずれにせよ、墨の濃淡が分からないので推測となるが、ここでは、親文字に訂正・追記した箇所が日乾筆以外によるものがあり得るという問題提起に留めたい。

*52:○の右脇にコト

*53:ママ

*54:旁が異体字だが、グリフウィキにないので、これで進める。

*55:番が米+田の異体字。u2ff1-u5b80-u7568

*56:異体字。linchuyi_hkrm-05039410

*57:ママ

*58:「せ」か。

日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻③

前回までの記事で異体字に改められていない箇所が数個あった。後で訂正するが、今回も登場したので、ここに三種を掲げる。〔追記 2020/11/07:①②ともに訂正完了。〕
敎 =教。ただし教も併用される。
失 異体字。koseki-017090
巻 下部が巳の異体字。u5dfb-var-002

(21)
无畏三蔵金剛*1智三蔵天台ノ一念三千ノ義ヲ
盗トテ*2自宗ノ肝心トシ其上ニ印ト真言トヲ加テ超
ノ心ヲヲコス其子細ヲシラス学*3者等ハ天竺
ヨリ大日ニ一念三千ノ法門アリケリトウチヲモウ芲
厳宗ハ澄厳経ノ心如工畫*4師ノ文ニ天
台ノ一念三千ノ法門ヲ入タリ人コレヲシラス日
本我朝ニハ芲等ノ六宗天台真言已𫝐ニワタリケリ
(22)
法相諍水火ナリケリ𫝊敎大師
國ニイテヽ*5六宗ノ邪見ヲヤフルノミナラス真言
宗カ天台法芲ノ理ヲ盗取テ自宗ノ極トスル
事アラワレヲハンヌ𫝊敎大師宗々ノ人師ノ異執ヲステヽ*6
文ヲ𫝐トシテ責サせ給シカハ六宗ノ髙徳八人
十二人十四人三百人并*7弘法大師䓁せ
メヲトサレテ日本國一人モナク天台ニ帰伏シ南
(23)
都東寺日本一州ノ山寺皆叡*8山ノ末寺トナリヌ又
土諸宗ノ元祖ノ天台ニ帰伏シテ謗法ノヲマヌカレ
タル事モアラワレヌ又其後ヤウヤク丗ヲトロヘ人ノ智ア
サクナルホトニ天台ノ義ハ習ウシナイヌ他宗ノ執心ハ強
*9ニナルホトニヤウヤク六天台宗ヲトサレテ
ヨワリユクカノユヘニ結句ハ六宗七宗等ニモヲヨハスイウニ
カイナキ禅宗淨土宗ニヲトサレテ始ハ𣞀*10那ヤウヤクカノ
(24)*191頁
邪宗ニウツル結句ハ天台宗ノ碩徳ト仰*11カルヽ人々ミナヲ
チユキテ彼ノ邪宗ヲタスクサルホトニ六宗八宗ノ田畠
㪽領ミナタヲサレ正法ハテヌ天照太神正八
*12山王等諸守護*13ノ諸大神モ法味ヲナメサル
カ國中ヲ去給カノ故ニ𢙣鬼便ヲ得テ国*14ステニ破レナント
而予愚見ヲモテ前*15四十年ト後八年トノ
ヲカンカヘミルニ其相多トイエトモ先丗間ノ
(25)
学者モユルシ我カ身ニモサモヤトウチヲホウル事ハ二乗
作佛久遠實成ナルヘシ法芲ノ現文ヲ拜見スルニ
舎利弗*16芲光如來𫟒光明如來湏*17菩提*18
相如來旃延閻浮那金光如來目連多摩
羅跋旃𣞀香佛冨*19那法明如來阿難山海
恵自在通*20王佛羅睺羅𨂻*21七寳芲如來五百
七百普明如來学无学二千人寳相如來摩
(26)
訶波闍波比丘尼橋曇弥*22比丘尼等ハ*23一切衆
生憙*24見如來具足千万光相如來等ナリ等ノ人々ハ
法芲ヲ拜見シタテマツルニハキヤウナレトモ尒*25*26
々ヲ披見ノハケヲサムル事トモヲホシ其故ハ佛丗
實語ノ人故ニ聖人大人ト号外典外道ノ中ノ䝨人
聖人天仙ナント申ハ實語ニツケタル名ナルヘシ等ノ
人々ニ勝テ第一ナル故ニ丗ヲハ大人トハ申スソカシ
(27)
大人唯以一大事囙縁故出現丗トナノラせ
給テ未顕真實世法乆*27後要當説真實正
*28捨方便等云云多寳佛證明ヲ加分身舌ヲ
出ス等ハ舎利弗カ未來ノ芲光如來𫟒カ光明
如來等ノ説ヲハ誰ノ人カ疑*29*30ヲナスヘキ而トモ尒前ノ
モ又佛陁ノ實語ナリ大方廣*31佛芲厳経
如來智恵大藥*32王樹唯二𠙚不䏻*33為作生
(28)
長利益㪽謂二乗堕無為廣大坑及壊
根非器*34衆生*35大邪見貪愛之水等云云
此経文ノ心ハ雪山ニ大樹アリ无尽*36根トナツクヲ大
藥王樹ト号閻浮ノ諸木ノ中ノ大王ナリ木高ハ
十六万八千由旬ナリ一閻浮ノ一切草木ハ木ノ
根サシ枝𫟒芲菓ノ次苐*37ニ随テ芲菓ナルナルヘシ
ノ木ヲハ佛ノ々性ニ譬*38ヘタリ一切衆生ヲハ一切ノ草木ニ
(29)*192頁
タトウ但ノ大樹ハ火坑ト水輪*39ノ中ニ生長セス二乗ノ
心中ヲハ火坑ニタトエ一闡人ノ心中ヲハ水ニタト
エタリノ二類ハ永ク佛ニナルヘカラスト申文ナリ大
云有二種人必死不活畢竟不䏻知㤙
*40㤙ヲ*41一者聲*42聞二者縁覚ハ如ク有テ*43人墜堕せン
坑ニ是人不ルカ自利利他ニ聲聞縁覚亦復如
堕テ解脱ノ坑ニ不䏻自利及以利他䓁云云外典
(30)
餘巻ノ㪽*44二アリ㪽*45謂孝ト忠トナリ忠モ又孝ノ家
ヨリイテタリ孝ト申者高也天高トモ孝ヨリモ髙
カラス又孝者厚也地アツケレトモ孝ヨリハ厚
カラス聖䝨ノ二類ハ孝家ヨリイテタリ何況ヤ佛法ヲ
学せン人知㤙㤙ナカルヘシヤ佛弟子ハ必四㤙ヲ
シツテ知㤙㤙ホウスヘシ其上舎利弗𫟒等ノ
二乗ハ二百五十戒三千威儀持整*46シテ味静*47

つづく

*1:山部が止の異体字。toki-01009970

*2:第一回の注で「トツテ」の「ツ」が抜けているかもしれないと指摘したが、ここで明確に促音はないことが分かった。

*3:異体字。toki-01021240

*4:=画

*5:一応一文字分ではないが文字の間に点があり「ヽ」と見て「いでて」と解した。

*6:同前。

*7:=並

*8:異体字か判読し難い。

*9:異体字。u76db-var-002か。

*10:=檀

*11:旁が印であるが、『異体字解読字典』(山田勝美監修、「難字大鑑」編集委員会編、柏書房)、『毛筆版くずし字解読辞典』(児玉幸多編、高橋蒼石著、東京堂出版)にもないので、これで進める。

*12:異体字。u5e61-itaiji-001。

*13:異体字。グリフウィキ、異体字解読字典ともにない。

*14:ママ

*15:𫝐か区別がつきかねる。

*16:以下、授記の仏名の直前に助詞「ハ」があるものの斜線があるか判読し難いが、削除と見なした。

*17:=須

*18:草書体。u63d0-var-001

*19:=富

*20:異体字。toki-01089430

*21:=蹈

*22:○の右側に「橋曇弥」。○の直下の「耶輸多羅」を削除。橋曇弥は摩訶波闍波提の別名であり日乾本では同人物の繰り返しとなるため、経文通り、次下にある二つの授記の仏名に合わせて、遺文集では「耶輸多羅」に校訂=元の写本のままのものが多い。日乾が真蹟に合わせたのなら真蹟が誤記あるいは推敲不足だったということになるが、「○○御本」と処理しなかったことに疑問が残る。

*23:ここは明確に「ハ」がある。

*24:吉の右脇に点があるがこれで進める。

*25:=爾

*26:𫝐か区別がつきかねる。

*27:=久

*28:異体字。koseki-000920=extf-00039

*29:異体字。偏が止+天。u2ff0-u2ff1-u6b62-u5929-u2ff1-u9fb4-u758b

*30:冂部の中が又の異体字。グリフウィキにはないが異体字解読字典にはある。

*31:=広

*32:=薬

*33:=能

*34:=器

*35:弓の中が口の異体字。cbeta-09795。異体字解読字典にはない。

*36:盡と区別しにくいが別の異体字。zihai-130209

*37:=第

*38:異体字。u8b6c-itaiji-002

*39:異体字。冊部が丙。グリフウィキ、異体字解読字典ともにない。

*40:異体字。n-gtwinppx_kanjishashin-009-054

*41:擦れて判読し難いが推測した。

*42:=声

*43:擦れて判読し難いが推測した。

*44:判読しづらいが尓を崩した仮名に見える。

*45:○の右側に㪽

*46:異体字。束+力+心。twedu-a01740-008。ここは日乾の校訂箇所であるが、元の写本で「惣」と誤写されていたことが分かる。書写の容易ならざる様が窺えるが、仮に元の写本が校正されておらず、初校がこの日乾によるものであるならば、誤記があるのは当然ともいえる。

*47:靜の偏が青である異体字。→浄

大乗経典と紙の書物:読書メモ

私は大乗経典の成立論や起源説に関心があり、断続的に関連する論考を読んできたが、ここに読書メモを保存しておきたい。数年前のものだが、法華経を日々読誦する信仰の上でも大きなインスピレーションを得られそうで、事あるごとに見返していきたい。

○経典は物語の創作物であるから、経典に書かれている内容が、そのまま、それが書かれた時代状況を示しているとはかぎらない。それは根拠のない想定であって、そう言うためには、そのテクストが、書かれた時代を反映しているという証拠が、テクスト自身の外部(碑文など考古学的な物証)から得られなければならない。(グレゴリー・ショペンの研究)

○経文は、歴史的所産としてのテクスト、つまり「つくられた歴史を記したテクスト」ではない。むしろ、歴史的能産としてのテクスト、つまり「歴史をつくる力を持ったテクスト」である。経典を読み、経典をもとに実践する修行者が、自身を変え、社会を変えていく。(ジョナサン・ウォルターズの研究)

○ギルギットにおける経蔵の発見により、6~8世紀、法華経などの大乗経典が、根本説一切有部に帰属する僧院によって伝承されていたことが明らかになった。これにより、大乗経典を伝承する教団的主体が、これまでの学説のように部派仏教とは別の特定のグループを想定することはできなくなった。(ジェラール・フェスマンの研究)
 *以上三氏の研究については、下田正弘「初期大乗経典のあらたな理解に向けて――大乗仏教起源再考」(『シリーズ大乗仏教4』春秋社所収)を参照。

○初期経典とは、ブッダの言葉を記録、伝承するものだった。そして経典を注釈した論書とは、明確に区別されていた。
大乗経典は、釈尊の教えを伝承するにとどまらず、それを積極的に解釈し、その解釈も織り交ぜて、「仏説」としての経典がつくられていった。いわば、伝承と注釈が一体となってつくられた。
大乗経典は、明確に読者を意識して、物語の構成の練り上げてあり、舞台装置を用意し、表現技法にも工夫が見られる。読者は経典を読むことで、その世界に入り込み、自分が今、「経典を拝読することで、仏にまみえて教えを受けているのだ」という感覚を、仏典編纂者と共有する。大乗経典は、こうした、いわば公共空間がつくりあげられるような内容となっている。
こうした手法をもって仏典を編纂するのは、伝承の形態として「書写」が導入されてこそ、可能となったのではないか。
 *下田正弘氏の研究。同氏による前掲「初期大乗経典のあらたな理解に向けて」、「思考の痕跡としてのテクスト」(『人文知2 死者との対話』東京大学出版会所収)、高崎直道『『涅槃経』を読む』の解説(岩波現代文庫巻末)を参照。

○思えば、遠い昔、口承伝承されたさまざまなコンテンツが、集められ、選ばれ、ある判断の下で確定(=編集)されたものが、「書物」ではなかったか? 「聖書」や「仏典」も、そうして成立してきたのではないか? イエス・キリストについてのいろんな伝承が、あれこれと溢れかえり、それらをもとにした権威が乱立した時、正統性を得るために伝承が線引きされて編まれたのが「新約聖書」だった。釈迦に関するありとあらゆる伝説が散乱し、釈迦入滅後数世紀の後に、「仏典結集」が求められ、断行された。インターネットについても、情報が溢れれば溢れるほど、同じような必要が生じてくるのではないか? いや、すでにそうなっているのではないか? インターネット空間に漂うコンテンツが膨大になればなるほど、「書物」の必要性が増すのではないか、とぼくが思う所以である。(福島聡『紙の本は、滅びない』ポプラ新書)

○電子媒体がもっている根本的な脆弱性―電子媒体の物理的脆弱性、形式依存性、直接不可読性にもっと留意すべきである。人類はロゼッタストーンに刻まれた二千年前からのメッセージを読み解くことができた。しかし、二千年後には人類滅亡後の地球にやって来た宇宙人たちは、ハードディスクの磁気信号に気づくことさえできるのだろうか。(趣意、遠藤薫『書物と映像の未来 グーグル化する世界の知と課題とは』、前掲書からの孫引き)

○口承伝承されたさまざまなコンテンツが、集められ、選ばれ、ある判断の下で確定されたものが、「書物」であったのだ。膨大なコンテンツをあるテクストへと確定して(=編み上げて)いく作業は、権威を必要とする。史書編纂は、中国歴代の王朝に不可欠な作業だった。それは支配の証明であり、力の象徴であった。
そして、そうして成立した「書物」が、今度はそれ自体一つの権威となる。他のコンテンツを編み上げる/排除する「尺度」となる。まるで、「書物」を生み出した「権威」が、自らを生み出した「書物」というモノを座所と決めてそこに住まうかのように(「仏典」も「聖書」もまさにそうであった)。
「権威」によって「書物」が成立し、また「書物」がまた「権威」となる。「書物」とは、そうした運動の結節点(=ノード)である。決して到達点(=ゴール)ではない。即ち、「書物」は、すぐれて「アクティヴ(=活動中)」な存在なのである。
もちろん、「書物」そのものが意志や活力を持って動き回るわけではない。「書物」は、そこに載せられたコンテンツが人々にとって「アクティヴ」な時(=話題となり、議論の主題となり、人々の行動をも左右する時)に、その媒体として優位性を持つ、ということである。そして、そうした優位性は、むしろコンテンツの媒体であることを超えた「書物」の「モノ性」から来るのかもしれない」(福島氏、前掲書)■