日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑭
前回の終わりにある「天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり」について、私は「……諸宗は教主にまどえり」と換言できるのではないかと仮説を提示したが、今回の範囲でも「教主」と「本尊」が同義に扱われていると見られる。その考察は後日に期す。
書誌情報、凡例等は翻刻①および翻刻②を参照。
なおフルテキストとしては最古の「開目抄」写本となる日存写本の影版本『開目抄 日存聖人筆』(寺内泰徹編、本能寺刊、1965年)を入手したので、これも参照していく。
(141)
本尊トせリ天尊ノ太子迷惑シテ我身ハ𫞖ノ子トヲモ
ウカコトシ芲厳宗真言宗三論宗法相宗䓁ノ
四宗ハ大乗ノ宗ナリ法相三論ハ勝*1應身ニニタル佛本
尊トス天〔大 別筆〕王*2ノ太子我カ父ハ侍トヲモウカコトシ華厳宗
真言宗ハ粎尊ヲ下テ盧舎那大日䓁ヲ本尊ト
定天子タル父ヲ下テ種姓モナキ者法王ノコトク
ナルニツケリ淨土宗ハ粎迦ノ分身ノ阿弥陁佛ヲ有縁ノ
(142)
佛トヲモテ教主*3ヲステタリ禅宗ハ下賎ノ者一
分ノ徳アテ父母ヲサクルカコトシ佛ヲサケ経ヲ下此
皆本尊ニ迷例せハ三皇已前ニ父*4シラス人
皆禽獣ニ同せシカコトシ壽量品ヲシラサル諸宗ノ
*5者畜*6ニ*7同不知㤙ノ者ナリ故妙樂*8云一代
教中未タ曽テ顕レ遠キヿヲ父母ノ之壽○*9*10若不ハレ知二
父*11壽之遠ヿヲ一復迷ナン二父統之邦ニ一徒*12ニ謂ヘリ二才*13䏻ヲ一全ク非ト二
(143)
人子*14䓁云云妙樂大師ハ唐ノ末天寳年中ノ者也三
論芲厳法相真言等ノ諸宗并ニ依経ヲ深ミ廣勘テ
壽量品ノ*15佛ヲシラサル*16者父統ノ邦ニ迷ル才䏻アル畜
生トカケルナリ徒謂才䏻トハ芲厳宗法蔵澄観
乃至真言宗ノ善无畏三蔵䓁ハ才䏻ノ人師*17
子ノ父ヲシラサルカコトシ𫝊教大師ハ日本顕密ノ元祖*18
秀句云他宗㪽依経雖有一分佛母ノ義然但有レ
(144)
愛ノミ闕厳ノ義天台法芲宗ハ具*19厳愛義一切䝨聖
学無学*20及発菩提*21心者之父䓁云云真言芲厳
䓁ノ経々ニハ種熟*22脱ノ三義名字*23猶ナシ何況其
義ヲヤ芲厳真言経*24䓁ノ一生初地即身成佛䓁ハ経
権経ニシテ過去ヲカクせリ種*25ヲシラサル脱ナレハ趙高*26カ
位ニノホリ*27道鏡カ王位ニ居*28セントセシカコトシ*29宗々㸦ニ権*30ヲ諍予此ヲ
アラソワス但経「「文」を削除。」ニ任スヘシ法芲経ノ種ニ依テ天親菩薩種
(145)*216頁
子無上ヲ立タリ天台ノ一念三千コレナリ芲厳経乃至
諸大乗経大日経䓁ノ諸尊ノ種子皆一念三千ナリ
天台智者大師一人此法門ヲ得給エリ芲厳宗ノ
澄観此義ヲ盗テ華厳経ノ心如工𦘕師ノ文ノ神トス真
言大日経䓁ニハ二乗作佛久遠實成一念三千ノ
法門コレナシ善无畏三蔵震旦ニ來テ後天台ノ止観ヲ
見テ智発シ大日経ノ心實相我一切本初ノ文ノ神ニ天
(146)
台ノ一念三千ヲ盗入テ真言宗ノ肝心トシテ其上印*31ト
真言トヲカサリ法芲経ト大日経トノ勝劣ヲ判スル時
理同事勝ノ粎ヲツクレリ两界ノ曼陁羅*32ノ二乗作佛
十界㸦具ハ一定大日経ニアリヤ第一ノ誑惑ナリ故
𫝊敎大師*33云新來真言家則泯*34筆受之相承舊
到之*35芲厳家ハ則隠影響之䡄*36模䓁云云浮*37囚*38ノ嶋
ナントニワタテホノ〱トイウウタワワレ*39ヨミタリナント申ハ
(147)
エソ*40テイノ者ハサコソトヲモウヘシ漢土日本ノ学者
又カクノコトシ良諝*41和尚云真言禅門華厳三論
乃至𠰥望法芲*42䓁是接引門䓁云云善无
畏三蔵ノ閻魔ノ責ニアツカラせ給シハ此ノ邪見ニヨル後ニ心ヲ
ヒルカエシ法芲経ニ帰伏シテコソコノ*43せメヲハ脱サせ
給シカ其後善无畏不空䓁法芲経ヲ两界ノ中
央ニヲキテ大王ノコトクシ胎蔵*44大日経*45金剛頂
(148)
経ヲハ㔫右ノ臣下ノコトクせシコレナリ日本ノ弘法モ
教相ノ時ハ芲厳宗ニ心ヲヨせテ法芲経ヲハ第八ニヲキ
シカトモ事相ノ時實恵真雅円澄光定䓁ノ人々ニ
𫝊給シ時两界ノ中央上ノコトクヲカレタリ例セハ三論ノ
嘉祥ハ法芲玄十巻*46法芲経ヲ第四時㑹
二破二ト定トモ天台ニ帰伏シテ七年ツカヘ*47
廃講散衆身為*48肉橋トナ*49せリ法相ノ慈㤙ハ法苑*50*51林
(149)
七巻十二巻一乗方便三〔四 御本〕*52乗真實䓁ノ妄言多
シカレトモ玄賛ノ第四ニハ故亦两存䓁*53我宗ヲ不定ニ
ナせリ言ハ两方ナレトモ心ハ天台ニ帰伏せリ芲厳澄観ハ
華厳ノ䟽ヲ造テ芲厳法華*54相對シテ法芲方便トカケルニ
似トモ彼宗以之*55為實此宗立義理无通
䓁トカケルハ悔還ニアラスヤ*56弘法又カクコ
トシ龜鏡ナケレハ我カ面ヲミス歒ナケレハ我非ヲシラス
(150)*217頁
真言䓁ノ諸宗ノ学者䓁我非ヲシラサリシ䄇ニ𫝊教
大師ニアヒタテマツテ自宗ノ失ヲシルナルヘシ*57サレハ諸経ノ諸
佛菩薩人天䓁ハ彼々ノ経々ニシテ佛ニナラせ給ヤウ
ナレトモ實ニハ法芲経ニシテ正覚ナリ給ヘリ釈迦
諸佛ノ衆生无𨕙ノ惣願ハ皆此経ニヲイテ満足ス今者
已満足ノ文コレナリ *58予事ノ由ヲヲシ計ニ芲厳
観経大日経䓁ヲヨミ修行スル人ヲハソノ経々ノ佛菩■
*2:書き入れ「別筆」は難読であるが『日本古典文学大系82 親鸞集 日蓮集』(岩波書店、1964年)の兜木正亨の注釈に依った。録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、縮刷遺文、平成校定は「天王」。日存本、御書全集、平成新修は「大王」。昭和定本は「大王」だが日乾の注記に触れていない。
*4:「母ヲ」を削除。
*5:「学」を削除。
*6:「生ニ」を削除。
*7:前注によりこの「ニ」は日乾筆と推測される。
*8:右肩にある「五百問論」を削除。肩に出典を注記した例は、これまでに76, 118, 122, 127, 128, 133頁、今回146頁に見られたが、日乾所依の写本が身延蔵真蹟とは別系統だったとしても日蓮の真蹟でこのような注記は稀であるから、写本作成時ないし後に研鑽のために注記されたのではないかと推測する。124頁で見たように四菩薩を注記した例も同様であろう。
*9:=中略。
*10:「不可不知○」を削除し、その脇の「不□□」も削除。御書全集では「…遠を顕さず、父母の寿知らずんばある可からず」(215頁)とする。
*15:○の右脇に「品ノ」。
*16:○の右脇に書入れがあるが削除されており判読不可。
*17:「ナレトモ」を削除。録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録にはないが縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修には「なれども」を記載。『日蓮文集』には記載がない。
*18:「伝教大師は日本顕密の元祖」との一文だけでも日蓮の「顕密」理解の一端が現れている。弁「顕密」を初めて主張したのは空海だが、日蓮は密教を先に日本に将来した者として「元祖」と述べているのかもしれない。
*20:異体字。u2ff3-u2ff0-u5202-u5201-u5196-u5b50か。直前の「学」と字体が異なる。
*21:「薩」を訂正。筆跡は日乾筆か。日興「開目抄要文下」では「菩提心」(三丁表、本間俊文「北山本門寺蔵『開目抄要文』について」、『日蓮教学研究所紀要』第44号所収、立正大学日蓮教学研究所、2017年、46頁、稿末の翻刻より)。『現代語訳 開目抄(下)』(創価学会教学部編、聖教新聞社、2016年)では『法華秀句』巻下や日蓮「秀句十勝抄」(昭和定本2368頁参照)が「菩薩心」であることから、日乾本「菩提心」に触れつつ、底本とした御書全集の「菩提心」を訂正しており、注釈で「菩薩と菩提の略表記が極めて似ており、また菩薩の心と菩提心は内容も近似していることによる伝写の誤りとも考えられる」(同書51頁)としているが、日乾所依写本も対校後も略字・合字は使用されておらず、つまりは身延曽存の真蹟で略字が使われていて対校時にミスが起きたと言いたいのか、意味が不明瞭である。ただし御書全集は古い版、例えば私が所持する第一版第219刷では「菩薩心」で現行の第二版とは異なっていて、第二版・増刷時に変更が加えられたことが確認できるから、上記現代語訳から見ればこの変更は不要だったと読める。昭和定本、平成新修、『日蓮文集』は「菩提心」。録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、縮刷遺文、平成校定は「菩薩心」。
*23:「スラ」を削除。録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』には「すら」を記載。
*24:○の右脇に「経」。おそらく日乾筆。
*25:「子」を削除。
*26:御書全集や昭和定本は「超高」。
*27:「如シ二」を削除。
*28:「一」を削除。
*29:○の右脇に「セントセシカコトシ」。
*30:右脇に二字書入れがあるが削除されている。書入れは「種□」思われ、また前行で「種子」の「子」を削除していることから「種子」と推測できようか。宮崎英修は「種イ」と読んで日乾筆と指摘するが、削除線があることを指摘していない点に不審が残る(宮崎英修「開目抄の伝承と乾師本の価値について」、『大崎学報』第98号、1951年、28, 38頁)。日存本、録内御書(宝暦修補本)、御書全集、平成校定は「種」。国会図書館蔵古活字本、高祖遺文録、縮刷遺文、昭和定本は「権」、平成新修は「権(けん)」(括弧内はルビ)。兜木正亨は日本思想大系では「権(ごん)」とし「互に自宗を正とし相手宗を権として諍う」と注記するが、『日蓮文集』ではルビがなく「互に相手を権として諍う」と注記する。「権」と「種」とで字形が似ているから伝写の過程で日乾所依写本が「権」となった可能性は否定できず、この点は大黒喜道も指摘していた(「日蓮の種脱論とその展開」『シリーズ日蓮2 日蓮の思想とその展開』春秋社、2014年、および「「開目抄」に説かれる三世の成仏道について」『興風』第26号、興風談所、2014年)。しかし日蓮の真蹟をいくつか確認すると「権」と「種」とでは明らかに字形が異なることが目視可能である。ともあれ日乾が真蹟と対校し「権」のままとしていることに注意したい。前後の文脈から「種」(種子)が自然であると思われるが、日乾本から日蓮が「権」としたとされる以上、安易に日蓮の誤記とするのは慎むべきであり、兜木の会通も一理ある。一応指摘すれば、「権」の右脇二字を削除したのが日乾ではなく後世の他筆である可能性がなくはないが少々意地が悪いか。
*32:御書全集や昭和定本は「漫荼羅」。
*33:「依憑集」を削除。
*35:「之」には削除線があるか墨が垂れた跡か判読し難い。
*36:=軌
*37:録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』は「俘」。
*38:「浮囚」の脇に「ヱソ」と思しき書入れがあるが削除。
*39:「歌ハ我」を訂正。
*40:親文字「浮囚」及びその振り仮名「□□」を削除し「エソ」と訂正。
*42:「涅槃」を削除。
*43:「此」を訂正。
*44:「界」を削除。
*45:直後に高祖遺文録、縮刷遺文、御書全集では「金剛の」がある。高祖遺文録・縮刷遺文ともに真蹟と照合したと謳うがそれが部分的または不十分である一例である。翻刻⑪参照。
*46:「ツクリ」を削除。
*47:「奉テ」を削除。
*48:○の右脇に「為」。
*49:○の右脇に「トナ」。
*51:「義」を削除。昭和定本は「法苑義林」であるが注釈がない。このように昭和定本の注釈は日乾本との異同を網羅していないことが散見される。
*52:兜木正亨は日本思想大系で『法苑義林章』の意より「三」に訂正。日蓮が真蹟で「四」と誤記する内容なのか俄かには信じがたい。
*53:「云テ」を削除。
*54:○の右脇に「華」。
*55:「此」を訂正。
*56:「善無畏」を削除。本範囲における善無畏は全て「善无畏」と表記されているが、ここのみ「無」が使用されている。
*57:擦れて判読困難だが推測。
*58:一字空き。
デヴィッド・マクマハン「仏教の近代主義(仏教モダニズム)」の要約と議題の和訳
David L. McMahan “Buddhist Modernism”は、米国フランクリン・アンド・マーシャル大学教授のマクマハン氏が編纂した“Buddhism in the Modern World(近代世界における仏教)” Routledge, 2012の一章である。本論部分は『ブッダの変貌――交錯する近代仏教――(日文研叢書)』(末木・林・吉永・大谷編、法蔵館、2014年)で和訳・収録されている(田中悟訳)。ここでは、同書では省略された原書の要約Summaryと議題Discussion questionsと題された部分を訳した。
「Buddhist Modernism」という語は『ブッダの変貌』で田中氏や末木文美士氏によって「仏教モダニズム」と翻訳されているが、末木氏は別書で「仏教の近代主義」とも訳している(『日本仏教入門』角川選書2014年、2012年の講演を収録・加筆)。どちらの訳語も本論を読まなければ意味がわからないのは致し方ないが、ここではより和訳の操作が強い「仏教の近代主義」を採用した。
要約
・近代において、仏教の諸形態は、伝統仏教の教理や実践が西洋近代主義をルーツとする概念、社会形態、文化活動と組み合わさって世に現われた。
・仏教の近代主義(仏教モダニズム)は、植民地時代に帝国の威力や宣教師による脅威に対抗するために生じた、さまざまな改革運動を起源とする。
・こうした運動の一側面として、近代科学と適合した“理性の宗教”として仏教を再解釈したことが挙げられる。アナガーリカ・ダルマパーラは、このテーマを伝えた最重要人物である。
・仏教の近代主義は、その他の形態としては、個人的な体験、直感、アートを強調した。こうした文脈で仏教を伝達する上で、鈴木大拙は特に影響力を持った。
・特に西洋では、仏教の近代主義は、多くは西洋心理学からの解釈の成果といえる。
・瞑想は、より広がりを見せ、在家仏教徒のみならず非仏教徒も行えるようになった。
・仏教の近代主義における最新のトレンドは、爆発的に行われている、瞑想に関する科学的な研究である。
・仏教の近代主義を特定の正確に定義されたものと考えることはできない。むしろ多様な社会でそれぞれで異なる“近代性”に応じて、異なった様態をとる。
議題
・近代世界にたまたま居合わせることになった仏教と、仏教の近代主義との違いは何であろうか?
・仏教の近代主義がもつ他と区別できる顕著な特徴とは何だろうか? その担い手たちは、どのようにして近代主義の特定の言説を用いたのか?
・科学と仏教を関連付けることの長所や短所は何だろうか?
・仏教の近代主義に対する批判は何に似ているだろうか? これについて①研究者の視点から、②仏教者の視点から想像してみよ。■
日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑬
翻刻を通して再読してみると、教主(本尊)論として吟味したい一節の多い箇所である。
「或は云く『法華寿量品の仏は無明の辺域、大日経の仏は明の分位』等云云」(137頁)と空海が主張したとする文は、「撰時抄」「報恩抄」等における日蓮による空海批判で頻出する語句なので、今後の研究のために少し注釈を加えた。
(131)*213頁
ナリシ事ナリ外典申或者道ヲユケハ路ノホトリニ年
三十計ナルワカモノカ八十計ナル老人ヲトラヘテ打
ケリ何ナル事ソトトエ*1ハ此老翁ハ我子也ナント申トカ
タルニモニタリサレハ弥勒菩薩䓁疑云丗尊如來
為太子時出於粎宮去伽耶城不遠㘴於道
場得成阿耨多羅三藐*2三菩提是已來始過
四十餘年丗尊云何於此少時大作佛事䓁云云
(132)
一切ノ菩薩始芲厳経ヨリ四十餘年㑹々ニ疑ヲマウ
ケテ一切衆生ノ疑網ヲハラス中ニ此*3疑第一ノ疑ナルヘシ
無量義経ノ大㽵厳䓁ノ八万ノ大士四十餘年ト今
トノ歴劫疾成ノ疑ニモ超過せリ観无量壽経ニ韋
提希夫人ノ子阿闍丗王提婆ニスカサレテ父ノ王ヲ
イマシメ母ヲ殺トせシカ耆婆月光ニヲトサレテ母ヲ
ハナチタリシ時佛ヲ請タテマツテマツ第一ノ問云我
(133)
宿□*4何罪生此𢙣子丗尊復有何等因縁與
提婆達多共為眷属等*5云云此疑ノ中ニ世尊復有何等*6
囙縁等疑ハ大ナル大事ナリ輪王歒ト共ニ生レス帝粎ハ鬼ト
トモナラス佛ハ無量劫ノ慈悲者ナリイカニ大怨ト共ニハ
マシマス還□佛ニハマシマササルカト疑ナルヘシ而トモ佛答給ワス
サレハ観*7経ヲ讀誦せン人法芲経ノ提婆品ヘ入スハイタ
ツラコトナルヘシ大涅槃経*8ニ迦𫟒菩薩ノ三十六ノ問モコレニハ
(134)
及ハスサレハ佛此ノ疑ヲ晴サせ給ハスハ一代聖教泡沫ニトウシ
一切衆生疑網ニカヽルヘシ壽量ノ一品ノ大切ナルコレナリ
其後佛壽量品ヲ説云一切丗間天人及阿脩羅
皆謂今粎迦牟尼佛出粎𫞕宮去伽耶城不
遠㘴於道場得阿耨多羅三藐三菩提等云云
此経文ハ始寂滅道場ヨリ終法芲経ノ安樂行品ニ
イタルマテノ一切ノ大菩薩䓁ノ㪽知ヲアケタルナリ然
(135)*214頁
善男子我實成佛已來无量无𨕙百千万億
那由他*9劫䓁云云此ノ文ハ芲厳経ノ三𠙚ノ始成正覚
阿含経云*10初成*11淨名経ノ始㘴佛樹大集経云*12始
十六年大日経我昔㘴道場*13仁王経二十九
年无量義経我先道場法芲経ノ方便品云*14我始
㘴道場等ヲ一言ニ大虚妄ナリトヤフルモン*15ナリ此過
去常顕時諸佛皆粎尊ノ分身ナリ尓前迹門ノ時ハ
(136)
諸佛粎尊ニ肩並テ各修各行ノ佛カルカユヘニ諸佛ヲ本
尊*16トスル者粎尊等ヲ下今芲厳ノ台上方等般𠰥
大日経等ノ諸佛皆粎尊ノ眷属ナリ*17佛三十成道ノ
𢓦時ハ大梵天王第六天䓁ノ知行ノ娑婆世界ヲ𡙸*18
取給キ今尒前迹門ニシテ十方淨圡トカウシテ此圡ヲ穢
土トトカレシヲ打カヘシテ此圡ハ本圡トナリ十方淨土垂
迹ノ穢圡トナル佛久遠ノ佛ナレハ迹化他方ノ大菩薩
(137)
教主粎尊ノ𢓦弟子ナリ一切経ノ中ニ此壽量品マ
シマサスハ天ニ無ク二*19日月ノ一國ニ無二*20大王ノ一山河ニ无*21珠ノ人ニ
神ノカカランカコトクシテアルヘキヲ華厳真言䓁ノ権
宗ノ智者トヲホシキ澄観嘉*22祥慈㤙弘法䓁ノ一
往権宗ノ人々且ハ自依経ヲ讃歎せンタメニ或云*23華
厳経ノ教主ハ報身法芲経*24ハ應身或云法芲
壽量品佛無明𨕙域*25大日経ノ佛ハ明ノ分位䓁云云*26
(138)
*27雲ハ月ヲカクシ讒臣ハ䝨人ヲカクス人讒ハ黄石モ玉トミヘ
諛*28臣モ䝨人カトヲホユ今濁丗ノ学者䓁彼等ノ讒義ニ
隠テ壽量品ノ玉ヲ翫ハス又天台宗ノ人々モタホラ
カサレテ金石一同ノヲモヒヲナせル人々モアリ佛久成ニ
マシマサスハ㪽化ノ少カルヘキ事ヲ弁ヘキナリ月ハ影ヲ
悭*29サレトモ水ナクハウツルヘカラス佛衆生ヲ化*30せントヲ
ホせトモ結縁ウスケレハ八相ヲ現せス例せハ諸聲聞カ
(139)
初地初住ニハノホレトモ尓前ニシテ自調自度ナリシカハ
未來ノ八相ヲコスルナルヘシシカレハ教主粎尊
始成ナラハ今此卋界ノ梵帝日月四天䓁ハ劫初
ヨリ此ノ圡ヲ領スレトモ四十餘年ノ佛弟子ナリ霊
山八年ノ法芲結縁衆今マイリノ主君ニヲモヒ
ツカス久住ノ者ニヘタテラルヽカコトシ今久遠實成アラ
ワレヌレハ東方ノ藥師如來ノ日光月光西方阿弥陁
(140)*215頁
如來ノ観音㔟*31至乃至十方丗界ノ諸佛ノ𢓦弟子
大日金剛頂*32䓁ノ両部大日如來ノ𢓦弟子ノ諸
大菩薩猶教主粎尊ノ𢓦弟子也諸佛粎迦如
來ノ分身タル上ハ諸佛ノ㪽化申ニヲヨハス何況此圡ノ*33
劫初ヨリコノカタノ日月衆星䓁教主粎尊ノ𢓦弟
子ニアラスヤ而ヲ天台宗ヨリ外ノ諸宗ハ本尊ニマト
エリ*34俱舎成實律宗ハ三十四心断結成道ノ粎尊ヲ■
*1:親文字「へ」に削除線は見えない。
*2:草冠の下部が犭である異体字。史的文字DB、毛筆版くずし字解読辞典、グリフウィキにはない。そもそも日乾本は楷書とくずし字の混交である。
*3:○の右脇に「此ノ」があり「ノ」が削除されている。この削除跡と「此」の筆跡から、○による追加は元の写本筆であると推測される。
*4:「世」を削除。
*5:○の右脇に「等」。
*6:○の右下に「等」。
*7:異体字。u89b3-itaiji-001か。史的文字DB、毛筆版くずし字解読辞典、異体字解読字典、グリフウィキにはない。
*8:左肩にある「第三壽命品」を削除。
*9:御書全集は「佗」。
*10:○の右脇に「云」。
*11:「道」を削除。
*12:○の右脇に「云」。
*13:御書全には「等」あり。
*14:○の右脇に「云」。
*15:「文」を訂正。「文」すら仮名であることに疑問を持った私は、日蓮が真蹟現存の書簡で「文」を仮名「もん」と書いた用例を調べてみたが、「もんの心は」(南条殿御返事、御書全集1531頁)、「法華経のもんじなり」(南条殿御返事、同1542頁)が見つかり、ともに南条時光宛であった。小瀬玄士「武士の文書作成――鎌倉時代の場合」(東京大学史料編纂所編『日本史の森をゆく』中公新書、2015年第四版所収)によれば、鎌倉武士は文筆が不得手ゆえに特に漢文体の公式文書を右筆に代筆させていたようだが、その具体的事例として、梶川貴子「南条氏所領における相論」(『東洋哲学研究所紀要』第27号、2011年所収)を参照しながら、日蓮の富士方面の代表的檀越・南条時光(法名大行)を挙げている。こうした文筆能力の観点から日蓮の檀越の教養のレベルを推し量るうえで重要な情報を与えてくれる研究が、小林正博「日蓮文書の研究(1)」(『東洋哲学研究所紀要』第18号、2002年所収)である。同稿で小林氏は、日蓮が門弟の識字能力に合わせて書簡の漢字・仮名の使用比率を変えていたことを明らかにし、例えば四条金吾宛では漢字使用率が47.4%に対し南条時光宛では19.5%であり、南条氏は日蓮門下の中では、特に読み書きが不得手であったことを伺わせる。四条金吾に持たせた「開目抄」もやけに仮名が多い印象を受けるが、南条氏宛ほどではない。おそらくは教団内で四条金吾が読み書きができない者を含めて門弟を集め、金吾あるいは出家の弟子が開目抄を読み聞かせたと想像する。本抄の漢字・仮名の比率は四条金吾に合わせたのだろうか。当稿の翻刻が終了したのちに日乾本開目抄の漢字使用率を算出したいと思う。
*16:ここで日蓮は「本尊」という語を仏像や曼荼羅といった礼拝の対象物の意味で使用していない。文脈から「教主」(本稿底本137頁)、「本師」(=根本とする師、日蓮による用例としては「滝泉寺申状」にある)の意と思われる。
*17:娑婆世界の教主・久遠実成の釈尊の分身にして眷属(従者)である諸仏に、(密教の教主)大日如来が含まれるというのが、日蓮の認識であると明言されている。
*18:=奪
*19:○の左脇に「無ク二」。
*20:○の左脇に「無二」。
*22:吉部の右に点があるがこれで進める。
*23:右肩にある数文字の書入れが削除されているが判読困難。
*24:「ノ教主ハ」を削除。
*25:異体字。毛筆版くずし字解読辞典4448番に近い。史的文字DB、異体字解読字典、グリフウィキにはない。
*26:「或は云く『法華寿量品の仏は無明の辺域、大日経の仏は明の分位』等云云」は、空海の『秘蔵宝鑰』『弁顕密二教論』にある文の趣意である。日蓮は「撰時抄」「報恩抄」で空海のこの主張を批判の照準としている。空海の二書における当該文は六カ所あり、全て『釈摩訶衍論』巻五からの引用であり、以下に掲げる。引用については漢文は大正蔵、読み下しは部分的に『空海コレクション1』(宮坂宥勝監修、頼富本宏訳注、ちくま学芸文庫、2011年第五刷)を用い、それぞれの頁数を付した。
『釈摩訶衍論』は『大乗起信論』の注釈書であるが、法蔵以後の7-8世紀に中国か朝鮮半島において成立したとする説が有力であり、日本には天応元(781)年に戒明が伝えたという(『仏典解題事典〈第三版〉』春秋社、2020年、211-2頁、平川彰・佐藤もな稿)。竜樹菩薩造とされるが、後世の経録や僧伝には本書に関する記録は見られず、また偽撰とするものも多かったから(前掲書参照)、日蓮が開目抄・撰時抄・報恩抄で空海の言として扱っているのも一定の妥当性があると言えよう。もっとも日蓮にそのような認識があったかは精査する必要があるが、日蓮が諸著作で『菩提心論』等、密教経典及び注釈書の成立に疑義を呈していることは、その傍証になり得るかもしれない。また、同書及び空海の引用文中にある「不二摩訶衍」という最上の教えが何を意味するかは同書では明らかにされていないという(加藤精一訳『ビギナーズ 日本の思想 空海「弁顕密二教論」』角川文庫、2014年)。日蓮が『釈摩訶衍論』全文を披見していたかは確認できないが、知っていたら批判していただろう。
日蓮が開目抄のこの箇所で、空海が「法華寿量品の仏」(=久遠実成釈尊)と「大日経の仏」(=大日如来)を比較し前者を貶めていることを批判している点に注意したい。文脈上、教主の勝劣を述べているから、これは娑婆世界の教主・久遠実成の釈尊と密教の教主・大日如来の比較と言えるが、ここでは「法華寿量品(=法華経)の仏」と「大日経の仏」と書いているあたり、日蓮が日本仏教ないし経典の総称としての「顕密」の語を使用していても、空海が言うところの教主の「弁顕密」を容認しているか疑わしく、あくまで経典を主軸に所説の教主の勝劣を比較している。本抄で「大日経に云く『我昔坐道場』等云云」(本稿底本53頁、翻刻⑥)、「華厳経の台上十方、阿含経の小釈迦、方等、般若の金光明経の阿弥陀経の大日経等の権仏等は、此の寿量仏の天月しばらく影を大小の器にして浮かべ給うを」(59頁、同)、「大日経には『我一切本初』等云云」(66頁、翻刻⑦)、「大日経の『我昔坐道場』」(135頁、当稿)と見てきたように、日蓮は大日経所説の仏を始成正覚の権仏としている。経典の勝劣から所説の仏・教主の勝劣を論じ、その基準は久遠実成か始成正覚かに依っている。仮に顕教の教主・(久遠実成)釈尊が密教の教主・大日如来より優れていると主張しようとするものなら、それこそ相手の土俵に乗ることになるから、空海が新しく設けた「弁顕密」のフレームワークを日蓮は容認せずに教主論を展開していると私は考えている。なお日乾本の「法華寿量品の仏」は日存本では「法華経寿量品の仏」である。
前置きが長くなったが、空海の二書における「無明辺域」「非明分位」の文、六カ所を見ていこう。まずは『秘蔵宝鑰』巻下について。①「問。絶諸戲論寂靜無爲。如是住心致極底否。那伽羅樹那菩薩説。淸淨本覺從無始來。不觀修行非得他力。性徳圓滿本智具足。亦出四句亦離五邊。自然之言不能自然。淸淨之心不能淸淨。絶離絶離。如是本處無明邊域非明分位」(大正No.2426, 77巻370頁c段28行 - 371頁a段5行、空海コレクション189頁)。これは第七覚心不生心の章で中観を批判したものであるから、直接的に日蓮の逆鱗に触れた文ではないだろう。
②「問。如是一法界一道眞如之理爲究竟佛。龍猛菩薩説。一法界心非百非背千是。非中非中背天背天。演水之談足斷而止。審慮之量手亡而住。如是一心無明邊域非明分位」(問う。かの如くの一法界一道真如の理をば究竟の仏とやせん。龍猛菩薩の説かく、「一法界心は百非にあらず、千是に背けり。中にあらず、中にあらざれば天に背けり。天に背きぬれば、演水の談、足、断って止まり、審慮の量手、亡じて住す。かくの如くの一心は無明の辺域にして明の分位にあらず」と。大正No.2426, 77巻371頁c段18行-22行、空海コレクション202頁)。これは第八一道無為心の章で、天台宗を扱い、まさしく法華経および天台智顗を批判している。結論を先取りすれば、空海が特に紙幅を割いて法華経を「無明の辺域」と下しているのは、同章であり、ここでは善無畏『大日経疏』巻二を引用し、久遠実成の釈尊に言及している。同章をさらに遡ると空海の地の文として法華経の教えを解説する箇所があるのだが、開三顕一、発迹顕本、二仏並坐、地涌出現と、説相がわりと交錯した順序で説明をした上に「一実の理、本懐をこの時に吐き、無二の道、満足を今日に得」(空海コレクション192頁)としており、これは久遠実成よりも開三顕一を釈尊の「本懐」としていると読める。現代人が虚心に読めば法華経の基礎知識に欠けるとの謗りを免れない文だと思う。こうした寿量仏の軽視が伏線となった「無明辺域」の引用でもあるので「法華寿量品の仏は無明の辺域」という日蓮の理解も頷けよう。『秘蔵宝鑰』で空海は久遠実成釈尊を直接批判せず、大日経や『釈摩訶衍論』の引用をもって批判している。同書は天長7(830)年の成立で伝教大師最澄没(822)の後であるとはいえ、久遠実成釈尊を破折することは容易ではなかったと思われるがこれも探求課題としたい。
③「問。如是一法界一道眞如之理爲究竟佛。龍猛菩薩説。一法界心非百非背千是。非中非中背天背天。演水之談足斷而止。審慮之量手亡而住。如是一心無明邊域非明分位」(大正No.2426, 77巻371頁c段18行-22行、空海コレクション225頁)。これは第九極無自性心の章で華厳を批判している。②③は同じ文の引用である。なお『十住心論』と『秘蔵宝鑰』は広本・略本の関係とされるが、『釈摩訶衍論』の引用については、「無明邊域非明分位」は『十住心論』に見られない。
次に『弁顕密二教論』巻上について。「龍猛菩薩釋大衍論云。一切衆生從無始來。皆有本覺無捨離時。何故衆生先有成佛後有成佛今有成佛。亦有勤行亦有不行。亦有聰明亦有暗鈍。無量差別。同有一覺皆悉一時發心修行到無上道。本覺佛性強劣別故如是差別。無明煩惱厚薄別故如是差別。若言如初者此事則不爾。所以者何。本覺佛性圓過恒沙之諸功徳無増減故。若言如後者此事亦不爾。所以者何。一地斷義不成立故。如是種種無量差別皆依無明而得住持。於至理中無關而已。若如是者一切行者。斷一切惡修一切善。超於十地到無上地。圓滿三身具足四徳。如是行者爲明無明。如是行者無明分位非明分位。若爾淸淨本覺從無始來不觀修行非得他力。性徳圓滿本智具足。亦出四句亦離五邊。自然之言不能自然。淸淨之心不能淸淨。絶離絶離。如是本處爲明無明。如是本處無明邊域非明分位。若爾一法界心非百非背千是。非中非中背天背天。演水之談足斷而止。審慮之量手亡而住。如是一心爲明無明。如是一心無明邊域非明分位。三自一心摩訶衍法。一不能一假能入一。心不能心假能入心。實非我名。而立曰。我亦非自唱而契於自。如我立名而非實我。如自得唱而非實自。玄玄又玄遠遠又遠。如是勝處爲明トヤ無明カ。如是勝處無明邊域非明分位。不二摩訶衍法唯是不二摩訶衍法。如是不二摩訶衍法爲明トヤ無明カ喩曰。已上五重問答甚有深意。細心研覈乃能詣極。一一深義不能染紙。審而思之」(大正No.2427, 77巻375頁b段22行-c段25行、空海コレクション284-5頁)。最後の喩釈以外大部分が引用であり、その中で四カ所にわたって「無明」と断じるが、一つ目は法相宗、二つ目は三論宗、三つ目が天台宗、四つ目が華厳宗に相当する。三つ目は『秘蔵宝鑰』②で法華経及び天台を批判した箇所に相当する。
最後に大正蔵所収の『釈摩訶衍論』巻五における当該文を引く。「一切衆生從無始來。皆有本覺無捨離時。何故衆生先有成佛。後有成佛。今有成佛。亦有勤行。亦有不行。亦有聰明。亦有闇鈍。無量差別。同有一覺皆悉一時發心修行到無上道。本覺佛性強劣別故。如是差別。無明煩惱厚薄別故。如是差別。若言如初者。此事則不爾。所以者何。本覺佛性圓過恒沙之諸功徳無増減故。若言如後者。此事亦不爾。所以者何。一地斷義不成立故。如是種種無量差別。皆依無明而得住持。於至理中無關而已。若如是者一切行者。斷一切惡修一切善。超於十地到無上地。圓滿三身具足四徳。如是行者爲明無明。如是行者無明分位非明分位。若爾清淨本覺從無始來。不觀修行非得他力。性徳圓滿本智具足。亦出四句亦離五邊。自然之言不能自然。清淨之心不能清淨。絶絶離離。如是本處爲明無明。如是本處無明邊域非明分位。若爾一法界心。非百非背千是。非中非中背天。非天演水之談足斷而已止。審慮之量手亡而*已住。如是一心爲明無明。如是一心無明邊域非明分位。三自一心。摩訶衍法一不能一假能入一心。不能心假能入心。實非我名而目於我。亦非自唱而契於自。如我立名而非實我。如自得唱而非實自。玄玄又玄。遠遠又遠。如是勝處爲明無明。如是勝處無明邊域非明分位。不二摩訶衍法。唯是不二摩訶衍法。如是不二摩訶衍法爲明無明」(大正No.1668, 32巻637頁b段23行-c段22行)
*27:「夫」を削除。
*29:=慳
*30:保留。
*31:=勢
*32:「経」を削除。
*33:○の右脇に「ノ」。
*34:前注や文脈からして、つまり「…諸宗は教主にまどえり」と換言できるのではないか。次回冒頭も「教主」と「本尊」を同義に扱っている。その点は次回追って考察する。
日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑫=開目抄下
今回から下巻となる。便宜上、130頁まで翻刻する。
上下巻それぞれの冒頭と終わりの「開目抄上巻」「開目抄下巻」は棒線で削除されており、日蓮自身が上下に分巻した筆跡がなかったことになるから、身延山所蔵の真蹟は全部通しで一巻であったと解されている。一方で、題紙あるいは扉には「開目抄上」「開目抄下」と記されて分巻されているが、これは日乾筆ではなく元の写本の筆である。
下巻冒頭の「善無畏三蔵の法華経の肝心真言」については、前回・上巻末の具足義の一環であり、かつ諸本で異同があって課題が多いので、これも時間をかけて研究し、後日別稿で考察したい。
とは言え具足義については、釈尊の誓願成就との関連で、注にコメントを書き入れた。これは、私のライフワークたる関心領域の一つが「法華経に説かれる誓願とその日蓮による継承・成就」であることによる。
(中扉)
開目抄下*1
(114)
*2
付法蔵第十三真言芲厳諸宗ノ元祖本地
法雲自在王如來*3迹ニ龍猛菩薩初地ノ大聖ノ大
智度論千巻ノ肝心云薩者六也*4等云云妙法蓮
芲経ト申ハ漢語也月支ニハ薩達磨分陁利迦*5蘇*6多
攬*7ト申善无畏三蔵ノ法華経ノ肝心真言云曩謨*8
三〔サ〕曼〔マ〕陁普佛陁 *9唵〔□*10ン〕三身如來 阿々暗〔アン〕悪*11〔□*12ク〕開示悟入 薩〔サル〕縛〔ハ〕勃〔ホ〕
(115)
陁〔タ〕枳〔キ〕攘〔ナウ〕知 娑*13乞〔キ〕蒭〔シユ〕毗*14〔ヒ〕耶〔ヤ〕見 誐〔キヤ〕々曩〔ナウ〕娑〔バ〕縛〔バ〕如虚空性
羅〔アラ〕〔ラ〕*15乞〔キ〕叉*16〔シヤ〕你*17〔ニ〕離塵相也 薩〔サツ〕哩〔リ〕達〔タル〕摩〔マ〕正法也 浮〔フ〕〔ホ〕*18陁〔タ〕里〔リ〕迦〔キヤ〕白蓮
華 蘇*19〔ソ〕駄〔タ〕覧*20〔ラン〕経 惹〔シヤク〕*21入 吽〔ウン〕遍 鑁*22〔バン〕作 発〔コク〕歓喜 縛〔バ〕曰〔ザ〕羅〔ラ〕堅固
羅〔アラ〕〔ラ〕*23乞〔キ〕叉〔シヤ〕鋡擁護*24 娑*25婆*26訶〔カ〕决定成就 此真言ハ南天竺ノ䥫*27
塔ノ中ノ法芲経ノ肝心ノ真言也*28此真言ノ中薩哩
達磨ト申ハ正法ナリ薩ト申ハ正也正ハ妙也妙ハ正也
正法芲妙法華是也又妙法蓮芲経ノ上南無ノ
(116)
二字ヲヲケリ南無妙法蓮華経コレナリ妙
者具足六者六度万行諸ノ菩薩六度万行ヲ
具足スルヤウヲキカントヲモウ具ト者十界㸦具
足ト申ハ一界ニ十界アレハ當位ニ餘界アリ満足ノ義
ナリ此経一部八巻二十八品六万九千三
百八十四字一々ニ皆妙ノ一字ヲ備テ三十二相
八十種好ノ佛陁ナリ十界ニ皆己界ノ佛界ヲ顕ス
(117)
妙樂云尚具佛果*29餘果亦然等云云佛此ヲ答云
欲令衆生開佛知見等云云衆生ト申ハ舎利弗
衆生ト申ハ一闡提衆生ト申ハ九法界*30
衆生无𨕙誓願*31度此ニ満足ス我本立誓願欲令
一切衆如我等無異如我昔*32㪽願今者已満
足等云云*33諸大菩薩諸天等此ノ法門ヲキヒテ
領解云我等従*34昔來數聞丗尊説未曽*35聞如
(118)*210頁
是深妙之上法䓁*36云云𫝊敎大師云*37我等従昔*38
來數聞丗尊説謂昔聞法芲経ノ前ニ説ケル芲厳䓁ノ
大法也未曽聞如是深妙之上法ハ謂ク未レ聞二法
芲経ノ唯一佛乗ノ教ヲ一也等云云芲厳方等般𠰥深
密大日等ノ恒河沙ノ諸大乗経ハイマタ一代肝
心タル一念三千大綱*39骨髄タル二乗作佛久遠
實成䓁イマタキカスト領解せリ*40又今ヨリコソ
(119)
諸大菩薩モ梵帝日月四天等モ敎主粎尊ノ𢓦
弟子ニテハ候ヘサレハ寳塔品ニハ此等ノ大菩薩ヲ佛我
𢓦弟子等*41トヲホスユヘニ諌*42暁云告諸大衆我滅
度後誰䏻護持讀誦此経今於佛前自説
誓言トハシタヽカニ仰下シカ又諸大菩薩モ譬如
大風吹小樹枝等*43ト吉祥草ノ大風ニ随河水ノ大海ヘ
引カコトク佛ニハ随マイラせシカ而トモ霊山日浅クシテ
(120)
夢ノコトクウツヽナラスアリシニ證前ノ寳塔ノ上起後ノ
寳塔アテ十方ノ諸佛來集せル皆我分身ナリト
ナノラせ給寳塔ハ虚空ニ粎迦多寳坐*44ヲ並日月ノ青
天ニ並出せルカコトシ人天大㑹ハ星ヲツラ子分身ノ
諸佛大地ノ上寳樹ノ下師子ノユカニマシマス華
厳経ノ蓮芲蔵丗界ハ十方此圡ノ報佛各々ニ國々ニ
シテ彼界ノ佛此圡ニ來テ分身トナノラス此界ノ佛彼ノ
(121)*211頁
界ヘユカス但法惠䓁ノ大菩薩ノミ㸦ニ來㑹せリ
大日経金剛頂経䓁ノ八𫟒九尊三十七尊等
大日如來ノ化身トワミユレトモ其化身三身円満ノ
古佛ニアラス大品経ノ千佛阿弥陁経ノ六方諸佛
イマタ來集ノ佛ニアラス大集経ノ来*45集ノ佛又分*46身
ナラス金光明経ノ四方四佛化身ナリ惣シテ一切
経ノ中ニ各修各行ノ三身円満ノ諸佛ヲ集テ我分身トワ
(122)
トカレス*47コレ壽量品ノ遠序ナリ始
成*48四十餘年ノ粎尊一劫十劫等已前ノ諸
佛ヲ集テ分身トトカルサスカ平等意趣ニモニスヲヒ
タヽシクヲトロカシ又*49始成ノ佛ナラハ㪽化十方ニ充満スヘ
カラサレハ分身ノ徳ハ備タリトモ示現シテエキ*50ナシ
天台云*51分身既多當知成佛久矣*52䓁云云大㑹ノ
ヲトロキシ心*53ヲカヽレタリ *54其上ニ地涌千界ノ大
(123)
菩薩*55大地ヨリ出來せリ粎尊ニ第一ノ御*56弟子トヲ
ホシキ普䝨文殊䓁ニモニルヘクモナシ芲厳方
䓁般𠰥法華経ノ寳塔品ニ來集せ*57ル大菩薩大
日経䓁ノ金剛薩埵䓁ノ十六大菩薩ナントモ此ノ菩
薩ニ對當スレハ獼*58猴ノ群*59中ニ帝粎ノ來給カコトシ山
人ニ月郷*60䓁ノマシワレルニ*61コトナラス補𠙚ノ弥勒猶迷
惑せリ何況其已下ヲヤ此千丗界ノ*62大
(124)
菩薩ノ中ニ四人ノ大聖マシマス㪽謂上行無𨕙行浄
行安立行ナリ此ノ四人ハ虚空霊山ノ諸菩薩䓁
眼モアハせ心モヲヨハス芲厳経ノ四菩薩大日経ノ
四菩薩*63金剛頂経ノ十六大菩薩䓁モ此ノ菩薩ニ
對スレハ瞖*64眼ノモノヽ日輪ヲ見ルカコトク海人カ皇
帝ニ向奉カコトシ大*65公䓁ノ四聖ノ衆中ニ*66アツ*67シニニタリ商山ノ
四皓カ惠帝ニ仕ニコトナラス魏*68々堂々トシテ*69尊
(125)
髙也粎迦多寳十方ノ分身ヲ*70除テハ一切衆
生ノ善知識トモタノミ奉ヌヘシ *71弥勒菩薩心*72念言
スラク我ハ佛ノ太子ノ𢓦時ヨリ三十成道今ノ霊山
マテ四十二年カ間此界ノ菩薩十方丗界ヨリ來
集せシ諸大菩薩皆シリタリ又十方ノ淨穢圡ニ或ハ御使*73
或ハ*74我ト遊戯*75シテ其國々ニ大菩薩見聞せリ《然トモイマタカクノコトキノ大菩薩ヲハミス》*76此大菩薩ノ𢓦師ナン
(126)
トハイカナル佛ニテヤアルランヨモ此粎迦多寳十方ノ分
身ノ佛陁ニハニルヘクモナキ佛ニテコソヲハスラメ雨ノ猛*77ヲ見テ龍*78ノ大ナル事シリ花ノ大*79ナルヲ見テ池ノフカキ
コトハシンヌヘシ此䓁ノ大菩薩ノ來ル國又誰ト申佛ニ
アイタテマツリイカナル大法ヲカ習修シ給ラント疑シア
マリノ不審サニ音ヲモイタスヘクモナケレトモ佛力ニヤ
アリケン弥勒菩薩疑云無量千万億大衆諸
(127)*212頁
菩薩昔ヨリ㪽也レ未ル二曽テ見一是諸ノ大威徳ノ精進ノ菩薩衆ハ
誰レカ為ニレ其説テレ法ヲ敎化シ而成就せル従テカレ誰ニ初テ発心シ稱二-*80揚スル
何レノ佛法一○*81丗尊我昔ヨリ來タ未三曽テ見*82是ノ事ヲ一願ハ説下ヘ*83其ノ㪽従ノ
國圡ノ之名号ヲ一我レ常ニ遊トモ二諸ノ國ニ一未三曽見二是事ヲ一我レ於テ
此ノ衆ノ中ニ一乃不レ識二一人モ一忽然ニ従レ地出タリ願ハ説下ヘ二其ノ囙
縁ヲ一䓁云云天台*84云自𡧤*85場已降今𫝶ヨリ已往〔コノカタ〕*86十方ノ
大士來㑹不レ絶雖不ト可限我レ以テ補𠙚ノ智力一𢘻
(128)
見𢘻知ル而ニ於ハ二此衆ニ一不識一人モ一然ニ我遊二-戯十方ニ一
覲二-奉諸佛ニ一大衆快ク㪽□識知等云云妙樂云*87知*88人
知レ起虵*89自識レ虵等云云経粎ノ心分明ナリ詮スルトコロハ*90初
成道ヨリコノカタ此圡十方ニテ此䓁ノ菩薩ヲ見タテ
マツラスキカスト申ナリ佛此ノ疑答云阿逸多○*91汝
等昔*92㪽レ未ルレ見者ハ我於二是娑婆丗界ニ一得二阿耨多羅三藐三*93菩提ヲ一已テ敎二-化シ示三-導シ是諸ノ菩薩ヲ一調二-伏
其心ヲ一令メタリ発道意䓁又云我レ於二伽耶城菩提樹
(129)
下ニ一㘴得レ成ヿ二最正覚ヲ一転二无上ノ法輪ヲ一尒乃チ敎二-化之一
令三初テ発二道心ヲ一今皆住せリ二不退ニ一乃至我従二久遠一來タ
教二化せリ是䓁ノ衆ヲ一䓁云云 *94此ニ弥勒䓁ノ大菩薩大ニ疑
ヲモウ芲厳経ノ時法恵䓁ノ无量ノ大菩薩アツマルイカナル
人々ナルラントヲモヘハ我善知識ナリトヲホせラレシカハ
サモヤトウチヲモヒキ其後ノ大寳坊白鷺池䓁ノ來
㑹ノ大菩薩モシカノコトシ此大菩薩ハ彼等ニハニルヘクモナキ
(130)
フリタリケニマシマス定テ粎尊ノ𢓦師匠カトナントヲ
ホシキヲ令初発道心トテ幼稚ノモノトモナリシヲ敎
化シテ弟子トナせリナントヲホせアレハ大ナル疑ナルヘシ日
本ノ聖徳太子ハ人王第三十二代用明天皇ノ𢓦
子ナリ𢓦年六歳ノ時百済髙麗*95唐圡ヨリ老*96人
トモノワタリタリ*97シヲ六歳ノ太子我弟子ナリトヲホせアリ
シカハ彼老*98人トモ又合掌シテ我師ナリ等云々*99不思議■
*1:一紙を割き中央に記載。
*2:「開目抄下巻」を一本線で削除。
*3:「法雲自在王」をSATで検索しても該当するのはこの1件のみである。
*4:『大智度論』巻第四十八・釈四念処品第十九に「沙秦言六」(大正No.159, 25巻408頁b段28行)とあるが、日蓮はこれを『大智度論』中の肝心としている。
*5:御書全集は「伽」。
*7:保留。
*8:振り仮名「ナウ」「マク」には削除線がある。
*9:以下の法華経陀羅尼は、読みやすくするため、各音写・意訳の直後に一字空きを入れた。
*10:「ヲ」か。
*11:保留。
*12:「ア」か。
*13:振り仮名か何かの脇書きを削除。
*14:=毘
*15:左脇に「ラ」。
*16:「刄」に見えるが保留。
*17:=儞
*18:左脇に「ホ」。
*20:異体字。hdic_u2e5d8-var-001。≒覽
*21:または「ジヤク」か。兜木正亨は「シ」の右肩に本濁の記号「○○」印が付いているとし、「じゃく」と読む(『日本古典文学大系82 親鸞集 日蓮集』岩波書店、1964年、507頁)。
*23:左脇に「ラ」。
*24:判読困難な一字を削除し○の右脇に「護」。
*25:「ソ」があるか判読困難。兜木は無いとする(前掲書)。
*26:「ハ」があるか擦れか否か判読困難。兜木は無いとする(前掲書)。
*27:=鉄
*28:法華肝心陀羅尼の諸本の異同を網羅的に検討するのは時間を要するので、詳細は後日とする。
*29:脇書き「界□」を削除。この湛然『止観輔行伝弘決』巻第五之二の文(大正No.1912, 46巻289頁c段12行)は、録内御書(宝暦修補本)では「尚具佛界餘界亦然」(御書二、四十八丁裏)であり、日寛「開目抄愚記」で引いた文も同じである。「果」と「界」が伝写の過程で混同されたのだろうか。
*31:保留。
*33:舎利弗らの「具足の道を聞きたい」という要請に応えて、釈尊は「あらゆる仏は衆生(=舎利弗、一闡提、九界)に仏知見を開かせようとする」と述べ、この時に釈尊の誓願が成就されたという。それは十界を具足する妙法によって実現したということだろう。法華経方便品のこの一節で、仏の誓願が果たされたと述べられた以上、日蓮はその因、すなわち仏因とは何かを探求したと考えられる。その意味で当該文は、「観心本尊抄」の五重三段とは別のアプローチで仏種を探索した形跡と言えないだろうか。日蓮は自身を地涌の菩薩や不軽菩薩と同一視したが、悪世末法の現実を生きる衆生の仏種(=仏因)を菩薩の誓願(=仏因・因行の遂行の起点)と併せて追究した、というか仏因の遂行主体である菩薩の誓願は下種・仏種論と必然的に接続していくと私は考えている(それが法華経身読の内実であろう。これについては少し「「開目抄」における法華経勧持品・不軽品の引用文の合成」で触れた)。誓願成就から妙法を信ずる根拠を見出したことは、浄土教における念仏往生の根拠を彷彿させる。無量寿経では阿弥陀仏の因位である法蔵菩薩が四十八願を立てるが、経典では法蔵が阿弥陀仏となっている以上、その誓願は成就されていることを意味し、第十八願「設し我、十方の衆生、至心に信楽して、我が国に生ぜんと欲して、乃至十念せん(乃至念仏)。もし生まれずんば、正覚を取らじ。ただ、五逆と正法を誹謗するものを除く」が、仏を念ずることで往生を遂げられる根拠となった(平岡聡『法然と大乗仏教』法蔵館、2019年参照)。しかし、ここには「唯除五逆誹謗正法」(「立正安国論」で法然への批判で用いられた)とあるから、日蓮に従えば、それは衆生無辺誓願度の成就にはならないと言えるだろう。これに関連して日蓮が上記方便品「欲令衆生開仏知見」の「衆生」には敢えてか一闡提を含むと述べている点は、娑婆世界の衆生無辺誓願度の成就を強く意識していたと言えよう。いずれにせよ、仏因を信受する根拠を如来の誓願成就に求めている点では、日蓮も浄土教も共通していると言えそうだが如何だろうか。上記の問題意識は、上原專祿「誓願論――日蓮における誓願の意識――」(『死者・生者―日蓮認識への発想と視点』未来社所収、1971年脱稿)によるところが大きい。上原は同論で、如来の誓願について回向の主体との関係性から説き起こし、無量寿経が阿弥陀仏の誓願経であるのに対し、法華経は釈迦牟尼仏の誓願経であると述べている。「歴史的現実への基本姿勢とみられる誓願の問題を軸とした日蓮教学の新展開」「誓願の問題を度外視しては『開目抄』は理解されえない」との問題提起を私なりにこの十年近く断続あったものの反芻しつつ開目抄を探求してきて、今は上のようなことを痛感している。
*35:「曽」が常用漢字に、「曾」がその旧字に制定されたのは2010年の常用漢字表改定である。
*36:今範囲では「䓁」が頻出する。
*37:右肩の「守護章下之下」を削除。
*38:ママ
*40:御書全集ではここまでが「開目抄上」。
*41:○の右脇に「等」。日乾筆は「等」の字体であると確認できる。
*42:=諫
*43:○の右脇に「等」。日乾筆は「等」の字体であると確認できる。
*44:「𫝶」を削除し脇に「坐」。したがって日乾は現在と同様に「座」と「坐」を別字として扱っていたことがわかる。
*45:ママ
*47:「今此寳塔品ハ」を削除。これにより、直後で説明される「寿量品の遠序」が「コレ」=起後の宝塔に限定される。智顗・灌頂『法華文句』巻第八下参照。
*48:「正覚」を削除。
*49:○の右脇に「又」。
*50:「益」を訂正。御書全集は「益」。
*51:脇にある「玄九」と思しき二字を削除。日乾所依の写本に施された他筆の注記か、真蹟における異同か。智顗・灌頂『法華玄義』巻第九下。大正No.1716, 33巻798頁b段23行。
*53:御書全集は「意」。
*54:一字空き。
*55:「開目抄」で地涌の菩薩に触れられているのは、以下131頁までの、この一範囲のみであり、「地涌」なる語もこの一カ所のみ登場する。しかもそれは涌出品の要約であり、日蓮自身と関連付ける解釈は皆無である。しかし地涌の菩薩は法華経にのみ登場する菩薩であり、ここで他経と比較して譬喩も増幅させて叙述している点は、日蓮独自である。これは、日蓮の上行菩薩の自覚は佐渡期周辺で醸成されたとする日蓮教学の理解からすれば、いささか違和感を残す事実ではある。しかしそれも「観心本尊抄」等に譲られたと大方了解されていると思う。日蓮は観心本尊抄では自身の法門を開示するに当たってかなり慎重に教示している。すなわち「此より堅固に之を秘す」(観心本尊抄、御書全集242頁)、「観心の法門、少々之を注して大田殿・教信御房等に奉る。此の事、日蓮身に当るの大事なり、之を秘す。無二の志を見ば、之を開〓(=衣偏に石)せらる可きか。此の書は難多く、答少し。未聞の事なれば、人、耳目之を驚動す可きか。設い他見に及ぶとも、三人、四人、座を並べて之を読むこと勿れ。仏滅後二千二百二十余年、未だ此の書の心有らず。国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す。乞い願くば、一見を歴来るの輩は、師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん」(観心本尊抄送状、同255頁参照、「之を秘す」は「公表はしない」と訳されている。=『現代語訳 観心本尊抄』池田大作監修、創価学会教学部編、聖教新聞社、2018年、180頁)。対して、開目抄についてはそのような言及は見受けられない。この辺りにも、日蓮の上行菩薩自覚の開示が関わっているのだろうが、上記・観心本尊抄送状の一節は、教えを説くべきかは時により機根に依らないという自身の結論(撰時抄、御書全集267頁参照)と矛盾するようにも取れる(これについては他の御書も参照して別稿で考察したい)。しかし両抄とも「日蓮身に当るの大事」を主題としており、それを開目抄では自身の法華経弘通の言動や人格的側面、内心の披歴として、観心本尊抄では錬成した独自の法門(観心の成就内容とそれを成し得る妙法五字の本尊及び地涌の菩薩によるその建立)の開陳として語られており、前者は自身が法華経の行者であることを疑問視する内外の批判に応答するため公表の意図があり、後者は前代未聞の法門として公開を避けたと考えられる。前代未聞とはオリジナリティ、独自性があるということだから、それは他者と共有され難い側面があり、法華経の文を借りれば「難信難解」である。それを広めるには不軽菩薩のような迫害・逆縁(英語ではreverse connection)とならざるを得ないと言えよう。竜の口の法難、佐渡流罪という受難の極致を体験した自身と不軽を重ねたことと前代未聞の観心の法門の錬成とは、相互媒介的に成し得たと言えよう。共有し難い独自性があったとしても、唱題の易行性は弘教に一役買ったと愚案するが、日蓮にそのような意識はあったのだろうか。さらに両抄については、前者は四条金吾に持たせたことから法難で教団が壊滅的となった鎌倉をはじめとする周囲からの疑義に答えた同抄の内容を広めること、後者は富木常忍の下で後世まで格護する意図があり、また日蓮は富木常忍に四条金吾を通じて開目抄を読むよう指示しているから(翻刻②で述べた)、佐渡流罪中の門下の結束を常忍(下総)・金吾(鎌倉)を双璧として期待したと、私は推測している。両抄を元に図式的な推測が強くなったが、日蓮の著作は門下や諸宗・幕府への応答であるから、言語行為論を引き合いに出すまでもなく、宛先や社会情勢との関係性の中で理解しようとする意識が強くならざるを得ない。
*56:○の右脇に「ノ御」。
*57:御書全集は「す」。
*60:→卿
*61:御書全集は「まじはるに」。
*62:「微塵數ノ」を削除。
*63:右肩に四文字「普文観弥」(=普賢・文殊・観音・弥勒)があるが削除されている。
*64:=翳
*65:→太
*66:○の右脇に「ノ衆中ニ」。
*67:→リ。兜木正亨が「あつし」は「ありし」の音便であると注釈している(『日本古典文学大系82 親鸞集 日蓮集』岩波書店、1964年、369頁)。
*68:=巍。別字体だが同一語。
*69:日蓮が法華経にない文を用いて地涌の菩薩を形容した一例であるが、「巍巍堂堂」は仏典に頻出する。訳は「そびえ立つ山のように堂々としており」(『現代語訳 開目抄(下)』池田大作監修、創価学会教学部編、聖教新聞社、2016年、12頁)。
*70:「諸仏ヲ」を削除。
*71:二字程度空き。
*72:○の右脇に「心」。
*73:○の右下に「ハ御使」。日乾筆は「御」の字体であると確認できる。
*74:○の右上に「或ハ」。
*75:異体字。linchuyi_hkrm-05057641
*76:この「然トモイマタカクノコトキノ大菩薩ヲハミス」等、比較的文字数の多い削除は当該文を四角で囲んでいる。その範囲については《》で示すことにする。
*77:「タケキ」の振り仮名あるか。
*78:異体字。u2ff0-u97f3-u5c28のようだが同様の字形のコードは複数ある。龍は他の字に比較して多種多様な字体・字形が見受けられる。
*79:「盛」を訂正。つまり写本では「盛んなるを」。これを伝写中に起きた誤りと見るべきなのか。むしろ同様の例は多数見られ、これらを傍証として、日乾所依本は単に誤写された本というよりも別系統の写本であると見たほうが自然であろう。
*81:=中略。
*83:=タマヘ
*84:「疏九」を削除。
*85:=寂
*86:判読困難。
*87:「記九」を削除。
*88:→智
*89:=蛇
*90:「所詮」の「所」を削除。○の右脇に「スルトコロハ」。
*91:=中略。
*92:ここは「ヨリ」が削除されている。
*93:○の右脇に「レ見者ハ我於テ二是娑婆丗界ニ一得二阿耨多羅三藐三」と大幅に加筆。これは日乾筆ではなく元の写本の筆である。
*94:一字空き。
*95:異体字。史的文字DBで確認できるがグリフウィキにはない。
*97:○の右脇に「タリ」。
*98:保留。
*99:「云云」ではない。
日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑪
十頁ずつ連載しているが、今回は区切りがよい開目抄上巻終わりの113頁まで翻刻する。
終盤、法華経方便品・略開三顕一から説き起こされた「具足」義のサンスクリット語・漢語による解釈については、少々注記したものの、課題が多いので時間をかけて調査し、後日別稿で整理、考察したい。
(101)
ヘシサレハ此䓁ノ人々ハ佛ヲ供養シタテマツリシツイテニコソ
ワツカノ身命ヲモ扶サせ給シカサレハ事ノ心ヲ案スルニ四
十餘年ノ経々ノミトカレテ法芲八箇年ノ㪽説ナクテ
𢓦入滅ナラせ給タラマシカハ誰ノ人カ此䓁ノ尊者ヲハ
供養シ奉ヘキ現身ニ餓鬼道ニコソオハスヘケレ而ニ四
十餘年ノ経々ヲハ東春ノ大日輪寒氷*1ヲ消滅スルカ
コトク無量ノ草露ヲ大風ノ零落ス*2カコトク一言一
(102)*207頁
時ニ未顕真實ト打ケシ大風ノ黒雲ヲマキ大虚ニ満
月ノ𠙚カコトク青天ニ日輪ノ懸給カコトク丗尊
法乆後要當説真實ト照サせ給テ芲光如來光明
如來等ト舎利弗迦𫟒等ヲ赫々タル日輪明々タル月
輪ノコトク鳯*3文ニシルシ龜鏡ニ浮ヘラレテ候ヘハコソ如
來滅後ノ人天ノ諸𣞀那等ニハ佛陁ノコトクハ仰レ
給シカ水スマハ月影*4ヲヲシムヘカラス風フカハ草木
(103)
ナヒカサルヘシヤ法芲経ノ行者アルナラハ此等ノ聖
者ハ大火ノ中ヲスキテモ大石ノ中ヲトヲリテモトフラワせ
給ヘシ迦𫟒ノ入定モコトニコソヨレイカニトナリヌルソイフ*5
カシトモ申ハカリナシ後五百歳ノアタラサルカ廣宣流
布ノ妄語トナルヘキカ日蓮カ法華経ノ行者ナラサルカ
法芲経ヲ教内ト下テ別𫝊ト稱スル大妄語ノ者ヲマホリ
給ヘキカ捨閇*6閣抛*7ト定テ法華経ノ門ヲトチヨ巻ヲナケ
(104)
ステヨト*8ヱリツケテ法華堂ヲ失ル者ヲ守護シ給ヘ
キカ佛前ノ誓ハアリシカトモ濁丗ノ大難ノハケシサヲ
ミテ諸天下給サルカ日月天ニマシマス湏弥山
イマモクツレス海潮モ増减ス四季モカタノコトク
タカハスイカニナリヌルヤラント大疑イヨ〱ツモリ候
〔此ヨリ已下ヲ可調下巻〕*9又諸大菩薩天人䓁ノコトキハ尓前ノ経々ニシテ記莂ヲ
ウルヤウナレトモ水中ノ月ヲ取トスルカコトク影ヲ体*10ト
(105)
オモウカコトクイロカタチノミアテ實義モナシ又佛𢓦
㤙モ深クテ深カラス丗尊初成道ノ時ハイマタ説教モ
ナカリシニ法恵菩薩功徳林𦬇*11金剛幢菩薩金
剛蔵菩薩等ナント申せシ六十餘ノ大菩薩十方ノ
諸佛ノ國圡ヨリ教主粎尊ノ𢓦前ニ來給テ䝨首菩薩
解脱月等ノ菩薩ノ請ニヲモムイテ十住十行十廽向十地
等ノ法門ヲ説給キ此等ノ大菩薩ノ㪽説ノ法門ハ釈*12
(106)
尊ニ習タテマツルニアラス十方丗界ノ諸梵天等モ來テ法ヲ
トク又粎尊ニナライタテマツラス惣シテ芲厳㑹𫝶ノ大菩薩天
龍等ハ粎尊已前ニ不思議解脱ニ住せル大菩薩ナリ粎
尊ノ過去囙位ノ𢓦弟子ニヤ有ラン十方丗界ノ先佛ノ𢓦
弟子ニヤ有ラン一代教主始成正覚ノ佛弟子ニハ
アラス阿含方等般𠰥ノ時四教ヲ佛ノ説給シ時コソ
ヤウヤク𢓦弟子ハ出來シテ候ヘ此モ又佛ノ自説ナレ
(107)*208頁
トモ正説ニハアラスユヘイカントナレハ方等般𠰥ノ別円
二教ハ芲厳経ノ別円二教ノ義趣ヲ*13イテス彼ノ別円二教ハ
教主粎尊ノ別円二教ニハアラス法恵等ノ大菩薩ノ
別円二教ナリ此䓁ノ大菩薩ハ人目ニハ佛ノ𢓦弟子カトハ
見ユレトモ佛ノ𢓦師トモイ井ヌヘシ丗尊彼ノ菩薩ノ㪽説ヲ
聴聞シテ智発シテ後重テ方等般𠰥ノ別円ヲトケリ㐌モ
カワラヌ*14芲厳経ノ別円二教サレハ此等大菩
(108)
薩ハ粎尊ノ師ナリ芲厳経ニ此等ノ菩薩ヲカスヘテ
善*15知識トトカレシハコレナシ善*16知識ト申ハ一向師ニモ
アラス一向*17弟子ニモアラスアル事ナリ蔵通二教ハ又別円ノ
枝〔シ〕流ナリ別円二教ヲシル人必蔵通二教ヲシルヘシ
人ノ師ト申ハ弟子ノシラヌ事ヲ教タルカ師ニテハ候ナリ
例セハ佛前一切ノ人天外道ハ二天三仙ノ弟子ナリ九
十五種マテ流沠*18シ*19タリシカトモ三仙ノ見ヲ出ス
(109)
教主粎尊モカレニ習𫝊テ外道弟子ニテマシマせシカ
苦行樂行十二年ノ時苦空无常无我ノ理ヲサトリ
出テコソ外道ノ弟子ノ名ヲハ離*20サせ給無師智トハナノ
ラせ給シカ又人天モ大師トハ仰マイラせシカサレハ
前四味ノ間ハ教主粎尊法恵菩薩等ノ𢓦弟子
ナリ例せハ文殊ハ粎尊九代ノ𢓦師ト申カコトシツ子ハ諸経ニ
不説一字トトカせ給モコレナリ佛𢓦年七十二ノ年
(110)
摩竭*21提國霊鷲山ト申*22山ニシテ无量義経ヲトカせ給シニ四
十餘年ノ経々ヲアケテ枝𫟒ヲハ其ノ中ニオサメテ
四十餘年未顕真實ヲ打消給ハ此ナリ此時コソ
諸大菩薩諸天人等ハアハテヽ實義ヲ請トハ
申せシカ無量義経ニテ實義トヲホシキ事一言
アリシカトモイマタマコトナシ譬ヘハ月ノ出トシテ其躰*23
東山ニカクレテ光西山ニ及トモ諸人月躰ヲ見サルカ
(111)
コトシ法芲経方便品畧開三顕一ノ時佛畧シテ一念
三千心中ノ本懐ヲ宣給始ノ事ナレハホトヽキスノ
*24音*25ヲ子ヲヒレ*26タル者ノ一音キヽタルカ*27ヤウニ月ノ山ノ半ヲハ*28
出タレトモ薄雲ノヲホヘルカコトクカソカナリシヲ舎
利弗等驚テ諸天龍神大菩薩等ヲモヨヲシテ諸
天龍神等其數如恒沙求佛諸菩薩大衆*29有
八万又諸万億國転輪聖王至合掌以敬心
(112)*209頁
欲聞具足道等ハ*30請せシナリ文ノ心ハ四味三教四十
餘年ノ間イマタキカサル法門ウケ給ハラント請せシ
ナリ此文ニ欲聞具足道ト申ハ大経云薩者名具
足義等云云無依無得大乗四論玄義記云妙〔沙 御本〕*31
者决*32云六胡法ニハ*33以レ六為二具足ノ義一也等云云吉蔵
䟽*34云妙〔沙 御本〕*35者翻*36為具足等云云天台玄義八云薩
者梵語此翻妙也等云云*37
(113)
*38
於身延久遠寺以御正本校合了用可為證本
日乾■
*2:「吹」を削除し脇に「零」。「零落(れいらく)す」と読むならば、古典文法では複合動詞、活用はサ変で、ここでは格助詞「が」に連体形接続するため「零落する」であるはずだが、「る」がないということとなり、直前が「東春ノ大日輪寒冰ヲ消滅スルカコトク」であることをもって「る」を補って校訂するのが妥当といえよう。しかし「零落す」は自動詞で「(草木が)枯れ落ちる」「おちぶれる」といった意味であり、当該文は他動詞であるはずなので、読みとして問題がある(諸橋轍次編『大漢和辞典』大修館書店、鎌田・米山編『新漢語林』大修館書店、藤堂・加納編『学研新漢和大字典』学習研究社を参照)。高祖遺文録は「零落スルガコトク」、縮刷遺文および御書全集は「零落するがごとく」、昭和定本および平成校定は「零落するがごとく」に日乾本で「る」がないと注記、平成新修は「零落(れいらく)するがごとく」(括弧内は振り仮名、以下同じ)とする。一方、録内御書(宝暦修補本)は「吹落スカコトク」で日乾の対校前の写本の表記と同じであり、これは「吹き落とすがごとく」(「落とす」は他動詞サ行四段活用)と読める。注目すべきは兜木正亨の校訂で、『日本古典文学大系82 親鸞集 日蓮集』(岩波書店、1964年)及び『日蓮文集』(岩波文庫、1968年初版)では「零(ふき)落(おと)すがごとく」(前者362頁、後者238頁)とする。『現代語訳 開目抄(上)』(創価学会教学部編、聖教新聞社、2016年)でも「無数の草についた露を大風が吹き落とすように」(同書200頁)と訳していて、前掲・録内御書(宝暦修補本)と同じ読みとなっている。この兜木と創価学会の二例は古語・現代語の違いはあるにせよ、「吹き落とす」「零落す」を会通したものと解せるだろう。問題は「零落す」を「ふきおとす」と訓読みすることが妥当なのか、「吹き落とす」の意があるのかということだが、諸橋大漢和でも漢字「零」に「吹く」の意はなく、さらには「零落れる」で「おちぶれる」とする難読の例がある(前掲『学研新漢和大字典』参照)。なお「零落」を日蓮大聖人御書全集全文検索で検索すると、当該箇所の他に2件、すなわち①「佛堂零落」(「立正安国論」、原漢文、真蹟第十六紙、中尾堯『読み解く『立正安国論』』臨川書店、2008年、119頁、御書全集は23頁)、②「鎮護國家ノ道場雖トモ三令せシムト二零落一」(「災難対治抄」、原漢文・訓点あり、真蹟第十紙、『日蓮聖人真蹟集成』第1巻、法蔵館、1976年、261頁、御書全集は83頁)がヒットする。二つは原文が漢文であることから「れいらく」と音読みし、文法及び文脈上「おちぶれる」を意味すると解せる。また鎌倉遺文フルテキストデータベース(東京大学史料編纂所)で「零落」を検索すると8件の用例が見られるが、全て「れいらく」「おちぶれる」の読み・意味のようである。なお刊本録内御書については、国立国会図書館蔵の古活字本では、宝暦修補本とは異なり「零落スルカコトク」(御書二、四十九丁表、同書については過去記事「国立国会図書館ウェブ公開中の日蓮書簡集について」で紹介した)。
さて、本稿で私がこれまで日蓮文集の諸本を対照した注記は、翻刻する上で、御書全集との異同で気になった箇所を取りあげているだけで、極めて恣意的なところがあるが、一字の違いであれ、度々調べていると思いの外、校定上の問題が浮き彫りになることが確認された。これには日乾本の翻刻という本稿の第一義的な目的からは逸れるものがあるが、今後も併せて進めたい。
*3:=鳳
*5:濁点が消されているか判読し難いが、104頁四行及び五行の「クズレズ」「タガハズ」で消去跡が分かるから、ここも同様とした。
*6:=閉
*7:保留。史的文字DB、異体字解読字典、グリフウィキにない。
*8:○の右脇に書き込みがあるが二重以上の線で消されている。この削除がなされたのが写本成立時なのか日乾による対校時なのかは定かではない。このような削除は度々あったが、筆跡が分からず確認しようがない。
*9:「又諸大菩薩」以下の右肩に日乾筆で注記されている。判読困難であるが、高木豊「『開目抄』『撰時抄』『報恩抄』の分巻をめぐって――日蓮遺文の書誌に関する試論の一つ――」(『大崎学報』第128号、立正大学仏教学会、1976年、46頁)を参照。同稿で高木はこの注記を「此ヨリ已下ヲ可調下巻」とし、これについて「内容上の分巻の一提言として注目してよいであろう」と述べている。宮崎英修も同様に翻刻(宮崎英修「開目抄の伝承と乾師本の価値について」、『大崎学報』第98号、1951年、36頁)。兜木正亨は「此より已下可調下巻」と注釈している(『日本古典文学大系82 親鸞集 日蓮集』、363頁)が、高木が記したように「已下」の直後に一文字あるように見える。なお、この注も岩波文庫『日蓮文集』では省かれている(注の省略のみならずテキストにも両者で異同があるかは気にかかる。と思っていたら確認された。112頁注を往見されたい)。高木と兜木が参照した日乾本について付言しておきたい。高木が前掲稿で参照した日乾本は、本稿で底本としているのと同じ本満寺刊『開目抄 乾師対校本』(梅本正雄編)であり、同書の発行は昭和39(1964)年12月8日である。対して兜木注を収めた『日本古典文学大系82 親鸞集 日蓮集』は同年4月6日発行であり、『開目抄 乾師対校本』に先行する。となれば、兜木(及び他の御書の校訂を担当した新間進一)が『日本古典文学大系』の凡例で「「開目抄」の底本は、日乾が身延旧蔵の真筆本に対校した、京都本満寺蔵の写本によった」(前掲書288頁)というのは原本のことであろうか。兜木が件の日乾の注記で「ヲ(を)」を拾わなかった理由として、原本の筆跡から、これが誤字の塗りつぶしか何かであると判読した可能性が見出されるが、単なる誤記とも考えられなくもない(前稿・翻刻⑩、94頁の注で、兜木の校訂の誤りを指摘した)。いずれにせよ高木や兜木による先行研究は、もはやテキストの原本またはその鮮明な写真へのアクセスが困難な現在では、貴重な成果であるといえよう。
*11:合字・略字、「并」に近い字体。=菩薩。日乾の訂正筆。訂正前の親文字は「艸」を上下に二つ並べた字に見える。菩薩の列挙として、ここだけ略字を使用している。
*13:「二教」直後の「ヲ」を削除し○の右脇に「ノ義趣ヲ」。
*14:写本の筆。「ス」と「ヌ」の違いは、「ス」は筆がとめで終わるのに対し、「ヌ」ははらいで終わっていることで判読できる。
*15:ママ
*17:○の右脇に「一向」。
*18:=派
*19:「ワカレ」を削除し○の右脇に「沠シ」。
*20:87頁に既出だが、保留して後出を含めて検討する。
*22:○の右脇に「山ト申」。
*23:=体
*24:「初」を削除。
*25:日存本、録内御書(宝暦修補本)、御書全集は「初音」。高祖遺文録、縮刷遺文、昭和定本、平成新修、『日蓮文集』は「音」。
*26:○の右脇にレ。
*27:○の右脇にカ。
*28:高祖遺文録は「山の半バ」。縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成新修は「を」のみ。『日蓮文集』は「をば」。平成校定は「をば」で日存本に「ば」がないと注記。稲田海素が本満寺にて日乾対校本によって校正したという縮刷遺文で「ば」がないのは不審である(後注も参照)。昭和定本は日乾本との異同が漏れている。録内御書(宝暦修補本)は「山ノハニ」で日乾の対校前の写本と同じであり、これは101頁「零落ス」で注記したのと同様である。録内御書(前掲・国会図書館蔵古活字本)は「山ノ半ハ」で高祖遺文録に同じ。
*29:音通か。録内御書(宝暦修補本)、録内御書(国会図書館蔵古活字本)、高祖遺文録、縮刷遺文、昭和定本は「大數」。御書全集、平成新修は「大数」。平成校定は「大数」で日乾本は(大)「衆」と注記。兜木は『日本古典文学大系82 親鸞集 日蓮集』で経文により「大數」に校訂(『日蓮文集』も同じ)。昭和定本ではここでも日乾対本との異同が漏れている。今後の研究のために以下記すが、前後の法華経方便品の経文は「諸の天竜神等は 其の数恒沙の如し 仏を求むる諸の菩薩は 大数八万有り 又諸の万億国の 転輪聖王は至れり 合掌し敬心を以て 具足の道を聞きたてまつらんと欲す」(『妙法蓮華経並開結』創価学会版、115頁。同書は日蓮が所持し注釈を書き込んだ春日版の法華経並開結、いわゆる「注法華経」を底本とし、大正蔵によって校訂を加えている)。大正No.262, 9巻6頁c段2行。これはいわゆる三止三請における舎利弗による第一請の偈の部分であり、現代語訳では「多くの天・竜神などで、その数がガンジス河の砂ほど数多くのものと、/仏を求める多くのボサツが、その数はたいそう多くて八万人もおります。/それらのものたちと、また多くの万億の国の、転輪聖王(世俗世界の理想的な王)とにいたるまで、/一同みな合掌して、尊敬の心をもって、仏のそなえられた完全な道をお聞きしたいと願っています」(『法華経現代語訳(全)』三枝充悳訳、第三文明社、1978年、56頁、改行は/で示して追い込んだ。春日版の漢訳・妙法蓮華経の口語訳)とされる。当該文周辺はサンスクリット本によれば「ヤクシャ(夜叉)や、ラークシャサ(羅刹)に伴われたガンジス河の砂(恒河沙)の〔数の〕ように幾千・コーティもの〔多くの〕神々や、龍、さらにまた完全な覚りを求めるところの人(菩薩)たちで、八万もの数を満たして立っているところの人たち、/大地の保護者であるところの王たち、幾千・コーティもの〔多くの〕国土からやってきたところの転輪王たち、〔それらの神々や、龍、菩薩、王、そして転輪王たちの〕すべてが合掌し、尊敬の心をもって立っています。『私たちは、いったいどのようにして、修行を完成させるのだろうか?』と」(『梵漢和対照・現代語訳 法華経 上』植木雅俊訳、岩波書店、2008年、89頁)であり、「具足の道」については、漢訳の妙法蓮華経とはいささか文意が異なるようである。略開三顕一における「具足(の道)」を字義から薩、沙、六、妙、法華経の肝心真言、正、六度万行、十界互具、九界即仏界・仏界即九界と解釈していく展開は、途中は明覚『悉曇要訣』巻第四(11世紀成立、後注参照)に類似していて着想のヒントになったと推測できるとはいえ、日蓮独自と見てよいと思う。また「妙法」の意義を方便品から解釈している点も興味深いが、これらは探求課題とする。
*30:録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、『日蓮文集』は「は」。縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修は「とは」。
*31:引用出典や文意から「沙」が妥当であろう。録内御書(宝暦修補本)は「砂(妙)」。高祖遺文録、縮刷遺文、御書全集、平成新修は「沙」。昭和定本は「沙」で「妙」(乾師所依本)と注記。平成校定は「沙」で日乾本は「妙」と注記するが、これでは誤解を招く。『日本古典文学大系82 親鸞集 日蓮集』では注法華経と日乾本により「沙」(『日蓮文集』も同じ)。
*32:=決。→訳。高祖遺文録、平成新修は「決」。録内御書(宝暦修補本)、縮刷遺文、御書全集は「訳」。昭和定本は「决」で縮刷遺文「譯」と注記。平成校定は「訳」で日乾本は「決」と注記。注目すべきは兜木『日本古典文学大系82 親鸞集 日蓮集』では注法華経により「譯」としていたのを『日蓮文集』では「决」に変更している点である。『日本古典文学大系』では「沙とは訳(ママ)して六と云う」の補注に「決の字が訳の誤りであることは、文意から見てもわかるが、書入経(引用者注=注法華経のこと。同書で便宜上なされた略称)巻一の見返しに、この同文を引いており、そこには訳となっている」(同書506頁)とある。
*33:昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』は「胡法には」。録内御書(宝暦修補本)、御書全集は「胡法に」。高祖遺文録、縮刷遺文は「胡法」のみであるが、両者は真蹟または日乾対校本を用いて校正されているにも関わらず、共に「ニハ」がない。以下、両者の校訂について付言しておきたい。小川泰堂が高祖遺文録の開目抄の末尾に記した注によれば、明治5年に身延山で小川は日蓮真蹟を披見し、「此開目鈔ハ最モ其首タル書ニシテ分テ四軸トセリ兼テ古版不審ナル処ハ此時ニ照鑑シ全部ハ中古遠乾二師此ヲ親写上木アリシ百部摺本ノ内ノ一本ヲ得テ謹テ校定セリ」(巻十二、八十三丁裏、漢字は常用漢字に改めた)と記しており、これは焼失前の開目抄の真蹟との対照が部分的なものだったことを示している。その判断も何らかの事情があった、あるいは恣意的なものだったことが推測されるが、その解明のヒントは上記引用中の「慶長の百部摺本」にあると思われ、今後の課題としたい(同本の研究は近年、進展が見られる)。縮刷遺文については、稲田海素が真蹟対照主任として校正に用いた日乾本と表記が一致しない点は、その真蹟重視の編纂方針に反する結果となっている。縮刷遺文の本文校訂には本間解海の判断が大きく関与しているようであるが、稲田の校正の精度の問題か、それとも本間の影響によるのか、不審な点である(前川健一「『縮刷遺文』の本文整定について」、『東洋哲学研究所紀要』第25号所収、2009年を参照)。稲田は縮刷遺文の開目抄下の末尾に「明治三十五年六月七日於二京都本満寺一以二乾師之御真蹟直写対照之本一奉レ校二正之一(稲田海素処記)」(縮刷遺文=『日蓮聖人御遺文』、加藤文雅編集代表、1935年=第15版、824頁、漢字は常用漢字に改めた)と注記している。当時の様子は『日蓮聖人御遺文対照記』に記録されており、稲田は明治35(1902)年6月4日に京都本満寺を訪れ、「日々当山に詣りて日乾上人の慶長九甲辰年六月二十八日身延山に於て後代の証本として入念に校正遊されたる御本を以て、開目鈔報恩抄顕謗法抄の全部及諌暁八幡抄の遺文大本二十九の最初より四十一左二行の酪味のことしまてを対照する事前後一周間程なり」(『日蓮聖人御遺文対照記』、1908年=再版、77頁、漢字は常用漢字に改めた)と記している。開目抄全篇を含む長編の日乾本を一週間ほどで対照すればミスが起こる蓋然性が高いと見られるが、この点は稲田自身が自覚的であったようで、同書凡例に「今回の真蹟校正の如きは古来難事とする所なれば最も慎重を払て精校すと雖猶ほ誤謬なきを保せず況んや印刷の誤植に於てをや其責固より予の甘受する所なり読者敢て叱正の労を吝むなかれ」(前掲書、序5頁、漢字は常用漢字に改めた)と記している。
*34:=疏
*35:諸本の表記の異同は既出『無依無得大乗四論玄義記』引用と同じであるが、高祖遺文録と縮刷遺文は「妙」。先の「ニハ」の注と同様の結果であるが、これも不審である。
*37:以上の具足義に関する五つの経論の引用、①法華経方便品、②涅槃経如来性品、③『(無依無得大乗)四論玄義記』、④吉蔵疏、⑤『法華玄義』の文については、同抄下巻冒頭の⑥『大智度論』の文や「観心本尊抄」における引用(以上に加え⑦無量義経、御書全集246頁参照)を含めて時間をかけて調査し、別稿に記したい。日乾本では下巻となる開目抄では引かれるも観心本尊抄では引かれない⑧「善無畏三蔵の法華経の肝心真言」については、あくまで法華経方便品から説き起こされた具足義の経論引用中の一環であるから、日蓮の密教受容と捉えるべきかは慎重を要する。併せて追究する。
先の注で触れたが、明覚『悉曇要訣』巻第四には「沙字云六亦云具足。故可云具足章句而云六字章句。涅槃經云。沙者名具足義文吉藏疏云。沙者翻爲具足文大品經云。沙門諸字法六自在性清淨故文大論云。若聞沙字即知人身六種相。沙秦言六文無依無得大來四諦玄義記云。沙者譯云六。胡法以六爲具足義也文若爾梵可云沙字章句。漢可云具足章句。如法華云其語巧妙具足清白。文云。欲聞具足道般若。云文義巧妙具足無雜。華嚴云。爲説圓滿經。大經云滿字法門也。然沙字中含六義故云六字章句歟。若以六釋具足義即可也。如薩達磨此云正法或云妙法。故合云正妙法也。若離具足而釋六義即難也」(大正No.276, 84巻552頁a段15行-29行)とある。一読してわかるように、開目抄の引用文は同書にほとんどが収録されている(下線参照)。『無依無得大來四諦玄義記』としているが誤表記か。同書でも「吉藏疏云」としている。智顗・灌頂『法華玄義』巻第八上の文については、原典は「薩達磨。此翻妙法」(大正No.1716, 33巻775頁a段3行)であるが、開目抄や『悉曇要訣』では類似の文となる。
なお上下の分巻については、下巻の始めは、上巻終盤で説き起こされた具足義のサンスクリット語・漢語による解釈が続くから、ここで上巻が終わるのは歯切れが悪く、専ら分量によるものであるとの高木の指摘(前掲論文)も頷ける。
また104頁の日乾による分巻の傍注も、一案として妥当性があると思う。当該箇所の前後の文脈は、法華経の行者である(はずの)日蓮に対して、二乗、諸菩薩、諸天、諸人が守護する責務があることを、彼らが爾前経ではなく法華経によって成仏が保証されたことに対する報恩という観点から追究していくが、日乾が指摘した箇所は、直前が爾前経に恩がない人物として二乗を挙げてきたのに対し、以後に諸菩薩・天・人を挙げていく箇所である。これは、前掲『現代語訳 開目抄』及び日寛「開目抄愚記」の第26段冒頭に相当する(御書全集207頁十行)。その他、一案として、同第27段「仏、御年七十二の年、摩竭提国」以下=具足義の考察の前(本稿底本109頁七行、御書全集208頁十一行)か第28段「而れども霊山日浅くして」以下=具足義の考察の後(本稿底本119頁七行、御書全集210頁下巻五行)かで区切ることもできるだろう。
*38:「開目抄上」を二重線で削除。
日蓮「開目抄」:日乾による真蹟対校本の翻刻⑩
「史的文字データベース連携検索システム」(https://mojiportal.nabunken.go.jp、以下、史的文字DBと略す)が公開された。これは奈良文化財研究所が中心となって運営するもので、国内外の複数機関が所蔵・管理する史的文字(木簡・紙面)の画像を横断的に検索することができる。字体研究には朗報であり、大いに参照させていただくとともに、本稿における電子活字化に当たっては引き続きグリフウィキを用いる。
(91)
給ヘキ諸ノ聲聞ハ尓前ノ経々ニテハ肉*1眼*2ノ上ニ天眼惠*3眼ヲ
ウ法華経ニシテ法眼佛眼備レリ十方丗畍*4
スラ猶照見シ給ラン何況此ノ娑婆丗界ノ中法
芲経ノ行者ヲ知見せラレサルヘシヤ設日蓮𢙣人
ニテ一言二言一年二年一劫二劫乃至百千
万億劫此等ノ聲聞ヲ𢙣口罵詈シ奉刀杖ヲ加マイ
ラスル㐌ナリトモ法芲経ヲタニモ信仰シタル行者
(92)*205頁
ナラハステ給ヘカラス譬ヘハ幼稚ノ父母ヲノル父母コレヲ
スツルヤ梟鳥母ヲ食母コレヲステス破鏡父ヲ
カイス父コレニシタカフ畜生スラ猶カクノコトシ大聖法
芲経ノ行者ヲ捨ヘシヤサレハ四大聲聞ノ領解文
云我等今者*5 真是聲聞 以佛道聲 令一切聞
我等今者 真阿羅漢 於諸丗間 天人魔梵
普於其中 應受供養 丗尊大㤙 以希有事
(93)
憐愍教化 利益我䓁 無量億劫 誰䏻報者
手足供給 頭頂礼敬 一切供養 皆不䏻報
𠰥以頂戴*6 两*7肩荷負 於恒沙劫 盡心恭敬
又以𫟈*8饍*9 無量寳衣 及諸卧*10具 種種湯*11藥
牛頭旃*12𣞀 及諸珎*13寳 以起塔廟 寳衣布地
如斯等事 以用供養 於恒沙劫 亦不䏻報
等云云諸ノ聲聞等者前四味ノ経々ニイクソハク
(94)
ソノ呵嘖ヲ蒙*14リ人天大㑹ノ中ニシテ耻*15辱カマ
シキ事其ノ數ヲシラスシカレハ迦𫟒尊者ノ渧泣ノ
音ハ三千ヲヒヽカシ「湏菩提尊者」〔目連聖者 御本〕*16ハ亡*17然トシテ
手ノ一鉢ヲスツ舎利弗ハ飯*18食ヲハキ富楼那ハ
𦘕*19瓶ニ糞*20ヲ入ルト嫌ル丗尊鹿野*21苑ニシテハ阿含経ヲ
讃嘆シ二百五十戒ヲ師トせヨナント慇懃ニホメサせ
給テ今又イツノマニ我㪽説ヲハカウハ*22ソシラせ給ト二
(95)
言相違ノ失トモ申ヌヘシ例セ*23ハ丗尊提婆達多ヲ汝愚
人人ノ唾ヲ食ト罵詈せサせ給シカハ毒
箭ノ胷*24ニ入カコトクヲモヒテウラミテ云瞿曇ハ佛陁ニハアラス我ハ
斛飯王ノ嫡子阿難尊者カ兄瞿曇カ一類ナリイカニ
アシキ事アリトモ内々教訓スヘシ此等䄇ノ人
天大㑹ニ此*25䄇ノ大禍ヲ現ニ向テ申スモノ大人佛陁ノ
中ニアルヘシヤサレハ先々ハ妻ノカタキ今ハ一𫝶ノカタキ今
(96)
日ヨリハ生々丗々ニ大怨歒トナルヘシト誓シソカシ此ヲ
モツ*26テ思ニ今諸大聲聞ハ本ト外道婆羅門ノ家ヨリ
出タリ又諸外道ノ長者ナリシカハ諸王ニ皈*27依せラレ諸
𣞀那ニタトマル或ハ種姓高貴ノ人モアリ或富福充満*28ノ
ヤカラモアリ而彼々ノ栄官等ヲウチステ𢢔心ノ幢ヲ倒シテ
俗服ヲ脱キ壊㐌ノ糞衣ヲ身ニマトヒ白拂弓箭等ヲウチ
ステヽ一鉢ヲ手ニニキリ貧人乞丐*29ナントノコトクシテ
(97)*206頁
丗尊ニツキ奉風雨ヲ防宅*30モナク身命ヲツク衣食
乏少ナリシアリサマナルニ五天四海皆外道ノ弟子
𣞀那ナレハ佛スラ九横ノ大難ニアヒ給フ㪽謂提
婆カ大石ヲトハせシ阿闍丗王ノ酔象ヲ放シ阿耆多王ノ
馬麦婆羅門城ノコンツせンシヤ婆羅門女カ鉢ヲ腹ニ
フせシ何況㪽化ノ弟子ノ數難申計ナシ無量ノ粎
子ハ波瑠璃王ニ殺レ千万ノ眷属酔象ニフマレ芲色
(98)
比丘尼提多*31ニカイせラレ迦盧提*32尊者ハ馬糞ニウツ
マレ目楗*33尊者ハ竹杖ニカイせラル其上六師同心シテ
阿闍丗婆斯匿王等讒奏シテ云瞿曇閻浮第一ノ
大𢙣人ナリ彼カイタル𠙚ハ三灾*34七難ヲ前トス大海ノ衆
流ヲアツメ大山ノ衆木ヲアツメタルカコトシ瞿曇カトコロニハ
衆𢙣ヲアツメタリ㪽謂迦𫟒舎利弗目連湏菩
提等ナリ人身ヲ受タル者忠孝ヲ先トスヘシ彼等ハ瞿
(99)
曇ニスカサレテ父母ノ教訓ヲモ用ス家ヲイテ王法ノ
宣*35ヲモソムイテ山林ニイタル一國ニ跡*36ヲトヽムヘキ者ニハアラ
スサレハ天ニハ日月衆星變ヲナス地ニハ衆夭サカンナリ
ナントウツタウ堪ヘシトモオホエサリシニ又ウチソウワサ
ワイト佛陁ニモウチソヒカタクテアリシナリ人天大㑹ノ
衆㑹ノ砌ニテ時々呵嘖ノ音ヲキヽシカハイカニアルヘシ
トモオホヘス只アワツル心ノミナリ其上大ノ*37大難ノ第一ナリ
(100)
シハ淨名経ノ其施汝者不名福田供養汝者墮三
𢙣道等云云文ノ心ハ佛菴羅苑ト申トコロニヲハせシニ梵
天帝粎日月四天三界諸天地神龍神等无
數恒沙ノ大㑹ノ中ニシテ云湏菩提等ノ比丘䓁ヲ供
養せン天*38人ハ三𢙣道ニ堕ヘシ此䓁ヲウチキク天人*39此
等ノ聲聞ヲ供*40養スヘシヤ詮スルトコロハ佛ノ𢓦言ヲ用テ諸
二乗ヲ殺害せサせ給カト見ユ心アラン人々ハ佛ヲモウトミヌ■
*2:これまで見過ごしてきたが、形状はtoikawa_hkrm-02063740に近く、史的文字DBでは散見されるが、グリフウィキにはない。下線対応とする。
*3:保留
*4:=界
*5:以下の法華経信解品の偈は、四字の一句ごとに空きを入れ、四句で一行とする。
*7:=両
*8:=美
*9:偏が食である異体字。u994d-var-001。録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』はいずれも「膳」。膳は常用漢字であり、饍は同字。
*10:=臥
*12:録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』はいずれも「栴」。現代では栴檀の方が一般的な表記のようである。全くの余談だが、栴檀はサンスクリット語のcandanaチャンダナの音写語であり色は問わないが、旃・栴ともに音符の丹は赤い色を意味しており(『新漢語林』、『学研新漢和大字典』参照)、音写の際に牛頭栴檀のような赤色をイメージして旃・栴を用いたのか興味深い。また偶然であろうが栴檀は英語ではsandalwoodであり音が似ている。
*13:=珍
*14:保留
*15:=恥
*16:ここは維摩詰所説経巻上・弟子品第三より、須菩提が正しいようで、日乾は真蹟との異同を明記している。大正No.475, 14巻540頁b段18行-c段14行。兜木正亨は「底本に「目連聖者、亡然」。文明年間の朝師見聞に「須菩提忙然」。版本以降これによる」(『日本古典文学大系82 親鸞集 日蓮集』岩波書店、359頁)と注しているが、出典を「正蔵一三」とするのは誤植で正しくは「正蔵一四」である。また底本の表記は今回翻刻したように「目連聖者は亡然」である。この兜木の注釈は岩波文庫『日蓮文集』では省かれている。
*17:異体字。u30004か。「忙」を削除。「亡」部について、底本とされた写本と日乾筆とで用いる字体が異なる好例である。これは、例えば日蓮と直弟子日興とで用いた仮名が異なっていたように、個人差によるのだろうか。小林正博「日蓮文書の研究(4)―真蹟に現われる「かな」の全容」(『東洋哲学研究所紀要』第26号、2010年)によれば、小林氏は日蓮・日興・法然・親鸞の真蹟および『土佐日記』に登場する変体仮名の字体を比較しつつ、中世日本では仮名文字の標準的使用はなかったとし、また明治33(1900)年の「小学校令施行規則」により教育現場で変体仮名の使用をやめて平仮名を一音一字に確定されたことを指摘している。日存本や日乾本当時含め、使用する仮名に個人差がある、あるいは一音に対し複数の仮名文字が使用されるのが慣例であったようだが、今後の研究課題としたい。なお、そうであるから、写本といっても字体まで忠実に写すわけではなく、さらには日存本(日蓮滅後135年、応永23=1416年)の時点で既に仮名がカタカナで写されている。日蓮真筆の変体仮名をカタカナに置き換える際に誤写が起きる可能性は考えられるし、日乾が真蹟と対校した際もカタカナで訂正している。例えば現代かな「せ」について日蓮は「せ」ではなく「セ」を用る(前掲小林論文参照)が、これまで本稿で見てきたように、日乾対校で底本とされた写本では「せ」が多用されている(ただし95頁一行目にあるように「セ」も使用されている)。以上を考え合わせると、漢字の字体も真蹟を忠実に写していない、あるいは日乾の対校時にも写本と真蹟とで字体が異なっていても無視しているのかといった疑問がわく。刊本の日蓮文集の校訂については、各編纂者・機関・教団で真蹟・写本の表記異同は検討されているものの、底本の学術的な史料批判の成果は(例えば校訂の一過程とされて)充分に公開されぬまま現在に至っているのではないだろうか。
*19:=畫、画
*21:○の右脇に野。
*22:○の右脇に「カウハ」。
*23:ママ
*24:=胸
*25:異体字。異体字解読字典やグリフウィキでは確認できないが、史的文字DBでは頻出する。
*26:○の右脇にツ。
*27:=帰
*28:滿で翻刻してきたが既出を含めu6eff-itaiji-002に訂正する。
*29:勹の下に丐を置く異体字。異体字解読字典、毛筆版くずし字解読辞典、グリフウィキでは確認されず、史的文字DBではヒットしない。
*31:婆を削除し右脇に多。日存本、録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録は「達多」。縮刷遺文、御書全集は「提婆」。昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』は「提多」。前97頁3-4行目に「提婆」とあることをもって「提多」を「提婆」に校訂する理由とできなくもない。日蓮大聖人御書全集全文検索では提婆達多を「提多」とした用例は見られない。
*32:ママ
*33:→犍。「楗」は親文字「連」の右脇にあるが、「連」に斜線があるか判読し難い。しかし「報恩抄」の日乾対校本にも同様の記載があり、こちらは「連」に斜線を入れた跡が明らかである(真蹟不在箇所。『報恩抄 乾師対校本』梅本正雄編、本満寺刊、1965年、170頁参照。御書全集329頁)。これと比較してみると、本抄の「連」にも斜線があると見て差し支えなさそうである。ただし「法華取要抄」の真蹟も目「犍」ではなく「楗」(第十六紙)に見える。日存本、録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録は「目連」。縮刷遺文、御書全集、昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』は「目犍」。
*34:=災
*35:もとは「宣旨」であるが「旨」を削除している。日存本、録内御書(宝暦修補本)、高祖遺文録、御書全集は「宣旨」。縮刷遺文、昭和定本、平成校定、平成新修、『日蓮文集』は「宣」。
*37:○の右脇に「大ノ」。
*38:「人天」の人を削除し○の右脇に天。
*39:「人天」の人を削除し○の右脇に天。
「開目抄」における法華経勧持品・不軽品の引用文の合成
「日蓮「開目抄」:日乾による対校本の翻刻⑧」の範囲で、日蓮(1222-82)は、自身の忍難と慈悲は天台・伝教に優れていると言っておきながら、すぐさま一転して、私は法華経の行者ではないのか?と疑問を呈した。翻刻⑨では、また一転して、法華経勧持品の文*1を引き、私こそがこの文を読んだと、さらなる確度をもって言い切ることで、法華経身読のみならず、自身の法華経弘通と忍難が、むしろ仏語に正当性を与えていると宣言している。そしてはたまた「我が身、法華経の行者にあらざるか。此の疑は此の書の肝心、一期の大事なれば、処処にこれをかく上、疑を強くして答をかまうべし」*2と追究を深めてゆく。日蓮による造語「法華経の行者」には、こうした筆致を重ねることで、意味に厚みが生まれていることを改めて確認した次第である。
勧持品に混入された「瓦石」
さて本稿では、この勧持品の引用文から、日蓮による勧持品・不軽品身読の過程について理解するためのヒントが得られそうなので、小考を加えたい。
件の勧持品の文「経ニ云有諸無智人悪口罵詈等加刀杖瓦石等云云」*3は、経文通りの引用ではない。日乾本の対校前は「経ニ云有諸無智人悪口罵詈等及加刀杖者等云云」であり、勧持品の経文通り*4であるが、真蹟対校によって「及」を削り「者」を「瓦石」に置き換えた跡がある。したがって勧持品の文をそのまま引用せず「瓦石」を加えたのは、明らかに日蓮筆であると確認できる。さらに直弟子日興(1246-1333)が開目抄に引用される経釈等を採録した「開目抄要文」における当該箇所も同様である点は、傍証となり得よう*5。
「瓦石」は妙法蓮華経に四カ所登場するが、譬喩品の文は開目抄の当該文脈には直接関係がないので除外した上で*6、残りは法師品に二カ所、不軽品に一カ所、確認される。
法師品の文を以下に掲げる。
①「若説此経時 有人悪口罵 加刀杖瓦石 念仏故応忍」*7
②「若人欲加悪 刀杖及瓦石 則遣変化人 為之作衛護」*8
不軽品の文を以下に掲げる。
③「説是語時、衆人或以杖木・瓦石而打擲之」*9
さて勧持品に混入された「瓦石」はこのうちどれが妥当だろうか。日蓮遺文の用例としては、①②から「瓦石」を引用した例は見当たらない*10。
「瓦石」はむしろ決まって不軽菩薩の受けた迫害として記されている。ここでは真蹟現存・曽存及び直弟子写本がある文を掲げる*11。
①「又一経の内に凡有所見、我深敬汝等等と説いて、不軽菩薩の杖木瓦石をもつてうちはられさせ給いしをば顧みさせ給はざりしは如何と申させ給へ」*12
②「又云く「杖木瓦石もて之を打擲せん」等云云」*13
③「不軽品に云く「悪口罵詈」等、又云く「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云」*14
④「不軽菩薩は過去に法華経を謗じ給う罪、身に有るゆへに、瓦石をかほるとみへたり」*15
⑤「今反詰して云く、不軽品に云く……又云く「衆人、或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云」」*16
⑥「設い日蓮一人は杖木・瓦石・悪口・王難をも忍ぶとも、妻子を帯せる無智の俗なんどは争か叶うべき」*17
⑦「過去を尋ぬれば不軽菩薩に似たり。現在をとぶらうに加刀杖瓦石にたがう事なし」*18
⑧「加刀杖瓦石・数数見擯出の文に任せて流罪せられ刀のさきにかかりなば、法華経一部よみまいらせたるにこそとおもひきりて、わざと不軽菩薩の如く覚徳比丘の様に竜樹菩薩・提婆菩薩・仏陀密多・師子尊者の如く弥強盛に申しはる」*19
⑨「法華経第七に云く「……或は杖木瓦石を以て之れを打擲す……」*20
⑩「又云く「杖木瓦石をもつて之を打擲す」」*21
⑪「法華経第七の巻不軽品に云く……又云く「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云」*22
⑫「仏、不軽品に自身の過去の現証を引いて云く「爾の時に一りの菩薩有り、常不軽と名く」等云云。又云く「悪口罵詈等せらる」。又云く「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云。釈尊、我が因位の所行を引き載せて末法の始を勧励したもう。不軽菩薩既に法華経の為に杖木を蒙りて、忽に妙覚の極位に登らせたまいぬ。日蓮此の経の故に現身に刀杖を被むり二度遠流に当る、当来の妙果之を疑う可しや」*23
⑬「同第七に云く「……衆人、或は杖木瓦石を以て之を打擲す。……」已上」*24
以上、遺文における日蓮の問題意識の表明から見れば、先の勧持品に混入させた「瓦石」は、不軽品のものと見るのが妥当と言えよう*25。しかも⑦⑧の文においても同じ操作がされていることが注目される。
「一偈」に見る勧持品と不軽品の連関
その上で、不軽品を混入させた勧持品の引用文を、日蓮は「一偈」*26と見なし、「日蓮なくば此の一偈の未来記、妄語となりぬ」*27と言い切る。
次に、この「一偈」について考察を加えてみたい。まず佐渡流罪直前に書かれた「寺泊御書」の以下の文に着目したい。
⑭「勧持品に云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈し」等云云。日蓮、此の経文に当れり。汝等何ぞ此の経文に入らざる。「及び刀杖を加うる者」等云云。日蓮は此の経文を読めり。汝等何ぞ此の経文を読まざる。「常に大衆の中に在つて我等が過を毀らんと欲す」等云云。「国王大臣婆羅門居士に向つて」等云云。「悪口して顰蹙し、数数擯出せられん」。「数数」とは度度なり。日蓮、擯出衆度、流罪は二度なり。法華経は三世の説法の儀式なり。過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり。今の勧持品は、未来は不軽品為る可し。其の時は日蓮は即ち不軽菩薩為る可し」*28
ここに引かれた勧持品の文は経文通りであるが、その直後で日蓮は、不軽品を引用こそしていないので唐突な感はあるが、「過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり」として、勧持品と不軽品を三世の説法の儀式において同一視し、さらに自身を不軽菩薩と同一視している。
こう見ていくと、「経ニ云有諸無智人悪口罵詈等加刀杖瓦石等云云」は「過去の不軽品」にある「瓦石」を、「今の勧持品」に混入させていると解することができるのではないか。なお勧持品の一偈が「未来記」であるとするのは、「今の勧持品は、未来は不軽品為る可し」の文と一致する。
さらに注目したいのが、⑫「……釈尊、我が因位の所行を引き載せて末法の始を勧励したもう。不軽菩薩既に法華経の為に杖木を蒙りて、忽に妙覚の極位に登らせたまいぬ。日蓮此の経の故に現身に刀杖を被むり二度遠流に当る、当来の妙果之を疑う可しや」である。
この文は、不軽の「杖木」を、日蓮が「刀杖」(勧持品)によって行ずることで、釈尊の因行を末法に再現し、現世・来世で妙覚の果徳を得るとの主張であるが、「杖木(瓦石)」=過去の不軽品、「刀杖」=今の勧持品=日蓮として、寺泊御書の記述と一致する。「瓦石」は直前に引用されているから、当文を「杖木(瓦石)を蒙りて」と読んで差し支えあるまい。これは⑦の文とも一致する。
以上のように見ていくと、件の「一偈」は、日蓮が勧持品・不軽品身読と同時に、かつそれを核として、自身を不軽菩薩と同一視していく形跡であると解釈できよう。特に受難を釈尊の因行(菩薩行)と見て、それを勧持・不軽品の媒介にしている点に注意したい。
そしてこれが、果たして日蓮による意図的な操作なのか、無意識に書き付けたものか、偶発的なものか、もはや本人に聞くしかないのだが、遺文に尋ねるならば⑭「過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり。今の勧持品は、未来は不軽品為る可し」の文と⑫の文は無視できないであろう。
また、「一偈」の文脈の直前で既に「杖木瓦石もて之を打擲せん」との不軽品の文=前掲②を正確に引いている点も注意したい。さらに寺泊御書で引かれた「向国王大臣婆羅門居士」と「数数見擯出」も、開目抄当該箇所*29に登場し、酷似した構成となっている。以上と⑦⑧の例をもって、ここでは一偈における「瓦石」の合成は日蓮の意図的な操作であると推測しておきたい。
おわりに
以上、開目抄における勧持品の引用文への不軽品の混入について考察してみた。勧持品・不軽品身読表明の過程は、日蓮が開目抄をはじめとする佐渡期で、どのようにして末法の教主たる意識*30を形成ないし宣明していったかを探る手掛かりになると言えよう。例えば、自身の受難による法華経身読が仏語に正当性を与えているとの主張は、不軽菩薩=釈尊の因行を、現在において勧持品・不軽品身読、特に竜の口の法難(「経ニ云有諸無智人悪口罵詈等加刀杖瓦石等云云」の端的かつ極致たる事象)によって、現実に末法に再現した、この事実、自身の体験に強く支えられていると、私は考えている。これと、久遠下種を受け釈尊滅後の弘教を託された上行菩薩の自覚とが相まって、末法における釈尊の因行の再現者という面で、日蓮自身に末法の教主であるとの意識が生まれたと推察でき、日蓮の造語「法華経の行者」にもそのような意味が込められていると解釈できよう。ただし上行菩薩の自覚の宣明は、開目抄の段階ではその文言からは積極的に見出せず、「観心本尊抄」等、他の著作に譲られているようである。
ともあれ、上行菩薩と不軽菩薩は日蓮自身の
なお参考までに、真蹟は現存せず日朝本からのため文献学的には扱いに慎重になるが、「佐渡御書」の「日蓮は過去の不軽の如く、当世の人人は彼の軽毀の四衆の如し。人は替れども因は是一なり。父母を殺せる人、異なれども、同じ無間地獄におつ。いかなれば不軽の因を行じて日蓮一人釈迦仏とならざるべき」との文を掲げる*33。■
*1:翻刻底本、『開目抄 乾師対校本』(梅本正雄編、本満寺刊、昭和39年)81頁、後述。
*2:前掲『開目抄 乾師対校本』86頁、『新編日蓮大聖人御書全集』(創価学会版、以下御書全集と略記)203頁、『昭和定本日蓮聖人遺文』(立正大学日蓮教学研究所編、久遠寺刊、以下昭和定本と略記)561頁参照。遺文の引用は御書全集をもとに校訂を加え、中略する際は「……」で示した。
*3:「経に云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈等し、刀杖瓦石を加う」等云云」。『開目抄 乾師対校本』81頁、御書全集202頁、昭和定本559頁参照。
*4:『妙法蓮華経並開結』(創価学会版、以下妙法華と略記)418頁。大正No.262, 9巻36頁b段23行-24行。
*5:「開目抄要文」上巻7丁裏、「経云、/有諸無智人、悪口罵詈等、加刀杖瓦石等云云、」、本間俊文「北山本門寺蔵『開目抄要文』について」(『日蓮教学研究所紀要』第44号、立正大学日蓮教学研究所、平成29年)39頁参照。ただし本間氏は、「開目抄要文」の底本は、日乾が対校に用いた身延曽存の開目抄ではなかったのではないかと考察している(同書18頁)。となれば、「瓦石」が混入された勧持品引用は、他の写本ないし真蹟にもあった可能性が高いと推測される。
*6:譬喩品の文は「生受楚毒 死被瓦石」(妙法華200頁、大正No.262, 9巻15頁c段5行)であり、法華経誹謗によって受ける罪報として挙げられている。
*7:妙法華369頁、大正No.262, 9巻32頁a段23行-24行。
*8:妙法華370頁、大正No.262, 9巻32頁b段2行-3行。
*9:妙法華558頁。大正No.262, 9巻50頁c段28行-29行。
*10:日蓮大聖人御書全集全文検索https://gosho-search.sokanet.jp/を使用。法師品の文を日蓮が無視したとは考え難いが、さほど関心を示していないようなので、勧持品・不軽品に吸収されたと推察しておくが、今後の探求課題としたい。
*11:真蹟及び直弟子写本のない以下は、考察の対象から外した。真蹟現存・曽存及び直弟子写本の重視は、遺文の記述・表記を考察の対象とする場合には不可欠であろうし、後段で私が試みる教理的な考察はともすると類推に堕しやすく一定の歯止めをかけるためである。
①「過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り」(如説修行抄、御書全集501頁、昭和定本732頁参照)
②「法華経には「諸の無智の人有り、悪口罵詈等し刀杖瓦石を加うる。乃至国王・大臣・婆羅門・居士に向つて乃至数数擯出せられん」等云云」(佐渡御書、御書全集960頁、昭和定本617頁参照)
③「或は云く「刀杖瓦石を加え」、或は「数数擯出せらる」等云云」(妙密上人御消息、御書全集1240頁、昭和定本1168頁参照)
④「彼は罵り打ちしかども、国主の流罪はなし。杖木瓦石はありしかども、疵をかほり頸までには及ばず。是は悪口・杖木は二十余年が間ひまなし、疵をかほり流罪・頸に及ぶ」(妙法比丘尼御返事、御書全集1416頁、昭和定本1566頁参照)。次の引用と同じく自身と不軽とを比較している。
⑤「勧持品に八十万億那由佗の菩薩の異口同音の二十行の偈は、日蓮一人よめり。誰か出でて日本国・唐土・天竺・三国にして仏の滅後によみたる人やある。又我よみたりとなのるべき人なし。又あるべしとも覚へず。「及加刀杖」の刀杖の二字の中に、もし杖の字にあう人はあるべし。刀の字にあひたる人をきかず。不軽菩薩は杖木瓦石と見えたれば、杖の字にあひぬ。刀の難はきかず。天台・妙楽・伝教等は刀杖不加と見えたれば、是又かけたり。日蓮は刀杖の二字ともにあひぬ。剰へ刀の難は前に申すがごとく東条の松原と竜口となり。一度もあう人なきなり。日蓮は二度あひぬ。杖の難にはすでにせうばうにつらをうたれしかども、第五の巻をもつてうつ。うつ杖も第五の巻、うたるべしと云う経文も五の巻、不思議なる未来記の経文なり」(上野殿御返事、御書全集1557頁、昭和定本1635頁参照)。不軽菩薩は日蓮のように刀の難には遭っていないと、自身を同一視してきながらも、ここでは不軽に難の不足を匂わす所に、勧持品の重要性も浮き彫りとなろう。不軽菩薩すら対比させて勧持品の「刀杖」身読を強調している点は大変興味深い。
以上においても②及び③の勧持品引用で「瓦石」が混入されている点は、開目抄と同様である。
*12:唱法華題目抄、御書全集14頁、昭和定本204頁参照、日興写本(部分)。
*13:開目抄、御書全集201頁、昭和定本557頁参照、後述、真蹟曽存。
*14:開目抄、御書全集230頁、昭和定本599頁参照。
*15:開目抄、御書全集231頁、昭和定本600頁参照。
*16:撰時抄、御書全集257頁、昭和定本1004頁参照、真蹟現存。
*17:四条金吾殿御返事、御書全集1163頁、昭和定本1361頁参照、日朝本だが引用箇所は真蹟断簡が現存。真蹟では「瓦石」は「瓦礫」のようである。
*18:四条金吾殿御返事、御書全集1182頁、昭和定本1668頁参照、真蹟断簡曽存、ただし引用箇所第八紙は欠落(日乾目録)。
*19:下山御消息、御書全集356頁、昭和定本1331頁参照、真蹟現存。
*20:顕謗法抄、御書全集448頁、昭和定本255頁参照、真蹟曽存、日乾対校本。
*21:顕仏未来記、御書全集507頁、昭和定本740頁参照、真蹟曽存。
*22:曾谷入道殿許御書、御書全集1026頁、昭和定本895-6頁参照、真蹟現存。
*23:波木井三郎殿御返事、御書全集1371頁、昭和定本746-7頁参照、日興写本。
*24:立正安国論広本、御書全集未収録、昭和定本1477頁参照、ここでは真蹟と見た。
*25:なお「経ニ云有諸無智人悪口罵詈等加刀杖瓦石等云云」について、兜木正亨は『日本古典文学大系82 親鸞集 日蓮集』(岩波書店)および『日蓮文集』(岩波文庫)で日乾本を底本にし、同文は「經に云、「有諸無智人 惡口罵詈」「加刀杖瓦石」等云云」(前者355頁。後者232頁)とカギ括弧で二文に分けて校訂し、両者とも勧持品二十行の偈、俗衆増上慢を指すと注している。「瓦石」に触れないあたり、兜木らしからぬ感が否めない。
*26:『開目抄 乾師対校本』81頁。御書全集202頁、昭和定本559頁参照。
*27:『開目抄 乾師対校本』81-2頁。御書全集、昭和定本同頁。
*28:御書全集953-4頁、昭和定本514-5頁参照、真蹟現存。
*29:『開目抄 乾師対校本』82-3頁。御書全集202頁、昭和定本560頁参照。
*30:開目抄の結論部分では「日蓮は日本国の諸人に」に続き、「しうし父母なり」(御書全集237頁、日寛「開目抄愚記」に依るか)、「主師父母也」(『平成校定日蓮大聖人御書』大石寺版、660頁、日存写本)、「シタシ父母也」(『開目抄 乾師対校本』241頁、昭和定本608頁参照)とある。
*31:例えば、ジャクリーン・ストーン「日蓮と法華経」(『シリーズ日蓮 第1巻 法華経と日蓮』春秋社、2014年)261頁参照。
*32:『開目抄 乾師対校本』85頁、御書全集203頁、昭和定本560頁参照。
*33:御書全集960頁、昭和定本617頁参照。不軽菩薩が釈尊の因位の修行の姿であることは経文から明らかであるし、前掲、日興写本が完存する⑫の文で充分であろう。本稿は大黒喜道氏の「事行の法門について(二)~(四)」(『興風』第七~九号、興風談所)から大いに着想を得た。氏の一連の論考は、氏も扱いを避けた佐渡御書の上記引用の内容的な妥当性を、結果的にでもあれ補強するものとなっていると思う。